納屋美里編 第一回投票
美里その日初めて、リハビリ室へ向かう廊下以外の道を進んだ。
病院関係者以外の人とも会うということだったので、初めて化粧も許された。
高校時代は一切化粧などせず初体験であったが、クラスメイトの見様見真似と看護師のアドバイスでそれなりにどうにかなった。
美里ほどの美貌があれば、本来ならすっぴんでも十分見栄えしたが、健康状態が大分悪い今だと、どうしてもみすぼらしく見えてしまう。
リハビリ中も人とは会ったが、さすがに当初は化粧する気力などなかった。
何より、他の患者も誰も化粧をしていなかったため、すると悪目立ちしてしまい、逆にそちらの方が問題があった。
医師は美里に退院に必要なレクリエーションをすることと場所の説明をしただけで、付き添いは自分を挟むような隊列の、2人の看護師が行った。
まるで護送される囚人のような気分だ。
美里としてもここまで来たら逃げる気はない。それなのにここまでされるのは、あまりいい気はしなかった。
さらにこんな隊列で歩けば周囲の注目も集める。
おそらく一般病棟の患者達が、何事かという目で美里を見ていた。
(囚人の上に見世物、か……)
表情の上では微笑をたたえていたが、内心前を歩く看護師を蹴り倒したい気分だった。
しばらく歩くと、前の看護師が足を止める。
吊られて美里も足を止めると、そこはどうやら扉の前だった。
頭の中で一般的な病院の地図を描き、そこが外に繋がっているはずの扉だと美里は推測する。
(屋外で体を使ったゲームでもさせるつもりかしら)
美里はそう思ったが、看護師が扉を開けると、そこは外ではなく病室と同じような真っ白い部屋だった。
――いや完全に白い部屋ではない。
六角形の部屋は周囲をくもりガラスで囲まれ、部屋の隅には扉つきの白い仕切りがある。
看護師に勧められるまま中に入ると、そこは広さ十畳ほどの、六角形の部屋であることが分かった。家具はテーブルと椅子ぐらいしかみつからず、電灯らしきものはあったがスイッチがない。
美里はとりあえず仕切りの扉を開けてみたが、そこには粗末な洗面台とトイレがあった。
(ユニットバス……ではないわね。浴室がないし)
蛇口をひねれば水は出たが、美里の感覚ではとても人が住める環境ではなかった。
キッチンはどうでもいいが、風呂のない生活は考えられない。
病室にいる間も、とにかく最初は風呂に入ることを目標にしていた。
何をおいても他人にみすぼらしい自分を見せることが許せなかった。
(レクリエーションって言ってたけど、そもそもこんな場所で何ができるのかしら……)
現在この部屋には自分しかいない。
また、何をさせるにせよこの部屋では使える物が少なすぎる。
入って数分経ったが、未だに病院側の意図がつかめなかった。
『ようこそ、みなさん』
不意にどこからか声が聞こえた。
スピーカーを探してみたが、それらしき物はどこにも見当たらない。
おそらく埋め込み式のスピーカーが―天井にでもはめ込まれているのだろう。雰囲気を重視するおしゃれな店がそういうことをすると、かつての同級生から聞いたことがある。
その数秒後、突然曇りガラスが一斉に透明になった。
その時、美里は同じような部屋が蜂の巣状に連結していることを知った。
自分がいる部屋を合わせて都合7部屋。中央の部屋を中心にその辺にそれぞれの部屋が連結している。いわゆるハニカム構造だ。
中央の部屋だけには何もなく、他の5部屋は美里の部屋と全く同じ構造で、それぞれ部屋の住人もいた。
美里は彼らの顔を良く見る。
皆20代後半ぐらいで、その年代の人間に知り合いはいない。
ただそれはあくまで10年前の話で、高校時代の面影を追えば誰が誰であるか、美里はすぐに理解出来た。
一樹と違い美里は事故に遭った同級生も、一緒にオリエンテーションをする人間にも興味がなかったため、ここで初めて彼らが自分同様生き残っていたことを知った。
まず自分の斜め向かいにいて、先ほどからこちらに何かを叫んでいるのは瀬尾一樹だろう。土砂に埋もれる直前告白してきた少年だ。
直前に告白を受けていなければ、その平凡な顔を覚えてはいられなかっただろう。
問題は彼も美里と同じ……どころか、彼以外の全員が同じ病院服を着ていたことだ。
美里は自分以外どうでもいいと思っていたので、他にあの事故に巻き込まれた人間について聞かなかった。
状況的にどうやら、事故に巻き込まれたのは自分を含めたこの6人だったらしい。
それも自分と同じように10年の眠りから目覚めたばかりなのだろう。
そうでなければ、ここに一斉に集められる理由がない。
同病相憐れむ……ような気持ちには美里はならない。他人など所詮道具に過ぎない。
ただ、これから利用出来るかもしれないため、良く観察しておいた方がいいのでは、と思った。
そして話は一樹に戻る。
かなり驚いているようだが、相変わらず平凡な顔をしている。もし10年まともに過ごせたとしても、地方公務員か中堅会社のサラリーマンがいいとこだろう。
本当に何のメリットも感じられない人間で、美里にとっては生きてようが死んでいようがどうでもよかった。
彼の告白のせいで土砂崩れに巻き込まれた……という事を考えると、まるで一樹ごときに自分の人生を左右された気がするので、そこは頭から追いやっていた。
美里から見てその右隣の部屋にいたのは、高校時代親しかった中野春香だ。
さすがに20代後半であることを自覚してか、あの野暮ったすぎる三つ編みは止めているが、黒縁眼鏡に化粧っ気のない顔は相変わらずだった。
高校時代は自分が友達として扱うのだから、最低限の化粧はしろと言ってやりたかった。
ただ、美里にとって重要なのは彼女の容姿ではなく頭脳である。
高偏差値の進学校において学年トップの彼女の将来はほぼ約束されており、彼女とのコネクションは将来美里にとって大きな武器になるはずであった。
しかし10年たった今、彼女の秀才というステータスはあまり意味のあるものではなくなった。これからどんな人生を歩むにせよ、美里が期待したほどの人間にはならないだろう。
これからは親身になる必要もない、そう美里は判断した。
逆に正面向かいにいる橋本寛人は、自分の人生にとって重要な存在になるかもしれない。
寛人は高校時代から飛び抜けた容姿で、10年たった今でもその面影は損なわれることなく、美男子然としている。
ただ、美里にとってその点は重要ではない。
利用価値があるのは、彼の肉親だ。
寛人は母子家庭であるが、父親は有名な政治家である大江宗一郎で、母親は彼の愛人だという噂がある。
美里が独自に調べたところによると、噂の信頼度はかなり高い。
彼と親しくなることは、大江宗一郎との強力なコネクションを意味した。
10年もの時が無為に過ぎてしまった美里にとって、権力者の後ろ盾は喉から手が出るほど欲しい。
(でもあの男、人間的にはムカつくのよね……)
美里は高校時代からその後ろ盾を重視し、自分から告白もしたが、にべもなくフラれた。
今までの人生でフる事はあってもフラれることもなかった美里が、取り付く島もなかったのである。
それは美里のプライドを大きく傷つけ、文字通り傷痕になった。
自分のステータスを理解し、かつ重視している美里は未練がましくすがりついたりはしなかったが、それでも屈辱であることに変わりは無い。
そんな寛人にまた頼る羽目になるとは。
ネガティブな性格を差し引いてもうんざりした。
(残りの連中は……)
自分の左の部屋にいるのは大柄な黒人の男だ。
確かスポーツ推薦組に、黒人のハーフがいるという話を聞いたことがあるから、そいつだろう。
将来有望ならまだしも、10年もブランクがある元スポーツ少年に用はない。
右の部屋にいるのは、あの頭がおかしいゴスロリ女だ。
20代後半だというのに、縦ロールの幼稚な髪をしている。
本当に見ていて腹が立つ女だ。
この何の取り柄もない変わり者が自分に持ってない物を――。
(いや、止めよう。こんな雌豚のことを考えるだけ時間の無駄だ)
美里は軽く頭を振って視線を前に向ける。
現状この中で親密にならなければならないのは、寛人だけだ。どんなレクリエーションをするのかは分からないが、とりあえずの方針を美里は決めた。
『ここに集まっている皆さんはご存知の通り、あの事故に遭われ、今まで眠っていた方々です』
美里がそんなことを考えていると、声と共に中央の誰もいない部屋の中央がゆらぎだし、日本人かさえ判断が付かない、自分以上の美女が姿を現す。
ただその美女は半透明で、あまりに顔の造作が整い過ぎ、およそ生きている人間には見えなかった。
おそらくパソコンで作られたCGのキャラクターだろう。10年も経てば、それぐらいの物が作られてもおかしくはない。
美里は大して驚きもしなかった。
『そして私はこのグラス・ヘキサゴンを管理運営する管理AIのクレアです。以後よろしくお願いします』
そう言ってCGの美女は、美里に向かい深々と頭を下げる。
この場合、普通の人間なら他の人間に対しては尻を向けたことになるが、それが当然と思っている美里は特に不思議にも思わなかった。
『まずは私の口から皆さんの紹介を始めます。まず今灯りが灯っている部屋が元3-Aの瀬尾一樹さん』
AIがそう言うと、他の部屋は暗くなり一樹の部屋にだけ灯りが灯る。
何か妙に芝居がかった演出だ。
ハーフの男だけ知らなかったが、別に知りたくもない。
美里は笑顔を変えないまま、これから始まる茶番に内心うんざりしていた。
『瀬尾一樹さんの部屋から時計回りにご紹介します、元3-A学級委員長の中野春香さん』
次に春香の部屋が灯り、一樹の部屋は暗くなった。
対象者の顔を見えやすくなる工夫だろうが、美里にとっては本当にどうでもいい。
『元3-Cの小泉えりなさん』
部屋の照明が灯ると同時に、えりながきっとに美里を睨んできた。
それを美里は笑顔のまま、受け流す。
彼女から恨まれる理由はよく分かっている。
10年後といっても、体感時間は高校時代から数日程度なのだから、怨みもまだ風化はしていないのだろう。
だが、だからどうしたというのだ。
何の力も無いゴスロリの小娘に憎まれた程度で、何とも思わない。復讐出来る力など、あるわけがないのだから。
表情を変えない美里にえりなは不服そうであったが、やがて視線を逸らした。
『元3-Aの納屋美里さん』
次に自分の部屋に灯りが灯る。
美里は余計なポーズは取らず、いつものように微笑をたたえいてた。
そしてその視線は、寛人の方へと向いていた。
『元3-Eの室伏タイガさん』
ハーフの男の部屋が灯り、美里はようやく彼の名前を知る。
ただ美里はタイガを一瞥しただけで、何の感想も持たなかった。タイガが上着を脱ぎボディビルダーのようなポーズを取っても、眉1つ動かさない。
『元3-Cの橋本寛人さん』
最後に寛人の部屋が灯る。
周囲が暗くなっても、紹介されている人間は他の部屋の様子が見えることは自分の経験から分かっていたので、とりあえず秋波を送る。
ただ、寛人からの反応は相変わらず乏しく、美里は人知れずため息を吐いた。
『以上が今回のグラス・ヘキサゴンに参加する皆様です。グラス・ヘキサゴンの目的は、短期間の内に相互理解を深め信頼関係を築くことにあります。皆さんは突然この施設に放り込まれ、不安を感じているかもしれません。しかし、ここではリハビリを終えたばかりの皆さんに肉体的な強制をすることは一切ありません。ただ話し合い、決断することでお互いの絆を深めていただきます』
「・・・・・・」
美里はようやくこの部屋の趣旨を理解する。
どうやらレクリエーションとは、同じ事故にあった人間達の相互理解……結論から言えば協力体制を築き上げることが目的らしい。
余計なお世話だと、美里はうんざりした。
できることと言えば傷の舐め合いぐらいだ。
それに、この中で手駒として使えそうなのは、寛人しかいない。
あとは駒どころか重荷にしかならない。
そんな連中と親交を深めたところで、時間の無駄だ。
むしろ1秒でも早くこの病院から退院し、ズレすぎた将来設計の立て直しをしたかった。
身体がある程度動くようになってから、美里はこの状況を利用した社会復帰の方法をずっと考えていた。
その中でも一番現実的なのは、悲劇の少女……といえるのは10年前までなので、悲劇のヒロインになることだ。
そこを足がかりに支援者を集め、弁護士や会計士といった社会的地位の高い資格を取る、もしくは政界に出る。それが最善だと判断した。
ただ、その悲劇も、あまり時間が経てば鮮度が落ちてしまう。
早いに越したことはない。
『ではなぜこのような設備を作ったのか説明いたします。現代社会において相互理解を最も妨げるもの、それは意志無き同調です。多くの現代人は見えない空気に流され、思ってもいない意見に賛同し、それを自分の意思だと思い込むケースが多々あります。また強度のスマートホン依存により、相手の理解を当然と思い込み、軋轢が生じてしまうケースもあります。これを防ぐために、まず皆様の通信手段を奪い、個別の部屋に隔離しました』
AIの説明は続く。
どんなにありがたいお題目も、美里にとっては馬耳東風である。
美里は表情を変えないまま、全く別のことを考えながら話を聞いていた。
そんな美里とは無関係にAIは話し続ける。
『ただし、このままでは完全な隔絶になり、話し合いはできません。そこで皆様、テーブルに注目してください』
AIがそう言うと、そこからプラスチックの四角い何かがせりあがってくる。
美里はそれを一瞥した。
おそらく何かの機械だろう、ボタンが6つ付いており、そのボタンごとに名前が振られている。
ただ美里自身の名前はなく、代わりにクレアの名前があった。
別に子供でもないので、それをいじくる気にもなれない。
『それはトランシーバーといって、一対一での会話通信に用います。名前の書かれたボタンを押すと、その人に電話のように繋がります。ただし、受信した相手が送信者のボタンを押さなければ、通話は出来ません。なお複数から通信が入ってきた場合は、通信を入れてきた人のボタンすべてが光りますが、会話できるのは1人だけで、その人のボタンを押します。もちろん誰の通信も出ないという選択もできます。またクレアと書かれたボタンは、この後説明する作業に使用します。このトランシーバーを用いることにより、お互いの姿が見え、かつ周囲の雑音が届かず、人はより相手を慮りながら率直な話が出来るようになると考えられます。またたとえ口論に発展しても、相手が絶対に手が出せない状況は安心感を与え、男女の立場を対等にさせ、より率直に話し合いができると考えられています』
「・・・・・・」
美里は心の中で欠伸をした。
トランシーバーを見るのは初めてだが、だからどうしたという話だ。
たとえ相互理解の役に立つといっても、参加者にその気がなければ意味がない。
美里としては自分の将来に何の役にも立たない有象無象がどう思うが何をしようが、どうでもよかった。
本当に時間の無駄としか思えない。
現状トランシーバーのボタンで使えそうなのは、寛人のボタンだけだ。
(とはいえ、完全に孤立するのも阿呆だけど)
たとえ使い道のない連中でも、自分一人対他全員という構図は避けなければならない。
人間関係の機微に異常なまでに鋭い美里は、その状況が破滅の一歩手前であることを理解していた。
不登校直前のえりなの立場がまさにそれだ。
適度に派閥を作り、その中に寛人を含めるのが最適である。
『以上が皆さんの置かれている状況についての説明です。そしてこれから今回のミッションを皆さんにお伝えします。今回のミッションは簡易版で、終了時間は最短で数分、長くても本日中を予定しています』
(ミッション……ねえ)
さすがにこんな環境に閉じ込めながら雑談して終わり、ということではないらしい。
とはいえ、最短数分ならそこまでのマイナスにもならないだろう。
まさに不幸中の幸いだ。
どんな事を課せられるかは分からないが、美里は表面上は協力してとっとと終わらせようと心に決めた。
美里の視界に、一樹と楽しそうに話している寛人が見えた。
美里は知らなかったが、どうやらあの2人は親密な関係らしい。
さすがの美里も、寛人の交友関係までは調べていない。寛人以外の人間などどうでもよかったのだから。
あの様子だと、寛人を自分の陣営に引き込むには、ついでに一樹もセットで説得しなければならないだろう。
だが、フラれて間もない一樹が自分にいい顔をするとは思えないし、何よりこの事件の発端でもある一樹と親密になるのは、美里自身抵抗があった。感情と理性はまた別問題である。
とはいえ、必要ならばその感情を押し殺すことは出来る。
その強さと徹底した打算が美里にはあった。
『なおトランシーバーは、聞き間違いや聞き逃し防止の観点から、私が話しているときとこれから言う作業をしているときは、強制的に切断されます。その点はご了承下さい』
その言葉を証明するかのように、トランシーバーで話していた寛人が不思議そうな顔をした。さらに映画俳優のように大仰なポーズを取る。
本当に芝居がかった男だ。
生理的には到底好きになれない。
一方、一樹の方はあまり変化はなかった。
こちらは利用価値がないので、そもそもどんな反応を取ろうがどうでもいい。
『それでは作業、およびミッションについて説明します。今から数分後、参加者の皆様には投票をしていただきます。投票の内容はただ一点、この施設から出るか出ないか、それだけです。投票は投票時間開始後トランシーバーで私のボタンを押し、口頭で行っていただきます。投票の結果、全員が出るを選んだ場合、皆さんの絆は充分と判断しミッションは終了、グラス・ヘキサゴンから退去していただきます。ただし1人でも出ないを選んだ場合は、再び投票をしてもらいます』
「・・・・・・」
つまりその面倒くさいことをやらせるための、この大がかりな設備らしい。
どう考えても、無駄にしか思えなかった。
自分にその予算があれば、もっとマシなことができたと思えてならない。
……勿論そんな本音を素直に言う気もない。
心の中で呆れるだけに留めておいた。
『なお、今回の投票で決まらなかった場合、次回からは投票前にある作業していただきます。それで皆さん投票までのわずかな間、じっくりとご相談して下さい』
その言葉を最後に、AIの姿が消えた。
それと同時に、さっそく美里のトランシーバーに春香から通信が入る。
現状無視する理由もなかったので、美里はそれに出た。
【もしもし美里? その、久しぶり。体感だとそれほど経ってる気はしないけど……】
春香の懐かしい、顔色を窺うような弱々しい声だ。10年経ってもその卑屈さはあまり変わりが無い。
自分以外には毅然とした態度を取る春香も、自分だけには卑屈な態度をとっていた。
いちおう、表面上は対等であろうと努めているのだが、客観的に見れば両者の関係は明らかだ。
本能レベルで上下関係を理解しているのかもしれない。
その情けなさが、美里には心地よかった。
「久しぶり春香。大変なことになったわね」
横目で寛人の様子を見ながら、美里は適当に答える。
現在その場にいる全員が通信しているが、視線を追えば誰と誰が話しているかは理解出来る。
寛人が話しているのはタイガだ。
その様子から、どうやらこのスポーツ馬鹿とも寛人は親密らしい。
一樹同様この2人の関係を今まで全く知らなかったので、どんな内容かまでは美里にも想像がつかない。
ほぼ上の空の美里に構わず、春香は話を続ける。
【……その、美里はどっちに投票するの?】
「私? 私は当然「出る」方を選ぶわ。10年のハンデは大きいから、とにかくここを出てすぐにでも将来のことを考えないと」
【将来……そう……】
春香が力なくうなだれる。
美里に言われて事実を突きつけられたことが、よほどショックだったのだろう。
だがそれは美里が目覚めた瞬間に通り過ぎた道だ。
利用価値がほぼなくなった春香のために、わざわざ慰めてやる気にもなれない。
「とりあえず春香も「出る」を選択した方がいいと思うわ。こんな所にいつまでもいたって、どうにもならないから」
【え、あ、うん……】
春香が曖昧に頷く。
ただ、自分に対しYESと言った以上、約束を違えることはないだろう。美里にとっての中野春香はそういう人間だ。
「それじゃ切るわよ」
春香の返事も聞かずに美里は通信を切った。
そのとき、トランシーバーでやり取りしていた寛人が視界に映る。
寛人が話しているのタイガだが、視線は一樹と話していたえりなへと向いていた。
正確にはその豊かな胸へ。
こればかりは美里の才能をもってしてもどうしようもない。
それ故に、胸の大きい女はそれだけで敵対心が湧く。羨ましいのではなく、馬鹿な男から比べられるのが屈辱なのだ。
おそらくどうでもいいことを話していた一樹とえりなの通話が終わると、不意にチャイムが鳴る。
その音は学校のチャイムそのものだった。
そして再びAIが中央の部屋に姿を見せ、言った。
『それでは口述投票を始めます。みなさん私のボタンを押して、その意志を伝えて下さい。また、投票に関しては一斉に繋げても全て一変に受理します。それでは投票してください』
(また面倒なことを……)
そう思いながら美里はクレアのトランシーバーのボタンを押し、「出ます」と答えた。
おそらく他の連中も同じ答えだろう。
それなりにリハビリも積んだはずだから、これ以上入院する必要はないはずだ。
AIの口から結果を発表されるまで、美里はそう確信していた――。




