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グラス・ヘキサゴンの虜  作者: 陶ヨウスケ
16/21

納屋美里編 第五回投票

『小泉えりなさんと納屋美里さんと橋本寛人さんが出ないを選択したため、引き続けグラス・ヘキサゴンで相談をしていただきます』


(あら……)


 出ないという結果になることは、自分がそれを選んだのだからわかっていた。

 えりなの選択も彼女の態度を見れば容易に想像がついた。

 だが、寛人まで出ないを選んだのは予想外だった。


 美里は反射的に寛人を見る。

 自分以上に気になったであろう一樹は、すでに寛人に連絡していた。


(まあどうせ私が聞いたところで、理由なんて言うはずがないし、今回もあいつに任せておけばいいかしら)

 

 美里はそう思い、しいて寛人に接触を取ろうとはしなかった。

 一対一でしゃべれなくとも、ガラス張りの部屋なのだから状況確認のしようは十分にある。

 美里も、この施設の使い方をそれなりに理解するようになっていた。


 そんな美里に逆に通信が入る。

 相手は春香だった。

 

 先ほどのことがあり、春香に対して良い感情どころか敵対心しか持てなかったが、少し考えてから通信に出た。

 無視すれば、逆に春香のことを気にしていると勘繰られる可能性がある。

 それが美里には許せなかった。


「何かしら?」

 努めていつものような口調で美里は言った。

 まるで、お前が何をしようが何を言おうが、自分にとってはどうでもいいことだとでもいうかのように。


【・・・・・・!】

 美里の無関心な態度は予想外だったのか、春香は面食らったようだった。

 いい気味だと思いながら、美里は自分から話を振る。

 春香が連絡を入れた理由は察しがついている。

 その言いたいことだけ言わせて会話が終われば、美里にとってのメリットが何一つない。

 だったら機先を制して、自分の憂さ晴らしの相手を無理やりさせる。

 美里は春香をそう利用しようと考えた。


「どうせ私が出ないを選んだ理由を聞きたいんでしょ?」

【え、あ、そ、そう、それよ! なんで今更宗旨替えしたの!?】

「そうね……」

 美里はわざとらしく指をあごに指をあてた。

 学生時代良くしていた、意図的な仕草だ。

 10年も経ったが、あの頃の華やかさが失われたわけではない。

 まだ薄化粧しかできなくとも、美里の美しさはそこまで衰えてはいなかった。


 そしてこんなことが再びできるようになったあたり、ささくれだった心も次第に落ち着いてきていた。

 元々の環境適応能力は、一樹と同じぐらい高いのだ。


「……まあいろいろ考えることがあったのよ」

 もったいぶって言った答えは、そんなどうでもいいものだった。

 春香は明らかに不満そうであったが、そんな顔を見られた美里の方は満足だ。

 ある程度の意趣返しをできた気がしていた。


【あの――】

「ところでさっきの回答についてなんだけど」

 春香がさらに質問をする前に、今度は自分から春香に質問をする。

 相手に主導権を一切渡さない、キャッチボールではなく投球練習のような会話を続ける。


「私の聞き違いじゃなかったら、あなた以前お父さんとあまり仲が良くないって言ってたわよね。どう心境が変化したのかしら?」

【それは……】

 言いづらいのか春香が言葉に詰まる。

 感情の変化に戸惑っているようではない。

 おそらく今まで子供のように抵抗していたことが恥ずかしいのだろう。


 いい気味だ、と美里は内心で嘲るのと同時に、自分だけ取り残されたような気分にもなった。

 少なくとも、もう中野親子にわだかまりはない。

 それが普通の人間にとっては他愛のないことだったとしても、美里にはとてつもなく大きかった。

 だからこそ、こうして不必要にマウントを取らなければ、精神の均衡を保つことができなかった。


 美里自身その事実には気づいていない。

 ただ彼女はそれをするのが当たり前だと思い、そうしているだけだ。


 これ以上話すこともないだろうと、美里は通信を切ろうとする。

 嫌がらせは十分できたし、あまり通話がなく続くと逆に気分が悪くなりそうだ。

 今更春香と良好な関係が築けるとも思えないし、何より美里自身にその気がない。

 美里の指がボタンにかかった時、春香が反射的とも思える声で【ちょっと待って!】と言った。


「――!?」

 美里も同じように反射的に指を止める。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 向こうが止めたというのに、春香はすぐには何も言わない。

 最終的に美里の方が「いったい何?」と苛立たしげに聞き返した。


【……あのさ、私たち高校時代よく話したよね】

「そうね」

【正直言うと、あの頃の私にとって普通に話せる友達なんて、美里しかいなかった。でもいま改めて思い返してみると、あれだけ話してたのに、私美里のこと何も知らないんだって。それが、今になって分かった気がする……】

「そう」

 美里はそっけなく答え、通信を切った。

 春香の感傷的なセリフを聞いたところで、美里には何の得もない。

 彼女の人生で、無駄と思える時間は存在そのものが悪と言えた。


 たとえそれが、彼女にとって本当に必要なものだったとしても。


(さて、()()は放っておいてこれからどうするべきかしら……)


 美里の中で、もう春香は完全に関係の切れた人間となった。

 たとえこれからどんなことがあっても、もう彼女に頼ることはないだろう。

 感情面が理性面を大きく凌駕し、そう決めつけていた。

 それほど、親子関係が不仲でなかったことは美里にとって衝撃だった。 


(さて、これからどうしようかしら)

 美里は少し考えて、今まで忌避していたえりなに自分から通信を入れる。


 この中で一番使えるのは寛人で間違いないが、それはあくまでここを出てからの話だ。

 今までそのためのコネクションづくりを考えていたが、現状の寛人の様子では話を振ったところで答えてくれるようには思えない。

 このグラス・ヘキサゴンという忌々しい環境が、それを許さないのだ。

 

 では今この状況――早期の脱出を目方にした場合、だれがキーパーソンかと言えば、それはやはりえりなだ。

 彼女だけが、特にたいした理由もなく出ないを選択している。


 いずれ出るを選ぶと言っているが、そのたいしたこともない理由にいつまでもこだわっていれば、そのいずれは来ないだろう。

 先ほどは言質を取ればそれで十分と思っていたが、それはあくまで高校時代のえりなの場合である。

 今のえりなはずいぶん強かで、再度美里から念を押す必要が感じられた。

 

 幸いにも……というべきか、今の美里にはここに入ったばかりの頃のようなえりなに対する敵対心はそこまでない。

 春香が美里の中で明らかな"敵"になったことで、今まで抱いていたえりなに関する敵対心がそれなりに薄れいていたのだ。

 人間に対する評価は結局相対的なもので、恨める()()もある程度決まっている。


 通信相手を見てえりなはうんざりした顔を美里本人に向ける。

 それを美里は笑顔で返した。


 糠に釘と言わんばかりの美里の態度に、仕方なくえりなは通信に出る。

【いまさら何?】

 不快感を隠しもしない声で言った。

 声と表情すべてを使って不快感をあらわにしようが、美里は微笑を全く変えない。

 ただあまりに変わらな過ぎて、逆に感情がおかしくなっていると一樹のような見る人間が見ればわかった。


「ちょっと相談があるんだけれど」

 それに美里本人は気づかぬまま、話を始める。

 えりなは何か言おうとして止めた。

 言ったところで、どうなるものでもない、と思ったのか。


 少なくともえりなもまた()()()()であった。


「最初に貴女、いずれ出るを選ぶって言ったわよね。あれって具体的にいつ頃かしら?」

【いつ頃……】

 えりなは顎に手を当て考え出す。

 今更それを考えるあたり、約束を守る気は最初から毛頭なかったらしい。

 美里はやはり念を押して正解だったなと、確信した。


「まさか最初から約束を反故にするつもりだったのかしら? 意趣返しのつもり?」

【……そう思いたいならそう思えばいいわ】

「相変わらず、斜に構えて幼稚なことを考えるのね。そのままだと碌な大人にはなれないわよ。まあ現時点で先が見えてるけれど」

【・・・・・・】

 美里の安い挑発に、えりなは反応しなかった。

 高校時代、いじめに遭うとすぐに自主早退した頃に比べれば、精神力も大分マシになったらしい。

 引きこもり生活も、えりなにとってはそこまで無駄なものではなかったようだ。


 美里は自分の方は見ず、斜め上の何かを見ているえりなを見ながらそう思った。


「それで、話は聞いているのかしら?」

【……しっかり聞こえてるわ、アンタの忌々しい声がね。まあ碌な大人にはなれないってことは反対しないであげる。自覚してることだし。その原因の99%はアンタにあるけど】

「それはどうも。それで、結局このまま約束を反故にするつもり?」

 そう聞きながらも、美里は約束を守らせること以外考えていなかった。

 もしそんな真似をすれば、高校時代のように周囲の人間を誘導して、えりなを共通の敵にするつもりだ。


 この一対一でしか話せない死ぬほど面倒くさい環境でも、大義名分さえあればぼんくらで非好意的な同級生達を説得できる自信はあった。

 そのための算段も、会話と並行してすでに完成している。


 ただ、それが実行に移されることはなかった。


【約束は守るわ。現状()()()()()()()()()()()。具体的には……そうね、私以外の全員が同じ投票結果を選んだ時、次の投票で「出る」を選ぶわ】

「同じ投票結果……それはつまり「出ない」を選んだ際も、あてはまるということかしら?」

【そうね。このグラス・ヘキサゴンの目的は参加者の意思の統一。だったらどちらにせよ全員の意見の一致を見たら、それでもう十分ってことでしょ?】

「まるで陪審員制度ね」

【陪審員……】

 その言葉に、えりなの表情が初めて変わる。

 今まではただ不快なだけであったが、何かに気づいたような顔を見せた。


 それが美里には気になり、また何か地雷を踏んだように感じられた。


 そしてその予想はそのすぐ後、現実のものとなる。


「……どうしたのよ」

【別に。ただ、そういうケースもあったのかと感心したのよ。せっかくだし、その陪審員制度を試させてもらうわ。本来の目的からは逸脱するけど、まあ私にはその権利もあるし】

「何が言いたいのよ」

【すぐにわかるわ。高校時代に私にしたことを思い出しながら、楽しみに待っていることね】

 そう言ってえりなの方から通信は切られる。

 美里には訳が分からない。

 ただその最後に見せた笑みが、肉食獣のそれと同じものであったことだけは理解できた。


 通信が終わった後周囲を見ると、一樹と春香の通信が終わり、今度は一樹は寛人と話をしていた。

 人気者ねと、美里は内心鼻で笑う。


 せっかく寛人とのコネクションを作れても、どうせ一樹のような凡人ではそれを有効に使うことなどできない。

 一方、自分ならそこから10年のロスを挽回すにするほど有効に活用できる。

 そんな優越感が美里の頭の中にあった。


 それから少しして、通信を終えた同級生たちがトランシーバーで質問を始めた。

 美里はすぐにはクレアのボタンを押さず、いったん何を質問するか考える。

 もちろん前回の質問から次の質問はずっと考えていたが、気が立っていたためそこまで精査できていなかった。


 今は心もだいぶ落ち着き、頭も普段ほどではないにしろ、それなりにまともに思考することができた。


(やっぱり現状これかしら……)


 美里は結論を出すとクレアのボタンを押し、こう言った。

「今回の事故に関して、世間では……いいえこの質問は曖昧過ぎるわね。テレビ……正確には地上波で合計……それだと旬かどうかわからないわね、昨日の時点で合計どれぐらいの報道されたの?」

 この質問ならはっきりとした数字が返ってくるし、同級生たちには何の質問をしたのかわからない。

 そこから今後自分がどうやって振舞えばいいのかの指標になる。

 最善かどうかはわからないが、少なくとも次善以上ではあるなと美里は内心自画自賛する。


『「今回の件に関して、地上波で昨日の累計報道時間はどれぐらいか?」という質問を受理しました』

 少ししてAIが返事をする。

 当意即妙で要点をまとめられるあたり、まだAIの方が阿呆な同級生より会話がしやすいなと、美里は心の中で皮肉に思った。


 だがそんな優越感は、そのAIがもたらした回答によって一瞬で吹き飛ぶ。


『それでは投票前に、皆さんから頂いた質問の回答を言います。橋本寛人さん、違います。中野春香さん、問題ありません。室伏タイガさん、自らの意志で働いています。納屋美里さん、6時間9秒。瀬尾一樹さん、約1億2000万円です。小泉えりなさん、納屋美里さんは過去に犯罪を犯しています』


「な――!?」

 美里は自分の回答も頭から消え去り、表情を変えて絶句した。

 それはこの場にいる全員がそうであり、誰も冷静でいられなかった。


 当然、というべきか、それからすぐ全員の視線が美里に集まる。

 その瞳には全員例外なく困惑の色が宿っていた。

 それはガラスに映る自分自身ですら例外ではない。

 とりわけ春香は、驚愕を通り越し、泣きそうにさえなっていた。


 美里の人生において、今まで他人からこんな目で見られたことはない。

 あるのは常に羨望が嫉妬だ。

 それが当たり前で、そうなるように生きてきた。

 この状況はそんな美里が想像すらできない現実であった。

 

「何よこれ……」

 美里は心の底から絞り出すような声で言った。

 この瞬間、質問に対する回答どころか、将来設計のプランさえも完全に頭から追いやられる。

 美里でなくとも、()()が解決すべき最優先事項であることは明らかだ。


 美里はその元凶であるえりなをにらみつける。

 その目は完全に血走り、美女の面影はどこにもなかった。

 この瞬間、物心ついてから初めて彼女の顔から仮面が失われた。

 当のえりなは勝ち誇ったような表情で、美里を完全に見下す。


 もし10年前の自分たちを客観的に見ることができたのなら、その時と立場が逆転したことに気づけただろう。

 しかし、当時の美里にはいじめているという感覚が一切なかった。

 それは正当な制裁であり、自分が完全に、一方的な被害者だと思いこんでいた。

 彼女の生い立ちの不幸が、あらゆる悪行の免罪符になっていたのだ。

 

「てめえ小泉!」

 美里はここに来てから、初めて心からの絶叫をした。

 そんな美里をさらに嘲笑うえりな。


 美里は反射的にガラスをたたきつけようとしたが、周囲の視線に気づき寸前でそれを止める。

 それと同時に、表情も元のほぼ無表情に戻す。仮面はまだ完全に砕け散ったわけではない。

 そしてすぐにえりなのボタンをそれこそ連打したが、


『それでは皆さんトランシーバーでの口頭投票お願いします』


 システム上、AIがそう指定している時間は参加者間の通信はできない。

 どんなにボタンを押しても、えりなのトランシーバー反応すらしなかった。


「…糞が!」

 まるで知能指数の低い不良のように毒づく。

 ここに来てから初めて、声が誰にも聞こえないことが幸いした。


 もしえりなの話が根も葉もないでたらめであったなら、美里もここまで取り乱しはしなかっただろう。

 ただ美里には思い当たる点があった。

 そしてそれは、えりなが偶然見ていたとしても不思議ではない犯罪であった。


「……ふぅ」

 美里は大きく息を吐く。

 とにかく落ち着けと、自分に言い聞かせた。


(あいつが()()()を知っていたとしたら、証拠はスマホか何かに残されているはず。けれど現状、この施設には物を持ち込むことはできない。大丈夫、まだ難癖で言い逃れることはできる)

 美里は自分をそう落ち着かせる。

 それから再び深呼吸をし、クレアのボタンを押し「出ない」と言った。


 どうせえりなが「出ない」を選ぶのだから、自分が「出る」を選んでも意味はない。

 それよりあえて「出ない」を選んで、えりなの回答に抵抗する態勢を見せた方が、周囲の目がよくなると思えた。


 あまりに衝撃的なえりなの攻撃であったが、まだ美里の処世術が完全に機能しなくなったわけでもない。


『投票を受け付けました。それでは結果をご報告します』


 美里は、これから戦場に赴くような心持で、5回目の結果の発表を待った――。

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