教会へ
朝がやってきた。
空は暑い雲に覆われて薄暗い。雨こそ降っていないものの、いつ振り出してもおかしくない空模様だった。これじゃ不本意ながら、もう一泊してから旅に出たほうが良いかもしれないな。
「そろそろ、起きろ。」
懐でスヤスヤと眠るリオをゆすって起こす。
リオはすぐに起きて眠い目をこすりながら、おはようと言った。俺もおはようと返す。幾らかの恥ずかしさはあるが、俺はこの馴れ合いが、そんなに嫌いではない。
「飯を食ったら、教会へ行くぞ。忘れ物が無いように気を付けろよ。」
「……はい。」
朝食を食べに一階に下りると、昨日の不愉快な女はいなかった。
下働き風の男がせっせと各テーブルに料理を運んでいるのが見える。奥の厨房にいるのは、この宿の主人なのか偉そうな男がいる。トーストの芳ばしい香りとコーヒーの独特な鼻をくすぐる匂いが広がっている。
俺とリオは窓に近い端っこの席に座った。
外気の影響で幾らか寒い。ガラス越しに冷気が伝わってきているのが分かる。今日は曇りだから、おそらく気温はさして上がらないだろう。肌寒い1日となりそうだ。
リオは無言で朝食を食べ終えた。
あまり食欲はないようで、無理して食べているようだった。残せばよいものを、もったいないからと残さず平らげた。結果として俺を待たせることになったが、そう不快ではない。
朝食を終えると、俺は荷物を宿に預けたまま教会へ向かう。
後で色々と買い回りたいので、邪魔な荷物は預けて身軽に動きたい。もしかしたら、もう一泊する可能性もあるしな。願わくばクソ女の接客に当たらないようにってとこだ。
街はずれ、教会への一本道。
まるで街から除け者にされたかのように、1キロほど離れた処にポツンとある。見た目は何の事は無い教会だ。細長い2階建ての木造家屋。立派なステンドグラスに、中央には鐘が備え付けられている。あまり詳しくはない俺ではあるが、教会としての違和感はない。
気になったことと言えば、教会への一本道で二組の冒険者らしき男とすれ違った事だ。
見たところ中堅どころって感じ。臭いで分かるが、あまり真っ当な感じがしない。殺しを生業とする冒険者だろうか。闇ギルドに所属する人間からは、よくこの手の匂いがする。もっとも、闇ギルドのトップランカーは、そんな安っぽい分かりやすい匂いはさせていないけれど。かくいう俺も闇ギルドに片足を突っ込んでいるから分かる事である。
まあ、半端者によくある事だが、教会に寄付をしたり告白をしたりと、心の安寧を求める闇ギルドの人間は多い。良心の呵責がそうさせるのだろうな。そうした者たちの気持ちが分からないでもないが、それだったらさっさと足を洗った方が良い。ハッキリ言って向いてないのだから。結局は他人事、どうでも良いけどな。すれ違った2組の冒険者たちもその手合いだったのだろう。
そんな事を考えていると、いつの間にやら教会についていた。
だが、隣にリオがいない。振り返ってみると少し離れたところをリオがとぼとぼと歩いていた。何やらぼんやりと俺と同じように何かを考えながら歩いている。
「おい、遅いぞ。」
「あっ……ごめんなさぃ!」
俺の声に、リオはハッと顔を上げて走り出す。
リオが息を切らして、俺の元まで走ってくるのを確認してから、俺は協会の扉を開けた。後ろでリオがぎゅっと俺の服の裾を掴むのを感じる。別に取って食われるってわけじゃないんだがな。
「おや、お客様ですかな。いらっしゃい。」
中には神父らしき人物が一名。そしてその周りには聖騎士らしき男女が五名。
不思議な教会だ。こんな小さな教会でありながら聖騎士を抱えているのは、何故だろう。何か事件でもあったのか。それとも周囲の魔物が多いので討伐するために常駐しているのだろうか。
神父はどこか昨日のクソ女を思い出させる風貌だった。
やせっぽちで性格の悪そうな顔。笑っているのに、どこか下卑た感じが否めない。極め付きは目だ。俺とリオを舐めまわすような嫌な目で見てくる。道中で出会ったような荒くれ者どもと付き合ううちに感化されてしまったのだろうか。
「この少女をお願いしようかと思ってね。」
「おおっ、そうでしたか。それはご足労頂ありがとうございます。ささ、どうぞこちらに。」
俺はとりあえず、用件を伝えると神父はニコリと笑って脇にあるテーブルへと俺たちを促した。その言葉は丁寧で、所作は柔らかだった。まさしく神父のイメージにあるそれである。
俺と少女が席につき、神父が帽子を脱いで席に着く。
周囲の騎士たちは礼拝堂の椅子に座って、それぞれくつろいでいる。本当に何のためにいるのだろうか。
「それで、そちらの少女をお譲りいただけるという事ですね。」
「ん? ああ、まあ、そういう事になるのか。」
言葉が変だな。
俺は少女を教会に預けにきたのだが、考えてみれば預けるというのも変な話だ。預けたら取りに来るものである。俺にはそんなつもりはない。言葉的に言えば譲るという方がしっくりくるのか。そんな事を考えながら、適当に相槌を打った。
「ふむふむ、猫耳族ですな。傷が凄いですね……。」
「ああ、ちょっと色々あってな。」
「はは、なるほど。まあ、問題はないでしょう、ご安心ください。」
「年齢はいくつですか?」
「年か、リオおまえいくつだ?」
「えっと、12歳です……。」
神父は口の端を吊り上げてにんまりと笑った。少し気持ち悪さを感じる。なんだろう、痩せていて不健康だから感情表現もいびつに見えてくるのだろうか。だとしたら損な男だ。
「ほお、それはそれは。ますます問題ありませんな。」
問題ないという意味がよく分からない。
預かる上で問題が無いという意味か、問題があったら預からないという事だろうか。ともかくリオの傷跡が問題ないという事なら、ありがたい。俺が心配していたのはリオの傷跡が理由で預かってもらえない事だった。
「つまるところ、どうなのだ。引き取れるのか、引き取れないのか?」
「性急な方ですな。」
神父は立ち上がると、リオの隣まで歩いていく。
リオの顎に手を添えるとクイッと顔を持ち上げた。こちらかではリオの表情は見えないが、リオの手が俺の手を掴む。この神父は何を考えているのか、傷の具合でも見ているのか?
だが、次の瞬間。
神父はリオの首元にあるファスナーをすっと下げて、服をはだけさせた。肌着越しにリオの傷だらけの上半身があらわになる。
「おいっ、何をしている!」
俺は立ち上がり、神父の手を掴んで睨みつける。
神父は俺を見て肩をすくめてみせた。昨晩のクソ女をはるかに振り切るレベルでイラつかせる奴だ。
「情がうつりましたかな? あなたも、こちらにに来られたのでしたら、その後の事は容易く想像できますでしょうに。」
「はあっ、何を!?」
神父は手を引っ込めて、襟を正す。
そして俺を軽蔑するような目で見下した。こいつはマジで切り殺しても良いかもしれない。俺の中で殺意が咆哮をあげると、周囲の聖騎士が一斉に立ち上がって剣に手をかけた。神父はそれを手で制する。
「おやめなさい。神聖な教会で争いごとはいけません。」
喧嘩を売ったのはコイツだ。
俺から引き下がるつもりは毛頭ない。聖騎士5人が相手なら上等だ。やってやろうじゃないか。
「私の方が礼を欠いておりました。検める為とはいえ、許可も取らずに軽率でしたな。どうかお許しください。」
神父が頭を下げたので、俺の方も殺意を抑えて、渋々と剣の柄から手を離す。
すると周囲の聖騎士も、少し緊張が解けるのがわかった。
「では、結果をお伝えしましょう。その貴方の可愛いお嬢様、金貨10枚で御引取いたしましょう。」
「はあ? なんで、俺がこいつを預ける為にお前に金を払わなければならんのだ!」
「いえいえ、お支払いするのは当方です。本来であれば金貨5枚と言ったところですが、上等な服を着ておりますので、その分上乗せいたしました。」
これではまるで奴隷の売買ではないか。
教会とはそういう場所なのか、預けられた孤児どもの行先というのはそういう事なのか。
だからか……。
神父がリオを品定めするような目で見たのは、年齢を問題ないと言ったのは、名前を聞きもしなかったのは、そういう事か。道中ですれ違ったきな臭い連中の事も合点がいく。どこぞで捕まえたガキどもをここに売りに来ていたってわけか。
だとすれば、とんだ茶番だ。
俺はそんな腐った教会にリオを預ける為に、苦労してこんなところまでやってきたわけではない。そもそもリオに買い与えた服は金貨7枚だ。差し引きたったの金貨3枚にしかなりゃしない。世の中は腐っていると知っていたが、まさか協会までもがこうも腐りきっているとは知らなかった。甘かったのは俺の方ってわけだ。
「結構だ。」
俺は吐き捨てると、立ち上がる。
「おや、不服でございましたかな。では、特別に金貨12枚で。」
「くどい! リオ帰るぞ。」
「……はい。」
俺はリオの手を掴むと、足早に出口へと歩く。
聖騎士たちは邪魔をするかと思ったが、特に何もしない。背後で神父の声が聞こえる。「心変わりがございましたら、またどうぞ。」と。誰が二度と来るか!
バンッと強引に扉を開いて外に出る。
外に出ると、ちょうど小太りの男が教会に入ろうとしているところだった。こいつからも嫌な雰囲気が漂っている。リオを見る邪な目つき。あの神父と似たような品定めをするかのような視線だ。教会というのは、本当にどいつもこいつも腐っている。俺は脇をすり抜けて、教会を後にした。
「はああああーーーーーっ、ムカつくムカつくムカつく!!」
背後の教会が小さくなったころ、俺は不満を爆発させた。
握ったままのリオの小さな手がビクッと撥ねるのを感じる。昨日に続いて、今日までも嫌な事が続く。しかも今日は朝からだ。間違いなく今日一日は憂鬱な気分になる。
くそっ、これが街中でなければ、ムカつく奴らを皆殺しにして魔物の餌にしてやるところだ。
「アキト様……あの。」
「なんだ!?」
「ありがとうございます……。」
リオが嬉しそうに微笑んだ。
そう言えば、こいつは協会に預けられるのを嫌がっていたな。まあ、あんな腐った場所に預けられたらどうなるか分かったものじゃない。喜んで当然か。だが、そんな事はどうでも良い。俺は、リオを教会に預けるべく、ここまで苦労してきた挙句に、舐めた対応されたのが気に入らない。
「別にお前の為じゃない。勘違いするな。」
「……ごめんなさい。」
それにしても、これからどうしたら良いのか。
頼りにしていた教会がこんな体たらくでは、何のためにリオをここまで連れてきたのか分からない。他の教会であればマシだったりするのだろうか。そう言えばカラザールの教会には、貧しい者どもが集まっているのを見た事がある。とすれば、カラザールの方は真っ当な教会だったりするのか。……わからん。
「まあ、ここの教会はダメだ。当初の予定通りにカラザールの教会に行ってみよう。あそこはここよりもマシな教会だろうからな。」
リオが俯きながら、はいと言う。
今回で教会のイメージは最悪中の最悪まで落ち込んだのだから、それも頷ける。
そう言えば、俺は何故こんなにもリオを教会に預けようとするのか。
俺の最終的な目的はなんだったろうか。リオを教会に預ける、それまでは面倒を見ると言うものだったはず。
では、何故ここの教会ではダメなのか。
よく考えてみろ。普通に聞くところの教会では、子供は預かるだけの場所だ。だが、ここでは対価として金が貰える。ならば、この教会に預けたほうが得なのではないか? カラザールの教会を目指すと言うが、そのメリットは何だ?
少女の為?
俺はいつからそんなボランティア精神の旺盛なやつになったのだ。少女の為と言うが、その見返りは何だ。カラザールに預ければ、少女が大金を稼いで俺に返してくれるとでもいうのか。そんな事はあり得ない。
気持ちが、ここの教会に傾きかけた時、あの神父の下卑た笑いが脳裏に浮かんだ。
「絶対にあり得んな。」
俺は小さな独り言を力強く呟いた。
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