瀬尾一樹編 第七回投票
『納屋美里さんと小泉えりなさん以外は出ないを選択したため、引き続けグラス・ヘキサゴンで相談をしていただきます』
えりなまで出るを選択したのは意外だった。
だが、当然誰もそんなことに注意を払ってはいない。
寛人と春香は例によって、トランシーバーの美里のボタンを連打していた。
しかし、美里は呆然とし、すぐには通信に出なかった。
美里が通信に出るのはそれから数分を必要とした。
様子を見るに相手は春香だった。
それを見た寛人が今度は一樹のトランシーバーに通信を入れてきた。
何を聞くかだいたい分かっていた一樹は、すぐにそれに出る。
【大江宗一郎を殺したのってやっぱりアイツじゃないのか!?】
相変わらず寛人の話は前置きがなく分かりやすい。
ただ、その結論は考えがなさ過ぎた。
「だから10年も眠っている納屋には無理だって」
【いやでも、納屋のことだから、こうなることを予期して事前に何かを仕組んでいたんじゃないかと……】
無茶苦茶だ。
話が荒唐無稽すぎる。
美里は優秀な人間だが、スーパーマンでも諸葛亮孔明でもない。
美里に対する疑いが強すぎて、結論ありきでその手段を考えていた。
「そもそも遠回しに人を殺すってどうやるんだよ?」
【え、あ、そりゃあ、どうするんだろ……。毒を入れるとか……】
「完全に直接的かつ寝ている人間には不可能だ」
【うーん、じゃあ呪いとか……】
「お前事故に遭わなくても、結局大学は受からなかっただろうな」
【このヤロー言わせておけば!】
寛人が中指を立てる。
ただその顔は笑っていたので、むしろ大分落ち着いたようだ。
それから寛人は通話状態のまま、顎に手を当て考え始める。
中学時代全く勉強せず、ラスト数か月の怒濤の追い込みだけで自分と同じ高校に入学出来たぐらいだから、寛人の地頭はいい。
その理由が父親の遺伝とは全く関係なかった――実の父親が実は天才なら話は別だ――が、それが分かったからといって、頭の良さが変わるわけではない。
そんな寛人がじっくり考えてから言う推測には、自分があれこれ考えて出したものより有益な気がする――一樹にはそう思えた。
【……まず納屋にはそもそもジジイ……大江宗一郎を殺す理由がない。その力を利用しようと俺に取り入ったくらいだからな】
「俺も同感だ」
【それ以前に、俺と大江一郎は血が繋がっていない。身内で死んだのはお前の祖父さんと祖母さんだけだろ。となると考えるまでもなく、被害者はその2人のどちらかのはずだ】
「……そうだな」
【あー、すまん、ちょっとデリカシーがなさ過ぎたか】
「いや、いいさ。俺だって同じ結論にたどり着いただろうし」
一樹は苦笑する。
――そう、身内で死んだのは一樹の祖父母だけだ。
だとしたら、美里が殺したのは考えるまでもなく、その2人のどちらか、もしくは両方になる。
しかし一樹は事故に遭う直前まで、祖父母が生きていたことを知っている。
大分やつれてはいたが、生きてはいた。
そしてそのすぐ後、美里は自分と同じく土砂崩れに巻き込まれ、10年間2人に手が出せる状況でなかったことも。
だとしたら遠回しとはいえ、どうやって殺せたのか。
一樹にはそれが分からない。
【こうなると呪い……】
「いや、だからそれはあり得ないって」
【そうとも限らないぞ】
真剣な顔で寛人は否定する。
【確かに呪っただけじゃ人は殺せない。ただ呪わっていると思わせることで、相手に継続的な心理的圧迫を与えることが出来る。それによるストレスから結果的に呪いは達成される……という話をオカルト好きの子から聞いた】
「お前のただれた女性遍歴からの知識か」
【まあそう言うなよ。とにかく、遠回しかつ現実的な方法で考えられるのは、精神的なやつ以外ないってことだ。もし納屋がお前の祖父母の死に関わってるとしたら、事故の前から永続的に何かいやがらせみたいなことをしてた、とか。まああの納屋が、本屋の老店主を憎む理由なんてないけど】
「いや」
一樹は否定する。
その表情も一瞬で変わった。
「お前の推測はほぼ正しい。クレアの答えはそれだろう」
一樹の頭の中で、このグラス・ヘキサゴンを使いえりなが告発しようとしていることの全てが繋がった。
――そう、えりなは復讐というより、美里を告発しようとしていたのだ。いや、告発が復讐そのものと言ってもいい。
そしてあの話をえりなが知っていることも間違いはない。
えりなが何故ここまで自分と美里の関係に詳しいのかは、未だ分からない。
ただ自分たちがこの施設に入れられたそもそもの理由が、それと大きくかかわっていることは一樹にも理解出来た。
【どうした?】
「いや、色々分かったことがあって。とりあえずこれから話さなくちゃならない奴がいるから、今は切るぞ」
【ああ、分かった】
一樹は通信を切り、美里のボタンを押した。
えりなと話す前に、まず彼女との問題にある程度の決着をつけておかなければならない。
放っておくと「遠回しに家族を殺した」という話が、完全な出まかせと扱われてしまうかもしれない。
予定ではここを出てからじっくり話すつもりだったが、そうもいっていられなくなった。
それだけは絶対に許すことができないのだから。
ボタンを押しながら美里の反応を見ていたが、まるで能面のような顔をしていた。
春香と何を話したのかは想像もできないが、自分の望む結論が出なかったことは確実だ。
だからといって同情する気はさらさらない。
すべて自分で蒔いた種だ。
そして種から出た芽も刈り取らなければならない。
ほかならぬ自分自身で。
「よう、気分はどうだ?」
【バカは気楽でいいわね。こっちは最悪よ。さっき春香にまで絶縁宣言されたわ。巫山戯んじゃないわよあのメガネ、私がどれだけ目をかけてやったと思ってるのか……】
通信がつながると同時に唐突に始まる愚痴。
おそらく真面目に話を聞くのは、もはや自分しかいないと理解しているのだろう。
たとえ弱みを握られていることが分かっていても、人間孤独には耐えきれない。
それに気づいてくればいいなと、愚痴を聞きながら一樹は思った。
「でもクレアの言ったことは事実だろ」
【なによ、さっきから知った風な口を……。いったいあなたに何が分かるの!?】
「そうだな、お前の窃盗罪が本屋の万引きだってことぐらい知ってる」
【はいはいそうですよ】
美里はわざとらしいお手上げのポーズをした。
美女なのだからその姿自体は様になっている。
ただ視線は一樹を強く睨んでいた。
器用なことだと思いながら、一樹は更に話を続けた。
「なんで知っているか、とは聞かないのか?」
【さあ。私にとっては知ってるか知らないかが重要で、しかもアンタにはその証拠もある。理由や経緯なんてどうでもいいわ。それと、もう私と話はしないんじゃなかったの?】
「そのつもりだったけど、さっきのクレアの回答で状況が変わった。ここを出てから話そうと思ってたことがあるんだけど、アレでもう黙っていることはできなくなった。そしてお前には話を聞かなければならない義務がある」
【……言いなさいよ】
美里は捨て鉢な態度で言った。
未だ反省のかけらも見られない。
「お前の興味があろうがなかろうが、まずお前の悪行を知った理由から。俺の実家は本屋、そしてお前の罪は本屋の万引き、さらに本屋の店名と俺の苗字は、ある理由によって違う。ここまで言ったら頭のいいお前なら分かるだろ?」
【アンタんちだったのか……】
トランシーバー越しの美里が舌打ちした。
一樹は未だ反省0だな、と苦笑する。
これがあの時、一樹が美里だけに言いたかった事実だ。
さらにここで知った事実から、考察も付け加えておく。
「うちの本屋はマニアックで顧客が限られ、稼ぎもそんなに多くない。お前みたいに高い本盗む奴がいると大打撃なんだよ。店も閉店しちゃったし、クレアが言ったお前が遠回しに殺したという相手は俺の祖父ちゃんと祖母ちゃんだろう」
【・・・・・・】
それでも美里は一言も謝らなかった。
何が彼女をここまで頑なにしているのか分からない。
だから一樹はさらに攻めることにした。
えりなのようにその所行を責めるのではなく、その無駄に厚いプライドの壁を攻めることに。
「お前、以前から俺がお前のこと見てたって言っただろ。アレは正確にはお前じゃない、お前が使ってる参考書……つまりうちで盗まれた本だ。もしお前がスリル感覚や小遣い稼ぎでやってたなら、すぐに古本屋に売ったはずだ。だがお前は盗んだ物がバレる危険性があったにも拘わらず、堂々と使っていた。だからといって、お前の家が貧乏だという話も聞いたことがない。なあ、以前を俺がある質問をして1億2000万って答えがあっただろ。アレなんだと思う?」
【・・・・・・】
美里は黙っていた。
しかしその顔は明らかに歪んでいる。
まるで拷問を受け、口を割るのに耐えている犯罪者のようであった。
……一樹から見れば、犯罪者であることは同じだが。
「アレはお前の家のここ10年の世帯年収を聞いたんだ。もしお前が貧乏を隠してお嬢様のように振る舞っているとしたら、話はある程度は聞いてやるつもりだった。勿論本は返して貰うが。けどお前んちの世帯収入は、明らかに中流以上だ。とても貧乏な家には見えない。いったい何が――」
【五月蠅い!】
美里が声を限りに叫ぶ。
表情も一瞬で変わったため、会話を聞いていない同級生達も、その異変に気付いた。
それでも構わず美里は続けた。
【お前に何が分かる! 赤の他人のお前なんかに! 私の何が分かる! ふざけんな!!!!! 死ね! ゴミ! クズ! 消えろ! 私の世界からいなくなれ!】
「・・・・・・」
一樹はあまりの大声に、トランシーバーから耳を離す。
それでも幼稚な罵詈雑言は充分耳に届いた。
美里はその優等生の仮面を完全に脱ぎ捨て、あらん限りの罵声を浴びせる。
ただ、それらは優等生とは思えないほど程度の低いものだった。多分生まれてからまともに口喧嘩などしたことないんだろうなと、その点は一樹も感心すらした。
そして美里が一通り言いたいことを言い終えたと思った頃、トランシーバーに顔を戻して言った。
「俺はエスパーじゃないから、お前がなんで金があるのに万引きした参考書を使ってるのか、どんな気持ちでそれを使ってたかなんて分かねえ。だったら言えよ。言わなきゃわかんねえんだよ。話ぐらいは聞くからさ」
【――!】
美里が息を呑んだ。
自分にそんなことを言われるとは、想像も出来なかったのだろう。
あの様子では、口論が続くものだと思っていたはずだ。
【あ――あ――】
美里が何か言おうと口を開いてはいるのだが、言葉は何も出てこない。
八方美人で社交的……と言う仮面の奥には、異常なまでの秘密主義と猜疑心があるように一樹には思えた。
「・・・・・・」
美里を急かさず、一樹は何か言葉が出てくるまで待つ。
彼女が何を言うにせよ、心からの言葉は聞くに値するはず、そう思えた。
しかし美里は一樹が差しのばした手を自ら振り払う。
【!!!!!!!!!!!!】
美里がトランシーバーを壁に叩き付けるのと同時に、すさまじい機械音が一樹の鼓膜を叩いた。
一樹は一瞬何が起こったのか理解出来なかった。
ようやく美里が会話の拒絶を選び、その手段そのものを壊す方法をとったと理解したとき、本人はすでに敷居で隠された部屋に籠もっていた。
「あのアホ……」
一樹は心からのため息を吐いた。
これではもう何も出来ない。
美里が本当のことを話した際、たった一つだけ隠していた、場合によっては墓の中まで持っていくつもりだった秘密も、完全に話す機会が失われた。
いったい何が起こったのかと話を聞こうとする同級生達から通信が次々に入る。
「・・・・・・」
一樹はその全てを無視し、この顛末の元凶であるえりなに通信を入れた。
【何かすごいことになってたね……】
えりなは怯えたような声で言った。
一樹は再びため息を吐く。
「小泉、もう演技はしなくてもいいだろう」
【演技?】
「ここまで納屋を追い詰められたのは、お前が裏で手を引いてたからじゃないのか?」
【そ、そんなこと――】
ガラス越しのえりなは目を丸くし、驚いた顔をする。
それすらも、今の一樹には芝居に見えた。
美里が無表情ならえりなは芝居、この2人は最初から何もかも対照的だったのかもしれない。
唯一お互い大きな秘密を隠しているという点は共通していたが。
「どんなに否定しようとも、俺にはもうそうとしか思えない。俺は刑事じゃないから、物的証拠なんてあったところで罪には問えないし、どうでもいい。だがそういうつもりで話を進める」
【・・・・・・】
トランシーバー越しのえりなは何も言わなかった。
しかしその顔は傷ついたと言わんばかりに涙を流していた。
一樹は覚悟を決めた。
この期に及んでもそんな真似をするような相手に、手加減などする必要はない。
「おそらくお前が納屋にいじめられたという話は本当なんだろう。そしてこの施設はその復讐の為に用意された舞台だ。俺達はそのために集められたコマ、そんなところだろう。どうやってそこまで大掛かりなことができたのかはわからないけど」
【・・・・・・】
えりなは否定も肯定もしなかった。
これ以上分かりやすい肯定もない。
一樹は続ける。
「正直高校時代の境遇には同情する。けど、その復讐に巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。もしこの話を俺が他の連中にしたら、今度はお前が周りから叩かれることになる。とはいえ俺もそんなことはしなくない。納屋もあの様子じゃもう充分苦しんだだろうし、とっととここから出してくれ」
【……瀬尾君の話は全部が正しいわけじゃない】
不意に、えりなの声のトーンが一段下がる。
冷静かつ、落ち着いた声だった。
ガラスの向こうのえりなは相変わらず泣いているというのに、声と表情が全く一致しない。
一樹は目をこすり、改めてえりなの様子を見る。
しかし、いくら見ても違和感しか伝わらず、何が原因かは未だ分からなかった。
そして、その言葉を最後に、いくらえりなに話しかけても反応がなくなる。
仕方なく一樹はトランシーバーを一端切った。
そして、未だにボタンを押していた春香の通信に出た。
一樹も高校時代美里とずっと一緒にいた春香から、えりなの事を聞きいてみたかった。
【ああ、ようやく繋がった! いったい何があったの!?】
「ちょっと窃盗の件を追求したら、納屋に切れられたって感じかな。小泉の方はまあいろいろと」
一樹は詳細は省き、適当に説明した。
ただ、事情を知らなければ、その説明でも納得させられることは可能だった。
実際、春香は「そう、やっぱり私達で責めぎたかしら」と、自分の話を受け入れ反省を始める。
えりなに関しては最初から興味が一切ないのか、特に何も聞かない。
(こりゃ望み薄かな……)
そう思いながらも、聞くだけならタダと春香にえりなのことについて尋ねた。
「ところで、前に小泉のいじめのこと話してなかったか?」
【え、あ、えっと、具体的に何したかは知らないわ。ただ、美里が遠回しに小泉さんのこと悪く言ってて、それを周りが汲んで無視してたり、その……】
春香が言葉を濁す。
具体的に知らないと言いながら、思い返してみると該当するようなことがあったようだ。
「いじめっていうのは、加害者はほとんど忘れてるものさ。何といっても罪の意識が無いからな。逆に被害者は絶対に忘れない。いつか復讐するときのために」
【……瀬尾君は私もいじめの加害者だと言いたいの?】
「中野自身が少しでもそう思うならそうだろうな。知っていて何もしないっていうのも、いじめの一つなんだぜ?」
【詳しいのね】
「俺も昔は被害者の内の1人だったからな」
一樹はそう言って、遠い目をした。
病院から退院し、学校に戻ってすぐの頃は今でも思い出したくない。
一樹はあの時、人殺しの子供と蔑まれ、散々いじめられた。
被害者の息子でもあるのに、加害者の息子であることだけがクローズアップされた。
それでも小学校を卒業するまでは、祖父母のために耐え続けた。
自分の都合だけで転校することなど、無理だと思っていたのだ。
今思えば、学区を変える程度ならそれほど大変でもなかっただろう。だが、祖父母に養われているという負い目から、いじめを口に出すことができなかった。
一樹が必要以上にいい物だけを見るようになったのはその頃からだ。
現実は弱い小学生男子が生きていくには、あまりに厳しすぎた。
もし勇気を出して寛人に助けを求めなければ、どこかで美里同様壊れていたかもしれない。
だが忘れない。
あの時受けた嘲笑、痛み、そしてなにより屈辱は一生涯忘れることはないだろう。
現に一樹の友達に小学校からの友達は寛人以外いない。
幸いにも小学校は生家からは近いが本屋からは遠く、祖父母の家は実家兼店舗であるため、中学校はすんなりと同級生がほとんどいないところに入学出来た。
たまに同じ小学校の人間と会うときもあったが、その際は一樹は完全に彼らの存在を無視した。一樹の楽しい世界に彼らの居場所はない。
彼らが人間として認知されるのは、一樹に対し心からの謝罪をして以後だろう。
一樹の言葉にはそんな重さがあった。
【……そう、だったんだ。瀬尾君はいつも楽しそうにしてたし、友達も多かったから全然そうは見えなかった。……そうね、あの頃の小泉さんはいつも1人で、それで何かぶつぶつ言ってて。髪型とか今と同じだけど、あの頃の方が気味が悪かったわ】
「それは中野の主観だ。枯れ尾花だって幽霊に見える。それはいじめを正当化させているに過ぎない」
【・・・・・・】
春香は何も答えなかった。
もしここで何か反論したら、一樹はさらに失望しただろう。自分の過ちも認められない、下らない人間なのかと。
しかし、一樹が期待する最低限の良識はあったようだ。
美里と違って。
「……具体的に何をされたかは言わなくていい。聞いたところで胸糞悪くなるだけだ。いつ、なんでいじめられるようになったのか、それだけ知りたい」
【正確には分からない。ただ、2年の時私も美里も小泉さんも同じクラスだったけど、美里は相手にしてなかったわ。まるで住む世界が違う、みたいな。美里が小泉さんのことを悪く言うようになったのは、3年になってからすぐよ。理由はあの格好でないことは確かだと思う。小泉さんは2年の時から既にああいう感じだったし……。ただ3年の途中から髪型だけでなく服も派手になったかしら?】
「なるほど……」
春香の答えから分かったことは、せいぜい外見が原因ではない、ということぐらいだった。
部外者にはわからないことが分かったともいえる。
とりあえず美里とえりなの問題は当事者しか分からない、ということが分かっただけで良しとしよう。一樹はそう前向きに捕らえることにした。
【それにしても、瀬尾君って実際話してみると、私が持ってたイメージと大分違ってたね……】
「話してみたら、予想以上に性格悪かった?」
【そうじゃないわ。むしろ想像以上に真面目で、キツい人生歩んでるんだなって。私てっきり美里みたいに、恵まれた環境で育っているものとばかり思ってた】
「ただ不幸自慢したくなかっただけさ」
それからどちらからともなく通信は切られる。
春香との通信を終えるのと同時に、寛人のボタンが光っていることに気づく。
一樹はすぐに通信に出た。
寛人は態度で待ちくたびれたことを表現しながら言った。
【なんか色々大変なことが起こってるな】
「ああ」
一樹はタイガの様子を見ながら言った。
唯一、スポーツ推薦組でこの件にほとんど関係がないタイガは、先ほどから呆然としていた。
思えば彼が今回の件において、一番の被害者だろう。
美里ともえりなとも全く関係がないのにプロへの道を絶たれた、こんな施設に放り込まれたのだから。
せめて彼の人生がマシなものになればいいなと思いながら、一樹は話を続けた。
「おそらく、というか俺達がこんな所に放り込まれたのは、カウンセリングが理由じゃなくて、99%納屋と小泉の諍いが原因だ。小泉が納屋を糾弾するために、俺達をこんな所に閉じ込めたんだろうと俺は思ってる」
【マジかよ!? っていうか、小泉にどうやってそんな真似が?】
「さあ、そこまでは分からない。ただ2人の関係をどうにかしないと、ここを出られないことは確実だろう。というわけで、女性問題に詳しいお前に何か良い考えはないか?」
【うーんそうだなあ……】
寛人は腕を組んで考える。
【これが色恋沙汰なら、俺もまあアドバイス出来ただろうが、いじめとなるとむしろお前の方が詳しいんじゃないか?】
「確かに小泉の気持ちは分かる。ただあそこまで意固地になる納屋の気持ちが、俺にはさっぱり分からない。一応アレも女心だから、やっぱりお前の方が詳しいんじゃないか?」
【特殊すぎる!】
寛人は大声で文句を言った後、ハァ……とため息を吐いた。
【とにかくあの納屋って女は、あらゆる面で超特殊なんだよ。まだ単純に復讐を考えた小泉の方が理解出来る。しかも、アイツ今トランシーバーぶっ壊して話すことすらできないし。俺でもあの状態のあいつをどうにかするのは不可能だ】
「そうだな、目下の問題はそれだよな。小泉の方はどうにかなりそうなんだが……」
現状、美里との通信手段は失われた。
しかも本人は部屋に籠もり、視覚的なコミュニケーションすら取れない。
とにかく当人を引きずり出さないことにはどうにもならない。
「話し合わないことにはなんも始まらないし、どうすればいいのか……」
【うーん、そうだな。俺も女の子から既読スルーされたり着信拒否されたことは一度や二度じゃないから、こういう状況の難しさは良く理解してる】
「ちなみにその時はどうやって解決した」
【自然消滅に任せて、別の子に乗り換えた。というかそもそも別の子に手を出してたから無視された?】
「本当にクズだな……」
一樹はため息を吐いた。
おそらく親友の女癖の悪さは、一生治らないだろう。誰かに復讐されたとしても、「次は上手くやろう」程度の反省しかしないはずだ。
ポジティブに生きている一樹から見ても、羨ましい楽観主義である。
【あ、でも今まで誤解……とは言えないけど、なんとかコンタクトを取って許してもらった事もあったな】
「マジか!? どうやって!?」
【ありきたりかもしれないけど、第三者を介したんだよ。もちろん第三者と言っても、関係者だったら逆に火に油を注ぐ。自分と親しい奴も駄目だ、相手が警戒する。だからといって、赤の他人がそんな頼みを聞いてくれるわけがない。あの時は、お互いが知り合い程度の関係の人間を上手く使ったんだよ】
「知り合い程度の存在……」
ここにいる人間でそれが当てはまりそうなのは、せいぜいタイガぐらいだ。
しかし、トランシーバーが壊れているのだから、参加者という事前で対象外になる。
一樹が腕を組んで考えていると、
【実は適任だと思える奴がいるんだよ】
と言い出しっぺの寛人がニヒルに笑いかけてきた。
冗談半分でやっても決まってしまうのは、同年代の男性として腹が立つ。
そんな気持ちを飲み込んで、一樹はそれが誰か聞いた。
【ずばりあそこにいる囚われのお姫様さ】
そう言って、寛人は中央の今は誰もいない部屋を指さす。
一樹はすぐに寛人の意図に気付いた。
「クレアか……」
【ああ、あのAIの質問を使えば、納屋の耳にも届くだろう】
「すごいな、今生まれて初めてお前のことを尊敬したぞ。おそらく金輪際ないだろうけど」
【え、10年以上付き合いがあってこれが初なの!?】
「まあそれはどうでもいいとして、次の問題は質問の内容だな。クレアを使うってことは、回答を利用するって意味だろ。小泉みたいな裏技ができないのに、思い通りの言葉を言わせるのは難しいぜ」
【そうだな、なんかいい手段はないか……】
2人は馬鹿話をすぐに打ち切り、真剣に考え始める。
「クレアは質問さえ要約するから、思い通りの回答を言わせるのは至難の業だ。色々ニュアンスが違うこと言われても困るし……」
【そうだよなあ。せめてあいつがもっとテープレコーダー的な機能でも持っててくれればよかったんだけど】
「テープレコーダー……それだ!」
一樹が思わず手を叩く。
【なんか思いついたのか?】
「ああ。お前が言った通りクレアにテープレコーダーの代わりをさせればいいんだよ」
【代わりって具体的にどうやって?】
「まず質問の前に俺たちが言わせたい回答を言う。そしてクレアの質問では「質問前に自分が言った言葉を正確に答えてほしい」って言えば、そのままの言葉を回答として使える」
「なるほど……」
寛人はしきりに感心する。
一樹もこの時ばかりは鼻が高かった。
「後は何を話すかだな。どういえば納屋は岩戸から出てくるか……」
【それなんだが、納屋に対する質問に関しては俺が考えた方がいいと思う】
「お前が? なんで?」
【納屋とお前じゃタイプが大分違う。重要な話はお前自身がしないと駄目だろうが、出るまでなら俺がした方がいい。あの被害者根性丸出しのひねくれた性格はぶっちゃけ俺の方がまだ近い。煽るなら俺の方が得意だ。お前がさっき言ったようにいちおう女心でもあるしな】
「・・・・・・」
【いや否定しろよ】
寛人は苦笑した。
そして表情を改め、声の調子も変えて言った。
【けど、小泉のメンタルはお前と近い。2人の問題なら、小泉にも話をしとかないといけないんじゃないか? 自分用の質問は小泉に使っとけ。その代わり、中野とタイガの質問分は俺がもらうぞ。納屋の方がめんどくさそうだからな。あいつらも事情を話せば協力してくれるだろ】
「……分かった」
【そいじゃ一端切るぞ。上手いことやれよ童貞君】
「そのまま死ね」
一樹は乱暴に通信を切る。
心の中で幼なじみに感謝しながら。
それから一樹はトランシーバーでクレアのボタンを押す。
その数秒後に話した言葉は、質問ですらなかった。
「この話は小泉には聞こえてるんだろう。トランシーバーに出ないからもうこっちから話す。正直お前はやりすぎだと思う。追い詰めて苦しめれば復讐が達成されると思ってるんだろうが、その方向で進めば最終的に相手を殺すところまでいくだろう。それじゃあ割に合わない。自分まで罪に問われるなんて、結局1人負けだ。復讐っていうのは相手の絶望に歪む顔を安全なところから見て、自分に泣いてすがらせて完成するんだ。俺にはそれがよく分かる」
返事はなかった。
一樹はふうっと息を吐く。
えりなと話すために言ったが、強ち出任せでもなかった。
怨みはそう容易く忘れられるものではない。
その機会さえあれば、一瞬であの時の状況が思い出せる。
ただ、加害者が何も理解できないまま終わる復讐は、ただの嫌がらせだ。
一樹はそう思っていた。
「……以上だ」
『・・・・・・』
いつものようなクレアの反応は無かった。
だが、予想外の所から一樹の質問に対する反応が返ってくるのだった――。