第132話 元剣聖のメイドのおっさん、仇敵と一触即発状態になる。
「師匠。急遽パーティを組むことになりましたが……あの連中は信用できるのですか?」
エステルの後ろを歩いていると、隣からグレイレウスがそう俺に声を掛けてきた。
俺はチラリとグレイレウスに視線を向けた後、再びエステルの背中に顔を向ける。
「さて、な。だが今は、彼女たちと手を組むことにデメリットは無いだろう。災厄級の魔物がいる以上、戦力は多いに越したことはない」
「戦力、ですか……。冒険者ギルドでは深く言及はしませんでしたが、グライスとかいう男女の背後に歩いているあの男が、王国最強の魔法剣士―――ジェネディクト・バルトシュタイン、なんですよね」
ゴクリと唾を飲み、グレイレウスはジェネディクトを睨み付ける。
するとジェネディクトは足を止め、肩越しにこちらへと視線を向けてきた。
「あら、随分と躾のなっていないガキね。この私に遠慮なく敵意を向けてくるだなんて……アネット・イークウェス、お前は飼い犬の手綱すらまともに扱えないのかしら?」
「貴様!! 師匠を侮辱するんじゃな――――」
「グレイ、やめろ! こいつは……さっきのルティカとはレベルが違う。十回やれば、俺でも一度は敗ける可能性を秘めた相手だ。むやみやたらに闘気を放つな」
「へぇ? 驚いたわ。まさか貴女が、そこまで私のことを評価していただなんてねぇ。クスクスクス……」
「ジェネディクト。俺たちとパーティを組んだ以上、これだけは約束しろ。大森林での探索の間だけは、俺とグレイレウスには絶対に危害を加えないとな」
「え? ちょおっ!? 何でそこにミレーナは入っていな―――」
「さて、それはどうかしらねぇ。見たところ、貴女はその若造を随分と大切にしているようね? 貴女も知っての通り、私って、人の絶望した顔を見るのが大好きなの。―――クスクス、そこのグレイレウスとかいうガキを貴女の目の前で痛めつけてやったら、貴女はいったいどんな顔をするのかしら。興味があるわぁ」
「――――――おい、てめぇ、今すぐここで殺されたいのか?」
俺はジェネディクトに向けて闘気を放つ。
すると周囲の木々に留まっていた鳥が地面へと落ち、草木に隠れていたリスなどの小動物がパタリと泡を吐いて倒れ始めた。
それだけじゃない。背後にいたグレイレウスは尻もちをつき、ミレーナは四つん這いになり「おぇえ」と吐しゃ物を地面に巻き散らし始める。そしてエステルはというと、フラリと木にもたれかかった。
この他者を圧倒する闘気の前で平気な顔をして立っているのは、目の前にいるジェネディクトだけ。
ジェネディクトはニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、腰にある三日月刀に手を掛ける。
だが―――一瞬こちらに闘気を放ったものの、すぐに剣から手を離し、踵を返した。
「今ここで五年前の再戦をしても面白いとは思うけど……やめておくとするわぁ。貴女と戦っても、こちらが甚大なダメージを負うのは避けられないものねぇ。今回は別の目的があるのよ。だから、まっ、安心して良いわ。私が貴女とその生意気なガキに手を出すことはけっして無い。とはいっても、剣を向けられたのならば……話は変わるけどねぇ」
「あぁ、悪いが俺もお前と遊んでやる暇はない。複雑な思いが無いと言えば嘘になるが……今回だけは特別に手を組んでやる【迅雷剣】。グレイにも、お前とエステルには剣を向けないようにしっかりと言っておいてやる。これで良いか?」
「ええ。短い間だとは思うけれど、よろしく頼むわねぇ、メイド剣士ちゃん」
「ケッ、相変わらずけったくそ悪いカマ野郎だ。お前とは一生相入れることはなさそうだぜ」
俺は箒の構えを止め、背後を振り返る。そして、倒れ伏しているグレイレウスへと手を差し伸べた。
「グレイ、悪かった。思わず、闘気を少しばかり出してしまった。怪我はないか?」
「は、はい。……申し訳ございませんでした、師匠……オレは、未熟者でした」
「未熟者?」
俺の手を取ると、グレイレウスは立ち上がる。そして、申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「オレは、強者と分かるとどうにも無意識に闘気を放つ癖がありまして。今回は、オレが未熟が故に引き起こしてしまった結果です。どんな罰でも受け入れる所存です! 本当に、申し訳ございませんでした!!」
深く頭を下げるグレイレウス。俺はそんな奴の頭をわしゃわしゃと撫でると、前を向く。
「気にすんな。どっちみち、俺はあの男に対しては警戒していたんだ。遅かれ早かれ、こうなっていただろうよ」
そう言って歩みを再開させると、ジェネディクトはフッと笑みを溢し、前へと歩いて行く。
エステルはというと、俺に近付いて来て声を掛けてきた。
「すまない、アネットさん。彼の暴走は主人である僕の責任だ。謝罪しよう」
「いいえ。そもそもの話、あの男は誰であろうと制御なんてできませんから。……一応、忠告しておきます。今は大人しくエステルさんの従者をしているようですが、ジェネディクト・バルトシュタインは本来、誰かの下に付くような人間ではありません。最終的に裏切られ、後ろから斬り殺されても仕方ないと思いますよ」
「……肝に銘じておくとするよ。僕も、君たちという神話級の剣士を少々甘く見ていたようだ。先ほどの睨み合いだけで……まさかこんなに汗が出るとは思わなかったよ。まったく、幼少期から知ってはいたが、君たち二人は他の剣士たちとは別格の強さを持っているようだね。君たちから見たら【剣聖】【剣神】なんて赤子のように見えるのではないのかな?」
「そんなことはありませんよ。今の実力は定かではありませんが……全盛期のハインラインは、私の知っている剣士の中では最強格でした。弱体化しているこの身体の私では、全盛期の彼では歯が立たないかと思われます」
「? 全盛期のハインライン……? 弱体化しているこの身体……?」
「何でもありません。先へと進みましょう」
俺は首を傾げるエステルに頷きを返し、歩みを再開させる。
エステルは訝し気な様子を見せていたが……すぐに後をついてきた。
「おぇぇぇ……な、何なんですかぁ、あの人たちはぁ……」
ミレーナは口元を押さえ、四つん這いにながら、前を歩いて行くアネットたちを見つめる。
そしてゴクリと唾を飲み込むと、怯えた様子で口を開いた。
「や、やっぱり、あの拷問メイドは絶対に関わってはいけない奴ですぅ!! ただの一睨みで、こ、こんなに恐怖心を植え付けられるなんて……っ!! そ、それに、【危険予知の加護】で感じた闘気の圧が……爆発したように感じられました……っ!! 明らかに、普通の人間の持つ力じゃないですぅぅ!! そんなアネットさんの闘気を前に平然と立っていたあの長髪の男も、絶対に普通じゃ―――って、あれ? あの人、ジェネディクトって呼ばれていたような? ん? ジェネディクト……?」
何処かで聞いたことのあるその名前に、ミレーナは首を傾げる。
その時。彼女の背後にある草むらがガサリと揺れ、ミレーナは慌てて立ち上がり、悲鳴を上げた。
「ぴぎゃう!? も、もう、どこに居ても恐ろしいですぅぅぅ!!!! 待ってください、アネットさん~!! ミレーナも、守るべき対象に入れて欲しいですぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」
涙と口元に付いたゲロを周囲に巻き散らしながら、ミレーナは駆けて行く。
そんな彼女の背後をピョンと、可愛らしくウサギが跳ねて行くのだった―――。
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「これは……アネットさん、ちょっと来てくれるかな?」
パルテトの村を迂回し、林の中を数分程歩いた後。
エステルが何かを見つけたのか、前方から俺を呼んできた。
俺は何だろう?と、一緒に歩いていたグレイレウスとミレーナと共に彼女の傍に駆け寄る。
そして、エステルの目の前にあった物体に、思わず目を丸くさせてしまった。
「え? 何ですか、これは……?」
「ひうっ!?」 「これは……!!」
「ァ……ァァァァ……」
そこには、身体中齧られた形跡がある、巨大な魔物―――蛇人の姿があった。
五メートルはあろう蛇人の身体には無数の穴が空いており、止めどなく紫色の血が地面に滴り落ちている。
息も絶え絶えで……どう見ても、瀕死の状態に近かった。
エステルはそんな横たわる魔物を静かに見下ろすと、顎に手を当て、静かに口を開く。
「例の魔物にやられたと……見るべきかな。全身に、歯型のような跡が付いている。察するに、肉を喰いちぎられたのだろうか」
「ぴぇぇぇ……。恐ろしいですぅぅぅ……。でも、こいつはもう瀕死の状態ですから……全然、怖くはありませんですねぇ。木の棒で突っついてみます。えい、えいっ」
「おい、ぴぎゃあ女やめろ。例え魔物といえども、瀕死の状態だ。死にゆく者を冒涜するのはどうかとオレは思うぞ」
棒で突くミレーナと、それを注意するグレイレウス。
俺はそんな二人を見つめた後、再び魔物へと視線を向けた。
「それにしても……異様な姿ですね。こんな穴だらけになっていても、まだ息がある。何かの加護の力のおかげ、と推察するべきでしょうか?」
「そうだね。蛇人は、脱皮して身体の傷を元通りにする能力があると言われている、自己治癒能力の高い魔物だ。もしかしたら、それが作用して―――」
「カァッ!!!!」
その時。蛇人は突如起き上がると、大きく口を開け―――近くにいたミレーナへと、噛みつこうと飛び上がった。
その突然の動きに尻もちをつくミレーナ。
俺はすぐに手に持っていた箒を持って、ミレーナを庇おうと彼女の元へと向かう。
だが―――。
「―――雷鳴斬り!!」
青白い雷が光の線を描き、蛇人の身体を一刀両断する。
ミレーナの前には、いつの間にか双剣の三日月剣を持った、ジェネディクトが立っていたのだった。
頭から真っ二つに両断された蛇人の死体は、ボトリと、遅れて地面に落ちていく。
その光景にフンと鼻を鳴らすと、ヒュンと空を剣で斬り、ジェネディクトは刀身に付いた血を振り払う。
そして剣を腰の鞘へと納めると、大きくため息を吐いた。
そんな彼に対して、ミレーナは尻もちを付きながら声を掛ける。
「あ、あの、あ、ありがとうご、ございますぅぅ……」
「……」
ジェネディクトはミレーナに何も言わずにその場を後にすると、エステルの元へと向かって行く。
そして、エステルに向けて口を開いた。
「王女様。思ったよりも事態は深刻かもしれないわ。この魔物、恐らくはロード級よ。魔王に名を冠するロード級は【剣神】に相当する力を持つと言われている……。そんな魔物が、何者かによって全身を貪り喰われていた。それも、自己治癒能力を持った蛇人を、敢えて生かし続けるような痛めつけ方をして……相手は想像よりも遥かに、強者だと思われるわ」
「……災厄級の魔物は【剣神】の以上の強さを持っている可能性がある、ということだね」
「貴方、さっき、あの銀等級冒険者たちに足手纏いになると言って追い返していたけれど……それは、貴方自身も例外ではなくなってきたわよ。王女様は王選のために災厄級の魔物を私に狩らせたかったようだけど、そんなくだらない考えを抱いていられるほど、獲物は甘くはないかもしれないわ。下手したら死ぬわよ、貴方」
「勿論、自分が死ぬことも勘定には入れているさ。だけど、僕には進まなければならない理由がある。真の王とは、臣下と共に戦場を駆ける者のことだ。僕は、必ず王となる。臣下にばかり、任せてなどいられないさ」
そう言うと、エステルはジェネディクトの横を通り過ぎ、森の奥へと歩みを進めて行った。
そして彼女は振り返らずに、俺たちへと声を発してくる。
「アネットさん、グレイレウスくん、ミレーナさん。大森林はこのすぐ先だ。ロザレナさんの薬草を採取するためにも……急ぐとしよう。件の魔物には十分に注意しながら、ね」
「分かりました」
俺はエステルの後をついていく。
遅れて、グレイレウス、ミレーナがついてくる。
そして最後にジェネディクトが、後に続く。
ついに……ついに、大森林へと、足を踏み入れる時が来た。
道中にあった木の上に吊るされていた肉団子に、パルテトの悲惨な光景、先ほどの瀕死の魔物の姿。
正直、得体の知れない何かが蠢いている気配は、各所に感じられる。
だが―――俺には、歩みを止めている暇などはない。
この先に何が待っていようとも、関係はない。俺は『ラパナ草』を採取するだけだ。
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「はぁはぁ……ローザ! 早く走れ! 追い付かれるぞ!!」
「お、お兄ちゃん、もう私、無理だよぉ!!」
「馬鹿!! あのオークに喰われても良いのか!!」
森の中。幼い少年と少女は額に汗を浮かべながら地面を思いっきり蹴り上げ、駆け抜けていく。
少年は恐怖に顔を引き攣らせながら、背後を伺い見た。
薄暗い闇の中には変わらず二つの紅い目が浮かんでいる。
その光景を見て、少年はますます顔を恐怖で歪める。
「お、お兄ちゃん、もう、無理……!!」
「!? ローザ!?」
手を引っ張っていた妹が前のめりに転倒し、兄から手を離す。
そんな妹へとすぐに駆け寄り、少年は大きく声を張り上げた。
「馬鹿! 早く立て! 僕たちを森に逃がしてくれた、囮となった母さんの気持ちを無駄にする気か!」
「うぅぅ、ぐっす、ひっぐ、痛いよぉぉぉ!! パルテトに帰りたいよぉぉぉぉ!!」
「泣くな!! 早くここから逃げ―――」
―――ドシン。大きな音と共に、オークは跳躍して空へと飛び、少年たちの目の前へと着地を果たす。
その圧倒的な暴力の匂いが漂う獣に対して、少年は目を見開き、掠れた声を漏らした。
「そ、そんな……そんな……っ!!!!」
ガクガクと身体を震わせる少年。そんな彼に向けて、オークは手を伸ばす。
だが―――。
「――――――ホッホッホ。ワシが一番乗り、というわけかのぅ」
森の奥から、一人の老人が現れる。
その姿を捉えたオークは少年へと伸ばした手を戻すと、ジッと、白髪の老人を見つめる。
そしてオークは、背中に背負っている無数の剣の鞘の中から、一本の大剣を手に取るのだった。
第133話を読んでくださって、ありがとうございました。
第1巻発売日まで21日……!!
発売日まで出来る限り毎日投稿、頑張ります……!!




