表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/23

神仏について

最近人生のパートナーとなる人が出来てバタバタとしておりましたから全く更新をしておりませんでした。

そのパートナーは神社にも一緒に行きますし色んなことに付き合ってくれますが、いわゆるオカルトに近くなるととたんに信じなくなります

その境目はどこなんだろうとよくよく思ってますと、

神社へ行く=実際に体験する

オカルトに近い言葉=未体験

なんだろうかと思います

私にとって神社やお寺さんは多少怖いところなんです。

冷たいとか、ピリピリする感じはしません。

むしろ爽やかだなとか暖かいなと感じることはあります。

でも私は私自身が足る人間でないことを知っています。

恐れがあるのです。

嫌われないかな、こんな変なことをしていただろうと叱られないかな、自尊心や優位性が芽生えてないかななどなど…上げればキリがありません。

なので私はなんでも信じがちです。

神仏へお会いする時には恐れと修行が相まっているのです。

ですが旦那は善良な人の性なのか神仏にお会いすることは好きだから行くけど占いとかオカルト系はあんまり信じない(頼らない)ようです

人間の根幹にあるものの違いって面白いなぁとそんな風に思いました


信じやすい私は神社やお寺によくお参りに行きます

そのお陰かわかりませんが、

いじめなど壮絶なことをされてもケロッとしてるのです。

嫌なことは嫌だし二度と経験したくないし、その人とも会いたくありませんが、

恨みつらみやその時の思いを引きづってないのです。

普段は忘れてるといってもいいです

これがずっと不思議でした。

なんで傷がついているのに気にすることなく生きていられるんだろうと

これはお参りしているおかげなのだと最近知りました。

もちろん私の性格もあるのでしょうが、悲しみを持ってもらえてるんだなと感じます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ