エリザ 中編
三年目に入ってからジェラルドが訓練をする時間を更に増やし始めた。
そうでもしないと私に着いて来る事は出来なくなっていると思ったみたい。確かに最近は私がすこしばかり引き離してきているのは理解している。
でも私は知っている、こういうとき必ずジェラルドは凄く強くなって私に追いついてくるって。今まで何度もそうやって私に追いついて私を驚かせてくれたのだから。
だから今回は私も彼を驚かせて見たいと初めて思った。うんと強くなって私はもっと先にいるって彼に見せて追いかけてきて欲しくなってしまった。
そんな私のお願いを神様が聞いてくれたのかある新入生が話題になった。平民出身の訓練生にしては珍しい話だったけれどそも納得が出来た。
――剣の天才
そんな風に呼ばれている新入生に興味を持ったのは当然だったと思う。
私はその新入生に会いに行ってみることにした。
「あなたがランスロット君?」
噂の新入生はどこか幼さを残した顔つきのそれでも私より背の高い男の子だった。金の髪に青い瞳。柔和そうな顔をしているくせにギラついた剣気を隠す気はないみたい。
「はい、エリザ・ブレーディア先輩。よろしくお願いします」
彼はそう言って私に手を差し出してきた。その手を握り返すと彼が強いのは良く分かった。
ジェラルドの次くらいには強いかも知れない。そう思うと彼を試してみたくてしょうがなくなった。
「ねぇ、今から訓練しない?」
ランスロット君は天才というのは間違いないと言えた。
私の剣に着いて来られるだけではなく、感覚的なものになるけれどどこを防ぐのかどこを攻めるのかが分かっている戦い方。
まだ私には遠く及ばないけれど私の見ている感覚を理解してくれる人だった。これだけはジェラルドも共感してくれない……ううん、理解出来ない部分だと思う。これは生まれもった感覚でしかないのだから理解しろという方が無理難題だ。
私は確信した、ランスロット君を使えば私はもっと強くなれる。ジェラルドがもっと強くなってくるのだから私も強くならないと。
だから私は彼を利用することにした。渡り廊下などで剣の話をしながら、彼に私の見ている世界を理解してもらおうとした。
彼もユーモアのある人だからおもしろい話なんかしてくれてわたしも笑ったりしていたけれど、それくらいは彼に付き合わないとね。私の為に強くしようとしているのだからこれくらいはサービスしてもいいかなって。
それからしばらくしたある日、わたしはランスロット君にどこか人目につかない場所は無いかと聞いてみた。ランスロット君と訓練しているところジェラルドに見せないようにしたかった。
だっていつも私はジェラルドに驚かされてきたから今度は私がジェラルドを驚かせてみたくなったのだ。
ランスロット君が紹介してくれたのは商人街を抜けた先にある小さな訓練場だった。平民の人がそこで訓練をしているらしい。聞けば元騎士が格安で稽古をつけているのだとか。ランスロット君もそこで訓練をしていたらしい。
そこならジェラルドにバレることは無いと思う。ジェラルドに秘密を持つなんてちょっとドキドキするけれど悪いことをしているわけじゃないから大丈夫だよね?
私は次の休みにそこに案内してもらうことにした。運の悪いことにジェラルドに誘われてしまったけれど今は少しでもジェラルドに追いつかれないように強くなっておきたかった。断腸の思いで断ったけれど正直に言えば彼と遊びに行きたかった。
でも今だけの我慢我慢、卒業さえすればジェラルドも魔術を使えるようになるから私じゃ勝てなくなる。
今だけの時間だと思って剣のみでの勝負をジェラルドとしたかった。いつも彼相手には手加減なんかする余裕は無かったのだから。これからも簡単に負けないように強くならないと。
私はジェラルドにだけは手を抜くつもりはなかった。
次の休みの日に私は友人に頼んで商人街まで着いてきてもらった。これで万が一ジェラルドに見つかっても誤解されなくてすむと思う。
同じように女騎士を目指している彼女には全部話しているので浮気とか勘違いされる心配もない。
もっとも彼女からは
「あんた剣は強いのにおつむは意外と弱いのね」
なんて酷い言葉を投げかけられてしまったけれど。
友人と出かけるのだから仕方なく女性らしい格好をすることにする。本当はこんな格好はジェラルドだけに見せられればそれでいいのに。
商人街にやってきてここで友人とは別れることになる。帰りには訓練場まできてもらえることになっているので偽装も完璧なはず。
「すみません先輩、待ちました?」
ランスロット君が小走りで駆け寄ってきた。見た目の良い彼は私服のセンスもいいようでかっこいい部類に入るとは思うけれどだからどうした。
私にとって彼は優秀な生徒であり訓練のパートナーでしかない。もしかして服装を選ぶのに時間がかかっていたとか言わないよね?
「待っていないよ。時間も無いから行こう」
「はい。それにしても先輩の私服も似合ってます。綺麗ですよ」
「ありがとう、でどこに行けばいいの?」
「こっちです」
不思議だなジェラルドに褒められると心臓が止まりそうなくらいドキドキするのに彼に言われても特に気にならない。
もちろん、ランスロット君のことは嫌いじゃない。気がつけば彼に出会ってから私の中にあった寂しさのようなものは無くなっていた。ただそれは恋愛的なものじゃなくてきっと理解者が欲しかったのかもしれない。
「エリザ、ちょっといいか」
「なぁに? どうしたの」
放課後、ランスロットくんとの訓練に行こうとした私をジェラルドが呼び止めた。
どうしたのかな? もしかしてデートのお誘いだったりして。
「先週の休みの日、商人街にいなかったか?」
え? まさかあそこにいたの? 見られていた?
「先週? 先週は友達に付き合って職人街にいたよ。ドレスを見て欲しいって頼まれてたからね」
とっさに私は予め考えておいた嘘をついてしまった。まだジェラルドには秘密訓練をしていることはバレたくなかった。
「……そっか、悪かったな。へんなこと聞いて」
「どうしたの? ジェラルド。なにかあったの?」
「商人街でエリザそっくりな女性が屋台で働いていたからさ。まさかと思ってな」
本当かな?
「いるんだね、そういう人」
きっといたんだよね?
「ああ、そうだな。用事あるんだろう?」
「うん、それじゃまたね」
私は苦い思いが胸に染み込んできて苦しかった。本当のことを言えば良かったのに、この日私は初めてジェラルドに嘘をついた。
ジェラルドを驚かせたいのは本当だったから。
きっとそのはずだから
あれから私はジェラルドと訓練をすることが苦しくなってしまった。強くなってきていることは実感できたしそれをごまかすことも難しくなってきたのもある。
ただ、それよりもあのときついた嘘が私を苦しめている。まるで茨のように心に巻きついて取ろうとしてもその手が痛むように思い出すだけで私の胸は痛んだ。
もちろん訓練のことだけでそれ以外はなるべく一緒にいるようにしている。ジェラルドと過ごす時間が取れないなんて私には死活問題なのだから。
やがてジェラルドも誰かと訓練を始めたのか私達は訓練という形では会うことはなくなっていった。
その日はなんとなくジェラルドの顔が見たくなった。訓練場へと足を向けていくと誰かと話している声がする。
なんとなく見つかったらいけない気がしたので物陰に隠れて様子を伺ってみる。ジェラルドとランスロット君だ。
何を話しているのかな? 真剣な顔をしているから真面目な話しみたいだけれど。
ちょっと遠いせいかあまり聞こえない。精一杯集中してみればなんとか聞こえそう。
「……俺……勝っ……婚約解消……」
え? ランスロット君は何を言っているのだろう? そんなふざけた話しを持ち出すなんて彼は何を考えているのだろうか。
私は怒りで目の前が真っ赤になった。怒りのあまりこのまま飛び出していきそうになったけれどなんとか堪える。
ジェラルドはこんなふざけた話は嫌いだし怒る人だから。
ただ、真面目な人だからこうやって正面から挑戦されたらきっと受けてしまう。それを邪魔すれば彼のプライドを傷つけてしまうかもしれない。
違う、私は喜んでしまっていた。
ジェラルドが私の為に戦ってくれるということを。まだランスロット君ではジェラルドに勝てないことを理解していたから。
こんな最低な快楽に私は心をよがらせてしまっていた。
「ねぇ、ランスロット君。ちょっといい?」
「なんですか? 先輩」
訓練場を離れたランスロット君を呼び止める。
「さっき偶然聞こえたんだけど、あなたが勝ったら婚約解消って何?」
私は怒りを滲ませながら彼を問い詰めた。
「聞いていたんですか……参ったなぁ。いや、実は先輩の婚約者とどうしても本気で戦ってみたかったんです。だからちょっと挑発しようかなって」
本当なのかな?
ううん、それはどうでもいいことだね。
「……分かった。一応それで納得されておいてあげる。でも二度とやらないで」
「分かりました、先輩。それに万が一勝ったとしても俺からは何も言いませんから」
私と同じ世界は見れるけれど彼にはジェラルドがどれくらい高い壁か分からないみたい。今のランスロット君では勝てないのだからその万が一はありえないのだから。
その日は流石に訓練をする気分になれず部屋に戻った。
早く卒業したいなぁ。