納屋美里編 第二回投票
『投票が終了しました。それでは発表します。小泉えりなさんが出ないを選択したため、引き続けグラス・ヘキサゴンで相談をしていただきます』
(――!?)
我知らず美里の眉が上がる。
とはいえ変化したのはあくまでそれだけで、近くにいなければ分からないレベルだ。
だが、隣の部屋のえりなはその変化を完全に理解しているかのような、勝ち誇った顔をする。
ゴスロリ然とした格好の女には似合わない、ひどく世俗的で現実的な嘲笑だった。
(このメス豚――!)
それでも美里は表情を変えない。
どれほど激昂しようが、それを表には出さない。
それどころか、表情の変化がより少なくなっていく。
これが納屋美里という人間の意志の力だ。
損得勘定のみを追求した理性が、感情を完全に支配する。
たとえどんな挑発を受けても、乗らない自信があった。
もし、それでも感情の発露を止めることが出来なかったら、それは自分という人間が壊れるときだろう。
美里はそう思っていた。
美里が表情を変えないことに、えりなはつまらなそうな顔をする。
高校時代は春香以上に卑屈な人間だったが、この10年……いや、体感では約1ヶ月の間に、随分と不貞不貞しい人間になったようだ。
美里はそう思いながら、えりなから視線を外した。
見ていたところで意味は無い。
それより他の人間の様子を観察した。
まず部屋の中で地団駄を踏んでいるタイガが目に付いた。今回の決定に最も腹を立てているのようだ。
自分同様、とにかく1秒でも早くここから出たいのだろう。
寛人はそんなタイガを見て、とにかく身振り手振りでなだめようとしていた。
タイガはどうでもいいが、美里はとりあえず寛人に通信を入れようとランシーバーを操作した。
しかし、そのタイミングでAIの話が始まり繋げることは出来なかった。
『なお、これからは投票の前に質問タイムを設けます。次回投票までの間、知りたいことがあればクレアボタンを押して質問をして下さい。確実に正しいと立証出来る答えのみ、投票直前に必ず答えます。ただし答える質問は1つだけです。そして不正防止のため、回答だけは全員に報告します。なお、質問に答えられなかった場合、その質問分は次回の質問に加算されます。具体的には第2回投票で答えられない質問をした人は、第3回投票の際に2つ質問が出来るようになります。それでは皆さん有意義な時間を――』
その言葉と同時にAIの姿も消える。
そこで再びトランシーバーに視線を移すと、春香のボタンがまた点滅していた。
できれば無視したかったが、春香を無視して寛人に連絡する大義名分が今のところない。理由もなくすれば、自分がそれだけ寛人に固執していると悟られてしまう。
そんな足元を見られるような行為は、計算とプライドの高い美里にとって許せないことだった。
そもそも、自分を警戒しているようにさえ見える寛人にこれといった用もないのにいきなり通話して、有意義な話ができるとも思えない。
話をするのはまずそれを見つけてからだ。
それまでの間、仕方なく美里は賞味期限の切れた友人の通信に出た。
【ああ美里、これからどうしたらいいの!?】
春香は前置きを省き、単刀直入に聞いてくる。
尤も、美里としてはそちらの方が無駄な話をしないで済み効率が良い。
「多分私達に出来ることは少ないわ。小泉さんの気持ちを変えるようにしないと。春香は小泉さんと仲良かった?」
【全然、むしろ悪かったわ。確か美里も同じでしょ? 以前、その……】
「何かしら?」
【……ううん、なんでもない】
「・・・・・・」
大方美里がいじめていたとでも言う気だったのだろう。
美里は内心鼻で笑った。
いじめていたという話は事実ではあり、また事実ではない。
少なくとも美里は自分が直接えりなに手をあげたり、嫌がらせをしたことは在学中ただの一度もなかった。
しかし、周囲をそう仕向けるような行為はしてきた。
美里にとってえりなはどうしようもなく目障りな存在だったのだ。
勉強もスポーツも、容姿も何一つ太刀打ち出来る物などないが、ある一点――美里が喉から手が出るほど欲しと思っていたある一点を持っていたことが、この上なく美里の癇に障った。
……癇に障ったのだが、、本人はそれを絶対に認めようとはしなかった。
いじめられるように仕向けた理由を、「いけすかないから」という単純なものだと思い込もうとしていた。
そのような複雑な事情がある分、余計根が深い問題でもある。
そしてそれは体感で一か月程度しかたっていない現在でも続いていた――。
「……まあ、できる限りのことはしてみるわ」
たとえいじめの首謀者で、それがえりな本人にバレていたとしても、所詮相手は元引きこもり女子高生。
自分の話術でたやすく籠絡出来ると美里は思い込んでいた。
美里の話に春香は少し安心したような顔をする。
ただその顔にはわずかな陰りがあり、それは通信が終わっても消えることはなかった。
(何も出来ないくせに余計なことでも考えてるのかしら?)
美里はそれを大して気に止めはしなかった。
止めるに値しないと自分が判断したのだから、それは本当にそういうものなのだろう。
美里は自分の判断を疑わず、後悔など一度もしたことがなかった。たとえ失敗したとしても、それは次のステージに移行するための必要なステップに過ぎない、そう思っていた。
字面だけ追えば前向きで素晴らしい性質だが、美里の場合それが行き過ぎていた。
ありていに言って無謬論者なのだ。
自分の行動に一切の間違いはなく、ゆえに他人は間違いを指摘することなど不可能。
結果誰の話も聞く必要がなく、彼女の世界には彼女一人しかいなかった。
通信が終わったと同時に、美里は改めて同級生達の様子を観察する。
寛人は一樹と話しているところだった。
その様子から深刻な話をしていることは理解出来た。
そしてその対象が、えりなとタイガの通信にあることも。
2人の視線の先を追うと、感情を抑えられなくなったタイガが、えりなに詰問している姿が見える。
美里に対するものと違い、それなりに親身にえりなは話しているようだが、タイガの方は身振り手振りを交え、明らかに激昂していた。
よほど腹に据えかねているのか、何度もガラス壁を叩いたり蹴ったりしている。
隣の部屋の美里にはいい迷惑だ。
スポーツ馬鹿だけあって力だけはあり、部屋がガンガン揺れている。強化ガラスを使っているためか傷一つ付いておらず、安全面に関しては心配ないが、酔いそうだ。
まるで強制的に痴話げんかの中心に置かれた気分である。
美里は内心ため息を吐いた。
えりなが糾弾されるのは気分がいいが、そのとばっちりを自分が受けるのでは割に合わない。
やがてタイガの様子が変わり、がっくりとうなだれる。
その表情は絶望に染まり、黒人然とした顔でもはっきりと精気のなさを理解することが出来た。
いちおうえりなも慰めの言葉はかけているようだが、それがタイガの耳に届いていないのは明らかだ。
結局タイガは緩慢な動作で通信を切り、えりなは大きくため息を吐く。
タイガに話した内容を大分後悔しているのかもしれない。
そして弱っている人間ほど御しやすいものもない。
美里は間髪入れずにえりなに通信をした。
通信相手を見てえりながあからさまに不快そうな顔をする。
数十秒は無視していたが、それでも美里が切らなかったため不承不承といった顔のまま通信に出た。
【何?】
外見からは想像できないしゃがれ声でえりなは答える。
顔だけでなく声でも不機嫌さを表現していた。
その反応が予想出来ないほど美里も鈍感ではないので、無視して用件を伝えた。
「ねえ小泉さん。何故出ないを選んだのかは知らないけれど、それは自分の首を絞めるような行為よ。ここにいつまでもいたって何の意味も無いのだから」
【少なくとも、その鉄面皮の下の顔が不快に歪んでるのを想像するだけでも、私には充分価値があるんだけど】
「・・・・・・」
どうやら完全に自分がいじめの首謀者であると理解しているらしい。
尤も、そうでなければ話す前からの態度も説明出来なかったが。
美里がえりなと直接話したのは数えるほどしかなく、その全ては必要に迫られてだ。それにもかかわらずえりなが美里に対して、ここまであからさまな敵対心を抱くとしたら、それは全てを知っている場合に限られる。
まあそうなるわよねと思いながら、美里はバレていると確信した時用の話を続けた。
「小泉さん、あなたが私を敵視している理由は理解しているわ。私があなたのことを悪く言ったから、それで私の友達があなたをいじめるようになったこと、本当に申し訳ないと思ってる。ごめんなさい」
美里は素直に謝った。
こういう場合、自分の正当性を主張するほど愚かなことはない。
別に謝ったところで失うものなどなにもない。
必要なら全員の前で土下座することもできた。
目的のためなら手段を選ばないとはこういうことだ。
卑怯な手段など、所詮常套手段の一つに過ぎない。問題はどこまで自分の感情を押し殺せるかにある。
美里の下手な態度に、えりなは初め、面食らったようであった。
けれどすぐに眉をつりあげ、より敵対心を込めた視線で睨む。
【アンタの言葉ほど薄っぺらで説得力の無いものはないわ。その皮を剥いだら嘘とプライドの塊しか出てこないでしょうね】
「あらあら」
美里はあからさまに呆れた態度をとった。
たいていの人間ならこれでオチたが、えりなのひねくれ具合は美里の予想を遙かに超えていた。
こんなケースは初めてだ。
尤も、不登校になるほど追い詰めたのも、えりな以外存在しなかったが。
「こちらの思いが伝わらないのって不幸ね。土下座したら許してくれるかしら?」
【冗談。そんなことをすれば、私が悪者になる。本当に狡猾な女ね】
「そんなことは……」
ない、どころかその通りだった。
同級生達は土下座した自分に同情し、させたえりなを軽蔑するだろう。
それから彼女は同級生になじられ、我も通すことが出来なくなる。
そんな打算が美里の中には実際に存在していた。
えりなが感情にまかせて土下座を受け入れると思ったが、どうやら自分同様ある程度の狡猾さは持ち合わせているらしい。
(引きこもってた無駄な時間が、性格をもっと卑しくさせたのかしら?)
他人事のように美里は思った。
【とにかくアンタが何を言っても、私は意志を変える気はないわ。アンタが心の底から反省するなんて現実的にあり得ないしね】
「ひどい言いぐさね。でもここから出られないのは、私だけじゃなくここにいる全員にとってデメリットが大きいわ。それをあたなの我が儘で強いるなんて、あまりにひどいんじゃないかしら?」
下手に出ても意味がないと悟ると、今度は良心をついた説得を始める。
美里の交渉ごとの引き出しは、一女子高生とは思えないほど多い。
多少時間がかかっても、最終的にえりなをやり込める自信はあった。
ただ、この時のえりなの反応は、美里の予想していたものとは全く違った。
美里の言葉にえりなは腹を立てるのでも反省するのでもなく、ため息を吐いたのだ。
完全に呆れていた。
それは美里の感情を逆撫でする態度だった。
「……何が言いたいのかしら?」
【別に。ただ見た目は変わっても中身は全く成長してないんだなって】
「私の成長云々を語れるほど、あなたと親密だったかしら?」
【学校に行かなくなるまで、いつか復讐してやろうとじっと見ていたわ】
「その決行日が今日だと?」
【・・・・・・】
えりなは何も答えなかった。
しかし、何を言おうが言うまいが、小泉えりなという人間の評価ははっきりした。
昔のことをまだ根に持って騒いでいる下らない女。
それが美里がえりなに下した、以後変わりようがない人物評だ。
やおらえりなは口を開いた。
【……別にみんなを何日もここに留めておく気はないわ。私が出ないを選んだのも、アンタに対する嫌がらせは二の次よ。私自身は遅くとも今日中には「出る」を選択するわ、暇じゃないし】
「・・・・・・」
美里はえりなの態度を、単純に折れたものと思った。色々言ってるのも、ただの負け惜しみだと。
「話が通じて良かったわ小泉さん」
【私は全く話が通じた気がしないけれどね。ただし、「出ない」を変えるのはあくまで私だけ。他のみんなが「出ない」を選んだら、結局結果は同じよ】
「他の人が出ないを選ぶ理由なんてないわよ」
【ククク……】
えりなが顎に手を当てて笑う。
その容姿と相まって、まるで魔女のようであった。
今までのことといい、美里の頰がわずかに引きつる。
【本質的に人間を理解していないアンタらしい言葉ね。でもまあ、それもすぐに分かるでしょうけど。それじゃあせいぜいここから出るまで、無様な醜態をさらすことね】
そう言ってえりなはトランシーバーを切った。
美里は一瞬トランシーバーを叩き付けたい感情に駆られたが、当然実行には移さない。
まだこの程度の挑発では、美里の感情抑止機能も異常を来すことは無い。
軽く深呼吸をすれば、十分切り替えることが出来た。
(今のところはこんなところかしら)
美里は一定の成果は得られたと満足する。
ああいう手合いは言質を取ることが重要だ。
いずれそれが大きな意味を持つだろう。
ただ多少のロスは我慢しなければならない。ここで必要以上に責めれば、へそを曲げて本当に何日も退院を延ばされる可能性がある。
(さて、と。これからどうしようかしら)
美里は顎に手を当て考える。
そんなとき、AIが言っていた質問について思い出した。
今まで質問をすること自体許されていない空気だった。
それがここに来て解禁されるらしい。
(とは言っても――)
当然宝くじの当たり番号のような、突拍子もないことを答えてはくれないだろう。さらにあまりプライベートにつっこんだ質問も、プライバシーの観点から黙秘されるはずだ。
(まあとりあえず現実的な金銭問題の質問でもしようかしら)
美里はそう思いながらクレアのボタンを推す。
『質問をどうぞ』
中央に本人は姿を見せなかったが、説明したときと同じ声がトランシーバーから聞こえた。
ただその声は電話の自動アナウンスのようだった。
美里にとってはどうでもいい話だが。
「今回の事件に関して、補償される額は1人あたりいくらぐらいかしら?」
『「今回の事件に関して、補償される1人あたりの額」という質問を受け付けました。なお質問に対する回答は事前の説明通り、投票直前に参加者全員に対し一斉に行い、質問内容までは公表しません。それでは良き時間をお過ごし下さい』
そう答えて、AIは通信を切る。
質問内容をそのまま返すのでは無く、要点をまとめた確認をするあたり、かなり高性能なAIのようだ。ここまでの機械にこんなどうでもいいマネをさせるなんて、美里からすれば本当に勿体ないと思う。
自分だったらもっと利益を上げる事のために利用出来たのに。
使えない人間との協力関係など本当にどうでもいいことだ。
しばらくしてまたチャイムが鳴った。
投票時間のスタートらしい。
『それでは投票の時間です』
果たして中央の部屋に無駄に美人なAIが現れる。
美里はさっさと出ようとクレアのボタンを押した。
けれど先ほど質問したときのような反応がない。聞こえるのはトランシーバー特有のノイズだけだ。
そんな美里を嘲笑うかのように、AIは自分のペースで作業を続ける。
『今回の投票から、投票前に先ほど皆さんがした質問について回答します。それを投票の参考にして下さい。回答の順番は質問された順番で発表されます。それでは回答します。室伏タイガさん、現実的に考えてかなり難しいと言わざるをえないでしょう。瀬尾一樹さん、その質問にはお答え出来ません。納屋美里さん、およそ1億円です。橋本寛人さん、殺されてはいません。中野春香さん、望めば再入学も可能です、なお学費はかかりません。以上です』
「・・・・・・」
美里のみならず全員が黙り込む。
尤も、美里自身は呆気にとられたわけではなく、得られた回答から手取額を計算していてた。
(確か賠償金は非課税だったはず。賠償額も私達の年齢を考えれば順当かしら。個人的にはそんな端金では賄えないと思うけど、まああまりもらいすぎるのも問題があるか……)
『それでは皆さんトランシーバーでの口頭投票お願いします』
そんなことを考えているうちに、AIから投票時間を告げられる。
美里ははっとなり、トランシーバーのクレアのボタンを押した。
当然言った言葉は「出る」だ。
今のところ、ここに残る理由は欠片もない。
とはいえ、えりなの態度からおそらく今回出られることはないだろう。
ただ、ああいうタイプは自分の言葉に縛られる性格だとも、美里は理解していた。
形から入る人間はその形にこだわり、やがては形に反する行動が取れなくなる。そういう人間をえりな以外にも美里は良く知っていた。
そのため、約束を破ることが出来ず、そう遠くない将来「出る」を選択するだろう。
それまで、この質問を有効に使えば良い。
えりな以外、残るを選択する人間などいないのだから。
『投票を受け付けました。それでは結果をご報告します』
――そんな美里の思惑を打ち破る第2回投票の結果発表は始まった。




