第129話 元剣聖のメイドのおっさん、領村の異常に困惑する。
「ふわぁ、おはよう、みんな……って、あれ?」
アンナは寝袋から起き上がり目を擦ると、キョロキョロと辺りを見回し始める。
そして、ある人物の姿がないことを確認すると、先に起きていたミレーナとギークに声を掛けた。
「アネットちゃんとグレイレウスくんの姿が見えないけど……どうしたの?」
そうアンナが言葉を発すると、野営の撤去に勤しむミレーナは首を傾げる。
「ミレーナは何も知りませんよぉう? うちが起きた時にはもう既にいませんでした」
「うん、オイラも分からないね」
「え? そうなの? 大丈夫かな、二人とも。どこかに行って迷って無ければ良いけど……」
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「―――師匠、どうしてもう一度この場所に来たのですか?」
木の上にぶら下がっている件の肉団子を見つめていると、隣からグレイレウスがそう声を掛けてきた。
俺は隣にいるグレイレウスを一瞥した後、再び木の上を見上げる。
「もし、この肉団子を作った奴が保存的な意味合いで食料をここに吊るしているのならば……これをやった奴がもう一度、ここに戻ってきているのではないかと、そう思ってな。だが、どうやらその狙いは外れたみたいだ。ここに、俺たち以外の者が来た形跡は見当たらない」
「そうですか……それにしても、何とも惨いことをする奴ですね。これを見るだけで、これをやった者の残虐性が窺えます」
「いや、野生動物だって同じようなことはするから、一概に残虐だと一括りできないと思うぞ。鵙って鳥は餌のカエルを木の枝に付き刺すし、クマは兎や鹿の死体を雪の中に埋めたりする。恐らくは、それと似たようなものだろう」
そう口にした後、俺は踵を返し、野営地へと向かって歩き出した。
グレイレウスも、遅れて俺の後ろをついてくる。
その足音にあることに気が付いた俺は、振り返り、足を止めた。
「……グレイ。常につま先立ちで歩け。俺が言った修行を忘れるな」
「あ、す、すいません!! ぐぬぬぬ……」
フラフラと、歩きづらそうにつま先立ちになり歩みを進めるグレイレウス。
俺はそんな奴に対して再度声を掛ける。
「まぁ、最初は慣れないのは仕方がないと思う。今のままだったら、戦闘中でも、いつも通りの歩法で戦った方が多分強く感じることだろう。だが……【縮地】は、剣王以上の速剣型の剣士は皆普通にやっていることだ。我流を続けたままでは、お前はいずれ必ず壁にブチ当たり、限界を迎えることになる。そのままじゃせいぜい【剣候】止まりだろう。お前が目指す【剣神】になんて、一生なれはしない」
「せ、師匠! 【縮地】というのは、師匠が先ほどの稽古で使っていた【瞬閃脚】とは別のものなのですよね? 【縮地】と【瞬閃脚】は、いったい何が違うのでしょうか!?」
「スピードが違う。【縮地】はつま先立ちで素早く地面を一度蹴り上げることで、高速移動が可能になる歩法だ。だが、【瞬閃脚】はもっと早い。【瞬閃脚】は地面を瞬き程の一瞬で三度蹴り上げることでさらに速度を上げる歩法。つまり【縮地】を一瞬で三回行うことが出来れば、最速の歩法である【瞬閃脚】が使えるようになる……って寸法だ」
「な、なるほど……【縮地】は【瞬閃脚】に至るまでの最初の技、ということなのですね。……つま先立ち、頑張ります!」
「まぁ、【縮地】なんて技、お前みたいな十代の若者で、それも騎士学校の生徒で使える奴なんて一人もいないと思うがな。正直、これは結構難度の高い歩法だ。はっきり言ってしまえば、お前はまだ若いのだから、今すぐ覚える必要もない代物だともいえる。まっ、これからゆっくりと習得していけば良いさ」
「いえ……この旅の途中で必ず、オレは【縮地】を習得してみせます。オレは、以前の師匠とロザレナの修行を見て、焦りを覚えたのです」
「焦り?」
「はい。ルナティエと決闘することを決めたロザレナは、師匠の強烈な唐竹を懸命に受け止めていました。何度も吹き飛ばされては立ち上がる、あの姿を見た時……オレは直観しました。この女は、近いうちにオレと同等……いや、それ以上の実力者に成長する、と」
「……」
「今まで、けっして努力を怠っていたわけではありません。人より何倍も研鑽を積んできたつもりです。ですが……急激に成長していくロザレナを見て、不安になりました。オレは果たして、このまま独りで剣の道を歩んで良いものか、と。オレは……この状態のままで、亡き姉の夢であった【剣神】の夢を叶え、姉を死なせた殺人鬼を倒せるのか、と―――。今までの努力が徒労で終わるのではないかと、そう思うととても怖かったのです」
「自信が、無くなってきたのか?」
「……はい。オレは体質上、魔法を一切使えません。小柄で筋肉が付きにくいのか、力も平均的な男子より低いです。ですから……オレが使える武器というのは、速さだけなんです。こうみえても、オレは、幼少の頃に剣士としての才能は無いからその道は諦めた方が良いと、指南役の教師に言われたことがあるのですよ。ルナティエも通っていた剣の教室では、周囲の生徒からチビだとも馬鹿にされて……だから……努力を重ねるしかなかったんです」
そう言って俯き、身体を震わせるグレイレウス。
確かこいつはオレの実力を見破り、弟子にしてくれと言ってきた当初から、その夢を語っていたな。
亡くなった姉の夢である【剣神】となり、姉を殺した殺人鬼を討つ。
この青年の復讐は未だ終わっていない。こいつが力を求める理由、それは仇討ちだ。
その仇討ちのためだけに、唯一武器である速さだけを磨き続けた。
復讐の剣。ある意味では、兄ギルフォードの奴と近いといえるな。
だが―――その眼の色は、奴とは違う。その目には、光が見える。
「……大丈夫だ、グレイ」
「え?」
顔を上げるグレイレウス。俺はそんな奴に対して、ニコリと、微笑みを浮かべた。
「俺がお前を導いてやる。だから、もう俯くな。胸を張れ。お前は俺の二番弟子なんだろ? だったら常に強気でいろ。剣士とは、常に挑戦者であるものだ。頂を見据え、ひたすらに前に進むことが、剣士としての矜持。―――俺の弟子を名乗るなら、これからはそれをしっかりと頭に叩き込んでおけ、グレイレウス・ローゼン・アレクサンドロス」
「せ、師匠……っ!!」
グレイレウスは目を潤ませると、制服の袖でゴシゴシと涙を拭き取る。
そんな奴の姿にフッと鼻を鳴らすと、俺は前を振り向き、歩みを再開させていった。
「いくぞ、グレイ。今日から大森林へと踏み込む。何があるかは分からねぇ。情けなく落ち込んでる暇なんてねぇぞ」
「……はい!! このグレイレウス、どこまでも師匠にお供致します!! ……っと、つま先立ちをしなければ!! ぐぬぬぬぬ!!!!」
フラフラと歩く弟子の姿に、俺は思わずクスリと笑みを溢してしまった。
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「あっ、おはようございます、みなさん」
「あっ、二人とも! もう、どこ行っていたの!? 心配したんだよ!!」
野営地に戻ると、そう言ってアンナがすぐに駆け寄って来た。
アンナは俺たちの前に立ち、交互に顔を見つめると、ぷくっと、可愛らしく頬を膨らませる。
「二人がこのパーティの中で一番の実力者なのは分かってるけど、今は災厄級の魔物もいるんだから、あまり出歩かないようにした方が良いよ! 特に、この周辺の森……フィアレンスの森は、とても迷いやすいんだから。ちゃんと注意してよね!」
「そうですね。申し訳ございませんでした、アンナさん」
「そんな! 師匠が謝られる必要はありません! 元はと言えばオレが一人で修行しに行ったのが原因で……ぐぉっ!!」
つま先立ちしていた足を、ぐきっと、あらぬ方向に挫いてしまうグレイレウス。
だが、グレイレウスはそのままつま先立ちに戻り、プルプルと肩を震わせた。
その姿を見て、アンナは何処かドン引きした様子で声を掛ける。
「え? な、何やってるの? グレイレウスくん……」
「気にするな。とにかく、一人で出かけたのは悪かった。確かに、軽率な行動だったと思う。反省しよう」
「う、うん、分かったのなら良いわ。それじゃあ……野営の設備も片付けたし、そろそろ『パルテト』に行くとしよっか。今すぐにでも出ようと思うけど、大丈夫?」
「え? アンナさんたち、『パルテト』に行くんですか? 災厄級の魔物がいる可能性がある以上、帰った方が良いんじゃ……?」
「アネットちゃんたちがいない間にね、みんなで話し合ったの。とりあえずクレイマンさんの目的地である『パルテト』まで行って、そこで今後どうするかを決めようって、ね」
そう口にした後、アンナはこちらに近付いて来ると、他の人に聴こえないようにこっそりと耳打ちしてきた。
「……私は勿論、大森林まで同行したいんだけど……やっぱり、ミレーナは反対派みたいでね。あの臆病者を説得するためには、大森林直行はどうしても提案し辛くて……とりあえず『パルテト』までって納得させたんだ。ごめんね、アネットちゃん」
「いえ……むしろ『パルテト』まで行ってくださるのは嬉しいですよ。あそこからなら、大森林はすぐ目の前ですし」
「……アンナちゃーん、何してるですかぁ! 早く荷物運びますよぉう!」
「あっ、わかったわ、ミレーナ! そういうわけで、二人も早く荷物運んじゃって、ね?」
そう言ってアンナは手を振ると、木箱を手に持つミレーナの元へと向かって駆け寄って行った。
まぁ、そうだな。パルテトまで行ってくれるのは、とてもありがたい話だな。
こちらとしては足に馬車がないのは、かなりキツいのが本音だ。
体力を大幅に消費すれば、ここからパルテトまで【瞬閃脚】を使って行けなくもないが……グレイレウスをこんな辺鄙な場所に置いて行くわけにもいかない。
それに、【瞬閃脚】を使うのは最後の手段だといえる。
災厄級の魔物がいる以上、体力は出来る限り温存しておきたいからな。
今のこのアネットの身体は、生前のアーノイックに比べたらそんなに体力はない。
恐らく【瞬閃脚】をぶっ通しで使用できる時間は、一時間が限界だろう。
神秘の秘境と呼ばれる大森林に向かう以上、万全は期しておきたい。
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「……」
アネットたちが野営地を離れて30分後。
黒いフードマントを被った一人の少女が、木の枝に突き刺さっている肉団子を静かに眺めていた。
少女の顔はフードを被っているため、よく見えない。だが―――首元に、蜘蛛の入れ墨があることだけは確認することができた。
少女は緑色の口紅が塗られた唇でニヤリと笑みを浮かべると、踵を返す。
そして、そのまま……深い森の奥へと消えて行くのだった。
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ゴトゴトと馬車に揺られること二時間後。
俺たちはついに、大森林の前にある村―――オフィアーヌ領南の領村『パルテト』に辿り着いた。
馬車を停めると、アンナ、ミレーナ、ギーク、グレイレウス、俺の順に降りていく。
そして最後に降り立った俺は、皆と同じように、村の入り口へと視線を向けてみた。
入り口には大きなアーチが立てられており、アーチの中央には王国語で「ようこそ、未知の秘境に繋がる村、パルテトへ」と、大きく書かれているのが見て取れる。
クレイマンさんが木に馬の手綱を括りつけたのを確認した後、俺たちはアーチを潜り、全員で村へと入って行った。
「……? あれ、おかしいな?」
クレイマンさんが村の様子を見て、訝し気な声を漏らす。
そんな彼に対して、俺は疑問の声を投げた。
「何がおかしいのですか?」
「あっ、うん。いつもだったら村に来客がくると、宿屋の娘や武器屋の主人が、客寄せにやって来るんだ。この村は辺境の地にあるから、主に、外からやってくる旅人相手に商売をして収益を得ているんだよ。だから、冒険者と見るや否や店から飛び出してやってくるんだけど……今日は何故か誰も来ないんだ。それが、不思議だなって」
人気のない村をキョロキョロと見回すクレイマンさん。
確かに、辺りは異常なくらいに静寂に包まれている。
それなりの規模がある村だというのに、人の気配は微塵も感じられない。
何か……変だな?
「? え……? な、何、あれ……?」
村の中央にある噴水広場の前に辿り着くと、アンナが前方へと指を指し示す。
その指の先に視線を向けると―――そこには、地獄のような光景が広がっていた。
真っ赤に染まる噴水の水。その周囲に転がる、腸を裂かれた人の胴体、切断された腕や足、顔の半分が無くなっている死体。
人としての原型を留めていない村人たちの死体が無造作に落ちている……凄惨な光景が、広がっていた。
「な、何なの? どういうことなの? こ、これ―――」
「!! み、みなさんっ、後ろに誰かいますですぅぅっ!! 気を付けてくださいっっ!!」
ミレーナのその叫びに、俺たちは一斉に背後に視線を向ける。
すると、そこには……背中に巨大なハンマーを背負った、ルビーレッド色の髪をした鉱山族と思しき少女の姿があった。
彼女は不機嫌そうな顔で俺たちの顔を見つめると、ハッと、鼻を鳴らす。
「誰だ、てめぇら。ここで何をしていやがる?」
「あ、貴方は、もしかして……【剣神】、ルティカ・オーギュストハイム様……!?」
「え? 【剣神】……?」
褐色肌の鉱山族の少女は、俺たちの様子に、面倒そうに大きくため息を吐くのだった。
第130話を読んでくださり、ありがとうございました。
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発売日まであと25日……! 頑張ります!




