第93話 元剣聖のメイドのおっさん、仲間たちと士気を高め合う。
《ベアトリックス視点》
帝国貴族というのは、自分の血族に魔法因子を組み込むことを、最も重要視する風潮がある。
私の実家である帝国六代貴族の一角、ジャスメリー家も、例にもれずそんな魔法因子至上主義の家だった。
『お母さま、見て! わたし、氷の魔法が使えたよ!』
4歳の時。
初めて魔法を使用することができた私は、手のひらに浮かぶ小さな氷の破片を母に見せてみた。
その小さな氷の破片を創り上げるのに、私は毎日魔導書を読み漁って、寝る時間を削り、同年代の子たちが自由に遊ぶ姿を遠目で見つめながら、色んなことを我慢して我慢して我慢して‥‥努力し続けた。
だから、ようやく成し遂げることができたその成果に、母はきっと喜んでくれるのだろうと、そう思った。
‥‥けれど、母が私に向けてきたのは賞賛の言葉ではなく。憐憫の眼差しだった。
『‥‥‥‥ベアトリックス。貴方も、駄目だったのね‥‥』
『え?』
母は、そう言って、悲しそうな顔をしながら私を強く抱きしめる。
そして、ただひたすら私に謝り続けた。
『ごめんね、ベアトリックスッ‥‥。本当に、ごめんなさい!!!!』
『お母さま‥‥? なんであやまるの?』
『貴方をそんな風にしてしまったのは、全部、お母さんのせいなの!!!!! お母さんがの家が、魔法因子が少ない家系だったから‥‥だから、貴方も―――いいえ、貴方の姉と兄、ファレンシアも、グレイレウスも、みんな、ジャスメリー家から出て行くことになったのは全部私のせいなのよ!! ごめんね、本当にごめんねッ!!!!!』
『お母、さま‥‥?』
『ごめん、なさいッ!!!!!! ごめんなさい、ベアトリックス‥‥うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!!!』
ファレンシア。グレイレウス。
一度も会ったことはないが、私の上には、十個離れた姉と四つ歳の離れた兄がいたらしい。
姉と兄には全く魔法因子が無かったため、産まれた直後に即座に家を追放されてしまい――――今は、南の鉱山付近に住まう王国貴族、アレクサンドロス家の養子として王国で暮らしているのだという。
そんな上二人と違って私には魔法因子がいくつかあったので、何とか今まで追放は免れていたようだが‥‥初めて魔法が使用できるようになった今日この日に「お前には才能が無い」と父であるジャスメリー家当主にそう見限られた私は、母と共にジャスメリー家を追放されることとなってしまった。
私だけは、ジャスメリー家と親交の深いアレクサンドロス家に養子として迎えても良いという話があったみたいだったが‥‥母を一人にできるはずもなく。私は、その縁組の話を断った。
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―――――――三年後。
私と母は帝国を出て、王国で何とか慎ましい生活を送っていた。
母は昼は荷下ろし、夜は居酒屋で働き、女手ひとつで私を育ててくれていた。
私はというと、再びジャスメリー家に戻るために、魔法の修行を必死に続けていた。
私と母を追放した、父や、あの家の人間たちを見返してやるために。
私たちを捨てた、あいつらの見る目の無さを証明してやるために。
必死に必死に、毎日悔し涙を堪えながら―――ひとり、魔法の研鑽を積んでいった。
‥‥そんなある日のこと。
青ざめた顔で、母が、見知らぬ男を連れて家へと帰ってきた。
その豪奢な衣服を着た男は玄関口に立つと、私を見て、ニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
『ひひっ、なかなか顔の整った娘がいるじゃないか。こやつを担保としてワシに差し出せば、借金をチャラにしてやっても構わないが‥‥どうするかね?』
『そ、それだけは、どうか勘弁してください!! 娘だけは、どうかっ!!!!!』
『ふんっ、だったら家財は全て押収させてもらおう。それでも借金が返済できなかった、その時は‥‥お前には風俗にでも行って、金を稼いでもらうとするかな。あぁ、逃げようなどとは考えるなよ? バルトシュタイン家の分家筋であるこのダースウェリン家の威光を知らぬわけではないだろう? 反抗すれば貴様らは即刻、地下監獄行きだ。ふひひひひっ、骨の髄までしゃぶり尽くしてやるからな、覚悟しておけ』
母は心が弱く、病みやすい人間だった。
だから、居酒屋で働いていた時に、偶然麻薬の売人と知り合い‥‥その売人から、『死に化粧の根』を購入し、度々服用していたそうだ。
その結果、『死に化粧の根』に依存してしまい、薬代にお金を使うことが増え、闇金への借金が増えていってしまった。
その闇金の元締めが、どうやら王国では名だたる大貴族であるダースウェリン家だったらしく―――いつの間にか母は、莫大な額の負債を背負ってしまっていたのだった。
『ごめんね、ベアトリックス、本当に、ごめんね‥‥』
もぬけの殻となった部屋で、母は地面に膝を付き、そう私に謝罪してきた。
私はそんな母をギュッと抱きしめ、安心させるように優しく言葉を紡ぐ。
『お母さまは何も悪くないよ。大丈夫。大丈夫だよ』
その日から私は母を守るために、ジャスメリー家に戻ることを諦め‥‥日々、お金を集めることに奔走しだしたのだった。
寝食以外の時間を使って様々なところで働き、地下街にある酒場のウェイターや、怪しい魔法薬液を販売するお店などで、昼夜を問わず働き詰めた。
時には、多くの金貨を獲得するために、犯罪者組織に加担することもあった。
必死の想いで研鑽を積んできた魔法を、強盗のために使用した時は―――流石に自分が情けなくなり、私は心底自分が嫌いになった。
でも、母に身売りなんてさせたくなかったから。私は必死の想いでお金を集めていったんだ。
そんなふうに、死に物狂いで働き続けて六年後。
私は、やっとの思いで、借金と同額の50万金貨を稼ぐことが叶った。
これで、私と母は解放される。
そう思うと、涙が止まらなかった。
だが‥‥ダースウェリン家現当主、ボッサス・ブラン・ダースウェリンは、私たち親子を手放すことを許しはしなかった。
『―――――――は? 何を言っているんだ貴様は? お前の母親の借金は380万金貨だろうが。たった50万程度で返済できるわけがなかろう?』
『‥‥‥‥え? だ、だって、四年前、私たちの前で、借金は50万金貨だって言っていたじゃないですか? 380万金貨なんて額、私は、聞いていない‥‥』
その言葉に、ソファーの上に座っている肥満気味の貴族の男―――ダースウェリン伯爵はピンと伸びた髭を撫でると、呆れた顔で口を開く。
『馬鹿か。四年も経てば利子が膨れ上がるのは当然のことだろう! 金勘定もまともにできんとは、帝国の人間の頭はいったいどうなっておるのだ? えぇ?』
『ふ、ふざけないでください!! 契約書にはちゃんと50万金貨って書いてありました!! 利子のことなんて最初から書いてはいなかった!! こんな横暴、許されるはずがない!!』
『許されるはずがない、だと? ん? んんー? いったい誰が、このワシを許さないというのだ?』
『そ、それは‥‥貴方より上の立場にある、四大騎士公の方々に掛け合って‥‥』
『はっ! 四大騎士公など、もとよりワシの敵などではないわ!! バルトシュタイン家の威光に守られているこのワシに意見できる貴族など、王国には一人もおらん!!』
『そん‥‥な‥‥』
絶望したこちらの顔にニヤリと不気味な笑みを浮かべると、伯爵はソファーから立ち上がり、一人掛けの椅子に座る私の元へと近付いて来る。
そして、スカートからはみ出ている私の太股をそっと撫でて、耳元に声を掛けて来た。
『だが‥‥ワシもそう鬼ではない。お前はワシ好みの幼い小柄な身体付きをしておる。ワシにその身を差し出すのならば‥‥借金の減額を考えてやらないこともないがね? んん?』
『ヒッ! い、いや、や、やめ‥‥やめてくださ――――』
『キヒヒヒヒッ。ちょっと待てよ、親父殿。その女、オレにくれねぇか?』
その時、応接室に長身の男が姿を現した。
赤髪でツンツン頭のその男は、ギザギザの歯を見せて、不気味な笑みを浮かべる。
『親父殿、知っているとは思うが、オレは今春から聖騎士養成学校【ルドヴィクス・ガーデン】に入学する。その際にだな、オレ様の命令を素直に聞く手駒となる生徒を、何名か他クラスに潜伏させておきたいんだ。だから――――その女、オレにくれねぇか、親父殿』
『アルファルドか‥‥。ふむ。ジェネディクトが捕まり、奴隷市場が無くなってからというものの、幼い少女を抱くことが叶わなくなったからこいつを手放すのは少々惜しい気がしないでもないが‥‥まぁ、愛すべき息子の頼みだ。良いだろう』
そう頷くと、伯爵は私から離れて行った。
そして代わりに近付いて来たのは、伯爵の息子、アルファルドだった。
彼は私の前に立つと、ギラ付いた目を細めて、口を開く。
『キヒヒヒヒッ! お前、年、いくつだ?』
『十三歳‥‥です』
『そうか。ルドヴィクス・ガーデンは、元来、15歳からしか入学を許してはいねぇが‥‥まぁ、裏から手を回せば何とかなるだろ。何たって、あの学校を運営しているのはオレ様の叔父殿なのだからな。金さえ積めば大体何とかなる。キヒヒヒヒッ!』
そう言った後、アルファルドは私の髪の毛を掴み上げ、私の目に視線を合わせてきた。
まるで家畜を見ているかのような彼の冷たい瞳に、私は思わず「ヒッ」とか細い声を漏らしてしまう。
『良いか、ベアトリックス。てめぇはこれからオレ様の奴隷だ。オレ様の命令には絶対に従い、絶対に反抗するな。人を殺せと言われれば即座に殺せ。良いな?』
『は‥‥はい‥‥』
『良い返事だ。何、ちゃんとオレ様の命令に従っていれば、借金の減額も考えてやるよ。アメと鞭、奴隷を躾けるにはこれが一番手っ取り早いからな。キヒヒヒヒヒヒッ!!』
そうしてその後、私はアルファルドと共に聖騎士養成学校、ルドヴィクスガーデンに入学することになったのだった。
年齢を偽り、素性を偽り。私はスパイとして、黒狼クラスに潜伏することとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「‥‥‥‥これが、私の、偽りのない過去の出来事です‥‥」
満月亭の自室。
話を終えたベアトリックスは、皆の前で俯き、沈痛そうな表情を見せる。
そんな彼女の姿に、俺たちは何も言うことができず。
魔法兵部隊の皆とロザレナとルナティエは、その壮絶な過去に、ただただ押し黙ってしまっていた。
「‥‥」
数分の間静寂が続いた後。突如沈黙を破ったのは―――ロザレナだった。
ロザレナは俺の隣に立つベアトリックスへと視線を向け、首を傾げながら口を開く。
「さっきの話、少し、引っ掛かるところがあったのだけれど‥‥ベアトリックスさんのお兄さんに、グレイレウスって名前の人がいるって、そう言っていたわよね? それってもしかして、この寮にいる三期生、グレイレウス・ローゼン・アレクサンドロスのこと?」
その言葉に、ベアトリックスはこくりと小さく頷いた。
「はい。その通りです。とは言っても、アレクサンドロス男爵はジャスメリー家のことを養子である姉と兄には教えていないと、以前会った時に言っていたので‥‥恐らく、私が妹だということを彼は未だに知らないでしょう」
「そうだったんですか。それにしても‥‥」
隣に立つベアトリックスの顔を、ジッと見つめてみる。
睫毛が長く、剣呑さの宿る鋭い目つきで、凛とした雰囲気を持つ彼女の顔は‥‥確かに、あの片目隠しクール男に似ていると思わせる部分が多いように感じる。
背が低く、小柄なところも似ているな。
異なる点は、藍色の髪の兄と薄紫の髪の妹、というところだろうか。
まったく、兄妹揃ってクールビューティーな美形顔だな。
いや、よくよく考えれば中身も似ているか。
ツンケンしていて、論理的かつ理屈的な性格なところも、二人はよく似ている。
「‥‥‥‥」
「あ、あの、アネットお姉さま‥‥?」
あからさまにベアトリックスのことをジッと見つめていると、こちらに気が付き、彼女は何処か照れた様子で俺の顔を見つめてきた。
そんな彼女と俺の様子にコホンと咳払いすると、ロザレナは俺にジロリとした目を向けてくる。
「ベアトリックスさんの境遇は分かったわ。それで‥‥何でアネットはあたしの許可なく、人のモノになるだとかいう契約をアルファルドの奴と結んだのかしら? 貴方、自分がレティキュラータス家に仕えるメイドだっていう自覚はあるの?」
「あ゛‥‥‥。す、すいません、お嬢様。お嬢様から貰った杖を壊されて、頭に血が上ってしまっていました‥‥申し訳ございません‥‥」
「はぁ。まったく、このメイドは‥‥。まぁ、別に良いわ。もとより、学級対抗戦は勝つつもりでいたもの。さらに負けられなくなっただけのことね」
そう言って大きく息を吐くと、ロザレナは皆の前に立ち、不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「それじゃあ、みんな。今から裏山で修行を開始し始めるわよ。学級対抗戦まで残り二日。ここでベアトリックスさんの過去を聞いた魔法兵部隊と、あたしたち級長、副級長は、最早一心同体。絶対に負けられない戦いであるということを、肝に銘じておいて。良いわね?」
「うん! 勿論だよ! ベアトリっちゃんとアネットっちを守るためにも、学級対抗戦、絶対に勝利するよ!」
「気合い十分であります!」「僕もです!」
「フフフ‥‥毒蛇王クラスの連中に、我らの美しさを見せてやるとしよう、諸君! フハハハハ!」
「正直、わたくしにはベアトリックスさんがどうなろうと、どうでも良いことですけれど‥‥。あの蛇女を打倒しなければならない点は同じですからね。オーーホッホッホッホッッッ!!!! このフランシア家の息女たるわたくしがいるのですから、みなさん、大船に乗ったつもりでいなさぁい!! 奴ら下賤な蛇どもに、フランシア家の威光を知らしめてさしあげますわぁ!!!!!」
お互いに士気を高め合う仲間たちを見つめて、ベアトリックスは目を擦り、顔を上げる。
その横顔には、もう、悲嘆に暮れている気配は見て取れない。
仲間たちと共に戦うことを決めた、勇ましい表情をしていた。
(さて‥‥俺の方も、学級対抗戦に向けて仕込みの方をしておかないとな)
想定外のトラブルはあったが、計画に変更はない。
ただ、万が一のことも考えて、やはりコルルシュカの力も借りておいた方が良いかもな。
俺は仲睦まじく士気を高め合う仲間たちの姿を見つめて、ニコリと微笑んだ。