第11話 元剣聖のメイドのおっさん、屋敷に帰る。
「ふわぁ・・・・・・・んんー・・・・って、あ、れ??」
目が覚めると、俺は、レティキュラータス家のーーーー使用人の部屋である、自室のベッドの上にいた。
大きく欠伸をした後、寝ぼけ眼を擦りながら、ゆっくりと上体を起こしてみる。
すると、ベッドの方へと向けられた小さな椅子に、ロザレナが座っていたことに俺は気が付いた。
「お嬢様・・・・・」
ロザレナはギュッと俺の手を握りながら、こっくりこっくりと頭を揺らして船を漕いでいる。
どうやらその様子から察するに、俺が寝ている間、ずっと看病をしていてくれていたのだろうか。
一介の使用人でしかない俺を、主である貴族のご令嬢が、付きっきりで看病をする。
それは、この国の貴族ではけっして有り得ない行為だ。
王国の貴族は、使用人が病に伏せようが怪我をしようがそんなものは関係無しに、下働きの者を酷使する傾向にある。
剣聖であった頃、貴族によって使い捨てられてきた使用人の姿を俺は何度も目撃したことがあった。
彼らにとって、身の回りの世話をする掃除婦や料理婦は、ただの道具でしかないのだ。
故に、道具が壊れれば使い捨てて、新しい道具を購入すれば良いという考えを彼らは抱いている。
だから・・・・・だからこの家の、レティキュラータス家の貴族としての在り方は、非常に俺の目には好感触に映っていた。
生前に見てきた傲慢な貴族には無かった、権力を持っていても失われていない、優しい心。
その温かさに、俺は思わず破顔してしまっていた。
「フフフ、本当にお優しいのですね、お嬢様は」
そう口にしてクスリと笑みを溢しながら、感謝の気持ちを込めて、硬く握られたロザレナの掌の甲を優しく撫でてみる。
すると、その感触に驚いたのか彼女はビクリと肩を震わせると、瞳をガバッと大きく見開き、俺の方へと勢いよく視線を向けてきた。
「・・・・アネット?」
「あ、起こしてしまいましたか? 申し訳ございません、お嬢様」
「アネット!! 目が覚めたのね!!」
パァッと、華が咲いたように満面の笑みをこちらに向けてくるロザレナ。
そんな彼女に、俺も同じようにして目を細め、優しく微笑みを向ける。
「お嬢様がご無事でこの御屋敷に帰って来られたこと、本当に嬉しく思います。どこもお怪我はありませんよね??」
「あたしは大丈夫よ!! 見ての通り!!」
そう言って力こぶを作って胸を張るロザレナ。
その様子から見て、どこも怪我をしていないというのは本当のようだ。
身振り手振り元気さをアピールするロザレナのその姿に、俺は思わず安堵のため息を吐いてしまう。
「本当に、本当に安心しました。蠍の奴隷商団の首魁を倒した、あの後。私は意識を失ってしまいましたからね・・・・・お嬢様の身に何かあったらと思うと、気が気ではありませんでしたよ」
「もう! あの後は、あたしよりもアネットの方が危険な目に遭っていたのよ? 人の心配ばかりではなく、少しは自分の心配もしてよね」
「私が危険な目に、ですか・・・・?」
「うん。アネットがあの怖い人・・・・ジェネディクト?って奴を倒した後、あいつの部下がアネットを殺そうとしてきたのよ。寝ている貴方の首元に剣の切っ先を押しつけてね」
「ジェネディクトの部下・・・・あ、あぁ、はい、確か、お嬢様たちの背後から現れた、もう一人の蠍の団員がいましたね。すっかり忘れていました」
ジェネディクトにばかり意識が持っていかれていて、すっかりあの場にもう一人部下がいたことを失念してしまっていた。
ジェネディクト以外は単なる雑魚だとしても、俺が意識を失えば、そこにいるのはただの幼い子供たちだけだ。
大の大人の男であれば、幼い少年少女を殺すことなど、造作もないことだろう。
これは・・・・かなりのミスをしてしまっていたな、俺は。
かつては世界最強の剣聖だった男だというのに、討伐対象の確認を怠っていたとは、何とも情けない話だ。
というか・・・・ん? 待てよ?
何で、そんな絶体絶命の窮地に陥って尚、俺は、今・・・・生きているんだ??
「・・・・あ、あの、お嬢様。それで、その後、いったいどうなったのですか? お嬢様たちが私を助けて逃げてくれた・・・・という訳ではありませんよね??」
「うん。悔しいけれど、貴方を助けたのはあたしでもグライスたちでもない。貴方を助けたのは・・・・・『剣聖』よ」
「へ?」
その後の顛末を聞いた俺は、いつの間にか自分が知らぬ間に・・・・・かつての愛弟子と再会していたことを、教えられたのだった。
時は、剣聖の森妖精が、黒装束の男を倒し、アネットたちを救った頃に遡る。
『聖騎士たちは、このままアジトの中枢へと侵攻を進めてください。勿論、残りの残党には十分な注意と警戒を怠らないようにしてくださいね』
剣聖の少女がそう声を発した、その瞬間。
5,6人程の白銀の甲冑を着た騎士たちが、ゾロゾロと瓦礫の山を下って、地下へと姿を現す。
彼ら騎士たちは剣聖の少女の横を通過すると、真っすぐと、暗闇が続く廊下の向こうへと去っていくのであった。
その姿を静かに見送ると、剣聖の少女・・・・リトリシア・ブルシュトロームは、小さく息を吐き、地面に横たわるアネットの首元に手を伸ばし、触れる。
『・・・・・かなりの疲労の気配が感じられますが、身体的には別段、問題は無さそうです。このメイドの少女は貴方のお友達でしょうか? 紫色の髪のお嬢さん』
そう言って、リトリシアはあたしの顔へと切れ長の碧眼を向けて来た。
世界最強の剣士に向けられたその視線に、思わずゴクリと唾を飲み込みながらも、あたしは平静を保ちながら口を開く。
『彼女は・・・・アネットは、あたしの大切なひ・・・・メイドよ。あたしの名前はロザレナ・ウェス・レティキュラータス。栄えある剣聖の開祖、レティキュラータス家の末裔よ』
『レティキュラータス・・・・あぁ、あの四大騎士公の、ですか』
『えぇ、そうよ。だから我が家名に懸けて、彼女を手厚く保護してもらえると助かるわ』
『・・・・そうですか。了解致しました。後から合流する手筈の聖騎士の治癒術師に、彼女のことを診てもらうように言っておきましょう』
そう言うと、彼女はアネットを優しく介抱する・・・・なんてことはせず、道端の石ころのようにアネットを素通りし、奥で横たわるジェネディクトの元へと歩みを進めた。
『ちょ、ちょっと!?』
倒れ伏す全身切り傷だらけの少女を無視するという、その剣聖にあるまじき行為に、あたしは思わず声を荒げてしまう。
だが、彼女はあたしの声を気にも留める様子も見せず。
倒れ伏すジェネディクトの胸の斬り傷と彼の背後に続く瓦礫の山を、ただただ興味深そうに交互に視線を向けていくだけだった。
『・・・・・・・上級魔道具を持つジェネディクト・バルトシュタインに、ここまでの傷を負わせる相手・・・・・それも、この斬撃跡を見るに、一太刀、で、ですか。ふむ。何とも理解し難い状況ですね』
ブツブツと、何やら独り言を呟き出すリトリシア。
彼女であれば・・・『剣聖』であれば、治癒魔法はおろか、当然魔法薬液の類は常備していることだろう。
なのに何故、後から来るという聖騎士に任せて、この人はアネットのことを放置しているのだろうか。
そんな彼女の姿に、あたしは怒りの感情を抑えることができなかった。
『貴方、ねぇ!! あたしのメイドを放置するなんて、いったいどういうつもりなの!?』
その怒声に、リトリシアはジェネディクトに視線を向けながら、静かに答える。
『先ほど申し上げませんでしたか? 別段、身体には問題は見当たらない、と』
『問題はない、って・・・・・倒れている幼い子供を介抱もしないっていうの、貴方!? それでも剣聖なの!?』
『私は剣聖として、合理的な行動を取っているまでのことです。それよりも・・・・ロザレナと申しましたか? このジェネディクトを倒した相手が誰なのか・・・・分かりますか??』
『・・・・・そいつを倒した人が誰かを答えたら、アネットに魔法薬液を使ってくれるのかしら』
『そうですね。魔法薬液も安いものではないのですが・・・・まぁ・・・・良いでしょう。今は新たなる脅威となる存在を、いち早く見つけるのが最優先すべき目的のひとつです。約束しましょう』
『そいつを倒したのは・・・・・アネットよ」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?』
今まで感情の起伏が感じられない無表情な顔で言葉を発していたリトリシアが、突如顔を困惑の色に染めて、素っ頓狂な声を漏らしだす。
『アネット、というのは・・・・貴方が今抱きかかえている、その人族のメイドの少女のことですよね??』
『そうよ。あたしのメイドであるこの子が、そいつを一太刀でぶった切ったの』
『・・・・・・・・・・・・・』
あたしのその一言に、リトリシアは眉間を押さえて、大きくため息を溢す。
そして、こちらに対して興味を無くしたのか、再びジェネディクトの身体へと視線を向け始めた。
『・・・・・・ふぅ。子供に真剣に聞いたのが、間違いでしたかね。魔法薬液一本のために、まさかここまで見え透いた嘘を吐かれるとは・・・・思いもしませんでした』
『はぁ!? 嘘なんて付いてないわよ!! アネットがその男を倒したのっ!! そっちにいるグライスたちも見てたもの!! ねぇ!!』
あたしのその声に、グライスたち4人はうんうんと頷く。
だが、リトリシアはもうあたしの声に耳を貸すことはやめたのか、その後、彼女があたしに対して反応を示すことは一切なかった。
「それで、その後、遅れてやってきた聖騎士の別動隊に保護されたあたしたちは、適切な治癒をされた後、それぞれの親元に帰された、って訳」
「なるほど。突如現れた剣聖様のおかげで私たちは命を救われた、と。私が眠っている間にそういった事柄が起こっていたのですね」
そう口にすると、ロザレナは唇を尖らせ、不満げな顔を露わにする。
「あたし・・・・あの剣聖の森妖精、大っ嫌いだわ。結局アネットを介抱してくれなかったし、本当のことを言っても人を噓吐き呼ばわりするし・・・・あんなのが今の剣聖だなんて、許せないわ」
「あ、あはははは・・・・・リティ・・・リトリシア・ブルシュトローム様は、ものごとをすべて合理的に思考する人ですからね。確かに、真っ直ぐな性格のロザレナお嬢様とは、相性が悪いのかもしれません。でも、根は悪い子じゃないのですよ? あの子も」
「・・・・・・ふぅーん? アネット、どうやらあの性悪剣聖のことを随分とよく知っている感じなのねぇ?? もしかして過去、何処かで交流があった、とか??」
何故か眼を細め、静かに怒りの形相を浮かべ始めるロザレナお嬢様。
あー、多分、リティを擁護した発言をしたのが、気に入らなかったんだろうなぁ。
でも、俺にとってリティもロザレナもどっちも大事な娘のような存在なので、喧嘩は切に止めて欲しいです、おじちゃんは。
「ロザレナお嬢様、お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
控えめな数回のノックの後、扉の向こうからマグレットの声が聴こえてきた。
その声に、ロザレナは一言「大丈夫よ」と答え、マグレットを俺の部屋へと招き入れる。
「お嬢様、失礼します。そろそろ、看病を交代致しましょう。お嬢様も今朝から随分とお疲れになられているはずです。ですからもうそろそろお休みにー----」
部屋に入ってきたマグレットが、俺が起きている様子を見て、眼を見開く。
俺は彼女のその後に取る行動ーーーーお嬢様を危険に晒してしまったことについて、説教されるであろうことを事前に予測して、思わず身構えた。
だがーーーーーー。
「・・・・・・よく、よく無事だったね、アネット・・・・・」
あの、口を開けば怒声しか飛ばさなかった、クソババァが。
いつも眉間に皺を寄せて、俺を睨んでいた、あの祖母が。
瞳に涙を貯めて、ベッドの傍まで近寄ってくると、何故か俺の手を・・・・強く握りしめたのだった。
「お婆、様・・・・・??」
「・・・・・本当にお前さんが無事で良かった。良かったよ・・・・・・」
そう言って、産まれてからこの方、今までに一度も見たことがない優しい微笑みを見せてくるマグレット。
その姿を見て、俺も何故だか自然と、眼の端から大粒の涙を溢し始めてしまっていたのだった。
「あ、あれ? おかしいな、あれ??」
今までの人生ーーーー生前のアーノイック・ブルシュトロームの記憶を思い返してみても、今まで俺は、一度もこのような涙を流したことは無かった。
姉を亡くした時に悲しみで涙を溢したことは一度だけあったが、このような・・・・・何とも形容しがたい、暖かい気持ちによって涙を流すということは、初めての行為だった。
生前の幼い頃に、家族という存在に、愛情に、強い憧れを抱いていたせいだろうか。
今になって俺は、初めて向けられ、初めて知ることができたその家族の愛情に、止めどない涙を抑えることができなくなってしまっていた。
「・・・・・・フフッ。マグレットさんが来たことだし、あたしは自室に戻るわ。ゆっくり休むのよ、アネット」
そう言うと、ロザレナは涙を流す俺にウィンクをし、部屋から出て行った。
後に残されたのは、マグレットと俺のみ。
今までこの祖母とは、メイドの仕事のことでしか、まともに会話をしてこなかった。
だから、彼女が初めて見せてくれたメイド長の顔ではなく、アネット・イークウェスの祖母として見せたその顔に、俺はいったいどう接すれば良いのか分からなくなっていた。
「あ、あの、お婆様・・・・・」
「今まですまなかったね、アネット」
「え?」
「私は、レティキュラータス家のメイドとして教育することでしか、お前さんとの距離を計れなかった。亡くなった娘そっくりのお前さんと向き合って話すのが・・・・・・兎にも角にも怖かったんだよ。笑えるくらいの臆病でね、お前さんと真剣に対話を試みるのから逃げていたのさ」
「? いったい、いったいそれはどういう意味なのですか? お婆様?」
そう問いを投げると、マグレットは後悔するような表情をして眉を八の字にし、ゆっくりと目を伏せた。
「お前さんの母親ーーーー私の娘のアリサ・イークウェスは、この私のせいで、死んでしまったんだ」
その、何処かで聞いたような懺悔の言葉に、俺は、かつて自身の過ちで死なせてしまったいつかの姉の姿を脳裏に思い浮かべてしまった。
評価、いいね、ブクマを付けて頂き、本当に本当に本当にありがとうございました!
お優しい皆様のおかげで、何とか書いていけることができそうです!
もうすぐ第一部の締めに入り、ようやくあらすじ通りに騎士学校入学編の成年期に入ることができそうです!
また明日辺りに続きを投稿すると思いますので、ぜひ、読んでくださると嬉しいです!