欠点:コミュ障の超絶美少女を監禁してみた。
これは、そう。たぶん、生涯ではじめての一目惚れだった。
偶然入った図書館で目にしたとき、不安になるほどのときめきと高鳴りを全身で感じた。
一瞬で僕を釘付けにして、虜にしてしまった少女。
この物語のメインヒロイン。
無論、言うまでもないけど。これは僕を主人公とした物語であって、彼女は唯一、名前が振り当てられた登場人物だ。
彼女の名前は、悠木ひまり。
御年十六。高校一年生。
某大手企業の社長令嬢にして、超がつく名門校に通う才女。
誰もがすれ違いざまに振り返ってしまうような美貌を持ち、頭脳は恐ろしく明晰。入試では創立以来初の、全教科満点を叩き出したとか。
裕福、聡明にして媚眼秋波。
まるで物語から飛び出してきたようなヒロイン。男の欲望をあれこれと詰め込めこまれ、斯くあれと天から産み落とされた偶像。
だが、天は二物を与えなかった。
そんな彼女にも、欠点があった。
それは、感情が大きく欠落していること。
喜怒哀楽、それら総ての機能を失っている――といっても過言ではないほど、彼女は感情を表に出さない。滅多に出さない。比例するように、コミュニケーション能力も人並以上に欠けている。
それが生まれつきなのか否かは調べられなかった。どうやら転校を繰り返しているようで、海を越えてこちらまで来るのは初めてのようだった。
だから、厳密にいうと、彼女の両親や親族は除いて、ひまりの笑顔を見たものはいない。
その致命的な欠点から滲み出る近づきがたいオーラや、何を考えているのか判らない無表情が周囲の人間を恐れさせ、孤立させた。
異彩を放つミスフィット。そんな言葉がお似合いで、いやはや、
「たまらなく愛おしい」
神様が超人に与えた、唯一の欠点。
まるでギリシャ神話に登場する英雄のようでいて、ドレスとナイフが似合う可憐な灰かぶりのようだ。
可哀想で、惨めで、とても美しいドブネズミ。
他人より優れているのに、たった一つの欠点で他人より劣ってしまう。
人間というものは、どんなに優秀で希望に溢れた存在でも……いや、だからこそ、人は引きずり落としたくて堪らないのかもしれない。
腐っているよね。つまらないよね。せっかく神様が与えてくださった才能なのに、皆はたった一つの欠点にしか目がいってないんだからさ。
でも、僕は、そんな致命的に社会から外れた彼女を、好きになってしまったんだ。
「ああ、そんなに警戒しないでよ。別に、僕はキミをどうこうしようなんて思っていないから」
「………」
「ははは。まぁ、僕なんかの言っていることは信用できないよね。けど、だからこそ、僕のことだけは信用してほしいんだ、悠木さん。——ねえ、ひまりって呼んでもいいかな? そ、それは流石にダメかな? まだ早い? ははは」
黒く淀んだ二つの瞳が細まる。両手を繋ぎとめる手錠の鎖が限界まで引き延ばされ、無駄だと悟ったのか今度は壁とつながっている足輪に指を滑らせる。
ぴったりと足首に嵌った足輪の隙間には、彼女の細い指は入らない。
「……気が済んだかい?」
「………」
一通り、自身をこの部屋に繋ぎとめる鎖に触れてみたひまりは、ようやく顔を上げて僕を見た。
死んだ魚のような目。一度ではなく二度死を経験したような、なんとも恐ろしく絶望しきった双眸。
そんな瞳で見つめられたら、ああ、背筋がくすぐったいじゃないか。
「はぁ……素敵だよ。キミのその目。好きだな、好きだよ。愛してる。今すぐ触れて舐めてみたい。きっと苺よりも甘酸っぱくて、クリームより濃厚なんだろうね……はぁ」
僕の感嘆を無視して、ひまりは二時の方向に視線を移した。
きょうからひまりと僕が共同生活を送る部屋の、唯一の出入口。玄関。
薄暗い廊下の先で、車のライトが一瞬差し込んだ。
「トイレやお風呂に入りたかったら言ってよ。その都度、ダメだよって笑顔を返すから」
「………」
「ははは、冗談だよ。冗談、そう、本当に冗談だよ」
大しておもしろくもなさそうなひまりの反応に、僕は笑った。腹を抱えて、カウチに手を叩きながら笑う。
そして一通り笑い終えると、僕は足輪を指差した。
「その鎖。ちゃんとトイレやお風呂までは行けるように調節してあるからさ、自由に過ごしてよ。流石に、年頃の女のコのトイレやお風呂に同伴するのはね、困るでしょ。あ、でも下着とかはどうしよう? スカートは最悪上からでも脱げるとして、下着は……いっそ履かないってのはどう? 大丈夫、僕はそれでも構わないよ。なんなら僕もノーパンで過ごそうか? そしたら恥ずかしくないでしょ? 一人でやるよりかは、二人でノーパン生活送った方が幸せになれそうじゃない? どう思う? 下着、履く?」
「………」
相変わらずの無言。こんな状況だというのに、本当に一言も発さないし焦らない。
感情の欠如——というよりかは、生きていることを諦めている。そんな感じだ。
なんて可哀想なんだ。
同時に、とてもそそられる。
きっと彼女と過ごす時間は、退廃的でいて耽美な、溺死してしまうのではないかと不安になりながらも溢れんばかりの幸せが続く日々に違いない。いや、そうなるのだ。そうしてみせる。僕が、ひまりを幸せにする。します。
「ねえ、お話しようよ。僕はね、キミのことがもっと知りたいんだ」
カウチに座りなおして、ひまりを見つめる。
リビングにどんと置かれた、場違いな天蓋付きベッド。その上でひまりは、虚空と見つめあっていた。
話しかけても、揺すっても、試しに鎖を外してみても。
まったく返事を返してくれなかった。
当然と言えば当然、かな。
ある程度の自由を獲得しているとはいえ、誘拐犯と呑気にお喋りなんて、状況が理解できていないバカか能天気なバカぐらいだ。
きっとおそらく、聡明な彼女のことだから、どうやって下着を履くか考えているに違いない。
「おっと、そろそろ夕食を作らないといけない時間だね。きょうはカレーにするよ。なんでかって? 金曜日だからだよ。ひまりの家は毎週、金曜日はカレーだよね? だからそれに倣うことにしたんだ。お義母さんのカレーを再現できるよう、がんばるね!
それとも、一緒にお料理するかい? 野菜を切るの、手伝って欲しいんだ」
「………」
虚空を見つめていたひまりが、僕を認識する。
はじめて僕の話に食いついてきた。
「ははは、冗談だよ。ちょっと期待しちゃった? もしかしたら、僕を殺して逃げられるかもしれない、なんて思っちゃった?」
「………」
眉一つ動かさず、精緻なラブドールのように僕を見つめるひまり。
魂のない、人形。
いや、魂を求めて、今……動かない手を伸ばし掴もうとしているのだ。
「ごめんね、僕なりの愛情表現なんだ。だって、一目惚れした女のコと共同生活なんて夢のようで……アガってるんだよ。がらにもなくね。
――まあ、そんなキミになら殺されてもいいよ。むしろ、そうしてくれた方が愛を感じる」
でも、もし僕を殺してここから脱出できたとしても。
地獄の日々には変わりない。
キミが変わらないように。
周囲の環境も、何一つ変わらない。
「劣等から灰かぶれ……僕はね、キミに存在意義を与えたつもりなんだ」
カウチから立ち上がる。
僅かに傾いた首から、つられて黒髪が河のように流れた。
「誰かが助けに来てくれればいいね。そう、たとえば……王子様、とかさ」
願わくば、その王子様が僕であってほしいのだけれど。
それを決められるのは、僕ではなく、この物語のヒロインを冠す彼女だけ。
「じゃあ、そこで待ってよ。楽しみにしててね……ひまり」
愛、蔓延る共同生活。その記念すべき第一夜は——
「あなたの名前は?」
名を問う、彼女の愛らしい声音によってはじまりは告げられた。
「僕? 嬉しいな。そうだね、そうだったね。まだ名乗ってなかったね。——僕の名前は」