2. シャムロック邸にて
いまオレは馬車に母と共に揺られながらむすっとした表情をしている。
オレの実家はアイミス連合王国、アルカ王国シャムロック領にある。アイミス連合王国というのは、西のアルカ王国、北のイングス王国、東のミロス王国、南のスーディーン首長国という4つの国が連合体制を布いた事で興った国である。それぞれの王国の頭文字を取って、アイミス連合という訳だ。アルカ王国は西端が海に面していて、内陸はなだらかな平地が多い、肥沃の国だ。中でもこのシャムロック領は縫製業が盛んで、裕福な土地である。
……ただ、今から行く実家の手伝いと、そこに現れるであろう奴のせいでオレはこの地をあまり好きではない。
馬車から見えてきたのは倹約というには大きく、絢爛というには小さな屋敷。庭は華を愛でるように整備されていて、屋敷にくすんだ色は見えない。よく手入れされている綺麗な屋敷だ。門を飾るアーチには片喰を象った紋章が付いている。この土地の領主、シャムロック侯爵邸だ。
オレの母さんの仕事はいわゆる御用商人だ。母さんはウィンディ商会の2代目会長であり、国内外問わず、様々なパイプを持つ、やり手の豪商である。母さんとこのシャムロック領の侯爵閣下は竹馬の友であり、かくいうオレも侯爵閣下……と呼ぶと怒られるので、エルさんとはほんの小さい頃からの知り合いだ。フルネームはエル・シャムロック侯爵。この国の女侯爵であり、縫製業を始め、軍事にも精通した女傑である。
馬車を傍らに停め、母さんとオレは、邸宅の裏に回った。気心知れた仲だが正面から入るのは人目もあり面倒……もとい、気が引けるという事で、オレ達はいつもこちらから入ることになっている。
質素な扉に付けられたドアノッカーを4回叩き、一歩下がった場所で待機していると、使用人ではなくエルさんが直々に扉をバンと開けた。
「侯爵閣下、ご機嫌麗しゅう」
母さんは荷物を後ろに置き、綺麗な所作で頭を下げる。母さんに連れてオレも頭を下げた。その様子を、エルさんはむすっとした顔では見つめてからため息をついた。
「ラミ。そういうのはいいっていつも言ってるでしょ」
「ふふ、一応ね。久しぶりね、エル」
ラミというのは、母さんの名前だ。とりあえずの礼を済ませると、二人は笑顔でお互いを抱き合っている。不意にエルさんの視線にオレが入ったらしくそのままエルさんがこちらに顔を向けた。
「マオ君もいらっしゃい」
「……いつも、お世話になってます」
……実を言うと、オレはこの人が苦手だ。というのも、貴族社会や数々の修羅場で磨かれたであろうその目は人の内面を見透かすような独特の凄みがあり、その瞳を見ると何だか委縮してしまうのと、この次に現れるであろう奴に似ているせいだ。
……ほら、言っている傍から現れたぞ……。
扉から見えた屋敷内の後ろのほうで、オレたちの存在に気が付いたのか、薄青のドレスワンピースを着た少女がこちらに駆け寄ってきた。丁度首筋くらいまで延ばされた紺の髪にシャムロック家特有の翠の瞳。顔は凛とした雰囲気があり、大人びたような雰囲気を感じる美少女である。
…………ガワだけはな。
こいつの名前はユウ・シャムロック。シャムロック侯爵の長女であり、オレのプライドやなにやら色々粉々にしやがった張本人だ。はっきり言おう、敵である。
「……来たね、マオちゃん」
「またちゃん付けしやがったなこの野郎……」
自信満々といったその顔にオレはしかめっ面を飛ばす。コイツとの関係は5歳頃まで遡る。
5歳。母さんの仕事に付き添って、シャムロック侯爵家に顔を出し始めた頃、コイツと出会った。最初は随分可愛らしいお嬢様だと、ちょっとドキドキとしたものだがコイツがトンデモナイじゃじゃ馬だったのだ。
まず、会ってすぐに庭に連れ出され、ちょっと私と戦おうと。何言っているかよくわからなかったが、女の子、それもご令嬢に手を出すわけにいかないと手加減するつもりだった。少しは体も鍛えているつもりだったし、泣かせないようにと思っていたら……ボロッボロに倒され、極めつけが「ごめん、こんなに弱いとは思わなかった」と。
それに激怒したオレは、猛特訓しては挑み、ボロボロにされる日々が続いた。弓で、かけっこで、ゲームで、勉強で…そして剣で。あらゆる事を挑んでは涼しい顔でいなされた。搦め手をと、時間をかけて用意したいたずらもさらっと躱して、挙句上手い事立ち回り、倍返しされた。
ちなみに前回は「マオちゃん。うちにお嫁にくる?」という男扱いしない言い分にキレて剣で挑んでボコボコにされたばかりである。
……というわけで、こいつは生涯の敵であり、オレが倒さなければならない相手なのだ。
「で。今日は何して遊ぶの?」
「あそっ……こ、この……オレは!まだ負けてないからな!今日こそ決着つけてやる!」
悔しまぎれに宣言した後、母さんに拳骨を食らったが、そんなのは些細な事だ。そう、今日こそ……なんかこの前も今日こそと言っていたような気もするが、今日こそ、コイツを倒す!