過酷な決断
翌朝、随分と元気になった少女がそこにいた。
俺と一緒に起き出すと、ぱっぱと朝の支度を整えていく。俺がなにかを促す間も無く、朝食が準備された。
昨日の様子がまるで嘘のようだ。
空元気の類だろうか。だとしても手がかかるよりは何倍も良い。
朝食は昨日焼いたホーンラビットの肉と果物をヴァーミルの葉で包んだもの。昨日は干し肉だったが、今日は焼いた肉だ。どちらが美味しいかは火を見るよりも明らかだった。
少女は必ず俺が食べるのを見てから、自分の分を口にする。ついでに『いただきます。』と言う作法も覚えたようで、今朝もやってみせた。律儀な奴だ。俺も少女がやったので、食べながら真似してみせたら、少女が微笑んだ。
食べたら、ささっと荷物を纏めて出立する。
俺のカンが正しければ、今日は街道に出られるだろう。どの辺りに出るかは何とも言えないが、街道に出てしまいさえすれば、あとは道なりに歩けば必ず街がある。
少女も慣れたものだ。
俺のすぐ後ろをぴったりとついてくる。これまでは遅れそうになっては、早足になって、また遅れそうになってはと乱れたペースで歩いていたが、今日はそうした乱れが見られない。
「歩くのにも慣れてきたな。」
「はい、なんとか。」
少女がにこりと笑う。
無理をしている様子は無い。体力がついたと言うよりは、歩き方を覚えたといった感じだろうか。こうした歩きづらい場所では体力も必要だが、消耗の少ない足運びも重要となる。少女はこの3日間で、悪戦苦闘しながらもコツを掴んだのだろう。
「傷は痛むのか?」
距離が近いと、何となくの会話も生まれる。
少女の身体に刻まれた無数の傷が、今も赤黒い痣となって残っている。初めて少女を目にする者は、その傷に強い印象を浮かべるだろう。傷の少女、そんな風に呼称するかもしれない。
少女はこれまで、傷の痛みを訴えた事はない。
それは痛くないからなのか、それとも痛みを我慢して平気なふりをしているのか。見た目にはかなり痛そうではある。まあ、痛かろうが痛くなかろうが、俺には関係のない事ではあるが。
「そう……ですね。切られた時は痛かったですけど、翌日はそんなに……。」
そう言えば、少女はあの日の翌日から普通に歩いていたっけか。傷をおして歩く姿は、印象深かった。
「そうか、痛そうに見えるがな。」
「痛くはないですが、ビリビリします……。」
「ビリビリ?」
「はい。」
よく分からんな。
痺れがあると言う事なのだろうか。だとするなら、それは呪いの効果なのだろう。
怨刀サクリフィス。
これもよくわからない武器だ。強く切れば相手を死に至らしめ、浅く切れば見ての通りの呪いの傷が残る。普通に考えれば拷問用の武器と考えられそうだが、今一つ腑に落ちない。
武器としては毒武器と同等程度の価値しかなく、拷問器具としては生温いような気がする。貴族の屋敷から盗み出された宝刀だと聞くが、俺にはそこまでの価値を見出せない。
もっとも、貴族の価値観など俺には分からないから、もしかしたら拷問好きな貴族の秘蔵アイテムなんて可能性も無くはないな。
「あ、でも……。」
「ん?」
少女が言葉を続けた。
見れば左の頬に手を当てて、恍惚の表情を浮かべる。
「この傷は温かいです。」
それは俺がつけた傷だった。
少女は愛おしそうに頬の傷を撫でて笑う。これは俺に対する何らかの意思表示なのだろうか。少女の言うことは分からないが、その表情には偽りの色はなかった。
「傷が温かいだと?」
俺は少女の頬に手を伸ばして、その傷に触れる。
「ひゃうっ……!」
その瞬間に少女の背が跳ねた。
傷をつけた相手に対して、何かしらの効果があるのだろうか。これは普通の反応ではない。ちなみに傷は温かくも冷たくもない、体温そのものだ。だから、温かいと言えば確かに温かいのか。
「む、痛かったか?」
「い、いえ、大丈夫です……。」
少女が赤面して俯く。
照れたのだろうか? よく分からない反応だが、俺はそれ以上追求するのをやめた。
魔物の気配がする。
この若干すえた臭いはゴブリンだな。不衛生で不快な臭い。数は5匹。こちらにはまだ気づいていないが、進行方向にいるので、やり過ごすのも面倒くさい。
ゴブリンは下等な魔物とされているが、群れると厄介な相手でもある。人間の子供くらいの姿をした醜悪な魔物。知能は人間ほどには無いが、罠や武器を使う程度にはある。
性格もまた醜悪で、人間を弄ぶことを、快楽とする。男は殺され、女は犯され、玩具にされる。妊娠することもあると聞く。やってることだけ見たら、先日の山賊と似たようなもんだ。
「魔物だ。音を立てずについてこい。」
俺は先手を取って駆け出した。
少女が事態を把握できずに慌てて、俺に続く。だが、本気で走っている俺に到底追いつけるはずもない。あっと言う間に距離が離れる。
これでいい。
少女が追いつく頃には一掃できるだろう。巨木の脇を抜けると、ゴブリンの姿が視認できた。
小さな背丈、暗い緑色の肌に、尖った耳と鼻。
瞳は猫のように瞳孔が細く、口には歪な鋭い歯が並び、汚らしく唾液を垂らしている。見るだけで醜く不愉快な存在。
このゴブリンは家族のようだ。
成体が4匹、子供が1匹。座って何かを食べている。一家団欒というやつか。まだこちらに気づいてすらいない。接触まであと15メートル程度。
「ギイイ!?」
遅い!
一匹が気づいて声をあげるが、応戦するには遅すぎる。横薙ぎの一撃で二匹を吹き飛ばし、次の一撃でもう一匹の首を跳ねる。ここまで、ゴブリンどもはまともに動くことすらできなかった。
残りは大人と子供が一匹づつ。
完全に大勢は決した。そもそも真正面から斬り合っても負ける気はしないが。ゴブリンはこちらが圧倒的に上位者であると理解しているようで、後ずさりをしている。
「いっぱしに親の真似事か、すぐ楽にしてやる。」
大人のゴブリンは子供を庇うように自分の後ろに隠している。逃げ出すと最初に餌食になるのは、動きの遅い子供。それが分かっているからこいつは逃げ出すこともしないで、俺と対峙している。子供には逃げるように促しているようにも見える。だが、子供は俺に対して牙を向いて威嚇している。
下等で残虐と言われている魔物が、人間よりも上等な情を見せるのは片腹痛い。俺はそんなゴブリンを嘲笑うように軽い足取りで近づいていく。
足手まといを庇う奴は、みんな悲惨な末路を辿る。この大人のゴブリンも、逃げていれば自分の命だけは助かったかもしれないのにな。
それに、この子供のゴブリンだ。
自分が足手まといになっているという自覚がない。俺に突っかかってこようとするから、大人のゴブリンが仕方なく俺と対峙する羽目になっている。さっさと逃げていれば、取れる選択肢も増えただろうに。
まあ、相手が俺である以上、こいつらが死ぬ事は確定だがな。庇おうが逃げようが殺す。道中の障害になりそうなものは、取り除ける時にしっかりと対処しておかないと、後で思わぬトラブルに繋がる。
「ギイイイッーーー!!」
ザシュッ!
ゴブリンの首が落ちた。
耐えきれなくなって先制攻撃してたきたゴブリンだったが、俺の斬撃の速度に勝てずカウンターで絶命し、その場に崩れた。
「アガーアガー!!」
子供のゴブリンが崩れ落ちた死体に向かって、泣き叫ぶ。変な鳴き声だな。
どこまでも愚かな行動をとる子供のゴブリンに苛立ちが募る。自分の無謀な行動で親を死なせ、更には親に寄り添って泣き叫ぶ。敵である俺の前で無防備な姿を晒して、殺してくれと言っているようなものだ。
何だろうな、俺はどうしてこうもイライラするのか。こんな光景は人間の世界で嫌という程見てきている。にも関わらず、炎のような感情が、くすぶる事なく燃え上がる。そもそもこいつは殺すべき魔物であって、隙を見せる事は喜ばしいことのはずだが。
「あ……あの、これは……。」
追いついてきた少女が驚愕の声を上げる。
ちょうどいい、昨日の続きをさせるか。ホーンラビットを仕留めた時は、自分で成し遂げたとは言えなかったからな。
「昨日の続きだ。倒してみせろ。」
少女に短剣を渡して、俺は後ろに下がる。
昨日と違って、今回は気をつけなければ攻撃される。少女よりもいくらか小さな子供のゴブリンだから、致命傷を受ける事はないだろうが、油断すれば何が起こるかはわからない。
少女は短剣は受け取ったものの、親に泣きすがるゴブリンを見て、固まってしまっている。遅れて合流したが、場の状況は察しているのだろう。
「ゴブリンは食用には向かないが、心臓は魔石として売れる。倒して、心臓を取り出してみせろ。」
「でも……これって……?」
やはり躊躇っているのか。
「おまえの想像で間違っていない。こいつは子供のゴブリンで、親が殺されて泣き叫んでいる。愚かにも敵である俺たちに無防備な姿を晒してな。」
「……。」
「自分と重ねてかわいそうだとか思っているのか? ゴブリンどもは、人間を嬲ることが好きだ。先日の山賊どもがやったような事と言えば分かるだろう。男を殺し、女を犯す。玩具のようにな。」
「…………。」
「仮に、このゴブリンを見逃したとしよう。
だが、こいつは決して肉親を殺された恨みを忘れないだろう。その結果、好んで人を襲い、残虐に痛めつけるだろうな。おまえのような奴を量産する事になる。」
少女は動かない。
ご丁寧に説明してやったわけだが、そもそも魔物を殺す事にいちいち理由を述べていたら話にならない。素材が欲しいから殺す、金になるから殺す、邪魔だから殺す、何となく殺す、そんなものだ。人が魔物を殺す事に理由はいらない。
優しいと言えば聞こえはいい。
優しいから殺生ができない。優しいから同情する。世間的には美徳とされるものであるが、冒険者の世界で魔物を殺せないなどとのたまう奴は鼻で笑われる。俺と同行する上で、足を引っ張るような優しさはいらない。
「……はあ、これまでだな。」
「……え。」
俺は剣を鞘に収めて、衣服を正す。
「そのゴブリンは好きにするといい。それから短剣も餞別としてくれてやる。」
「えっと、あの……」
「おまえのような奴は要らない。じゃあな。」
振り返る事なく、ゴブリンの脇を抜けて歩き出す。これ以上はつきあいきれない。好きなように生きて、勝手に死ねば良い。
もともと、俺は無理をしていたのだ。
少女なんか拾ってきて、教会に届けるなどと慣れない事をするから、こんなにもイラついてしまう。この少女はあの日、あの集落で死んだ。それでいい、そういう事にしておこう。
俺一人なら、あっという間に街道に出られるだろう。それに近場の村にもたどり着けるはず。街道沿いの村ならば、飯屋や宿屋なんかはあるはずだ。今日は美味いものを食ってゆっくり寝るとしよう。
「待ってください!」
少女の涙交じりの必死な声が上がる。
待てだと? 俺は随分と待った。これ以上待てとはいったい何様のつもりだ。
「ギイイイッーーー!!」
凄まじい殺気が広がり、ゴブリンの悲鳴が上がる。俺が足を止めて振り返ると、少女がゴブリンの背中に短剣を突き刺しているのが見えた。
「ギイイッガアアーー!!」
お粗末な攻撃で、ゴブリンを一撃で殺す事が出来ずにもみくちゃになっている。ゴブリンは応戦とばかりに爪で少女を引っ掻き、少女は短剣で何度もゴブリンを滅多刺しにする。しかし、短剣と爪では殺傷能力が違う。ゴブリンはあっという間に動かなくなった。
それでも少女は止まらない。
死んでいると理解しているのかいないのか、とにかく何度も刺しまくっている。皮膚をちぎり、肉を割き、臓腑を散らす。骨に体重をかけて叩き折り、ゴブリンをミンチにするような勢いだ。
「はあっはあっーー、殺せる殺せる殺せる殺せる殺せる殺せるーー!!」
「おい、それ以上は無意味だ。」
俺は一心不乱に短剣を振るい続ける少女の手を取った。もはやゴブリンは原型を留めないほどに損傷していた。この分では魔石もスダボロで無価値になってしまっているだろう。
少女も血まみれだ。
ほとんどは返り血だが、腕は引っ掻かれたようで呪いとは別の傷ができている。
「あの……わたし、なんでもしますから。どんな事でも……捨てないで……ください。」
血まみれの少女が泣いて懇願する。
こうして泣いてすがってくるのは何度目だろうか。少女は血濡れた体で抱きついてくる。まだ新しい血が俺にべっとりと付着する。少女はそれに気づく事もなく必死になって許しを求めてくる。
「良いだろう。結果的におまえは、俺の言ったことを果たしたからな。」
「……ありがとうございます!」
少女が満面の笑みを見せる。
血にまみれて笑う姿に、少しゾクッとする。純粋さと穢れを併せ持ったような姿で、どこか歪な感じがした。
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