レティシア 中編
久しぶりに休みをもらえたので街に行きたいとダダをこねてみた。
すると最近頑張っているのが報われたのか護衛付きだけれども外出の許可が下りたのだ。
ヒャッホー! 屋台で串焼き食べてみたいし腸詰を挟んだパンも食べてみたい。
実家にいた頃はそんな余裕無かったし、ここに来てからはそういう平民の食事は食べられなくなってしまったからずっと楽しみにしていたのだ。
「というわけで買って来て下さい」
私が屋台で直接買うことは流石に出来なかったので護衛の一人お願いすることにした。
彼らは私が頼んだ物に難色を示したけれどそこは聖女の悲しそうな顔をしてやれば一発で片がつくというものです。
買って来てもらった串焼きを頬張りながら市場の様子を眺めていると黒い髪の少年が通り過ぎた。
黒い髪に黒い瞳。一緒にいる少女に優しい顔を見せているけれど瞳の中にはあのとき見せてくれた力強さが宿っている。
間違いない! あのときの男の子だ!
慌てるな私、ここで飛び出せば次の外出が出来なくなる。
それにいきなり話しかけられても怪しい女の子から絡まれたになるだけだ。自重するんだレティシア、大きく息を吸って吐いてー。
よし、大丈夫。落ち着いたから冷静にいきましょう。
「すみません」
「どうかされましたか聖女様」
「実は……」
私はあの少年に昔助けてもらったことがあると話した。もちろんここで会いたいとか迂闊なことは言うつもりはありません。
まずはどこの誰だか知らないのだからまずはそこからいかないと。
「お礼の手紙を出そうにもどこの誰かも分からなかったので……」
「あの服装は騎士訓練校の生徒でしょう。今日は休みなのですが訓練生は基本外でも制服の着用が推奨されています。もちろん私服でも罰則はありませんが制服を着ているということは真面目なタイプなのでしょう」
「分かりました。ありがとうございます。まずは大神官様に相談してみますね」
よし、どこにいるか分かればやりようはあるのだから今日はこのくらいにしておこうっと。
戻った私は大神官のおじいさんに正直に話した。
私の理解者で味方だからわざわざ隠す必要もないしね。
「というわけで情報が欲しいのですけれど調べてもいいですか?」
「その前にレティシア様はその少年をどうなされたいので?」
どうしたいのか……か。
正直に言えばまた会えるだけで嬉しいのだけれど、もっと明け透けに言えば彼に恋をしている。
でも、横にいた少女は多分、恋人だよね。
奪うとか考えたこともないしそういうのは好きじゃない。
でも、彼のことは知りたい。
……そうだ、まずは彼のことを知ってみよう。考えるのはそれからにしようかな。
「まずは知ってみて考えたいです」
「分かりました。聖女の名に恥じぬのならお好きなさるといいでしょう。そうそう、今まで言い忘れておりましたが聖女でも結婚は可能です。神殿からは特に相手をどうこう言うつもりもないのでご自分で探す場合はそうおっしゃってください」
おじいさんは最後になんでもないことのようにとんでもない発言をしていった。
えぇ! 私結婚していいの? 知らなかったんですけれど?
言いたいことが沢山あるけれど今は彼のことが優先だし見逃してあげることにした。
覚えてなさいよ~
「なるほど。ありがとうございます」
私はあの少年の調査を護衛に依頼することにした。
といってもなんの理由もなくお願いは出来ないので、まずは騎士訓練校の訓練生の情報を貴族女性の友人達に聞いてみる。ああいうところには将来の婿候補とかで情報が出回っているはずだから。
「ええ、もちろん知っていますが……」
「深い意味は無いのです。ただ、私はああいう学校に行ったことが無いので普通の貴族女性がどういう男性に憧れるのかちょっと興味があるだけなんですよ」
私はあくまでも女性同士の恋話がしたいと主張する。
このために少し前から興味があるように匂わせておいたので特に不審には思われないはず。
元々箱入りの世間知らずだと思われているだろうから上手く誤魔化せると思う。まぁ、縁談を持って来るような貴族はいるかもしれないけれどそれはこれから増えるだろうし大した問題じゃない。
「そういうことでしたら」
納得してくれたらしいので私は黒髪で黒い瞳の彼のことを話す。もちろん恋をしているように見せかける必要はない。
だって本当に恋をしているんだから。
「その方でしたらジェラルド・フォーゲン様ですわね。男爵家出身ですが訓練校では二番目に強いと言われている優秀な方ですわ」
ジェラルド・フォーゲン様。よし、魂に刻んだからこれで忘れないね。
それにしても二番目に強いって凄いんだね。ちなみに一番は誰だろう?
「一番はエリザ・ブレーディア男爵令嬢ですわ。ジェラルド様の婚約者でもあります」
婚約者!
恋人は覚悟していたけれど婚約者はちょっとダメージがある。
もっとも恋人だろうが婚約者だろうが相手がいることに変わりは無いのだから目が無いことに変わりは無い。
こちらから何かするつもりは無いけれど、それでも彼のことを調べるのは続けていこう。やっぱり知りたいし、それに少しずつ知っていけば近づいていけているような気がするから。
それから彼のことを少しずつ確実に調べていった。
護衛には将来の私の護衛に考えていると言って彼の周辺のことを調べてもらった。これには彼が優秀な成績を修めていることが幸いした。言い訳の必要が無いのは楽でいい。
貴族女性の友人には引き続き学園での彼の情報を教えてもらうことにした。報われない片思いという設定は女性にとっては大好物だから飛びついてくると確信していたし。
もっとも設定が設定じゃないことは自分が一番良く知っている。
おかげで色々なことが分かった。
剣よりも魔術のほうが得意なこと。騎士訓練校に入った今でも魔術の訓練を欠かさず行っているために既に実力は一人前の魔術師に近いことも。
恋人のエリザさんを大事にしていることから分かるように情は深いタイプみたい。真面目だけれどちょっと意固地と言うか頑固な所があるからそこをうまく誘導しないとお互いの感情にすれ違いが起きるタイプだということも見えてきた。
他にも好きな食べ物は鳥のハーブ焼きで嫌いな食べ物は苦いもの全般。
実は動物好きで校舎の裏にいる猫を可愛がっていることも。
休みの日には本を買いに来ることが趣味で千眼の魔女が愛読書だということも。
そして婚約に反対しているエリザ様の祖父のグラルドさ……いや、糞爺から嫌がらせを受けていることも。手を変え品を変えしてくる嫌がらせには英雄と呼ばれる男の浅ましさがよく滲み出ている気がした。
そしてそれら全てを跳ね除けて婚約を続けていることも。
エリザさんに負け続けても手加減をしないで欲しいと、対等でいたいという思いも。
全て親切な友人達が調べてくれた。
これらを活かすことはないのかもしれないけれど少しでも彼を感じることが出来て私は嬉しかった。
だから彼とエリザさんの間が少しずつおかしくなってきていることには正直に言えば驚いた。喜びよりも心配のほうが先に出てくる。
聞くところによるとエリザさんに勝てないジェラルド様が訓練を増やした結果、エリザさんに会う頻度が減っているらしい。
部外者の私には何も出来ないけれど友人を通して忠告等出来ないかと動いてみたけれど、残念なことにあまり意味は無かった。
そして二人が訓練校に入ってから三年目になった年にもう一つの変化があった。
エリザさんがジェラルド様以外の男性と共にいるようになったのだ。友人から聞くところによると結構親密な様子らしく、よく二人で一緒にいるようだ。
名前はランスロットと言って剣の天才らしい。端から見ていれば浮気相手にしか見えないのだけれどエリザさんにその認識はないと思う。
むしろ理解者を見つけたというところだろうか。
自分しか分からない世界がある。それは時にとても孤独を感じさせ耐えられない寂しさを与えてくることだってあるから。だからエリザさんはそれをランスロットで癒しているのかもしれない。
私も聖女なんて呼ばれているから理解は出来るし、共感もしてやれるがその選択肢だけは選ばない。
どんなに理解者がいてもそれは決して同じ世界を見ているということには繋がらない。結局違う人間である以上見ている世界は別物でしかない。
人が人を全て理解出来ないのは所詮自分の世界しか見えないからだと私は思っている。それでも相手の世界を理解しようとするからお互いの世界が交じり合って新しい世界が見えるのだと。
だから愛おしい人に伝える努力をせずに手っ取り早く理解してくれるように見える相手に縋るのは間違っていると私は思う。
もっともそれを伝えることも、この状態を打開することも出来ない部外者の私には何もする権利が無い。聖女なんていうものになっているから余計に手を出すわけにはいかない。
私は初めて聖女であることが少しだけ疎ましくなってしまった。
それからもジェラルド様は意固地になって訓練を続けているようだし、すれ違いが加速していっているようで悲しかった。
好きな人が恋人と上手くいっていないと聞いて嬉しさよりも悲しさの方が強かった。あの糞爺の嫌がらせにも耐えて婚約を続けているくらい好きなのに上手くいっていないなんてあまりにも報われなさ過ぎる!
私は彼が訓練を増やしてまで強くなろうとしている理由を知っている。
あの糞爺が訓練校で年に一回全校生徒が参加する闘技大会で、三年連続上位三位以内を達成出来なければ解消だとほざいたことも。
さすがにこれを調べるのは苦労した。あの糞爺が根回しをあちらこちらにしていなければ分からなかったと思う。
腐っても英雄、人脈は結構なものだった。とっとと隠居して田舎にでも引っ込んでくれればいいのになんて思ったりしてる。
そしてその日は訪れた。
私はこっそりと闘技大会の会場を見に来ていた。もちろん護衛もいるが将来の護衛候補をこの眼で見たいとわがままを爆発させてやったのでお忍びならと許可をもぎ取ってきたのだ。
そんな私の目の前で悪夢のような組み合わせが起きていた。
三年目の闘技大会で二回戦目に二人は対峙したのだ。
ジェラルド様はエリザさんに勝てたことは一度も無い。最近は最強の騎士ユーディッド様に鍛えてもらってかなり強くなったけれど残念ながら足りていなかった。
エリザさんはランスロットと秘密の特訓をしていてジェラルド様が知っている頃とは比べも物にならないくらい強くなっていたから結局差は縮まっていなかった。
当然勝てるわけはない戦いだった。これで負ければ婚約は解消になる。
何のために彼は努力したのだろう? 何のために本来向いている魔術の道を諦めて剣の道に入ったというのだ。
惨すぎたし、悲しすぎた。
事前に分かっていた通りジェラルド様はエリザ様には剣のみでは勝てない。追い詰められやがて剣が弾かれて致命的な隙をさらした。
なのにあの女は攻撃しなかった。それどころか精彩の欠いた攻撃を繰り出している始末だ。
あんなに正面からぶつかろうと、対等でいようと血反吐を吐きながら守っていたあの女の婚約者の地位にいる人に……あろうことか手加減をするなんて。
手加減は上位者が下位の者にすることなのだから、あの瞬間あの女はジェラルド様を見下したのだ。
理由があったのかもしれない。きっと大きな理由が。
それでもあれだけ手加減しないで欲しいと願った彼の思いはあの女に本当の意味では届いていなかったのかもしれない。
ジェラルド様は試合を棄権してそのまま立ち去って行った。
後には呆然としたあの女が残っていた。
あぁ、そうか。あの女……いや、エリザさんも理解はしていたんだ。でもそれを上回る何かが彼女に手加減をさせてしまったに違いない。
それが何なのか私には理解できなかったけれど、私は一つ心に決めた。
彼女が彼を捕まえておけないときは私が隣にいられるようにしようと。
その時はもう遠慮はしない。
だから彼を一人にしないで欲しかった。
彼が悲しい思いをするのは嫌だったから。
闘技大会から二日後、二人の婚約は解消されたようだった。
エリザさんはあれからジェラルド様に会ってはいないようだ。手加減をした後ろめたさからなのか、自分からは行けていないらしい。
もっとも、いつもそばにランスロットがいるようだから周りからは新しい恋人と思われているようだ。
当然だと思う。エリザさんは周りからどう見られているかなど気にはしていないのかもしれないけれど。それはジェラルド様がどう思うかも分かっていないということになるのだから。
だからジェラルド様が騎士訓練校を辞めたことを私は驚かなかった。
エリザさんはジェラルド様を繋ぎとめておくという発想すらなかったのだろう。
もう、いいよね。十分待ったんだし。
ストーカーってこの世界でもダメなはずなのに、権力って怖い。