第143話 元剣聖のメイドのおっさん、無双する。
「―――フハハハハハハッ!!!! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァァァァァァァァァッッッ!!!!」
オークは拳を握り、大きく笑い声を上げる。
その瞬間。彼の身体からドス黒い、漆黒のオーラが湧き出て来た。
それは、圧倒的で邪悪な闘気の圧。
周囲に生えている草花はその闘気に触れた瞬間、瞬時に枯れ果て、空を飛ぶ鳥たちはバタバタと地面へと落ちて行った。
今までの自分とは違う満ち足りた力の鼓動に、オークはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「ク、クククッ!! 笑いが止まらないな!! 何だ、この圧倒的な力は!! 察するに、この力はあの老剣士の本来の力―――年老いる前の闘気だな!! フ、フフフ、化け物か、あの老人は。まさか、腕の一本でここまで強くなれるとはな……!! 面白い、面白いぞ!!」
そう口にして、一頻り笑い声を上げた後、オークは森の奥へと視線を向ける。
そこには、点々とした赤い血の斑点が続いていた。
その光景を確認した後、オークは地面に膝を付き、クラウチングスタートのような態勢を取る。
そして、静かに口を開いた。
「……【瞬閃脚】」
つま先立ちで地面を蹴り上げ、飛び上がった、その瞬間。
オークの姿は瞬く間に掻き消え、地面には、土煙だけが残される。
速剣型の剣士がたゆまない努力の末に辿り着くとされる歩法、【瞬閃脚】。
瞬間移動のようなその速さは、常人の目に映ることはなく。剛剣型や魔法剣型にはけっして、追いつくことは叶わない速度へと至る。
速さを追求した者だけに許される極致。その奥義を、オークは、ハインラインの腕を喰らうことによって会得していたのだった。
「―――――見えた」
「!? なっ―――!? そ、そんな、馬鹿なっ……!!!!」
オークは、ロドリゲスの周囲を回り込み、行く手を塞ぐようにして立ち止まる。
そんなオークに対してロドリゲスはサーベルを引き抜くと、大きく声を張り上げた。
「貴様! な、何故、私の【縮地】よりも早く移動を!? ま、まさか、貴様、【瞬閃脚】を使ったとでもいうのか!?」
「フッフッフッ。老剣士よ、腕を斬り捨てる覚悟、見事であった。だが、我に能力を与えてしまったのは失策だったな。おかげで、我はさらに強くなることが出来たぞ」
その言葉に、ロドリゲスの背にいるハインラインは、大きくため息を溢し開口する。
「お主の加護の力……喰らった者の能力を奪える力のことは、無論、ワシにも分かっておったわい。じゃが、一部分だけ―――腕を喰った場合は、どの能力を習得するのかはランダムだったはずじゃろ? だから正直、こいつは賭けであった。それなのに……よりにもよって【瞬閃脚】を習得するとはのう。最後の最後でワシは賭けに敗けたということか。最悪の結果じゃて」
そう言ってハインラインは右手を上げ、「降参じゃ」と、頭を横に振る。
そんな老剣士を見つめ、オークは静かに口を開いた。
「フッ、安心するが良い。我は、ここで貴様らを喰らう気は一切ない」
「何……?」
「我がここに来た理由、それは、武具の調達だ。フッフッフッ。取引をしようではないか、老剣士よ。貴様らの持っている剣を全て我に寄越せ。そうすれば、この場は見逃してやる」
ロドリゲスはサーベルを構えながらオークを睨み付け、叫び声を上げた。
「誰が魔物の言うことなど信じるか! 武具を没収した後、無防備な我らを喰らう気なのであろう! 醜悪な怪物め!」
「待て、ロドリゲス」
ハインラインは弟子にそう声を掛けると、オークの目を見つめる。
そして、数秒程見つめた後。彼は腰から二本の刀を鞘ごと引き抜くと、地面へと放り投げた。
「ほれ、持っていけ。その古びた刀は、長年の愛刀じゃったが……命には代えられぬからのう。くれてやる」
「!? 我が師!? 何を!?」
「ロドリゲス。貴様もそのサーベルを奴に渡せ」
「ですが……!!」
「渡せ」
「……ぐっ! わかり、ました……っ!!」
ロドリゲスは悔しそうな様子で、手に持っているサーベルを地面へと落とす。
その光景を見て、オークはクククと嗤い声を溢すと、腕を組み、開口した。
「取引は成立した。行くが良い。一日程度の間なら、その命、見逃してやろう」
「……ッ!! 覚えているが良い、醜悪な魔物よ!!」
そう言い残すと、ロドリゲスは【縮地】を発動させ、森の奥へと消えて行った。
去って行った二人の姿を見つめた後。オークは地面に落ちている青い鞘に入った刀を手に取る。
「これは、確か……【蒼焔剣】とか言っていたな。相手に死を与える炎の剣、か。フフッ、面白い剣だ。だが、今は純粋に自身の力を試しておきたいところだな。この剣を使うのは、控えておくとしよう」
そう言ってオークは、刀を背中にある籠へと放り投げた。
そしてボロボロの漆黒のマントを翻しながら……ハインラインたちとは別の方向へと、進んで行くのであった。
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「何、だ……アレ、は……?」
地響きのような衝撃音が聴こえ、屋敷から飛び出たゴブリン・ロードは……目の前に広がる光景に、思わず呆然として立ち尽くしてしまう。
何故なら、総勢300体はいたゴブリン兵団の半数以上が、一瞬にして消え去っていたからだ。
いなくなったゴブリンの代わりに産まれていたのは、中央にある巨大なクレーターだ。
まるで隕石でも振って来たのかと思われるその巨大なクレーターには、嵐のように土煙が舞っている。
―――その時。土煙の中から、黒い人影が現れた。
土煙をかき分けザッザッと足跡を立てて現れたのは――――メイド服を着た、一人の少女だった。
少女は箒を横に振り上げると、土煙を振り払い、悠然とした態度でゴブリン・ロードの元に向かって歩いて来る。
どう見ても強者には見えない、ただの人間の少女。
この光景を造り出したとは到底思えない、かよわき人間の雌。
だが、そのメイドの姿を瞳で捉えた瞬間、ゴブリン・ロードの背筋に、冷たいものが走って行くのだった。
彼は、一瞬にして理解したのだ。アレは、少女の形をしただけの……得体の知れない何かだということを。
「――――――チィッ!!」
ゴブリンの王は舌打ちを放つと、耳に手を当て、配下へと念話を飛ばす。
『―――き、騎馬隊! 今すぐあの人間の雌を討滅しろ! 弓兵、魔法職部隊は、背後からサポートするのだ!! い、急げぇッ!!!!』
「グギャギャギャ!!」
ゴブリン・ロードの命令に、配下のゴブリンたちは一斉に進軍をし始める。
ゴブリン・ロードの加護の力、それは、【テレパシー】と【弱点看破の魔眼】だった。
【テレパシー】は、配下全員に即座に念話を送ることができる力だ。
【弱点看破の魔眼】は、相手の苦手とする戦い方、苦手とする攻撃、過去に受けた怪我などを―――瞳で認識した瞬間に、理解する力。
彼は、この二つの能力を駆使して、無敵の兵団を作り上げて来た。
圧倒的な速さを誇る情報伝達能力と、相手の弱点を見破ることのできる魔眼の力。
敵の弱みを見つけ、軍で襲い掛かるその連携力を前にしては、どんな強者であろうとも退却せざるを得なくなるのは必至。
数の暴力と、軍団の支配力。それが、ゴブリンという種族の強さだった。
だが――――――それは、一人で軍を破壊する圧倒的な強者には通用はしないものであることを、この時の小鬼の王は知らなかった。
「【旋風剣】」
少女が横薙ぎに箒を振った、その瞬間。
突風が舞い起こり、突進していった騎馬たちは宙へと吹き飛ばされていった。
その後、魔法職ゴブリンたちが杖を振り上げ、火球を放つが―――少女は腰に箒を当て、抜刀の構えを取る。
そして、足を前に踏み出し、火球に向かって箒を振り放った。
「【閃光剣】」
火球は真っ二つに斬り裂かれ、少女の背後に着弾し、爆発する。
背後で炎が舞い上がる中、メイドはまっすぐとゴブリンたちを見据え、駆けてくる。
その光景を見つめてポカンとした表情を浮かべた後、ゴブリン・ロードは耳に当て、配下たちへと再び念話を飛ばした。
『戦士隊、怯むな、突撃しろ!! 弓兵! 魔法兵! 仲間もろともで良い! 全力で攻撃をしろ!!』
そう命令した瞬間、メイドの少女に目掛け、火の雨、矢の雨が、天空から降り注ぐ。
地面の上では、咆哮を上げた最後の戦士隊が、少女へと向かって突進していく姿が見えた。
一の個が、全の軍に勝てることなど、あるはずがない。
群れという形が生物界で最強であることは、古来から決まっていることだ。
群れを成せない動物に生きる術などはない。だからこそ、軍が一人の少女に敗北することなど、在り得るはずがないのだ。
しかし―――目の前の光景を目の当たりにしても、メイドの足は止まることは無い。
彼女は自身に向かって飛んでくる暴力的な数の火球、矢、ゴブリンたちを前にしても、何故か、小さな笑みを浮かべているのだった。
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「ぴぎゃあああああああああああああ!! アネットさん、上、上ぇ!! たくさんの火球と矢の雨がぁ!! ……って、ぶぇぇぇっ!? 今度は前から、大量のゴブリンの群れがぁぁぁぁ!! きっと、超絶可愛い天使のようなミレーナちゃんにえっちなことをしようと考えて、迫り来ているんですよぉぉぉぉぉぉぉ!!!!! ぶぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
「あの……大丈夫ですので、そんなに叫ばないでもらえますか? 貴方の声、耳にキンキンときますので……」
「何を言ってるですかぁ!! は、早く、はおーけん?とやらを使って、全部吹き飛ばしてくださいよぉう!! ほら、早く、早くーっ!!」
脇に抱えているミレーナはそう言って、俺の頭をバンバンと叩いて来る。
俺はそんな彼女にため息を溢した後、口を開いた。
「覇王剣は使いません」
「は? な、何言ってるですか!? さっきみたいに一気にドカーンと、全員倒してくださいですよぉう!!」
「この距離では、あそこにある廃屋……御屋敷を壊してしまう可能性があります。なので、覇王剣は使わずに奴らを掃討したいと思います」
「お、御屋敷ぃ!? な、何でぇ!?」
「何でもです」
あの屋敷は、父と母の思い出の詰まった場所だ。廃屋と化したとしても、できる限り残しておきたい。
父と母に生きて会えなかった分、彼らの面影の残るものは……俺にとって全部、大切な宝物だ。
壊しなどは、しない。
「それにしても……」
恐らく、このゴブリンどもはあの屋敷を居城にしているのだろうな。まったく、ムカツク野郎どもだ。
この丘に生えるラパナ草を見つけるのが最優先だったが、まずは邪魔な連中を片付けることにしよう。
屋敷の掃除というのも、まぁ、メイドの仕事の領分だと言えるだろうしな。
手つかずの家に湧いて出たネズミの駆除と考えて、箒を振るうとしようかね。
「―――飛びます。ミレーナさん、しっかりと捕まっていてください」
「ふぇ? ぬぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!!」
【瞬閃脚】を使用して、高く空へと飛び上がる。
そして俺は、空に浮かぶ火球と矢の雨に目掛け、箒を構えた。
「【烈風裂波斬】!!」
ヒュンヒュンと目にもとまらぬ速さで箒を左右に振り、青い斬撃を空中へと飛ばしていく。
数百にも及ぶ斬撃を放った後、俺は地面へと着地する。
そして、【瞬閃脚】を使って地面を蹴り上げ、ゴブリンの群れへと突撃し、腰に箒を構え―――抜刀した。
「――――――【絶空剣】」
師、アレスの奥義、【絶空剣】。
空間ごと断ち斬るその剣は、閃光剣の上位互換の抜刀剣である。
目に見える景色を全て一刀両断する、神速の太刀。先々代剣聖にしか扱えなかった、絶技。
俺自身も、未だにこの剣だけは扱いなれていない。発動した後、手が少しビリビリと痛むからだ。
だからこそむやみに連発できない剣ではあるのだが……まぁ、こういう多対一の状況ならば、惜しみなく使用しても良いだろう。
……師匠、この技、使わせてもらいます。
「たぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!」
―――全力で箒を放った、その瞬間。
全ての空間が真横に斬り裂かれ、大量のゴブリンの上半身が宙へと舞って行く。
その直後、上空でボンボンと花火のような音がして、遅れて【烈風裂波斬】が火球に直撃し、爆発音を鳴らし始める。
ゴブリンの血と臓物、そして火の粉が降って来る地獄のような光景の中、俺は箒を肩に乗せると、屋敷の前に佇む一体の老人のようなゴブリンを見つめる。
その後、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、口を開いた。
「後は、お前だけだな」
なんてことは無い。この程度の相手を倒すのに、全力を出す必要も無い。
ただ事務的に、ただ作業的に、掃除するだけだ。
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木の枝の上に立ったオークは、大森林の奥で聴こえて来た爆発音に目を細める。
そして、訝し気に首を傾げた。
「何だ、今の強烈な闘気の波動は……? 大気を揺るがす程の力に感じられたが……あの森妖精族のものか? いや、それにしては異様な気配がしたな。まさか、我やあの森妖精族以上の力を持つ者がこの世界にいると? フッ……それはあり得ないな。居るとしても、同等レベルの者だけだろう」
そう口にして、オークは腕を組み、周囲をキョロキョロと見渡す。
「……さて、今、我がやるべきこと。それは、奴を倒し、喰らうことだけだ」
そう呟き、一頻り辺りを確認した後。
ある方向を見つめたオークは―――不気味な笑みを浮かべた。
「見つけたぞ」
【瞬閃脚】を使用し、木の枝から飛び降りるオーク。
そして彼は森の中を猛スピードで駆け抜けると―――リトリシアとヴィンセントの真横に飛び、ドシンと地面を陥没させ、着地した。
「なっ―――」
「会いたかったぞ、最強の剣士。さぁ……再戦といこうか。ほう? 見知らぬ者がいるが……まぁ良い。二人まとめてかかってくるが良い」
オークのその言葉に、リトリシアとヴィンセントは腰の剣に手を当て、臨戦態勢を取るのだった。
第143話を読んでくださって、ありがとうございました。
あと5、6話くらいでオーク編を終わらせられたら良いなと考えています。
書籍1巻発売まであと6日。
WEB版にはないエピソードもありますので、ご興味ありましたらご購入の程、よろしくお願いいたします!




