第137話 元剣聖のメイドのおっさん、仇敵と対話を試みる。
「ア……アネットさん、だ、大丈夫だから、お、降ろしてくれないかな?」
「駄目です。過呼吸になって、一度倒れかけたのですから。このまま野営地へと連れて帰ります」
そう言って俺はエステルをおんぶしたまま、林の中を歩いて行く。
―――あの後、エステルは限界まで泣き叫んでいた。
雨の中で、誰にも聴こえないと思った状況だからこそ、タガが外れたのか。
それとも、俺が傍にいることで、今まで抱えていたものが全部爆発してしまったのか。
真相は分からないが、彼女は泣き疲れるまで――過呼吸を起こして倒れかけるまで、叫び続けた。
そして納得がいくまで泣き終えた彼女は、身体から力を失い、立つこともままならなくなってしまった。
俺はそんな彼女を背負い、野営地へと戻ることにした。
夜の大森林は危険だ。何があるかは分からない。
それに、未だに、雨は降り続けている。
旅の途中で風邪にでもなったら大惨事だからな。
俺は、エステルが雨に濡れないように、木々の下を歩くようにして森の中を進んで行った。
「……」
「……」
お互いに何も喋らず、森の中を静かに歩いて行く。
するとエステルはどこか恥ずかしそうな様子で、ギュッと、俺の肩を抱きしめて来た。
「……本来は、僕が男性側に立って、君を女性としてリードしたかったのだけれど……これじゃあ、真逆だね。君には情けないところを見せてしまった」
「立場など、その時に応じて、どちらに立っても良ろしいのではないでしょうか? 失礼な物言いになるかもしれませんが……先ほどのエステルさんは、思わずドキリとしてしまうような、とても可愛らしい少女のように見えました。男性的な魅力も、女性的な魅力も、貴方はどちらも併せ持っている。別に、どちらかに拘る必要なんてないと思いますよ。どちらの貴方も、素敵な貴方の一部なのは間違いないのですから」
「……ずるいよ。君は、本当にずるい。女の僕も、男の僕も、君の前ではどちらも一人の人間『エステル』として扱われてしまうなんて。僕が今まで悩んでいたことなんて、君にとっては些細なことでしかないのだろうね。まったく……本当に君って奴は……」
俺の背に顔を預け、いじけたようにそう声を発するエステル。
その後、彼女は顔を上げると……ニヤリと、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
「……フフッ、君はもしてかして、男性ではなく、同性である女性が好きなのかい?」
「何故……そう思うのですか?」
「さっき、君はこう言っていたじゃないか。泣いている僕のことを、思わずドキリとしてしまうような、とても可愛らしい少女のように見えた、と―――。なるほど、どうりで、ね。グレイレウスくんと距離が近い割にそこに一切の異性的、恋愛的感情が見えなかったのは、そういうことだったわけか……へぇ」
「…………ノーコメントで」
「フフフフッ、君のためならば、時には僕が『女』になっても良いのかもしれないね。ねぇ、知っているかい? 帝国には、優秀な魔法因子を持った女性の血を次世代に継がせるために、女性に男性器を一定時間生やす秘薬があるみたいだよ? どう? それを使って僕を犯してみたいとは思わないかな?」
そう言ってエステルは耳元にフゥーッと息を吹きかけてくる。
俺はその感触にゾワッと背筋を震わせ、背中にいるエステルへとジト目を向けてしまった。
「エステルさん? 仮にも王女様ともあろう御方が何てことを口にするのですか? 貴方様は聖グレクシア王家に連なる者なんですよ? 国を代表する者なのですから、変なことを言わないでください」
「ん? だったら、僕が君を犯すというのも―――」
「エステルさん!! そろそろ、本気で、怒りますよ!!!!」
「分かったよ。もう、そんなに怒らなくても良いじゃないか」
いじけるエステルを背負ったまま、俺はそのまま野営地へと向かって進んで行った。
「雨は止んだか」
テントから出ると、俺は朝焼けの空を見つめ、吐息を吐く。
夏とはいっても、大森林の朝は凍えるように寒かった。
吐息は白く、木々の足元に生える野草には霜が降りているのが見て取れる。
俺は野営地の中央にある消えた焚火の前に立ち、周囲の様子をキョロキョロと窺ってみる。
時刻が午前4時ということもあってか、皆、まだ自分のテントの中で眠っているようだ。
だが、ひとつだけ、入り口が開いているテントがあった。
別段、そのテントの主がいないことは不思議なことではない。
予めその人物から、夜の警戒のために周囲を見張っていることは、聞いていたからだ。
……これは良い機会、なのかもしれないな。
奴と二人で対話することなど、普通であれば考えられないこと。
けれど、昨晩のエステルのことを考えれば……あの男と会話しておくことに越したことはないのかもしれない。
俺は、目的の人物の姿を探すべく、周囲の森の中に入り、探索していった。
「―――何の用かしらぁ? アネット・イークウェス」
森の中に入って五分程。すぐに、その人物の姿は発見できた。
目的の人物、ジェネディクト・バルトシュタインは、天高く聳えたつ大木を背に、木の枝の上で優雅に足を組んで座っていた。
俺は大木を見上げ、高く上にいるジェネディクトに対して、声を放つ。
「よう。周囲の様子はどんな感じだ?」
「クスクス……。別に、特に変わりはないわよ。私の獲物である災厄級の気配すら感じられないわぁ」
「―――単刀直入に聞く。お前はいったい、何がしたいんだ?」
「いったい何がしたい、ね。私の目的は、貴方と初めて出会った五年前から一切変わっていないわ。私は、私を捨てたあの憎き一族―――四大騎士公バルトシュタイン家に復讐を果たすためだけに生きている。あの一族を根絶やしにし、蹂躙し、積年の憎悪をぶつけさせなければ、私の歩みはけっして止まることはない」
「……お前もとっくの昔に理解しているだろうが、一応、言っておく。お前を一族から追放したバルトシュタイン家の当主はもう、既に他界しているぞ。お前が策謀に嵌められたのは、35年も前の話だ。今現在はゴーヴェンが当主を継ぎ、最早、今のバルトシュタイン家はお前とは何の関係もない状況に―――」
「クククッ、アハハハハハハハハ!!!! 何の関係もない、ですってぇ? あのねぇ、ゴーヴェンは腹違いとはいえ、この私の弟にあたる存在なのよぉ? そしてあの男は、先代当主と共に卑劣な策略を考え、当時聖騎士団団長の任に付いていた私にあらぬ罪を着せて……一族から追放した張本人。確かに、父親である先代当主はもういないわぁ。だけど、ゴーヴェンとその子孫たちはまだ生きている。私が復讐をする意味は、まだあるとは思わないかしらぁ?」
「お前は……ギルフォードの奴とまったく同じ考えを抱いているんだな」
「あぁ、あのオフィアーヌ家の子倅ね。あのガキも、どうやらゴーヴェンの奴に随分としてやられたようねぇ。クスクスクス……ゴーヴェンは、子供のころから嫌な目をしたガキだったわぁ。私をいじめる他の兄弟たちとは違い、私に対して特に何の感情も抱いていない、冷たい目をしている子供だった。まるで路傍の小石でも見ているかのような目で地面に倒れる私を見つめていて―――とても気味が悪かったのを、今でも覚えているわ」
そう言ってジェネディクトは邪悪な笑みを浮かべると、サングラス越しにこちらを見下ろし、愉し気な様子で口を開いた。
「アネット・イークウェス。貴方、悪人というものが、どういうふうに誕生するか知っている?」
「は? 悪人?」
「そう。人間の殆どは、産まれた環境に左右されて後天的に悪人になるものなのよ。私もそうよ。私は、50年程前に起こった帝国と王国の大戦時に、聖騎士団が共和国から連れて来た森妖精族の奴隷と当時のバルトシュタイン家の当主との間にできた、望まれぬ愛人の子。庶子の出の人間は、どこの家でもろくな扱いはされないものでねぇ。私は幼少の頃、兄弟たちに修練と称して虐待じみた暴力を振るわれていたわぁ。今思い出しても吐き気を催すくらいの、地獄のような日々を送っていたの。だけど、私には母がいた。母のような美しい森妖精族に愛され、その血が混じっている自分を誇りに思っているからこそ、私は何とか精神を壊さずに済んだ。だけど―――」
クハハハハハハハと高らかに笑い声を上げると、ジェネディクトは目を伏せ、続けて開口する。
「私の母は、私のことを愛してはいなかった。10歳の時、花飾りを渡しに行こうと母の居る離宮に訪れたの。すると、すすり泣く声が扉の向こうから聴こえてきたのよ。その声は、聞いたことのない母の怨嗟の叫び声だった。『離れ離れになった、置いてきた娘に会いたい』『汚らわしい人間との間にできた子供の顔なんてもう見たくはない』『バルトシュタイン家なんて滅んでしまえば良い、ジェネディクトなんて産みたくなどはなかった』―――ってねぇ。いつもニコニコと笑みを浮かべていた母のその本音を聞いた時、思わず嗤ってしまったわぁ!」
「……」
「なんてことはない、私は誰にも祝福されずにこの世に誕生した、悪魔にすぎなかった。そのことを理解したその時、私はとてつもない破壊衝動に駆られたわ。世界というものを、全てのものを壊してやりたくなった。悪人というものは、誰からも愛情を貰えず、他者から悪意だけを向けられた者だけが至るものなのよ。理解したかしら? メイド剣士ちゃん?」
ふざけるな。甘ったれるな。環境のせいにするな。お前の勝手な衝動で苦しんだ人たちはどうなる―――とは、流石に俺には言えないな。
俺も一歩間違えれば、ジェネディクトのようになっていた可能性は高いからだ。
俺は前世で師に拾われ、ハインラインやジャストラムに出会い、人の優しさに触れることができたからこそ、変わることが出来た。
鬼子と呼ばれた幼少時のアーノイック・ブルシュトロームを思い返してみれば……あの時の俺は間違いなく、悪側の人間だっただろう。
「クスクスクス……この話を聞いて、私の生い立ちは、誰かさんに似ていると思ったんじゃない? アネット・イークウェス」
「エステル、か……」
「そうよ。あの子と私は非常に似た境遇の中にある。ひとつ違うとすれば、私は完全に悪に身を染めたけれど、あの子はまだどちらにも染まっていない、悪に至る途中にある……ということかしらねぇ」
「エステルは……あいつは玉座について、いったい王国をどうしたいんだ?」
「あの子が目指すのは、聖王なんかじゃないわ。あの子の目指す先は―――『魔王』、よ」
「魔王……?」
「エステルは聖王の座に就いた後、この大陸――エリシュオンにある全ての国家と体制を壊し、ひとつの統一国家を創り上げようとしているの。王に即位するのと同時に他国全土に宣戦布告をし、世界大戦を開こうとしているわ。あの王女様が目指す道は、血と戦乱と独裁で創り上げる、地獄の道。地獄の先に、弱い者が泣くことのない、真の平和を創り上げようとしているのよ」
「……万が一王国がその戦争に勝利しても、真の平和が訪れることなどあり得ないと思うがな。下手すれば、国民の半数以上が死ぬことになるんだぞ? 平和なんてそこにはない。そこにあるのは、積み上げられた死体の山だけだ」
「だとしても、あの子は止まらないでしょうねぇ。あの王女は、聖王国が造り出した『闇』そのものよ。暗い地下の離宮で王家が虐げ続けていた闇が、世界を滅ぼすために、魔王として帰って来たのよ。クスクスクス……私はその闇がどこまでの存在に育つのかを、近くで見届けるつもりよ。次期聖王エステリアルの代の『剣聖』として、ね」
「―――お前!!!!」
「……アネット・イークウェス。もし、お前があの王女に少しでも情を持っているのだとすれば―――何を捨てでも、あの子との繋がりを絶たないことね。お前はあの王女にとっての最後の良心。どういうわけか、あの王女はお前には心を許している。この先、貴方がどう動くは私には知らないわ。ただのメイドとして傍観するのも良し、その実力を解放して表舞台に出てくるのも良し。好きにすると良い。だけど……貴方の行動で、この先の未来は恐らく大きく変わる。クスクス……私はその混沌とした未来を、楽しみに見させてもらうとするわぁ」
そう言ってジェネディクトは木から飛び降り、俺の前に立つ。
そして、フッと微笑を浮かべると、ポンと、俺の肩を叩いて来た。
「そうそう、ひとつ、忠告しておいてあげる。後天的に悪人になる者は多いけど、勿論、根っからの悪人―――先天的な悪人もいる。そういうタイプは、この世界で最も恐ろしい存在よ。貴方の学校を運営しているゴーヴェン……あれは、私よりも遥かに上の『悪』よ。そして……オフィアーヌ家夫人、アンリエッタもそのタイプであることは明らかね」
「オフィアーヌ家夫人……? アンリエッタ……?」
「せいぜい気を付けなさい、アネット・イークウェス。お前がどんなに影に徹しようとも、既に、幾人かの目はごまかしきれないところまできている」
そう言い残すと、ジェネディクトは静かにその場を去って行った。
……何がしたいのかさっぱり分からないが、ひとつだけ、分かったことがある。
あいつは、もしかしたら……俺にエステルを止めて欲しいのかもしれない、ということだ。
本気で戦争を起こしたいのならば、そもそもエステルの話を俺にする必要はないのだしな。
とはいっても、ただ俺にその話をして、こちらがどう動くのかを見て楽しんでいる……という節もあるか。
どっちにしろ、ジェネディクトの言動を深く考えても仕方がない。あいつは人を弄ぶことが趣味の変態野郎だ。考えるだけ無駄な存在であることは明白。
「にしても……あいつを見ていると、どうにも……」
姿かたち性格は似ても似つかないはずなのに、どうにも、あいつを見ていると、俺のよく知っている金髪の少女の姿が脳裏に思い浮かんでしまう。
何故、なのだろうか……。彼女とは、全然、結びつくはずもない存在なのにな……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「―――くしゅん」
「大丈夫かね、剣聖殿」
「あ、あぁ、いえ、何でもありません」
パルテトの街を歩きながら、リトリシアは可愛らしくクシャミをする。
そんな彼女を心配した様子でヴィンセントが隣から声を掛けるが―――リトリシアは平気だと、手を振った。
そしてリトリシアは再び街に視線を向けて、神妙な様子で口を開く。
「パルテトに住む村民がこうも無残に殺されているとは……とても凄惨な光景ですね。これが災厄級の魔物の仕業だとするならば、到底、許しておけるものではありません」
「同感だ。無辜の民を食い物にする怪物、早急に対処しなければならない事案だろう。クククククッ」
「……ヴィンセント・フォン・バルトシュタイン。また、悪だくみですか? 今回は災厄級の魔物を討伐するために仕方なく手を組みましたが……正直に言えば、私は未だに貴方のことを信じてはいません。何か怪しい行動をすれば、即座に、貴方を斬り刻む予定です」
その言葉に、ヴィンセントは大きくため息を吐くと、背後にいる部下の女騎士に声を掛ける。
「コルネリアよ……俺は、どうすれば良いのだろうか……」
「……申し訳ございません。私には、お答えしかねます」
「顔のせいなのか……この顔のせいなのか……?」
「? 何をブツブツ言っているのですか、ヴィンセント・フォン・バルトシュタイン。早く、災厄級の魔物を探しに大森林へ―――」
その時。大森林へと続く道の先で、巨大な爆発音が鳴り響いた。
そして、遠方の方の森林から、土煙が上がるのが見て取れる。
その光景を見て、リトリシアは大きく声を張り上げた。
「あれは……!? もしや、ルティカの【旋風剣】……!?」
「そのようだな。早く行くとしよう、【剣聖】殿」
「私に命令しないでください、悪徳貴族!! 【瞬閃脚】を使って先に行きます!!」
「……コルネリアよ。俺はいったいどうすれば―――」
「お答えしかねます」
金髪の森妖精族が先行して走って行き、遅れて漆黒の鎧甲冑を着こんだ剣士と、女騎士が街の中を走って行く。
西から朝焼けの日が浮かぶ中、三人は災厄級の魔物を討滅すべく、歩みを進めて行くのであった。
第137話を読んでくださって、ありがとうございました。
先日もあとがきで書きましたが、現在、オーバーラップ文庫様の公式サイト、オーバーラップ広報室様で剣聖メイドの口絵が公開されております!
リトリシア、アーノイック、ジェネディクトのイラストが初公開されておりますので、チェックの方、よろしければお願いいたします!
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