現実と逃避
再び歩く。
浄化魔法には若干の疲労回復効果もある。そのおかげか少女の歩調は軽やかだった。
森の中も、かなり深いところに来ている。
ここを突っ切れば、街道のどこかに出るはずだ。森は険しく旅慣れない者にはつい場所だろう。
当然、道などない。
うねった木の根を乗り越えて、木々の隙間を縫うように移動していく。俺にしてみれば一足飛びの場所も、少女はつかまってよじ登って乗り越える。単純に体力が同じだったとしても消耗の度合いは少女の方が上だろう。にも関わらず、懸命についてくるのは賞賛に値する。
森の奥からは、風の吹き抜ける音が不気味にこだまする。知っていれば風の音だと分かるが、何も知らなければ魔物の雄叫びだと錯覚する者もいるのだろう。こうした深い森は精神も消耗する。警戒するあまり、何でもないものが敵の存在のように感じられるからだ。
その風に混じって異質な音がする。
本日二度目の魔物との遭遇。俺は立ち止まり少女を手で制して、神経を集中させる。少女も俺の意図が伝わったのか緊張の面持ちで静かに俺の後ろに移動した。
現れたのはホーンラビットが2匹。
角の生えた兎である。兎は普通なら臆病で、こちらに近寄ってくる事は無いのだが、ホーンラビットだけは別だ。草食でありながらも戦闘用の角を持つために、好戦的な魔物。
聞いた話によると、好戦的なのは求愛行動なのだとか。強いオスの個体がモテるのは自然の理。ホーンラビットの場合、どれだけ強い獲物を倒せるかで己の価値が決まると言う。何とも傍迷惑な戦闘狂である。
少女は先ほどよりも落ち着いた様子で、魔物を見ている。戦闘になったらどうなるかは分からないが、一先ず先ほどのような醜態を晒す事は無いだろう。
二匹が角を突き出し、同時に突進してくる。
フォレストウルフよりも遥かに劣る種族だ。頭が良いわけでも無いし、力があるわけでも無い。攻撃手段は鋭利な角一択。
剣を突き出してやると、一匹は自ら串刺しになって絶命した。もう一匹の角を素手で握って勢いを止めた。
そのまま角を持ち上げて、むき出しになった腹に向けて蹴り上げる。小さなホーンラビットは軽々と吹き飛んで木に背中を打ち付けて地面に落ちた。
吐血してのたうち回っている。
恐らく、このひと蹴りで内臓をやられたはずだ。放っておけば、そのうち死に至るだろう。ホーンラビットの若い個体は、向こう見ずで身の丈に合わない相手に挑むと言うが、相手が悪すぎたな。
放っておけば死ぬわけだが、良い機会だし少女に処理させよう。俺は前にでてホーンラビットの角を剣で両断する。これで万が一にも反撃する事は出来ない。
少女は呆然と、この光景を眺めていた。
先程のようにパニックになる事もなく、静かに佇んでいる。まあ、フォレストウルフよりも格下の生き物だから緊張感が無かったと言うのもあるかもしれないが。
少女の足元に短剣を投げる。
「……え?」
「こいつはまだ生きている。とどめをさせ。今晩の晩飯にする。」
「…………。」
少女が固まる。
出来ないとは言わせない。出来ないという事は、俺が今後もこいつの食事の用意をしなければならないという事。俺と一緒にいる以上は最低限の事はしてもらう。出来ないと言うのならば、こいつとはここでお別れだ。役立たずはいらない。
「出来ないのか? ならーーー」
「出来ます! ……出来ます。」
少女が短剣を拾いあげる。
拾った手が震えている。手だけじゃ無い、身体を震わせて全身から強い拒絶反応を示している。その拒絶反応を強い意志の力でねじ伏せて、俺の元へと重い足取りで歩いてくる。
「こうするんだ。」
俺はホーンラビットの頭を押さえつけて、首元に人差し指を当てて搔き切る真似をしてみせる。生き物にとどめを刺すときには首を切るのが一番良い。取り分け食肉用とする時には。
「頭を押さえるときに、目を塞いでやると少し大人しくなる。」
「……はい。」
少女は息も絶え絶えのホーンラビットの頭を押さえて瞳を閉じさせる。そして、首筋に短剣を当てがう。正直もう押さえる必要も、とどめを刺す必要もないくらいに弱っているが、重要なのは少女に殺させる事。
「おい、目を閉じるな。獲物から目を離してどうする!」
「……ごめんなさい。」
少女の呼吸が荒い。
手の震えがひっきりなしに溢れて止まらない。短剣の先端がホーンラビットに触れて、ビクンと跳ねた。先端が軽く刺さったのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい……。」
少女が泣きながら謝っている。
獲物に謝ってどうするんだ。さっさと仕留めて解体したいのだが。
「痛ぶっているのか? 早くしろ。」
「ごめんな……さい、ごめ……。」
少女が首を裂いた。
どわっと血が溢れ出す。ホーンラビットの鼓動に合わせるかのように、どくどくと切り口から血液の波が押し出されてくる。ホーンラビットは一際大きく跳ねると動かなくなった。
「あ……あああぁ……ああああああーー。」
少女も限界を迎えたようで、その場に崩れ落ちた。自分が切られたわけでもないだろうに。かつての記憶がフラッシュバックしたのだろうか。
何にせよ、まだ仕事は残っている。
軽く血抜きをしたら、内臓をかき出して肉を切り取らなくてはならない。
「おい、まだ終わりじゃないぞ。次は腹を裂いて内臓を掻き出せ。」
「あ……うぅ……。」
少女は短剣を握ったまま動けない。
かろうじて短剣だけは手放さずに持っているといった感じか。
「仕方ないな。目は閉じるなよ。」
俺は少女の後ろ側に回って短剣を持っている方の手を握る。そして、ホーンラビットの腹に短剣を突き刺した。そのままスライドさせて腹を切り開く。
ドバッと内臓が飛び出す。
恐らく蹴り上げて損傷した事で、内臓が膨張していたのだろう。飛び出し方がすごかった。
「ひっ……」
少女の背中越しに手を伸ばし、内臓をかき出す。ドロドロとしたものが地面に広がっていく。すっかり中を空にしたら内臓の身体と繋がっている部分を短剣でプチんと切って完全に分離させる。
「とりあえずは、こんなところか。次はお前が一人でここまでやれよ。後は俺がやっておく。」
「うぇっ……ぐっうぇぇ……。」
もはや、少女は聞いちゃいない。
嘔吐して蹲っている。こんなことでは先が思いやられる。こんな田舎に住んでいながら生き物の解体に慣れていないとは、相当甘やかされて育ったのか。
俺は少女が呻くのも構わず、その横でサクサクと解体していく。皮を剥いで、骨の継ぎ目に刃を立てて切り分ける。この辺りはコツのいる作業なので覚えさせるとしても追い追いだな。
ものの数分で、ホーンラビットだったものは完全に肉塊となった。お店なんかでも売られているような綺麗な状態だ。
今日は付近で、休むか。
この場所は血の匂いが充満しているので、移動する必要がある。血の匂いは魔物を呼び寄せる、しかも血の匂いに群がる魔物は凶悪なものばかりだ。野営する場合には、そうした場所は避けるのがセオリー。
「場所を変えて野営するか。」
相変わらず嘔吐を繰り返す少女に言葉を投げかける。落ち着いたとは言いがたい状況だが、俺の言葉は耳に届いているようで、元気なさげに頷いた。
「行くぞ。」
俺は荷物をまとめると、歩き出す。
少女は慌ててついて歩くが、足取りがおぼつかない。少女の在りように少し苛立っていたので待つことはしない。ついてこれないなら置いていく。
スピードを上げる俺に、懸命について歩く少女。
置いていかれたら、生きていく術がないのだから、必死になるのは当然のことなのだろう。
だが、少女の姿はだんだんと遠くなり。次第に木々に遮られて見えなくなっていく。俺は気にせず歩き続けた。
「今日はここまでにするか。」
数キロ場所を移動して、良さげな場所を見つけたので腰を据える。
少し遅れて、茂みの中から少女が姿を見せた。かなり必死な様子で息が上がり、目から涙が溢れていた。俺の姿を見つけると、安心したようにへたり込んだ。
そんな少女を横目に俺は淡々と野営の準備をしていく。地面をならし、薪を拾い集める。火をつけようとした所で、少女が声をかけてきた。
「あ、あの……。」
「何だ?」
少女の手には幾らかの薪が抱えられていた。
俺が集めたものよりも少ないが、少女なりに頑張って集めたのだろう。
「今日はわたしがって……。」
そう言えば昨日そんな話をしたっけか。今日は少女が火起こしをするって話だ。あてにしていなかったから、忘れていた。
やりたいと言うのなら任せてみるか。
俺は火をつけるのをやめて、脇に逸れて腰を下ろす。それを了承と見て、少女は積み上げた薪に向かい合った。
試行錯誤して炎をつける。
炎を起こすことはできるが薪に着火するのが上手くいかないようだ。何度も魔法の火を出したり消したりして火が付いていないか確認している。
小さな炎が灯ると、少女はフーフーと息を吹き付けて種火を育てていく。だが、それも強かったり弱かったりともどかしい。一度ついた火を吹き消してしまう事もあった。
結局、炎を起こすのに30分ほどかけていた。俺よりも遥かに遅いけれど、初めてという事を考えれば大したものか。
俺は横になって空を見ていた。
傾く太陽が、ゆっくりと森の端っこに姿を隠していく。そろそろ暗くなる頃合いだ。良いタイミングで野営ができた。
服の裾がとんとんっと引っ張られる。
少女が俺の隣に来て、葉っぱで包んだ肉塊を指差している。
「夜ごはん……作っても良いですか?」
先程、嘔吐までして拒絶した肉。それを料理したいと言う。本当にできるのかと怪訝な気持ちになる。さっきの状態を見れば、あれが料理のできる人間の状態であろうとは到底思えない。それとも、ただの肉になってしまえば問題ないのだろうか。
「できるのか?」
少女はこくりと頷く。
「じゃあ、やってみろ。これも貸してやる。」
短剣も一緒に与えてやる。
少女は短剣を手にとって肉塊と向かい合った。瞳を閉じて逡巡を見せる。やはり、思うところがないわけでは無いらしい。
少しの間、少女は黙祷を捧げるかのように瞳を閉じたまま、肉に向かい合っていたが、瞳を開けると迷いが吹っ切れたかのように、肉を切り分けていく。
肉を一口大に切り分けると、近くの山菜を採取する。肉厚な柔らかな茎を持つエルドを短剣で切り取り。それをさらに一口大にする。
木の枝に一口大のエルドとホーンラビットの肉を交互に刺していく。おお、これはネギマの変わり種ってところか。俺の住んでいた地域はネギが自生しており、それを狩った獲物と一緒に食べるネギマが郷土料理だった。簡単だがとても美味い。
少女はネギマもどきを、丁寧に炎で炙る。
じゅうじゅうと香ばしい匂いが立ち込めて、食欲をそそる。肉汁が溢れて余分な脂分が肉から抜け落ちる。
頃合いを見て、少女はネギマもどきを炎から外すと、パラリと塩を振るって俺によこした。ふわりと香り立つ湯気が、目の前で広がる。これは美味いに違いない。
「いただきます。」
俺は手を合わせて、食事の作法に倣う。
故郷では、食事を取るときに、食べるものに対して命を食するという事に敬意と感謝の念を込めて、こういう風にする作法がある。普段はおざなりにしている作法だが、今日は何となくそんな気分になった。
「いただきます?」
「ん、ああ、俺の育ったところでは、そういう食事の挨拶があるんだ。食べ物への感謝の気持ちだ。命を頂くという行為への敬意とかな。」
「命を頂く……」
少女は感慨深く俺の言葉に頷いていた。
そんな事よりも、今はこのネギマもどきだ。辛抱たまらずかぶりつく。
肉からは思った通りにじゅわりと旨味が溢れ出す。エルドの茎はネギとは違って、独特の歯ごたえを返してくる。これは軟骨のそれに近いな。
だが、味はフレッシュな野菜だ。プツリと口の中で弾けるエルドの果汁が肉の脂を中和して、いくらでも食べられそうな軽やかさに仕立て上げる。ネギマではないが、これはこれで一つの料理として胸を張って良いレベル。
「これは素晴らしいな。今まで味わった事がない物だが、気に入った!」
「えへへ……。」
満足して少女の頭を撫でてやると、少女も嬉しそうに控えめに笑った。そして、俺がしたように
手を合わせて『いただきます。』と言って串にかじりついた。俺の国の作法が気に入ったのだろうか。
食事を終えたら、もう一度浄化魔法をかける。
今日は色々と血生臭かったから、疲れも汚れもここで一度リセットだ。少女はこの魔法が好きなようで、相変わらず瞳を輝かせていた。覚えたいと言うが、一足飛びに覚えられるほど簡単な魔法ではない。
綺麗になって、魔法で身体が温まったところで、今日は休む事にする。俺が横になってマントを広げると少女が中に飛び込んできた。
それと一緒に柔らかな良い匂いも入ってくる。さらりと長い銀髪も心地良い。これからは毎日、浄化魔法を使っても良いかもしれないな。
いつもはぴったりと背中を沿わせてくる少女が今日は抱きつくようにしてこちらを向いて寝ている。顔を俺の胸に押し付けて、それは昼間の取り乱した時に見せたようなしがみつくような体制。
「ごめんなさい……。」
小さな声で謝罪を口にする。
相変わらず何に対して謝罪しているのか分からない。顔を押し付けられているので表情まではわからない。だが、何となく泣いている気がした。
何度となく謝る少女の髪を撫でる。
次第に謝罪の声は薄れて、寝息に変わる。いつもの小さく控えめなすーすーと言う寝息。俺も少女を撫でていたら、だんだんと意識が遠くなっていった。
お読みいただきありがとうございました。
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