100話記念短編――回想 アーノイック・ブルシュトローム ①
―――――――聖騎士駐屯区の深い堀の下にある、王国最大のスラム街『奈落の掃き溜め』。
そこで、今、スラム街最強の少年【鬼子】と王国最強の剣士【剣聖】が、相対していた。
「少年、君は……普通じゃないな」
膝を付く少年に対して、『剣聖』アレス・グリムガルドは、そう言葉を放った。
彼のまるで珍獣でも見るかのようなその顔に、少年はチッと大きく舌打ちを放つと、剣を杖替わりにして立ち上がる。
そんな少年の姿に、アレスは呆れたように肩を竦めるのだった。
「まだやるのかい、少年。既に、勝敗は決したと思うのだけれど」
「ハァハァ……うるせぇ、キザ野郎!! お前は殺す、絶対に殺してやるッ!! テメェの四肢を切断し、ダルマになったお前をスラムの入り口に飾ってやる!! 俺様はこのスラムで最強の剣士、アーノイック・ブルシュトロームだ!! 剣聖だが何だか知らねぇが、テメェなんざに敗けるはずがねぇ!!!!!」
「………凄まじい闘気だな。数値に換算するならば、十万……いや、もっとありそうか。まったく、幼い子供が放つ力ではないな。いったい何者なんだい、君は」
「うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ!! さっさと死にやがれ、キザ野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
跳躍し、上段に剣を構えて、少年はアレスへと襲い掛かる。
すると剣聖は腰を屈めて―――鞘に剣を納め、抜刀の構えを取るのだった。
「―――――――【閃光剣】」
その瞬間。目にもとまらぬ斬撃が一閃、少年の身体に向けて放たれる。
上段に構え空中に飛び上がった彼では、その斬撃に対して、回避も防御も取ることもできず…少年はそのまま無防備な上半身に、神速の剣閃を受けてしまうのであった。
「かはっ!」
大量の血を吐き出し、少年は地面へと身体を叩きつけて、倒れ伏す。
剣聖はそんな彼のもとへと近付くと、静かに声を掛けた。
「奈落の掃き溜めの鬼子、アーノイック・ブルシュトローム。君の剣には、深い憎悪と悲しみが宿っている。推察するに、君は、過去に誰か大切な人を亡くしてしまったのだろう。その結果、周囲に悪意を振りまく悪鬼となってしまった。君が誰彼構わず他者を傷付けていたのは…そういうことなのだろう?」
「…殺して……やる、俺は、敗けて、な…い…姉ちゃんの恨みは、俺、が……」
「君はきっと、聖グレクシア王国に巣食う闇が産んでしまった怪物なのだろうね。そのまま君を放置してしまえば、恐らく、この国を亡ぼす要因になったことは間違いない。……そうか。聖女の予言にあった、王国を滅ぼす【滅し去りし者】というのは、君のことだったんだね、アーノイック」
「……」
「今ここで君を殺すことが、『剣聖』としての僕の責務だ。…だけど、僕は、人も未来も変わるものだと思っている。それと、人の親として子供は殺したくないからね。だから……君には生きてもらうよ、アーノイック」
その言葉を最後に、少年は瞼を閉じ――――意識を失うのであった。
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「――――――どこだ、ここ」
「……あ、起きた」
目を覚ますと、ベッドの脇に見知らぬ少女の姿があった。
浅葱色の髪をしたボブヘアのその少女は、俺と目が合うと、椅子から飛び降り……そのままとてとてと部屋の外へと去って行った。
俺は包帯の巻かれた胸を押さえながら、ゆっくりと上体を起こした。
どうやら怪我の手当をされて、何処かの家に連れ込まれたようだが…ここはいったいどこなのだろう?
状況に理解が追い付かず、混乱していると、少女と入れ替わりに、一人の男が部屋の中に入って来る。
優男のような雰囲気を纏ったその男は、ニコリと微笑むと、ベッドの傍にある椅子に腰を下ろし、静かに口を開いた。
「そんなに深く斬ったつもりはないけれど……怪我の具合はどうだい、少年」
「て、テメェは!!!!! クソ剣聖!!!!!!」
俺は即座にベッドの脇にあったライトスタンドを手に取り、跳躍して、剣聖に襲い掛かる。
だが、彼は軽く首を逸らして俺の攻撃を回避し、俺の頭を掴むと―――そのまま勢いよくベッドへと叩きつけてきたのだった。
「ぐぎゃっ!? 離せ、離しやがれ剣聖!! ここでぶっ殺してやる!!」
「まったく……君はどうしてそんなに人を殺したがるんだい? 他人の命を奪ってはならないって、お母さんに習わなかったのかい?」
「俺に母親なんかいねぇ!! 俺はスラムのゴミ捨て場に産み捨てられた、孤児だ!! くだらねぇこと聞いてんじゃねぇ!!!!」
「育ての親は?」
「……」
「いたのだろう? だったら今の君は、その人に顔向けできるのかい? アーノイック」
「……わかったようなことを言うんじゃねぇ、クソ剣聖。俺の育ての親――シエル・ブルシュトロームは、貴族どものくだらねぇ遊びのせいで死ぬことになったんだ。この腐った国が俺の親を殺した。だから、王国に尻尾ふる犬畜生のテメェも同罪だ、剣聖。俺はこの国の人間が大っ嫌いだ。全員ぶっ殺してやる」
「……シエル・ブルシュトロームさん、か…。なぁ、アーノイック。今から君のことを僕に教えてくれないかな?」
「あぁ!?」
俺から手を離し、ベッド脇にある椅子に腰かけると、アレスは優しく微笑を浮かべた。
「君の言う通り、僕は君のことをまったく知らない。だから、話をしたい。そしてできれば、君に僕のことも知って欲しい。お互いがどういう人間なのかを理解した後で、それでも僕がムカツクならば、喧嘩をしよう。武器は無しで、素手で殴り合うんだ。敗けた方が今晩の夕飯を作る。どうだろうか?」
「……」
その言葉に、俺は思わず面食らってしまう。
俺より強い力を持っていやがるのに、奴のその言葉の裏には、俺を懐柔しようだとか痛めつけてやろうだとか、そんな負の感情がまったく見えてこなかったからだ。
スラムでは力を持っている人間こそが正しく、暴力こそが正義だった。
この世界は強いやつだけが発言権を持つ。だから俺は、強くなった。
力さえあれば、大人もガキも全員自分の下に付けることができる。
暴力こそがこの世で最も強い言葉であり、武器だ。
それなのにこいつは、俺よりも強いにも関わらず、暴力を使わずに、俺と対等に対話をしようと試みている。
意味が、分からなかった。
初めて遭遇した、不可思議な人種だった。
「さぁ、まずは君のことを話してもらおうかな、アーノイック」
「……」
奴の狙いが読めずに、混乱したまま――――俺はつい、そのまま自身の過去について話し始めてしまう。
赤子の頃、ゴミ捨て場に産み捨てられていたところを、娼婦として働いていた14歳の少女に拾われたこと。
その後、娼婦の少女…シエル・ブルシュトロームに育てられ、スラムに自生している白い花の名から『アーノイック』という名前を貰ったこと。
シエル・ブルシュトロームは誰に対しても優しく、怒ったところを一度も見たことが無い、道端の雑草ですら大切にする清らかな心を持つ少女だった。
そんな育ての親である彼女、シエル・ブルシュトロームを心から慕っていたことを、俺はすべて言葉にして奴に伝えた。
すると、剣聖はニコリと優しく微笑みを浮かべる。
「優しいお姉さん、だったんだね」
「あぁ。俺はあれほど心が美しい人間を見たことが無い。姉ちゃんはいつも、俺にこう言っていたよ。『常に人に優しくありなさい』ってな。見ず知らずの空腹で倒れている人間がいたら、損得勘定抜きで自分の分の食事を分け与える……あの人は、そんな人だった」
「……」
「根っからのお人好しだったんだよ、姉ちゃんは。だから……だから、彼女を殺した奴らだけは、どうしても許せなかった。相応の苦しみを与えてやりたかった」
「奴ら?」
「今から二年前…俺が八歳の時、姉ちゃんは娼婦の仕事で、貴族の屋敷に行くことになったんだ」
そう言葉を呟き、俺は、過去に起こったことを剣聖に話し始めた。
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「それじゃあ、アーくん、お姉ちゃん、お仕事に行ってくるね。お留守番頑張れる?」
そう言って、ロングヘアーの黒髪の少女…シエル姉ちゃんは、俺の頭を優しく撫でてきた。
俺はその手を払いのけ、ふんと鼻を鳴らして、そっぽを向く。
そんな俺に、シエル姉ちゃんは困ったように眉を八の字にすると、俺の頭をもう一度撫でてきた。
「アーくん、寂しい想いをさせてごめんね。すぐに、帰って来るからね」
「……別に寂しくなんかないよ」
「もう、素直じゃないなぁ。……えいっ!」
シエル姉ちゃんは俺をギュッと、抱きしめてくる。
そして、耳元で、優しい声色で開口した。
「お姉ちゃん、世界で一番アーくんのことが大好きだよ。アーくんは、お姉ちゃんの宝物」
「……でも、俺、ゴミ捨て場に捨てられてたんだろ? ゴミから産まれた子供だって、スラムのみんなそう言ってくるよ。そんな俺が、宝物のわけ……」
「ゴミなんかじゃないよ。アーくんは、キラキラ光る宝物。お姉ちゃんの生きる希望なんだよ、アーくんは」
そう言って一頻り俺の頭を撫でると、シエル姉ちゃんは、自分を買っていった貴族と共に、馬車に乗って消えて行った。
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「……俺は姉ちゃんの帰りを待って、家でずっと留守番をしていた。でも‥‥姉ちゃんは5日経っても家には帰ってこなかった」
「……」
「何かあったのかと思い、俺は、姉ちゃんを買った貴族の屋敷に行った。すると、そのまま屋敷に通されて、俺はある場所に連れていかれた。そこは……人間を怪物に襲わせ、その様子を観客席から楽しむ、醜悪な闘技場のような場所だった。女は魔物に犯させ、男は魔物に食い殺させる……この世の地獄が、そこには広がっていたんだ」
そう言って一呼吸挟むと、俺はギリッと奥歯を噛みしめ、アレスを睨みつけた。
「奴ら貴族どもは姉ちゃんをゴブリンどもの慰みものにして、その惨状をワインを片手に、観客席で楽しんで見ていた。その光景を見た瞬間、俺の怒りのボルテージは最大値にまで上り詰めた。貴族どもは俺を新たなショーの生贄にしようとしていたみたいだが、俺は逆にゴブリンどもを素手で圧倒し、全てを殴殺してみせた。そしてあっけにとられた観客席の貴族どもも、残らず殺して回っていった。後に残ったのは、死体の山と、絶望に目をドス黒く染めて倒れ伏す、姉の姿だけだったよ」
「………アーノイック、君は……」
「姉ちゃんは、暗い瞳で俺を見つめ、こう、俺に懇願してきたんだ。『もう、生きることに疲れた。アーくん、私を殺して』……って、な。クッ、ククククッ、あんなに優しいシエル姉ちゃんでも、どうやらこの狂った世界は許容できなかったようだ。俺は姉ちゃんの言葉に従い、首を絞め、彼女を楽にさせた。その手の感触が、未だに俺の両の手のひらには残っている。けっして、この痛みを、彼女は忘れさせてはくれない」
俺は震える両手の手のひらに視線を向けた後、剣聖に再度視線を向け、彼を鋭く睨みつけた。
「……分かっただろう、剣聖。俺は、姉を死なせたこの国を絶対に許すことはできはしない。この国に住まうすべての者が、俺の敵だ。邪魔をするなら、必ずお前も殺す。今は勝てなかろうとも、あと数年もすれば、お前に追いつく自信が俺にはある。だから――――」
その時…。剣聖は瞳からポロリと、一筋の涙を溢していった。
俺はそんな彼の様子に思わず、ギョッとした顔で、首を傾げてしまう。
「? 何故泣く? 剣聖」
「………アーノイック。君は悪くはない。そして、君のお姉さんも、悪くはない。悪いのは、この国の現体制だ。聖王、四大騎士公、その他の王侯貴族たちは、奈落の掃き溜めの人間を人とはみなしていない。バルトシュタイン家は、大森林から採取された特二級違法薬物の『死に化粧の根』をスラムに蔓延させ、戦争の道具に使えないかどうかを人体実験している。彼ら貴族たちは、君たちスラムの人を、都合の良いマウスだと思っているんだよ」
「………んなことは端っから分かっている。だから、俺は、奴らを皆殺しに―――――」
「暴力でこの国を変えても、君自身が幸せになることはけっしてない」
そう言って、剣聖は、俺の身体を優しく抱きしめてきた。
その理解不能な行動に、俺は思わず身を硬直させてしまった。
「な、何しやがる、てめぇ!」
引き剥がそうと暴れてみるが、剣聖は微動だにしない。
ただただ俺の頭を優しく撫で、涙を流すだけだった。
「僕が謝ってどうにかなる問題ではないのは分かっている。でも、この国を愛する者を代表して、謝らせてくれ。本当に……本当にごめんよ、アーノイック」
「うるせぇ! 離せ! ぶっ殺すぞっ!!」
「すまない……すまなかった、アーノイック」
「何なんだ、てめぇは……なんなんだよッッ!!!!」
涙を流しながら俺を抱きしめてくる剣聖アレス・グリムガルドに、俺はただただ、困惑の声を溢すことしかできなかった。
100話記念短編を読んでくださってありがとうございました!
この短編は、5話?くらいで終わらしたいと思っています…(多分)
なるべく早く本編に繋げられるようにしたいと考えていますので、お付き合いの程、よろしくお願いします!




