ジェラルド 前編
俺が彼女に出会ったのはまだ幼い時だった。
フォーゲン男爵家の長男として生まれた俺はジェラルドと名づけられた。フォーゲン男爵家は建国時より続く古い家で今まで数多くの魔術師を輩出してきた名門だ。
五歳になったとき会わせたい子がいると言われ着いていった先で出会ったのがエリゼだった。
エリゼはブレーディア家の長女だった。ブレーディア家はフォーゲン家ほど古くは無かったがそれでも古い家で代々騎士を輩出してきた武門の名家だった。
そんな両家だったが俺達の親が貴族学校の頃からの親友だったらしく生まれた子供を婚約させる約束をしていたらしい。
俺の婚約者として紹介された彼女は燃えるような赤い髪に宝石のように輝く青い瞳をしていた。
俺の黒い髪や目と違って彼女は明るい色をしていて表情も俺が来たことが嬉しいのか輝いていた。可愛らしい顔つきでおれは見惚れて挨拶も出来なかったことは覚えている。
「ねぇ、お父様。この子がエリザのだんなさま?」
俺と同じ五歳だという彼女はいま思えば少しませていたのだろう。何を気に入ったのか分からなかったが彼女は出会った日からいつも俺と一緒にいた。
王都の屋敷が互いに近い場所にあったおかげかエリザは頻繁に遊びにきたし、俺も彼女の家に遊びに行った。むしろ遊びに行くのは推奨されていたくらいだ。
いつも一緒にいたエリザは俺の後を楽しそうに着いてきていた。最初は邪険にしてしまった気がするがそれでも嬉しそうにする彼女の笑顔が気になりやがて俺は笑顔が好きになっていた。
「エリザは俺のお嫁さんになるんだからいつも笑顔で笑っていろ」
「ジェラルドはそのほうが嬉しいんだね。分かった、私笑ってる」
七歳くらいの頃にそんなことを約束したっけな。
そんな俺達の婚約に影が差したのは八歳になった夏のことだった。
エリザは可愛くて明るく社交的だったがそれを妬む子もいた。伯爵家の令嬢イライザは特にエリザを嫌って他の下位貴族をけしかけてちょっかいをかけられるようなった。だから俺はいつも一緒にいるようにしたし、可能な限り守ろうとしていた。
ある日いつものようにエリザをと一緒に遊んでいると下位貴族の子供がいつものようにからんできた。
「おまえそんな女守って騎士のつもりかよ」
「イライザ様の方が美人じゃないか」
そんなことを言ってくる連中は無視してやった。俺にとって可愛いのはエリザでお嫁さんにしたいのはエリザだったから。
それにこいつらは以前、違う女の子をいじめていたような連中だ。その時は追い散らしてやったけれど後から苦情が来て困ったことになったから今回は追い散らせない。
俺の態度が気に食わなかったのかあいつらは俺達を蹴ってきた。とっさにエリザをかばうことは出来たけれど背中に蹴りが叩き込まれて息が詰まる。
こんな連中魔術でやっつけてやりたかったがそれは親から禁止されているからその手段は選べない。こんな連中でもケガをさせればタダじゃすまないのが悔しい。
「ジェラルド!?」
「だい、じょうぶだ、エリザ。こんなの屁でもねぇよ」
本当は痛かったけれど彼女の前で情けない弱音は吐きたくなかった。エリザはショックを受けたんだろうな、泣き出してしまってそれにびびったあいつらはクモの子を散らすように逃げていった。
なんとかエリザを守ることは出来たけれど俺はあちこち打ち身などのケガをしてしまっていた。エリザの泣き声を聞きつけた大人たちに連れて帰ってもらわなければ帰れなくて自分が情けなかった。
そして同じように俺の情けなさに腹を立てた人がいた。エリザの祖父のグラルド様だった。
グラルド様は男爵家出身だが戦場で何度も功績を挙げ将軍にまで上り詰めた英雄だ。そんなグラルド様は孫をとても可愛がる人で今回エリザをいじめていた連中やイライザなんかは厳重な抗議と幅広い人脈を使って黙らせたらしい。
そして元々俺達の婚約には不満だったらしく、あいつらを叩きのめせなかった俺に憤慨し婚約解消を言い出したらしい。
グラルド様は今でもブレーディア家の方針に口を出すくらいは権限が残っているらしくかなり強めに迫ったらしい。
俺はそのときの詳細を知らないけれど大変だったことはなんとなく分かった。
そして婚約を続ける条件として俺の剣の訓練が義務付けられた。なんでも剣くらい使えない男に孫娘はやれんということらしい。
正直に言えば剣よりも魔術のほうが好きだけどエリザの笑顔が守れないのはもっと嫌だった。だから俺は受けることにしたんだ……それがグラルド様の嫌がらせだと分かっていても。
「ジェラルド大丈夫?」
いつものようにしごきとしか思えない訓練から始まり怪我上等な打ち合いを経てグラルド様の八つ当たりを受けた俺は立ち上がる力もなく寝転がっていた。
そんな俺を見つけてエリザが濡れた布で顔を拭いてくれる。冷たさが打ち身になった場所に心地良い。
「大丈夫に決まってんだろ、俺はエリザを守れるくらい強くなるんだ」
どんなにきつくても俺には頑張れる理由があったから耐えられた。でもそんな俺を見ていたエリザは何かを決心したのか両の手を握り締めて俺に宣言をした。
「私も剣を習う!」
「はぁ!?」
何を言っているんだこいつは?
「だってジェラルドが訓練を始めてから一緒にいられる時間が減ったんだもん。一緒にいたいから私も剣を習うの!」
可愛らしい顔で一生懸命真面目な顔をしているエリザが堪らなく愛おしかった。一緒にいたいって言ってくれる彼女が嬉しかった。
「しょうがねぇな、一緒にがんばるか」
「うん!」
それからエリザも剣を習い始めた。最初は渋ったグラルド様だったけれどエリザのお願いに負けて許可を出したのだ。
エリザが一緒だとしごきのような訓練も減ってまともな訓練になったのが有り難かった。
ただ、一つだけ予想外だったのはエリザが天才だったということだった。
エリザは本当の天才だった。
俺が一つ技を覚える頃には三つの技を覚えていた。
俺が一つの技を極める頃には二つの技を極めていた。
俺だって同年代から見れば十分な秀才だと訓練を見てくれる先生から言ってもらえたがそんなものは吹き飛ぶくらいエリザは凄かった。
一度も勝った事なんてなかった。全て防がれ圧倒され叩きのめされた。
最初エリザは俺に剣を向けることは嫌がったし手加減をしようとしたこともあった。だけど俺は手加減だけはしないでくれと頼んだ。
どれだけ勝てなくても俺はエリザに正面から向き合いたかったし、彼女に勝てないとしても全力で応えたかった。
そんな俺の願いを聞いてくれたのかエリザは俺に手加減をすることは無かった。いつも申し訳なさそうな表情をしていたけれど俺はそんな彼女の頭を撫でて気にすんなっていつも言っていた。
十歳を過ぎた頃、そんな俺達を見てグラルド様はどこからか同じような年齢の男の子を連れてくるようになった。
「私が連れてくる者に負ければ婚約は解消させる」
まただ、この爺。おじさん達に何度も婚約を解消させないって言われているくせにこうやって懲りずにやってくる。
「……分かりました」
俺にはそういうしかない。でも負けるわけにはいかないんだ、エリザの婚約者は俺なんだ!
それから何度か連れてきたが全部退けてやった。もちろん簡単じゃなかったし負けそうになったこともあったけれどエリザが見ているところで負けることなんて出来なかった。
爺の悔しそうな顔はスカッとしたけれどな。
やがて十二歳なった俺達は騎士になるために訓練校に通うことになった。これには俺の両親も難色を示した。
フォーゲン家の人間としては魔術学校に進んで欲しかったらしく、婚約をどうしても続けたいという俺の説得と魔術の訓練も欠かさないという条件で許可をもらえた。
この条件のせいで余計に勉強がきつくなったけれどこれもエリザと一緒にいるためだ。このくらい大したことじゃない。
訓練校は寮暮らしになるのでエリザとは当然別になる。この国は女性も戦える者はその意思を尊重されるので女性騎士は少なくない。
「ジェラルド、一緒にがんばろうね。怪我とかしないでね」
「エリザこそ怪我させないように気をつけろよ?」
「そこは怪我しない様にって言うところじゃないの?」
訓練校にはいっても俺達の関係は変わらなかった。いられる限り一緒にいたし、昼食や放課後の自主訓練もいつも俺達は一緒だった。
相変わらずエリザの剣の腕は凄まじく俺は睡眠時間を削りながら訓練をすることでなんとか相手にされるレベルは保てていた。なにせあの爺がまた婚約解消の条件を突きつけてきやがったからだ。
訓練校では年に一回全校生徒が参加する闘技大会があるがそれに三年連続上位三位以内を達成出来なければ解消だとかほざきやがった。
本当にいい加減にして欲しかった。でもエリザにとっては優しい爺だし、婚約解消の件はエリザには伝えないよう言われている。もし俺からエリザに言えば即解消だとよ。あれのどこが英雄なんだか、俺にとっては老害以外の何物でもない。
「そういえば知ってる、ジェラルド?」
「あん、なにが?」
青空の下俺はエリザの膝でうとうとしながらまどろんでいた。エリザはそんな俺の髪を撫でながら思い出したように話しかけてきた。
「聖女さまっているじゃない。私達と年齢が同じ何だって」
「まじか! 聖女様っていったらあの一年前の大火災のときに多くの人を癒しの力で救ったっていうあの聖女様だろう?」
俺が驚くとエリザは頷いた。
「凄いよね、私達と変わらないのにそんな凄いことやってるんだから。私達も負けないように頑張ろうね」
「ああ、そうだな。でも俺はエリザを守りたいから剣を握ったんだぜ」
「うん、知ってる」
エリザが嬉しそうに笑ってくれる。俺達はそのまま唇を重ねる。柔らかいエリザの唇が離れるとなんだか寂しくなる。
「そんな顔しないで、私は側にいるんだから」
分かってる。それでも離れたくないんだよ、悪かったな。
闘技大会でなんとか最初の一年は二位になることが出来た。しかし、エリザとの差は開いていく一方でこのままでは喰らいつくことも出来なくなっていくのは明確だった。
幸いなことに俺に実力で勝てる相手はエリザしかいなかったから今は安心できるけれどこのまま負けっぱなしではいられない。俺はエリザを守りたいのであって守られたいわけじゃない。
結局俺に出来ることは更なる訓練を増やすことだけだった。魔術を使えば勝てる自身はあったがここは騎士の訓練校だ。魔術の使用はそもそも想定されていないし、不正だの騒がれるのは面倒なので使ったことは無い。魔術の訓練自体は今でも欠かさず行っているからそれなりの腕前にはなれているはずだ。
ただ、増えた訓練の時間だけエリザと過ごせる時間は減っていった。
エリザとの訓練も続けているがただ一方的に負けているだけでは訓練にならない。何が問題なのか反省して対処しないとただ負けるだけになってしまう。
だからエリザと過ごす時間を使わないと俺にはその時間を捻出することが出来なかった。
そんな俺にエリザはそれでも手加減はしてくれないでいた。
三年目に入った。今年で訓練校は卒業になりそれぞれの道を歩むことになる。
俺は何とか二年連続で闘技大会で二位を維持し続けていた。相変わらずエリザには勝てないけれど彼女以外には負けることはなかった。
三年になって少し経った頃、エリザの周りに変化が出てきた。
新入生の男子生徒とよく一緒にいるのを見かけるようになったのだ。
確かあいつは平民のランスロットとかいったっけ。天才とかいう話を聞いたことがある。
訓練場から見える渡り廊下で楽しそうにエリザがランスロットと話をしている。
正直に言えば俺以外にあんな笑顔を見せるのには嫉妬してしまうがそんなことを言ってしまえばいくらなんでも心が狭すぎる。
結局俺は何も言えなかった。別にエリザが何かルール違反をしたわけじゃないんだから俺は余裕を持っていなければいけなんだって自分に言い聞かせていた。
ある休日、俺はちょうど暇だったので商人街に出ていた。
エリザを誘ったけれど先に友達と約束をしていると言われたので仕方なく一人で街をうろつこうかなと思っていたのだ。
「お、千眼の魔女の新刊出てるじゃねぇか」
俺はお気に入りの本を見つけてしまい今月の小遣いと相談する羽目になった。エリザと出かけることもあるからあんまり無駄遣い出来ないんだけどどうしよっかな。
「ん?……エリザ?」
悩んでいる俺の視界にエリザが写った。いつも来ている動きやすい格好ではなく女性らしい綺麗な格好だ。肩まで伸びた赤い髪が青い服に映えて綺麗だった。
「友人がいるのかな? ちょっと挨拶でもするか」
俺がエリザの友人に挨拶をしようと足を向けたときだった。
エリザの元にランスロットがやってきたのは。待ち合わせていたのだろうか、二人とも嬉しそうに連れ立っていく。
俺は何を見た?
見間違いだ。気のせいだ。目の錯覚だ。
でも彼女は確かにそこにいてあいつと一緒にいる。
友人ってあいつなのかよ。
俺はそのまま動くことも出来ず立ちすくんでいた。
「エリザ、ちょっといいか」
「なぁに? どうしたの」
放課後、俺はどこかへ行くだろうエリザを呼び止めた。最近彼女はどこかへ出かけているが俺はどこに行っているかは知らない。遅くまでどこか行っているようであまり二人会えていなかった。
本当はそれも気になるがそれよりも俺には確かめたいことがあった。
「先週の休みの日、商人街にいなかったか?」
「先週? 先週は友達に付き合って職人街にいたよ。ドレスを見て欲しいって頼まれてたからね」
「……そっか、悪かったな。へんなこと聞いて」
「どうしたの? ジェラルド。なにかあったの?」
「商人街でエリザそっくりな女性が屋台で働いていたからさ。まさかと思ってな」
そんな人はいなかった。
「いるんだね、そういう人」
いないんだそんな人。
「ああ、そうだな。用事あるんだろう?」
「うん、それじゃまたね」
走り去っていくエリザを見送りながら俺は胸の内から飛び出しそうな言葉を抑えることで精一杯だった。
――なぁ、エリザ。どうして俺に嘘をつくんだ?