第128話 元剣聖のメイドのおっさん、稽古を付ける。
「……何? ハインライン殿とルティカが、昨日、先に大森林へ向かっていった、だと?」
談話室にやってきた部下のその報告を聞いて、ヴィンセントは椅子に背を預け、深くため息を溢す。
そして眉間に手をやり、疲れた様子で口を開いた。
「いったい何をやっているのだ、あの二人は!! 事の重大性が分かっているのか!? 災厄級の魔物は【剣聖】【剣神】が協力して戦わなければならない相手だと、以前の会談で何度もそう告げておいただろう!! 黒炎龍は、アーノイックさまの御力があってこそ討伐できたが、今回はかの伝説の英雄殿はいない!! 我らだけで相対しなければならないというのに―――くそっ!! まさか、こうも俺の計画を壊してくれるとはな!! 全て最初から考え直さねばならん!!」
「如何なされますか、ヴィンセント様。【念話】を使用し、お二人に王都へ戻って来られるようにお伝えしますか?」
「いや、どうせそう命令したところで、彼奴らは梃子でも動かぬだろう。……仕方ない。すぐに、俺たちも大森林へと向かうぞ。剣聖殿は、既に騎士団本舎にいらっしゃっているのか?」
「はい。先ほどご到着されたと、報告がありました」
「そうか。リトリシア殿だけが、まともな精神を持っていて助かったぞ。はぁ……何故この俺が、イカれた【剣神】どものまとめ役をせねばならぬのだ……。しかも、バルトシュタイン家の血族であることと、この顔のせいで、良からぬ噂を立てられているようだし……。どうやら俺は民衆の間では、赤子の内臓を好んで食べていると噂されているらしいのだぞ? おかしくないかね? そんなに俺は悪人の顔をしているのか?」
「…………私には、お答えしかねます」
「おい、コルネリア。目を逸らすな。普通に傷付くぞ」
顔を背けた自分の部下に対して、ヴィンセントは再度、大きくため息を吐く。
「俺の事を真に理解してくれているのは、唯一の信頼できる部下である貴様と、妹であるオリヴィア、そして妹の婚約者である我が義兄弟、アレスだけだ。そういえば……アレスはどうしているのだろうか。俺が推察するに、あの若者は、恐らくは剣聖リトリシアに近い実力を持っている猛者と思われるのだが……ふむ、出来たら此度の戦いに彼も呼び―――いや、それはできないな」
ヴィンセントは頭を横に振り、目を伏せ、微笑を浮かべた。
「オフィアーヌ家のことがある以上、彼を不用意に表舞台に立たせてはならぬのは当然のこと。父、ゴーヴェンの目もある。大事な妹の婚約者だ。危険な目には合わせられん」
「ヴィンセント様は近頃、アレスさんの名前を出すと、よく笑みを見せるようになりましたね」
「フッ、そうだな。彼と知り合い、友人になってからというもの、俺の心はどこか軽くなったように感じられる。アレスは、俺が弱った時に迷いなく叱咤激励をしてくれて、王国を再生するという俺の野望にも手を貸すと言ってくれた。―――俺にとって彼は、まさに、光のような存在だ」
「クスッ。大絶賛ですね。まるで、想い人のことを語る十代の若者のような熱の入りようでしたよ?」
「む……俺に男色の気はないのだがな……。だが、もしアレスが女だったのなら、俺はまず間違いなく一瞬で恋に落ちていたであろうな。あのような傑物、なかなかいるものではない」
「ヴィンセント様が誰かを好きになるなど、想像も付きませんがね」
「ククッ、それはそうだな。俺自身、女性を好きになる自分など、想像も付かぬわ!! クハハハハハハハハハハハハッッッッ!!!!」
その時。談話室のドアが勢いよく開かれ、ヴィンセントの前にリトリシアが姿を現した。
リトリシアは鋭くヴィンセントを睨み付けると、腰の剣に手を当て、闘気を放ち始める。
そんな彼女に対してヴィンセントは、瞠目し驚いた表情を浮かべた。
「!? どうしたのかね!? 剣聖殿……!?」
「……何かを企むような邪悪な笑い声が、外の廊下にまで聴こえてきました。……生前の父とハインライン殿はよく言っていました。バルトシュタイン家の人間はどいつもこいつも悪鬼しかいない、と。ヴィンセント・フォン・バルトシュタイン。何か邪な狙いがあるのなら、ここで白状してください」
「………………………コルネリアよ。俺はいったいどうしたら、良いのだろうか……」
「……私には、お答えしかねます……」
談話室の中で、ヴィンセントは本日三度目の、疲れたようなため息を吐くのだった。
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「―――朝か」
チュンチュンと小鳥の囀りが、耳の中に入って来る。
瞼を開けると、眩しい朝の日差しが目に入って来た。
俺は寝袋から出て、上体を起こし、うーんと両腕を伸ばす。
そして、はぁと息を吐いて腕を下げると、目を擦った。
「しかし、久しぶりに野営したが……あんまり寝れなかったな。転生してからこの十五年間、ベッドで眠ることに慣れちまったからかなぁ。ふわぁ……」
大きく欠伸をすると、遠くの方から「ブン」と、空気を切る音が聴こえて来た。
俺は首を傾げつつ、枕代わりにしていた鞄からヘアゴムを手に取り、髪を結ぶ。
そして護身用のために箒丸を手に持つと、まだ眠っているアンナたちを起こさないようにして、音のする方向へと静かに歩みを進めて行った。
「―――――218、219,220、221、222!!」
野営地から少し離れた場所にある、湖。
そこで上半身裸のグレイレウスが一本の刀を持ち、素振りを行っている姿があった。
……ほう? 背が低く華奢な身体のわりには、かなり筋肉を鍛えているようだな。
剣を振る姿勢も悪くはない。
前から思っていたが、グレイレウスはやはり、ロザレナとは異なったタイプの剣士だと思えるな。
ロザレナは無我夢中で剣を振り上げ、前へと進んで行く、剛の者。
グレイレウスは常に思考を積み重ねながら、剣の腕を研鑽していく、賢の者。
面白いことに、俺の弟子はどちらも異なる性質を持っているようだ。
「……はっ!! 師匠!! おはようございます!!」
俺の姿に気が付いたのか、グレイレウスは素振りを中断し、こちらに深く頭を下げて来た。
俺はそんな奴に対してフッと微笑を浮かべると、口を開いた。
「朝から精が出るな。剣の道は、才能に胡坐を掻く奴が天下を取るのではない。日々、努力を積み重ねた者だけが、上へと立つことが出来る―――お前はそのことを、ちゃんと、理解しているようだな」
「勿体ない御言葉です!! このグレイレウス、師匠の弟子として、当たり前のことをしていただけにすぎません!! さらに研鑽を積み重ねていく所存です!!」
「……この森の中でならば、人の目はないな」
「? 師匠?」
「構えろ、グレイ。特別に稽古を付けてやる。全力で掛かって来い」
そう言って俺は、グレイレウスに向けて、箒丸をまっすぐと構えた。
そんなこちらの様子に、グレイレウスは目をキラキラとさせ、興奮した様子を見せ始める。
「よ、良いのですか!? 師匠がオレに自ら稽古を付けてくださるなど、初めてのこと……っ!! こ、これは、夢じゃないよな!? フハハハハハハハ!!!!! 心臓がバクバクしてきました!!」
謎の笑い声を上げるグレイレウス。俺はため息を吐きつつ、再度、彼に向けて声を掛けた。
「良いから、さっさとかかって来いや。俺も対災厄級の魔物用に、できるだけ以前の感覚を取り戻しておきたいところだ。だから―――殺す気で来い。手を抜いたりしたら、その場でてめぇを破門してやる」
俺のその言葉にグレイレウスは身震いすると、腰の鞘からもう一対の刀を取り出す。
刀身の短い小太刀を両手に持ち、腰を低くして、二刀流の構えをするグレイレウス。
その瞬間。奴の身に宿る闘気は―――目の前にいる俺に対して、強烈な殺意となって放たれた。
木々に留まっていた鳥たちが、その殺意に当てられ、一斉に飛び立って行く。
湖の向こうへと飛び立っていく鳥たちを眺めた後、改めてグレイレウスの顔を見てみると、そこにはもう、先ほどの無邪気な笑みの影はなかった。
射殺さんとばかりに目を鋭く細め、奴は、俺を睨み付けていたのだった。
「――――参ります」
地面を蹴り上げ、グレイレウスは猛スピードでこちらに突進してくる。
なるほど、速剣型の剣士なだけあって、なかなかに速いな。
ここに来る前にアルファルドの奴と戦ったが、奴とはそもそものレベルが違う。
称号でいえば【剣鬼】よりひとつ上の【剣候】……いや、もしかしたら、もう既に【剣王】に届き始めているのかもしれないな。
純粋に速さだけを追求した剣士、か。なるほど、面白い。
「ッ!!」
グレイレウスは右手の刀を、俺の首に目掛け横薙ぎに降り放つ。
俺はそれを上体を逸らし、難なく回避してみせる。
だが、グレイレウスの猛追は止まらない。
右薙、右切り上げ、袈裟斬り、逆袈裟、左薙、袈裟斬り―――と、両手の刀を器用に使いながら、連続で剣を放ってきた。
隙の大きい唐竹を使わないのは、そもそも奴はパワーに自信がないからだろう。
初手で敵に詰め寄り、反撃のターンを与えず、手数で圧倒する。
シンプルだが、悪くはない戦い方だ。だが、それは、自分より遅い敵にだけ通用する技でもある。
俺は、箒を逆さにすると、柄を使い、グレイレウスの剣にカンカンと当てて攻撃を防いでいった。
「む!?」
「足元がお留守だぞー」
一通りグレイレウスの剣の雨を防いで見せた後、俺は、隙だらけのグレイレウスの膝を軽く蹴り上げる。
すると奴は態勢を崩したが―――即座に後方へとバク転をして飛び退き、間合いを計った。
その顔には「こうなることは分かっていた」というような、納得気な微笑が浮かんでいるのが見て取れる。
グレイレウスは立ち上がり、汗を拭うと、今度は刀を逆手に持ち、俺の周囲をグルグルと飛び、駆け回り始めた。
「師匠! オレの最大の必殺技です!! 行きますよ!!」
そう叫ぶと、グレイレウスはさらに速度を上げていく。
すると、その瞬間。グレイレウスの身体から無数の残像が産まれ、影分身が産まれていった。
「ほう、【影分身】か」
残像を産み出し、相手を翻弄する速剣型の歩法。
まさかその若さでこれを習得しているとは、なかなかに面白い才能を持っているな。
だが―――それ故に、勿体ないな。奴は今まで我流だったのだろう。
お前の影分身にはひとつ、決定的に欠けているものがある。
「【瞬閃脚】」
俺は地面を蹴り上げ、空中へと消える。
そして―――グレイレウスよりも圧倒的な速さで、周囲に影分身を生み出して行った。
「なっ―――!!!!」
「お前のそれは、ただ純粋な脚力だけで生み出しただけの代物にすぎない。本当の影分身は、速剣型の奥義【瞬閃脚】を使用して発動させるものだ」
空中を飛ぶ本体に一瞬で間合いを詰め、そう言葉を掛けた後。
俺はグレイレウスの腹に回し蹴りを入れ、彼を、地面へと叩き落した。
稽古後。俺とグレイレウスは一緒に湖で顔を洗っていた。
一頻り顔を洗い終えた後、グレイレウスは隣から微笑を向け、声を掛けてくる。
「……流石は師匠です。分かってはいたことですが、やはり、今のオレじゃ太刀打ちすらできませんでした」
「グレイ。これからお前は、常につま先立ちで歩くことに慣れておけ」
「え? つま先立ち、ですか?」
「あぁ。さっき俺がやった【瞬閃脚】は、速剣型の奥義と呼ばれる歩法でな。そこに至るにはまず、【縮地】という技を会得しなければならない」
「【縮地】、ですか?」
「あぁ。ちょっと見てろ」
俺は立ち上がり、グレイレウスに背を向け、つま先立ちになる。
そして、体を前傾させ、3センチほどの高さで小さく飛ぶと―――五メートル先まで一気に瞬間移動してみせた。
その光景を見て、グレイレウスは「おぉー!!」と、大きく拍手を鳴らす。
「これが【縮地】だ。本来であれば、お前の実力であれば、聖騎士養成学校の教師が教えていてもおかしくはないと思うのだが……この歩法、誰からも教わったことはなかったのか?」
「オレは、半端な実力者に剣を教わる気は一切ありませんでしたので。師匠と出会うまで、ずっと我流で生きてきました。口うるさく指導してくる教師はいましたが……全て無視しました」
「……そ、その考え方は……どうなのだろう?」
「オレ、理想は高い方なので。ですから、こうして師匠と出会えて本当に良かったです!!」
目をキラキラとさせるグレイレウス。俺はそんな奴に対して、深くため息を溢してしまった。
第129話を読んでくださって、ありがとうございました。
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書籍発売まで、あと、26日……!!




