第四章 第110話 学級対抗戦ー⑰ 終幕
《ロザレナ視点》
―――――――夢を、見ている。
あたしはフワフワと空中に浮かびながら、丘の上に立つ、一人の少女を俯瞰して見下ろしていた。
『…帝国兵の数はざっと二千、といったところか。対してこちらの兵量は五百……フッ、まさに万事休す、といった状況だな。フランシア伯の救援はどう見ても間に合いそうにない。我らレティキュラータスの寡兵でこの窮地を乗り越えるしかないのが現状、か』
あたしと同じ顔をした青紫色の長い髪の少女は、そう言ってフッと笑みを浮かべると、背後から近付いて来るメイドの少女へと視線を向けた。
そのメイドは、一瞬、アネットかと思うほど似た顔立ちをしていたが…常に明るい性格のアネットとは打って変わり、彼女は何処か暗く陰鬱な雰囲気を纏っていた。
『………ラヴェレナ様。本当に、このフランシア平原での戦いに望まれるおつもりなのですか? 言い方は悪いかもしれませんが、ここはフランシア伯の領土。レティキュラータス伯たる貴方様が自領であるレティキュラータス領に閉じこもっても、誰も文句など言う筋合いはないと思うのですが』
『私は聖王陛下から初代【剣聖】の名を賜った、王国の牙たる存在だ。帝国兵を打ち滅ぼす責務が、この身にはある』
『ですが……帝国兵を率いているのは……貴方様の――――』
ラヴェレナと呼ばれた女騎士は、メイドの少女の顎に手を当てると、そのまま―――彼女にキスをした。
あたしは「ひぇぇぇぇ」と頬に手を当て顔を真っ赤にしながらも、思わずそのキスシーンを凝視してしまう。
『……ん…ちゅ…ラ、ラヴェレナ様……っ!』
『………ふぅ。続きは帰ってからにしよう、ヴィネット。ね?』
『は、はい………』
トロンとした顔でコクリと頷く、長い栗毛色のメイドの少女。
そして、ラヴェレナは丘の上に立つと、腰の鞘から、赤黒い刀身の太刀を抜き放った。
あれ? あの刀、何処かで見た覚えのあるような……って、あれって、以前、アネットと一緒に武器屋で見た―――赤狼刀、って剣だっけ…?
ラヴェレナは草原の果てにいる敵兵にまっすぐと刀を差し向けると、大きく口を開いた。
『行くぞ、皆の者! 目指すは不遜にも我れらが聖王陛下のお膝元を侵そうとする、愚鈍なる帝国の兵どもだ! 我ら聖騎士の力を、彼奴等めに知らせてやろうぞ!!』
彼女のその言葉に、部下の騎士たちは剣や槍を天へと突きあげ、「オーッ」と雄たけびを上げる。
そして、彼らは、フランシア平原に高らかな声を上げながら――戦場へと駆けて行った。
ジジッと頭の中に電気が走ったかのような音がして、視界が暗転する。
次に視界に現れたのは、シュゼットとの戦いの時に一瞬脳裏に過った…鎖に繋がれた裸の少女の姿だった。
その少女は、先ほどの、ラヴェレナと呼ばれていた少女で間違いない。
彼女は長い前髪の中から、ギロリと、こちらに紅い瞳を向けてくる。
『―――――――我が末裔よ。貴様も、いずれ、こうなる』
「………え?」
『お前も、いずれ必ず、愛する者と別れる日が来るだろう。それは覆すことはできぬこの世の真実だ。何故ならば、レティキュラータスとイークウェスは、けっして結ばれない運命にあると‥‥予めこの世界によって運命付けられているからだ』
「な、なによ、それ……! そ、それって、あたしとアネットのこと言っているの!? て、てか、あんた誰なのよ!? 何でそんなことをあたしに言ってくるの!?」
『我が名は初代剣聖、ラヴェレナ・ウェス・レティキュラータス。貴様が世界に対する闇の意志を見せたその時、私はお前に力を貸すためにまた姿を現そう』
「ちょ、ちょっとぉ!! 意味の分からないこと言って、勝手に消えんじゃないわよぉ!! ちゃんと説明しなさいよぉぉぉぉっっ!!!」
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《アネット視点》
「―――――――あたしとアネットが結ばれないだなんて、そんなわけないでしょう!! この不気味女!! ぶっ飛ばすわよ!! って、あれ……?」
ロザレナはベッドの上で上体を起こし、不思議そうにキョロキョロと辺りを見回した。
そして俺と目が合うと、彼女はボッと顔を紅くさせる。
「ここは、学校の医務室…? と、というか、ア、アネット!? も、もしかして、あたし、寝言とか…言っていた……?」
「まぁ…はい。よくは分かりませんが、お嬢様はどなたかに、とてもお怒りな様子でしたね」
「…………あたし、なんて言ってた?」
「ええと、あたしとアネットの愛を壊せる奴なんてこの世界にはいない! って仰られていましたね……」
「うぅぅぅ~~~っ!!!!」
ロザレナは枕で顔を隠すと、足をバタバタとさせ、ベッドの上で暴れ始める。
俺はそんな彼女にふぅとため息を吐くと、ニコリと笑みを浮かべて、口を開いた。
「お嬢様。まずは学級対抗戦でのご勝利、おめでとうございます。お嬢様ならば、シュゼット様に必ず勝利なされると、そう信じていました。ですが……正直に言うと、勝機は五分五分と、私は見ていました。魔術師というのは絡め手を得意とする戦法を取るものです。お嬢様のような真っ正直に正面突破するタイプとは最も相性が悪い相手であることは、明白でした」
「むぅ…それなのに、五分五分と見ていたの? 相性が悪いのに?」
「はい。お嬢様は剣士として、最も大切なものを持っている。それは…『折れない心』です。貴方様は、足が地面に付く限り、けっして、前へと進む歩みを止めはしない。ただ踏破すべき壁だけを見据えて、歯を食いしばって、前進していく。その心根は、格上の相手にも届きうる、確たる力でした」
そう言って目を伏せると、俺は眉を八の字にして、首を傾げた。
「私はその御姿に頼もしさを感じる一方で、時折、不安を覚えることがあります。お嬢様はこのままどこか、遠くに行ってしまうのではないのか、と。貴方様は、目的のためならば、どんな不可能をも可能にしてしまう。それも、ご自分のお体を犠牲にしてまで‥‥」
「あたしがアネットから離れて何処かに行くわけないじゃない。それに、あたしが目指しているのは貴方の後ろ姿なのよ? あたしが向かう先には、アネットがいる。だから、あたしは、どんな奴にだって勝つことができ―――――うぐっ!!」
「お嬢様!?」
俺は椅子から立ち上がり、胸を抑えるロザレナの背中を摩り、声を掛ける。
「だ、大丈夫ですか、お嬢様!? お身体の怪我は、保険医の修道女、マーガレット先生に治癒魔法で塞いでもらったのですが‥‥まだ、痛むところがあるのですか!?」
「はぁはぁ‥‥だ、大丈夫よ。何か、一瞬、息苦しくなっただけだから。今は何でもないわ‥‥」
「お嬢様、今回の学級対抗戦、私は、お嬢様のお傍にいることができませんでした。本来であればメイドとして、貴方様が無理しないように近くにいるべきだったのに‥‥本当に、本当に申し訳ございませんでしたっ‥‥!!」
「何を言っているのよ。貴方はあたしが見ていないところで、やるべきことをやっていたのでしょう? アネットはいつも、あたしが見ていないところで、あたしのために剣を振ってくれている。だからあたしも頑張れるの。あたしたちは二人で前へと進む、パートナーなのよ、アネット」
「お嬢様‥‥」
「ごめん、ちょっと疲れちゃった。少し、寝るね。血を流しすぎちゃったからかな‥‥。すごく‥‥眠い‥‥の‥‥」
「はい。おやすみなさいませ、お嬢様。私は、ずっとずっと、お目覚めになられるまで、お傍におりますからね‥‥」
そう言って、俺はギュッと、ロザレナの手を強く握った。
リーゼロッテを降した、あの後。
ロザレナが緊急で医務室に運ばれたと聞いて、俺は学級対抗戦の閉会式には出席せずに、そのまま学校の方へと戻ってきていた。
正直、ロザレナのボロボロの姿を見た時は‥‥思わず、自分に苛立ちを覚えてしまった。
剣士としての俺は、我が子を谷に落とすことは正解であると、ロザレナを格上であったシュゼットと戦わせたことに何ら間違いはないと思っている。
だが、メイドとしての自分は‥‥大事な主人を止めもせず、ここまで傷付けてしまったことに、酷く、後悔を覚えてしまっていた。
矛盾する感情。己の中にある、剣士としての自分と、メイドとしての自分。
血だらけで担架で運ばれてきたロザレナを見て、俺は、いったいどちらが本当の自分なのかが分からなくなってしまった。
「……剣士としての俺は、アーノイックだ。だが、その剣士としての在り方を、メイドの俺‥‥アネットは、強く否定してくる。お前は、主人を殺す気なのか、と」
剣の世界に甘さは不要。
ただ静かに己と向き合い、命を削って研鑽し、より研ぎ澄ませることができた者だけが勝者となる。
頂に立つ志があるのならば、一度、死の瀬戸際というものを経験しなければならないのは必然。
だが‥‥だが、俺は、ロザレナを傷付けたくはない。
弟子のリトリシアにも、こんな感情は抱いたことは一度も無かった。
リトリシアには、剣の師として、厳しく接することができていたというのに。
何なんだ‥‥何なんだ、この感情は‥‥。
俺は‥‥どうしたいんだ‥‥‥。ロザレナを、いったい、どうしたいんだよ、俺は―――。
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―――――午後十時半。
満月亭の四階で、オリヴィアはロザレナの部屋から出ると、ふぅと大きくため息を吐いた。
そんな彼女の元へと、マフラーを巻いた小柄な青年‥‥グレイレウスが廊下の奥から現れ、声を掛ける。
「‥‥‥‥ロザレナと師匠の様子はどうだった、オリヴィア」
その声に、オリヴィアは眉を八の字にして、首を横に振った。
「変わりはありませんね~。眠っているロザレナちゃんの手を、アネットちゃんが俯きながらずっと握っています。看病を代わると言っても、アネットちゃんはうんともすんとも言いませんでした」
「そうか‥‥。満月亭に帰って来てからというもの、師匠は何処か憔悴した様子だったからな。余程、ロザレナの怪我に衝撃を受けたのだろう」
「へぇ? グレイくんでも、そんな優しい言葉が言えるんですね~? 意外です~」
「馬鹿にしているのか貴様は。オレは、弟子として師を心配しているにすぎない。彼女は、オレがこの世で最も敬愛している御方だからな」
「前から思っていましたけど、グレイくんは何でアネットちゃんの弟子、なのですか~? 私みたいに、アネットちゃんからお料理を習っているわけではないのでしょう?」
「む‥‥。それは、だな‥‥‥‥。なんだ、オレは、彼女の人としての在り方に、憧れを抱いている? というか、その‥‥」
「オリヴィア先輩、グレイレウス先輩、ロザレナ、大丈夫ですか?」
廊下の奥から、とてとてと、ジェシカが心配そうな顔で二人の元にやってくる。
ジェシカはグレイレウスの横に立つと、オリヴィアの顔を見つめ、沈痛そうな面持ちで口を開いた。
「すごい、怪我‥‥だったんですよね? ルナティエから聞きました。学級対抗戦でシュゼットを倒すために、身体中に、いっぱい穴が開いたって‥‥。死んでもおかしくないくらい、血を流したって‥‥」
「ジェシカちゃん‥‥」
「‥‥‥‥ぐすっ、ひっぐ。わ、私、ロザレナは、この学校で一番最初にできた友達で‥‥だ、だから、あの子の身に何かあったらと思うと‥‥眠れなくて‥‥っ!」
泣きじゃくるジェシカを、オリヴィアは優しく抱きしめ、にこりと微笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ、ジェシカちゃん。ロザレナちゃんは絶対に死にませんよ。何たって、アネットちゃんが傍に付いているのですから。アネットちゃんを置いて、ロザレナちゃんは死んだりなんかしません」
「うぅぅぅ‥‥オリヴィア先輩ぃ‥‥」
涙をボロボロと溢すジェシカの姿にグレイレウスは目を伏せると、階段の角から見える金髪の巻き毛に視線を向け、開口した。
「貴様もこういう時くらいは素直になったらどうだ、ドリル女」
「‥‥フン。そんなくだらない馴れ合いに混ざる気など、毛頭ありませんわ。あの女は殺したって死なない奴ですもの。ですから‥‥わたくしはあの女が起きるまで、剣の修行でもしていますわ。ごめんあそばせ」
そう言って、ルナティエは巻き毛を引っ込め、階段を降りて行った。
グレイレウスはやれやれと頭を振った後、闇夜が広がる、窓の外へと視線を向ける。
「‥‥‥‥こんな時に、貴様はどこで何をやっているんだ‥‥‥こういう時こそ空気を変える馬鹿が必要だろう‥‥マイス」
その言葉は誰に届くことも無く。辺りには、ジェシカの泣き声だけが響いていった。
第110話を読んでくださってありがとうございました。
次話は、明日か明後日には投稿できたら良いなと思っております。
暑い日が続きますので、熱中症にはお気を付けくださいね。
三日月猫でした! では、また!




