エリザ 後編
今年も闘技大会の日がやってきた。
準備は万端、体調も絶好調。
やれることはやったしジェラルドと全力で戦える。彼が最強の騎士のユーディッド様に師事していると知ったときはビックリした。
流石私のジェラルドだね。こうしていつも驚かせてくれる。
私もランスロット君との訓練で飛躍的に進化した気がする。ランスロット君も伸びたけれど私が知っているジェラルドよりもまだ弱いから彼がジェラルドに勝つことはないだろうし安心して決勝でジェラルドと戦えるね。
私は剣の才能もあったし、貴族に生まれて生活に苦労したこと無かった。だから恵まれていたのだろうけれど一つだけ致命的に無かったものがあったみたい。
一年と二年のときは決勝でジェラルドとぶつかった。だから今年も決勝でぶつかると勝手に思っていた。
――二回戦の相手はジェラルドだった。
ジェラルドと対峙する。四角で区切られた試合場はいつもより狭く感じた。
こんな形で勝負となったけれどやるからには全力で戦わないと意味が無い。それにジェラルドも強くなっているはずだから私だって負けるかもしれない。
手加減なんかしないし出来ない。私は全てをぶつける!
「二回戦、始め!」
審判の声と共に私は駆け出した。そのまま体のバネを活かして斬りつける。
ランスロット君でも受けきれないこの一撃ジェラルドなら余裕なはず!……え?
私の剣をかろうじて防いだジェラルドは驚いた顔をしていた。反撃が来るかもと思ったのに来ない。
私は戸惑ったまま次の攻撃を繰り出す。
おかしい……防いではいるけれど反撃する余裕が無いみたい。
まるで防ぐことで精一杯みたいにジェラルドは見える。
そんな、こんなことってないよね? 演技だよね? 本当はここから逆転するんだよね?
いつもはここまで一方的なんかじゃなかった。ジェラルドの鋭い一撃だって迫ってきた。
でも今回は違う、何も来ない。そしてそのまま私の剣はジェラルドの剣を弾いて致命的な隙を作り出した。
今、攻撃すれば勝てる。そんなことは分かっていた。
私はジェラルドがもっと成長していると思い込んでいた?……違う、私が。
――私が強くなり過ぎていただけなんだ。
そして私は気がついてしまった。もしここで攻撃したらジェラルドはここで終わりになる。まだランスロット君とも戦っていないのに負けてしまう。
負けたジェラルドは約束をどうするのだろう?
考えるまでもない、ジェラルドはこういうことには真剣だから婚約を解消するかもしれない。
そんな恐ろしい可能性に気がついた私は気がつくと致命的な隙を見逃していた。
私の目の前には呆然とした顔のジェラルドがいる。
私はいったいなにをした?
彼に手加減をしてしまった?
うそだうそだうそだ! そんなこと絶対にしていない!
そう思っても攻撃は先ほどに比べると精彩を欠いているのは自分でも分かった。自分でも止められなかった。もう心が千切れそうでバラバラになりそうなときそれは聞こえた。
「棄権します」
「……え?」
今、ジェラルドはなんて言った? 危険? そうだよね、こんな精神状態で戦うのは危ないものね。さすがジェラルド私の……
「え……あ、はい。勝者、エリザ・ブレーディア」
勝利の宣言も私には無意味だった。
こんなもの何の意味も無い。
私は無意識にでも手加減をしてしまった。
怖かったから、彼を倒してしまうのが。
……いや、違う。本当は分かっている。
私は彼を――信じられなかったんだ。
私は強すぎたのかなぁ。
それから二日後、おじい様からから婚約解消の手紙が届いた。理由はジェラルドからの辞退。
何度も何度も読み返した。間違いを探して、暗号かもしれないと疑って。それでも何も見つからなかった。当たり前だ、これは現実なのだから。
卒業まであと三ヶ月くらいになった。
あれからジェラルドと私は会っていなかった。
違う、ジェラルドに会わせる顔が無かった。
落ち込んでいたいのにおじい様からは闘技大会で二位と三位になった訓練生との縁談を持ち込まれてうんざりしている。
おじい様は尊敬しているし大好きだけれど今だけはそっとしておいて欲しかった。
何の因果か二位はランスロット君だったことも追い討ちをかけてきた。
今は何もしたくないし、なにも考えたくなかった。
三日くらい部屋に閉じこもっていた私を友人が心配して無理やり引きずりだした。
「この馬鹿! 何も食べなければ弱るに決まってるじゃない! つらくてもとにかく何か食べな!」
そういえば言われるまでお腹が空いていたことを忘れていた。部屋を片付けるという友人に追い出され昼食を買いに行こうと中庭にたどり着いたときそこにはランスロット君がいた。
「ようやく会えましたね、先輩。三日も出てこないから心配しましたよ」
「……ごめんね、いま余裕無いから」
ランスロット君でも今は話したくない。私に必要なのはジェラルドなのだから。
「行かせませんよ」
不意に抱きしめられた。何も食べていない弱った体では反応することも逃げることも出来なかった。
それよりも逃げる気力も残っていなかった。
「今、先輩がつらいのは理解しています。俺もまさかあんな結果になるなんて思ってもいなかった。……でも俺は先輩が好きなんです! 一人の女性として愛しています! だから俺にもチャンスを下さい」
言葉が出なかった。ランスロット君からの好意は感じていたけれど私は気づかない振りをして彼を利用していた。
そのつけが回ってきたのかな。ランスロット君がジェラルドとした馬鹿な約束も、その結果婚約が解消されたことも元々は私が招いたことだったのかもしれない。
本当はあのとき乗り込んでいって馬鹿なことを言うなって怒れば良かったんだ。
でも私はジェラルドを失うことも恐れあげくには同じ世界を見れるランスロット君を失うことも恐れたんだ。その結果がこれだとしたらなんて罪深いのだろうか。
こんな私はジェラルドに相応しくないのかもしれない。そう思うと麻痺した心が悲鳴をあげる。まだ痛みを訴える力は残っていたらしい。
でも私にはジェラルドが必要だから。だから。
「ごめん、私はジェラルドを愛しているの。だから君の気持ちには応えられない……離して」
そっと抱きしめている腕を押すとゆっくりと離れていく。
「分かっていました。俺じゃダメなんだって。でもそれでも諦めたくなかったんです」
「私は君が思っているような女じゃ……」
「気づいてましたよ。利用しているって。それでも良かったんです。俺はどんなあなたでも好きなんです。だから構わなかった、利用されていても先輩が笑っていられるのなら」
最悪だ、私はなんて醜いのだろう。こんな思いをさせてまで何をしていたのだろう。
「だから、今はまだ無理でも友人ではいさせてください」
「分かった……あと、ありがとう。今まで」
謝る権利なんて無い。彼もそれを望んでいない。
時間が欲しかった。せめて自分の心を整理する時間が。
なのに、ジェラルドはいなくなった。
私の知らないうちに騎士訓練校を辞めていたのだから。
あれから卒業して三年の月日が流れた。
私はそのまま主席として卒業し騎士団入りも決定していた。おじい様はとても喜んでくれてお祝いに名工の手による名剣をくれたのだから驚いてしまった。
ランスロット君、ううんもう君はおかしいかな。
ランスロットは私と同じく騎士になった。お互い切磋琢磨したおかげで腕はかなり上がったと思う。私達はもう少ししたら小さな隊を任せてもらえるかもしれないという話をこの前聞いたっけ。
ジェラルドとはあれから一度も会っていない。姿を見かけることもなかった。
私に負い目があるせいかフォーゲン家に行くことも出来なくなっていた。ランスロットもジェラルドに触れることが無いから話題にも上がらなかった。
今日はおじい様がランスロットを連れて来いとうるさいので夕食に招くことにした。
おじい様は彼をとても気に入っていて最近は私を嫁にどうだの彼との結婚だのと言い出すことが多くなった。
私はいまだにジェラルドへの思いが消えないでいる。
あんなマネをしたのに無様にまだジェラルドを求めて涙が止まらない夜は幾度もあった。だから最近は少しおじい様のこういう無神経さが嫌だった。
食事を終えてすっかり酔っ払ってしまったおじい様はランスロットに泊まっていけと言い出した。
昔は気づいていなかったけれど、最近はおじい様のこういう人の都合を考えない強引なところがあることに気がついた。もしかしたらジェラルドもこういう強引さに困らされていたのかもしれないと気づくと昔の自分の視野の狭さに嫌気が指す。
「もう少し飲もうじゃないかランスロット君。いや君は素晴らしい騎士だ」
私はランスロットに申し訳ないと思いながらも部屋に戻ることにした。ああなったおじい様はあまりお酒の飲めない私よりも飲めるランスロットと話したがる。
「しかし、あのジェラルドとかいう小僧が消えてせいせいしたわ」
……え? 今、おじい様はなんと言ったの?
部屋に戻ろうとした私に聞こえてきた信じられない言葉。私はその場から動けなくなった。
「弱いくせに私の孫娘にひっつく不快な虫だったものだ。剣を学ばなければ婚約解消と言ってやれば諦めるかと思いきや意外と粘りおった」
酔ったおじい様はランスロット相手に話し始めた。
ジェラルドが剣を始めた理由がそんな理由? もしかしておじい様が何もしなければ彼は魔術を学べていたのでは?
「ジェラルドさんが剣を始めたのはそういう事情があったんですね」
「何度かあやつより強いと思うものをけしかけて負ければ婚約解消と言ってやったが、不思議と勝ちおる。流石に強引に解消はさせられんかったから闘技大会で毎年上位三位以内には入れなければ解消とするのが限界だったわ」
「それでも厳しい条件だと思いますが……」
「本当は優勝と言いたい所だったがあやつがエリザに勝てんのは分かりきっておった。不可能な条件を出せば流石に飲まんと思ってな」
そんな話し私は知らない、考えたことも無かった。
おじい様が私達の邪魔をしていた? おじい様がジェラルドを追い詰めた? 違う、私とおじい様が彼を追い詰めていたんだ。
「だから婚約解消したんですね、ジェラルドさんは」
「んー、ああ、そういうことになっておったなぁ。実際は向こうから言ってきたわけじゃないから私がそうなるように知り合いに頼んだんだがなぁ。まぁ、これで君という素晴らしい若者がエリザの夫になることができるというわけだ。実に素晴らしい! ささ、飲め飲め」
吐き気がした。
許せないとかそういう次元の話ではなかった。
あの男は私の思いをなんだと思っていたのだろう。何を見ていたのだろう。同じ血が流れていることが忌まわしかった。
私が敬愛した祖父は最初からいなかったのだ。いたのは私と同じ醜悪な欲望を身勝手に行使するただ強いだけの化け物でしかなかった。
私はそれからしばらく経ってからグラルド様にお願いをした。
「お願いがあります。今度私と戦ってもらえませんか? 私がどれだけ強くなったのか見てもらいたいのです」
私がそう言うとあの男は嬉しそうに二つ返事で応えた。
お父様とお母様には全て話してある。二人とも婚約解消には何度も抗ってくれたらしいのだがいまだに根強い人脈を持つあの男には逆らえなかったようだった。
しかたが無いと思う。貴族という物はいつまでも権力にしがみつく老人にはなかなか抗えないものだって今なら理解できるから。
だからあの男の権力の一つをここで潰しておく。
「胸を借りるつもりでかかってくるといい」
「はい、よろしくお願いします」
互いに木剣を構える。
遠慮なんてしない。全身のバネを使って斬りかかる。
流石は英雄と呼ばれた人だしっかりと防いでくる。
――だけどね、グラルド様、ジェラルドはその程度なら防がずにかわして逆に反撃してきたよ
弱い! 弱い! 弱すぎる!
この程度しかないのか? 私の愛する人を馬鹿にした男の強さは?
あのとき最後の闘技大会でジェラルドにしたのと同じ攻撃を繰り出していく。確かにあのときのジェラルドは防ぎきれていなかった。それでも今目の前にいる男のように無様に打ち据えられ倒れていることはなかった。
「どうしたんですか? ジェラルドはこの攻撃では打ち据えられることはありませんでしたよ」
「エ……リザ?」
「何も知らないままならおじい様と呼べた。でもあなたは私から最愛の人を奪った!」
「ち、ちが、グフッ!」
喋ろうとするその口を閉じさせるために腹を踏みつける。
「私も愚かでした。全ての原因があなたにあるとは言いません。それでもあなたが憎い! 殺してやりたいほど憎くて仕方が無い!……でもあなたが私の祖父だから殺しません。その代わり完全に隠居してもらいます」
私を見る目が怯えている。英雄と呼ばれた人でもこんな目をするんだ。
私は力なく横たわる老人をそのままにして立ち去る。もうあの男に用はない。それにあの男にも言ったように罪は私にもあるのだから。
結局あの男を打ちのめしても空しさは消えなかった。私が失ったものはどれだけ大きかったのか大きすぎて見えなくなっているのかもしれなかった。
あれから祖父だった人は完全に隠居させられた。我が家の田舎と言っていい領地にある古い別荘に住むことになり使用人も最低限しか付けられていない。
さらに私だけでなく兄様からも絶縁を突きつけられたらしい。田舎に引っ込む際に祖母からも着いていかないと宣言されて気力をなくしたのか大人しくしているらしい。もはや英雄と呼ばれた男の面影は残っていないみたいだった。
我が家の権力は完全にお父様に戻ってお父様も胸を撫で下ろしていたみたい。あの男はいろいろとわがままを言っていたらしくこれから他の貴族との付き合いが大変だと兄様がこぼしていたっけ。
ジェラルドの家への謝罪と補償も十分に行ったらしく、親同士の関係はぎこちない部分もあるらしいけれど続いているらしい。
我が家の問題は片付いたけれど私のほうは何も変わらなかった。ジェラルドがどこにいるかも知らないのだから。
そんなある日、魔獣の大規模発生が確認された。規模が大きいということで私達騎士団と連携しての魔術師団との魔獣討伐の任務が下った。しかも今回は聖女が行くと言い出したからビックリ。
昔ジェラルドと話した聖女様の話を思い出して、当時はまさか自分が関わるとは思っていなかったからなんとも懐かしいような苦いような変な感じだった。
ランスロット達と魔術師団との待ち合わせ場所で待っているとローブを来た一団が現れた。彼らが魔術師団なのかな?
先頭にいる人は魔術師なのにがっしりとした体付きで近接戦闘も強いのが分かる。良く見れば背中に槍を背負っているから槍使いなのかな。
「今回はよろしくお願いします」
「あ、え、はい。よろしくお願いします」
この声は……私が間違えるはずが無い。ジェラルドだ。
「どうかされましたか?」
「……ジェラルドだよね?」
「ああ、そうだよ。仕事なんだから話し方くらい丁寧になるさ」
「そっか、そうだよね」
三年前よりもかっこよくなっていた。声も少し渋くなって素敵になってる。私は久しぶりの彼の声に酔いしれてしまった。
「それで今回の聖女の護衛の件だが……」
正直に言えば仕事の話はほとんど頭に入っていない。ただ、ジェラルドに会えたことが嬉しくてそれだけで胸がいっぱいだった。仕事のことは後でランスロットに聞くことにしよう。
話し合いが終わるとジェラルドはそのまま立ち去ろうとする。待って、まだ私はあなたに話したいことがあるの。
「ちょっと待って」
「ん? なんだ?」
「あとで二人で話したいことがあるの……時間作ってもらえない?」
あの時、手加減してしまったこと。あの男がしてしまったこと。話したいことはいっぱいあった。だから私は……
「ブレーディア嬢、それは良くない。恋人の前で他の男を誘うなんてルール違反だ。聞かなかったことにするからちゃんと話したほうがいい」
何を言っているの? ブレーディア嬢? 前みたいにエリザって呼んでよ!
それに恋人って誰のこと?
ま、まさかランスロットを恋人だと勘違いしている!?
「ち、ちが」
急いで否定しようとしたとき誰かがジェラルドの背中に抱きついてきた。
「いつまで打ち合わせしてるんですか? もう待ちくたびれましたよ?」
「聖女様は待ても出来ないのかよ」
白いローブを着た銀髪の女性。凄い美人だった。大きな瞳に桃色の唇。同じ性別と思えないくらい綺麗な人。
それに聖女様? どういうこと
「ほら、行こう」
聖女様は催促をしながら彼を引っ張っていく。引っ張られる彼の顔は幸せそうだった。
やめて! そんな幸せそうな顔しないで! 置いていかないで側にいてよ!
でも笑っている彼の顔を見ればそんな言葉は出てこなかった。
「それではブレーディア嬢、ランスロット殿。二人の未来に祝福あれ」
「……はい、魔術師フォーゲン様」
だからせめて彼の好きだと言ってくれた笑顔をかえしたい。
彼の記憶に残る私の顔が笑顔であって欲しいから。
薄汚れた醜い欲望に塗れた私の記憶に残るあなたの顔が笑顔でいて欲しいから。
だから
――あなたは笑っていて