第141話 元剣聖のメイドのおっさん、父と母の馴れ初めを知る。
「老剣士!! ルティカ!! 聴こえているか!! 貴様らがこの先に逃げ込んだのは理解しているぞ!! フハハハハハハハハハッッ!!!!! 待っていろ!! 今すぐにその肉を我が喰らってやる!!!! 貴様らの力を取り込み、我は、あの森妖精族に勝利するのだ!!!! 我は――この世界で最強の生物へと進化を遂げてみせる!!」
オークのその咆哮は、第4界域中に轟いて行った。
その声を耳にしたロドリゲスは、霧深い森の中から崖の上を見上げ、口を開く。
「今の声は……災厄級の魔物、【暴食の王】によるものですね。我が師、どうやらあの化け物はルティカ殿と貴方様を喰らうつもりのようですよ」
弟子のその言葉に、ハインラインは木に背を付けて座りながらハッと乾いた笑い声を溢す。
「どうやらルティカの奴もワシと同じように敗走し、大森林へと逃げ込んだようじゃな。ガハハハッ、奴が来るのなら、こちらも望むところ……と言いたいところだが、弱ったのう。思ったよりもダメージが深刻なようじゃわい」
ハインラインは自身の震える手のひらを見つめ、小さくため息を溢す。
そして、何処か寂しそうな表情で空を見上げた。
「―――まったく。老いとは残酷なものじゃな。今のこの情けない姿を、アーノイックやジャストラムの奴に見られたら馬鹿にされてしまうこと間違いないな。……目を閉じると、今でも思い出せるわい。若き日の、在りし日の三人の姿を……世話のかかる弟弟子と、その弟弟子を好いておった、犬耳の獣人族の姿がな」
ハインラインは瞼を閉じる。するとそこに、過去の情景の姿が映っていった。
真剣な表情で、一心不乱に上段の剣を素振りするアーノイック。
そんな彼を、道場の隅に座りボーッと眺めるジャストラム。
二人は道場に入って来たハインラインの姿に気が付くと、親し気な様子で声を掛けてくる。
『ハインライン、聞いてくれよ! ジャストラムの奴、また俺の昼メシを食っちまいやがったんだよ! どうかしてくれよ、この大食い女をよぉ!!』
『……違う。ジャストラムさんの話を無視するから、罰として食べたの。全て、アーノイックの自業自得。あと、大食い女じゃない。ジャストラムさんは、人よりちょっとだけ胃袋が大きいだけ』
『どうみても大食いだろうが!! あと、テメェなぁ、稽古中に世間話してきたら誰だって無視するからな!! 全部お前が悪い!! なぁ、お前からもこいつに何か言ってやってくれよ!! このアホ、てんで俺の話を聞いちゃいねぇ!!』
『……ジャストラムさんは、アホじゃない。お姉さんは、アーノイックをそんなこと言う子に育てた覚えはない』
『いててててっ!! 頬を摘まんでくるんじゃねぇ!!!!』
愛しき弟弟子と、愛しき妹弟子。
遥か過去のその二人の姿を思い浮かべ、ハインラインは大きく笑い声を上げた。
「ハッハッハッハッ! あの頃は本当に楽しかった……! また、兄弟三人で揃いたかったのう。いや、あの世にいけばアーノイックの奴にはまた再会できるかの。久々に奴と酒を酌み交わすのも、悪くはない、か」
「―――何を言っておられるのですか、我が師!!」
ロドリゲスはハインラインの肩を掴み、今にも泣きそうな表情を浮かべる。
そんな彼に対して、ハインラインはニヤリと、笑みを浮かべた。
「此度の戦い、恐らくは聖女が予言した未来よりも、より悪化したものへと変わったことじゃろう。未来というものは、ひとつの行動で大きく変わるものだからな。まさか先手を打ってオークへと挑んだことが、仇となってしまうとは……これも全部、奴を仕留めきれなかったワシの責任じゃ。迷惑を掛けたのう」
「死なないでください、我が師!! ご自身の命を、諦めないでください!!」
「何、別に、諦めてはおらぬよ。ワシはどんなことをしてでも生きてみせる。死ねば、奴に借りを返すことができぬからのう……!! 自身の失敗は、自身の刀で返す。どんな手段を用いてでも、な!!!!」
肩に置いていた刀を手に取ると、ハインラインは立ち上がる。
だが、フラリとよろめいてしまい、地面に倒れ伏してしまった。
「我が師!! 無茶ですよ!!」
ロドリゲスに抱き上げられ、背中に背負われるハインライン。
彼はその状況に、チッと、舌打ちを放った。
「ワシというモンが、情けない。世話掛けるの、ロドリゲス」
「いいえ。まずは、【縮地】を使用して第5界域を目指そうと思います。オークの奴も、こちらの足取りを認識できる術は、持ち合わせてはいないでしょうからね」
「いや……それはどうじゃろうな」
ハインラインは目を細め、背後に広がる深い森林地帯を睨み付ける。
そんな彼に、ロドリゲスは不思議そうに首を傾げた。
「我が師?」
「……何でもない。行け、ロドリゲスよ」
「はっ!」
【縮地】を使用し、ロドリゲスはハインラインを背負いながら、森の中を疾走していくのだった。
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「クソ、クソっ……あいつ、ここまで追ってきやがったのか……!!」
先ほど聴こえて来たオークの声に、ルティカは魔獣の背の上に乗りながらカチカチと歯を鳴らす。
彼女は明らかに怯えている様子だった。顔は青ざめ、身体は小刻みに震えている。
そこには、かつての自信過剰で強気な剣神の姿はどこにもなく。
ここにいるのは、恐怖に顔を歪めている、一人のかよわい少女の姿だった。
「ガルロウ、行くぞ……」
「グルルル……」
ルティカは魔獣に進むように命令する。
そんな彼女を何処か慮った様子で、魔獣は頷きを返すと、森の中を疾走していった。
「……に、逃げなきゃ……あの化け物が来る前に、早くここから逃げなければ……っ!! あいつは、人間がどうにかできる代物じゃない……!! あいつは本物の……悪魔だ……!!」
オークの得体の知れない邪悪さの一端に触れてしまった、剣神【旋風剣】。
彼女は……ルティカはもう、オークの力の前に、完全に戦意を喪失してしまっているのであった。
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《アネット視点》
―――第5界域『プラシャネットの湖畔』。
綺麗な透き通った湖と青い空を見つめながら、俺たちは湖畔に生えている草原地帯を歩いて行く。
何というか、ここは、とても絵になる光景だな。
大森林の中であることを忘れてしまうくらいの、穏やかで、静かな景色。
初めて来た場所だというのに、何処か懐かしさを感じてしまう。何故だろう?
俺はそよ風にハーフツインテールを揺らしながら、首を傾げ、足を止めてしまった。
するとエステルが足を止め、前方から声を掛けて来た。
「どうかしたのかい? アネットさん?」
「あ、いえ……。少し、この景色に既視感を覚えてしまいまして」
「既視感……か。もしかしたらその感覚は、君の中に宿るその血が感じさせているのかもしれないね」
「え? 血、ですか?」
「アネットさん。湖の先に見える、崖の上にある小さな廃屋……あの屋敷跡が見えるかな?」
エステルはそう言って、湖に飛び出るようにできている三日月のような形の崖を指差す。
そして俺に視線を向けると、再び口を開いた。
「あの崖の上に立っている御屋敷は、実は、オフィアーヌ家の別荘なんだ。先代オフィアーヌ家の当主様は、若い頃、身分を隠して冒険者をやっていたそうでね。その時にこの風景を気に入り、第五界域にこっそりと屋敷を建てたらしい」
「先代オフィアーヌ家の当主様……って、そ、その人は、もしかして……?」
「うん。君の……お父様だね」
風に髪が揺れる。初夏の太陽が燦々と、俺を明るく照らしてくる。
思わず固まってしまった俺に微笑を浮かべると、エステルはそのまま話を再開し始めた。
「……先代オフィアーヌ家当主、ジェスター・フォン・オフィアーヌは、冒険者をやっていた時に第二夫人アリサ・オフィアーヌと出会ったそうだよ。アリサさんは、ギルドの酒場でウェイターとして働いていたと聞いている。とても美人で聡明な人で、昼夜問わずに冒険者や商人、貴族から、忙しなく求婚されていたそうだ」
「……」
「そんなモテモテな彼女の心を射止めたのは、身分を隠して冒険者をやっていた青年、オフィアーヌ家当主の座を継ぐ前の若き日のジェスターさん。彼らは出会ってすぐに恋人になった後、身分の差など関係なく、お互いに深く愛し合った。だけど……ジェスターさんの両親、先代オフィアーヌ家夫妻はそれを許すことをしなかった。何故ならジェスターさんには、既に、家が決めた婚約者がいたからだ」
「え……?」
「だけど、そんなことで、燃え上がる恋を止めることはできなかった。二人は、隠れて逢瀬を重ねるようになったそうでね。オフィアーヌ家の人間に見つからない場所に小さな屋敷を建て、夜半過ぎに転移の魔道具を使用して、密会を繰り返したんだって」
「もしかして……その、オフィアーヌ家の人間に見つからない場所に建てた小さな屋敷、というのは―――」
「フフッ、確かに、大森林の中にあるここなら、オフィアーヌ家の人間には絶対に見つからないよね。……穏やかな湖畔で、夜半過ぎに逢瀬を重ねるだなんて……とてもロマンティックな光景だ。憧れるよ」
エステルはそう言って髪を耳に掛け、崖の上にある廃屋へと視線を向ける。
俺も、同じようにしてその屋敷を見つめる。
父と母が、世間から隠れて、愛を紡いでいた場所、か。
……父の顔は一度も見たことは無いが、多分、母さんのことを誰よりも愛していたのは間違いないのだろうな。
だって、両親に、御家に反対されていたというのに、結局父さんは母さんを第二夫人として受け入れて、結婚までしたのだから。
ジェスター・フォン・オフィアーヌ、か。どんな人だったのだろう。会って……みたかったな……。
「アネットさーん、グライスくーん、何してるですか! 置いていきますよぉ~!!」
前方からミレーナが手を振って、そう俺たちに声を掛けてくる。
その姿を見つめると、エステルは一歩踏み出し、こちらに笑みを向けて来た。
「行こうか、アネットさん」
「はい」
もう一度、湖の向こうにある屋敷を眺めた後、俺はエステルと共に、歩みを再開していった。
「―――止まりなさい、ぴぎゃあちゃん」
20分程草原地帯を進んで行くと、突如、ジェネディクトがそう言ってミレーナを呼び止めた。
ミレーナは足を止め、こちらを振り返ると、不思議そうな顔をして首を傾げる。
「どうかしましたですか? サングラスの人」
「クスクス……この状況にまだ気が付いていないとは、のんきなものねぇ」
「? いったい何を言ってるんですか?」
「右に逸れなさい」
「へ?」
その瞬間。ヒュンとミレーナの頬を矢が掠め、こちらに向かって飛んできた。
俺の顔に目掛け飛んでくる矢。
対処しようと箒を構えるが―――グレイレウスが俺を庇うようにして前に出て、その矢を刀で斬り飛ばした。
そしてグレイレウスは刀を逆手に持って構えると、肩越しにこちらへと視線を向けてくる。
「申し訳ございません、師匠。師匠なら対処できるとは分かっていましたが、自然と体が動いてしまいました」
「いいや、構わない。それよりも、グレイ。俺に目を向けずに、常に周囲に警戒を向けておけ」
「はっ! ふむ……気配を探ったところ、二十……いや、三十体程の敵が、草原に潜んでいる感じでしょうか?」
「ハズレだ。正解は―――」
「67体ねぇ。草原の中だけではなく、かなり遠方の岩陰と木の陰にも隠れ潜んでいるのが見て取れるわぁ」
ジェネディクトはこちらに近付いて来ると、エステルの腕を乱暴に掴み、彼女を自身の背中へと隠れさせる。
そして、俺とグレイレウスに不敵な笑みを浮かべると、口を開いた。
「ねぇ、貴方たち。ここは協力して一緒に障害を排除しないかしら?」
「は? 協力だと?」
「ええ。相手はかなりの多勢、それに私たちを完全に包囲している。ならばここは手分けして倒していくのが手っ取り早いんじゃないかしら、イークウェス師弟?」
「……チッ、テメェと手を組むのは、心の底からムカつくが……この状況下では仕方ないか。お前に背中を預けるぜ、ジェネディクト」
「クスクスクス……まさか貴女とこうして一緒に戦うことになるとわねぇ。人生、何が起きるか分からないもの……ねぇ!!」
草原から飛び出て来たゴブリンを、ジェネディクトは手に持っていた双剣で真っ二つに両断する。
青白い雷をバチバチと光らせるの双剣―――雷属性の魔法石の宿った三日月剣を両手に持ちながら、ジェネディクトはボトッと地面に落ちて行ったゴブリンの死体を見下ろすと、クスクスと不気味な嗤い声を上げる。
俺はそんな奴を肩越しに見つめた後、箒を中段に構え、笑みを浮かべた。
「本当に、お前と共闘することになるとは思わなかったぜ。―――いくぞ、野郎ども! エステルを庇いつつ、周囲の敵を掃討する!!」
「はい!」「クスクスクス……」
箒を構え、周囲から襲い狂う敵に警戒をする。
そんな俺たちの姿を見つめて、ミレーナは叫び声を上げた。
「え? ちょ、ミレーナのこと無視しないでくださいよぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!! ミレーナのことも守ってくださいぃぃぃぃぃ!!!!!!」
第141話を読んでくださって、ありがとうございました!
書籍1巻発売まで、あと8日……!!
ドキドキです……!!