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二人の朝

目がさめると、懐には少女がいた。

非日常的な感覚に、意識が一瞬で覚醒する。


そう言えば俺は昨日、死にかけた少女を連れ出したんだっけ。腕の中の少女は今も小さな寝息をたてて、昨日の事など何もなかったような幸せそうな寝顔を見せる。


空を見るといくらか陽が高い位置にある。

昨日は俺も疲れていたし、酒のせいもあって随分と寝入ってしまっていたようだ。だとしても、危険な野宿でここまで熟睡するのは珍しい。少し自分の危機感が鈍っているのではと疑ってしまうレベルだ。


さて、今日はどうするか。

とりあえず、少女を教会に届けるまでは面倒を見ようと思う。助けたのは、今となってもよく分からない行動だが、助けてしまった以上はある程度何とかしてやらねば、ここまでの行為が茶番になってしまう。


近場の教会と言うと、カラザールの街に教会があったっけ。あそこなら都市の規模もそこそこ大きいから、子供の保護も行なっているだろう。他の近い街にもありそうな気がするが、縁のない施設だけに記憶が曖昧だ。まあ、とにかく教会を見つけて、少女を預ける。それでお役御免だ。どの道、戦利品の換金で街に行かなければならないから、無駄な移動にはなるまい。


「おい、起きろ。」


未だ夢の中を漂う少女の意識を、ゆすって起こす。こいつは俺が起こさなければ、いつまで寝ているつもりなのか。


「ん……んん……あ!」


意識を覚醒させた少女は俺の懐から飛び出て遠ざかる。俺も目覚めた時の違和感は凄かったから、気持ちは分かるが、今更すぎる行動だ。今の今まで無防備な姿を晒して寝こけていたのだから。


現在の状況に思考が追いついたのだろう。少女はいくらか警戒を解いて、その場に座り込んだ。


「昨日のことは覚えているな?」


暗い顔で、こくりと頷く。


「ついでとは言え、俺はお前を助けてしまった。だから、近場の教会に預けるまでは面倒を見てやる。」


キョトンとした顔でこちらを見てくる。俺の言っている意味が分からないのか? それとも、発言の意図が分からないのか? たしかに、俺も何故助けるのかと聞かれると、答えようがない。


人を助けるのは、当たり前。

そんな偽善者どもの言葉を借りた説明は、まっぴらごめんだ。見返りもなく助けるなど正気の沙汰ではない。そう言う綺麗事をのたまう奴らは、地に足の着いていない奴か。綺麗な皮を被った詐欺師のどちらかだ。


「きょう……かい?」


「ん? 教会が分からないのか。」


また、こくりと頷く。

どうやら言葉の意味そのものが分からなかったらしい。教会を知らないのは信じられないが、あんな閉鎖的な集落で暮らしていたのなら、それも頷ける。だが、そうなると、こいつはとんでもない世間知らずという事になる。下手すると金の事すら知らない可能性がある。


「教会って言うのはな。お前みたいなガキを預かってくれる所だ。」


「……わたしみたいな?」


「親のいない、どうしようもない子供の事だ。」


少女の瞳に、わっと涙が溢れる。親の死を突きつけられると、まだ受け入れられないのだろう。


「おい、泣くなよ。俺はうるさいのが嫌いなんだ。お前が喚くなら、こいつで黙らせるぞ。」


少女がビクッと震える。

見せたのは怨刀サクリフィス。少女の身体に消えない傷を刻み込んだ武器だ。切られると相当に痛いらしい。その痛みは少女の魂に深く刻み込まれていた。


「……ごめんなさい。」


震えながら、許しを請う。

別に俺は少女を痛めつけて喜ぶ趣味は持ち合わせていない。子供だからと優しくする精神も持ち合わせてはいないがな。だから、静かになった所で、このまま話を継続する。


「そう言う事で、お前を近場の教会まで届けてやる。俺の記憶が確かならカラザールの街に大きな教会があったはずだ。そこにおまえをーーって……。」


「……んぐっ、……んっ」


見れば、少女は溢れそうな涙を上を向いて、歯をくいしばるようにして耐えていた。おそらく俺の話なんか聞いちゃいない。泣くなと言ったが、これでは本末転倒だ。俺は話がしたいから泣くなと言ったのに。


「おい、涙は我慢しなくていい。その代わり声はあげるな。そして、俺の話をちゃんと聞け。いいな?」


少女がこくんと頷くと、瞳に溜まった涙が頬を伝って地面に落ちた。泣きはするが、きちんと声を抑えて俺の発言に耳を傾けようとしている。俺には嗜虐趣味はないはずなんだが、少し面白いのは何故だろう。


「よし、えーっと、どこまで話したか。そうだ、カラザールの街の教会におまえを届けてやる。歩いて半月ってところか。」


俺の移動速度ならば約一週間だが、まあそこは常人並として半月と見てもいいだろう。遅すぎるのを待つつもりは無いが、俺のペースについて来いというのは流石に酷だ。


「それから、最初に言っておく。俺は甘えた奴が大嫌いだ。役に立たない奴も同様にな。だから、もしおまえが何の役にも立たないタダ飯ぐらいのウスノロならば、即刻捨てて行く。それを忘れるなよ。」


少女は泣きながらも頷いた。

甘えは許さない。俺は助けを待つだけの役立たずが大嫌いだ。助けてもらって当然などと考えている奴は論外だな。


「よし。話はまとまったな、飯でも食うかって……その前に、その格好を何とかしないとな。」


昨日、とりあえず山賊のマントは被せたものの、その下は素っ裸。しかも傷跡が酷い。さすがにこれからの道中を、ずっとこの格好で歩かせるのは躊躇われるし、一緒にいる俺の常識が疑われる。


近くに服を売っている店があればいいのだが、ここは見ての通り森の中。近くの町まで行くのにも数日がかり。新しい衣類の調達など夢のまた夢。


「……仕方がない。」


俺はマントの下に着込んだ厚手の長袖を1枚脱いで少女に渡す。


「……え?」


「これを着ろ。さすがにその格好では、困るだろ。」


「あ……はい。」


言われて自分の姿を省みて赤面する少女。まあ、今更と言うのもあるが、それは俺だから言える事で、初対面でこの姿を見れば心象はよろしくない。


少女は俺から服を受け取ると急いで袖を通した。まるでどこかに置いてきた羞恥心を思い出したように恥じらいを見せる。うん、それでいい。


俺の長袖は、少女にとってはワンピースのような具合に収まってくれた。だらりと垂れる袖口は折り曲げて、ブカブカの襟口は左右を寄せて結んでやる。まあ、これでちょっとは見れるようにはなったか。


「ハルピュイアの羽を編みこんで作られた服だ。見た目以上に寒さを防いでくれる。高価な品なのだから大切にあつかえよ。」


「あの……。」


「なんだ?」


「ありがとうございます……。」


「ああ。」


干した肉と果物で朝食をとる。

少女は渡された食料を無言で食べた。この食事は山賊から拝借したものだが、出所は少女の集落だろう。それを少女も分かっているようで、陰鬱な表情で口に押し込んでいる。


朝食を済ませたら移動だ。

今日はもう昼に近い時刻。完全な出遅れだが、今からでも少しは距離を稼いでおきたい。


そう言えば、少女は歩けるのだろうか。

かなり根本的な事に気がつかないでいた。まだ傷が癒えたとは言えない。それどころか残る呪いの爪痕は深刻だ。


少女の身体には、痣のような傷が刻み込まれている。傷そのものは深く無いので、普通の状態ならば心配はないだろうが、問題は呪いだ。


「歩けそうか?」


「はい」


少女はすっと立ち上がって歩いてみせた。その動きに不自然なところはない。どうやら、今のところ特に問題はないようだ。大したことのない呪いなのだろうか。


俺が歩き、少女も歩く。

ペースも思った程に悪くない。いやむしろ優秀と言えるだろう。猫族の亜人だから運動神経は人族よりもいいのかもしれない。それに幼少からこんな土地で育ったのだから、野山は歩きなれているのかもしれないな。


「大したものだな。」


「え?」


「身のこなしが軽やかだと言ったのだ。訓練すれば良い戦士になれるかもな。」


「ふえぇ……戦士ですか。」


変な声で驚く少女。

まあ、女なんだから戦士になどなりたくはないか。どうでも良いことだがな。


その後も、少女は歩き続けた。

いくらかのペースダウンはあったものの、俺の想像をはるかに超える歩行速度を見せた。おそらく街で安穏と暮らしている大人なんか足元にも及ばないだろう。


「今日はここまでだ。」


「はい、でも、あの、私はまだ歩けます……。」


おどおどとした態度で、少女が言う。

そんなに体力が有り余っているのかと、少女を見やると、かなり消耗しているのがうかがえる。足はふらふらと心許なく、尻尾はだらりと垂れ下がっていた。


こいつは何故そんな強がりを言うのか。

これ以上歩けば、確実に支障をきたすのは分かりきっている。転倒したり、怪我をしたりすれば、面倒な事この上ない。


「嘘を言うな!」


「ひっ……」


「歩けないのは見れば分かる。歩けないのに歩けると言って、何のつもりだ! その結果、俺に迷惑がかかると言う事をお前は理解していないのか? その程度の考えも及ばないのなら、お前とはここでお別れだ!」


「ごめんなさい! ごめんなさい……だから、捨てな……いで……。」


少女が泣きだした。

泣きながら捨てないでと懇願してくる。まったく、泣くぐらいなら最初から素直に休めば良いものをってーーー


……ああ、そうか。

こいつは俺に捨てられないようにと嘘をついたのか。『足手まといのウスノロはいらない』俺がそんな事を言ったせいで、こいつは歩けないと言えば、自分が捨てられると思ったのだろうか。


これは、俺が悪いな。

俺は懇願する少女の頭を撫でてやる。さらりと長い銀髪の柔らかな感触が手を伝う。


「悪かったな。」


少女が顔を上げ、俺を見上げる。

目には涙がいっぱいで、こんこんと湧いてはこぼれ落ちている。そんな中でいささか焦点のボヤけた瞳が、俺の言葉を理解できずに見開いていた。


「お前を捨てることは、今のところ考えていない。今日のお前は、俺の予想よりもよく歩いた。俺としては嬉しい誤算だな。だから、今日は先を急ぐよりも安全そうなここで野宿の準備をしようと思ったのだ。」


「……捨てたりしませんか?」


「ああ、捨てない。……今のところはな。」


「良かった……です」


ほっと安心したように笑顔を見せる。

そして、その場に座り込んだ。安心して疲れが吹き出したらしい。俺の一言に一喜一憂するのは、少し面倒くさいな。人と一緒に旅をした事などないが、やはり一人の時とは勝手が違う。


俺が野営の準備を始めると、少女が手伝おうとするが、何をして良いのか分からずにおろおろとうろたえるばかりだ。


「今日はいい。疲れを癒す事だけを考えろ。」


「はい……」


薪を集めて火を起こす。

小さな薪に火魔法で着火、それを次第に大きめの薪へと火を移していく。いつもの日課みたいなものだ。火は暖をとる事もあるし、料理をする事もある。魔物避けにもなるしな。


「凄い……。」


少女が興味深そうに、俺の火起こしを見ている。

何か特別な事をしているわけじゃないのだが。


「もしかして、魔法を見るのは初めてか。」


こくりと頷く。


「使えるようになりたいか?」


「……わたしでも使えますか?」


驚きと興奮の混じった表情だ。

魔法に憧れがあるのだろうか。実用的な攻撃魔法ともなると適正が必要になるが、この程度の生活魔法ならば誰でも使うことができるだろう。


中には破魔病といって生まれつき魔力を持たない人もいるらしいが、本当に稀だ。俺は今まで破魔病の人間を見た事がない。この病は魔力を持たないが故に、魔法を使えないだけでなく、回復魔法や強化魔法の恩恵も受けられないらしい。


まあ少女には関係のない事だろう。


「この程度ならできるだろう。よっと。」


俺は少女の隣に腰を下ろす。


「どれ、両手を前で合わせてみろ。」


「あ、はい。」


俺はその手を外側から包むように持つ。


「両手を少し離せ。」


「はい。」


俺は微弱な魔力を流し始める。

それは俺の手から、少女の手を伝い、掌から掌へと流れる。両手の空間にはぼんやりと魔力の渦が表れ始めた。


「何か感じるか?」


「えと、はい。ビリビリします……。」


「それが魔力だ。両手の間を流れる魔力に自分のイメージを流し込め。今回は炎だな。ちょうど目の前に焚火があるからイメージしやすいだろう、やってみろ。」


「はい。」


少女が目を閉じて、イメージに集中する。

なんとなく教えてしまったものの、この最初の一歩は思いの外難しい。酷いとこのまま1日やっても炎を具現化できない奴もザラにいる。しかも少女は、1日歩いて疲れており集中力を欠いている。


俺は、このタイミングで魔法を教えようとした事を少し後悔し始めていた。うーん、少しやってダメなら今日は諦めさせよう。


「あ、できた! できました!」


「なんだと!?」


見れば、両手の間に小さな炎が揺らめいている。

こんなに早く体得した奴を俺は知らない。天性のものなのか、それとも特殊な環境で育ったが故に素養があったのか。大した奴だ。


「お前には魔法の才能があるかもしれんな。中々こう簡単にはいかないもんだ。」


「……わたし、お役に立てますか?」


「ああ、そうだな。じゃあ明日はお前が火を起こせ。」


「はい!」


少女は嬉しそうに微笑んだ。

そう言えば、俺も始めて魔法を覚えた時には、とても興奮したっけな。こいつ程はやく覚えられはしなかったけど、その分喜びは半端じゃなかった。


俺が最初に覚えたのは水魔法。

飢えに苦しんでいた時に、自力で生み出した生きる知恵だ。まあ、独学という点では俺の方が少女よりも凄いかもしれないが、競うものでもない。


火を起こし、魔法を教えたら、食事の準備だ。

道中に何かしら捕らえられると良かったのだが、残念ながら今日は魔物と遭遇することは無かった。普通に考えれば、魔物に遭遇する方が残念なんだろうが、俺にしてみれば魔物は食料だ。


朝と同じ干した肉と果物を食べるしかない。

鞄から取り出して、少女にも分けてやる。味気ない食事だが、この干し肉と果物は中々美味い。少女の家のものだが、処理が良いのか、素材が良いのか。そう言えば集落で食べた物も美味しかったな。料理上手な家だったのだろうか。


少女は朝と変わらず陰鬱な表情で、食事をとっている。いや、朝よりかいくらか明るい表情か。自分の家の食材。それは自分の家を思い出し、昨日の事を思い出させるのだろう。親が犯され、殺され、家を焼かれ、傷つけられ、玩具にされた。そんな事を思い出しながら食う飯はたしかに美味くはないだろうな。


「おい、お前は料理ができるのか?」


俺の質問に少女が顔を上げる。


「え……お母さん程じゃないですが。」


「できるのか、できないのか。」


「で、できます!」


いい事を聞いた。

俺も料理はできないことは無いが、面倒くささが先に立つ。これからは少しの間は二人なのだ。食事の用意はこいつにさせよう。腕前の程は、未知数だがそう酷いものではないだろう。そもそもこんな旅では満足に料理を出来る環境にないのだから。


「よし、明日から飯はお前が作れ。」


「ふぇぇ……わ、わかりました。」


少女がうーんうーんと唸りだす。

何を作ろうかと考えているのだろうか。調理道具もロクに無いし、調味料だって塩くらいしか無いんだ、期待はしていない。精々塩を振るって肉を焼いたりするくらいだ。焼き加減さえ間違えてくれなければ、それだけで十分というもの。


少女は食事を済ませたら、再び魔法の練習をしようとしたので止めた。

向上心があることは素晴らしいが、魔力の消費は体力の消費に近い。まして魔法を覚えたてとなれば加減が分からず、力を使い果たしてしまう可能性がある。そうなっては明日に影響が出る。


そうして、今日も一緒にマントにくるまって眠る。少女の格好ではどうやっても夜は寒いし、俺は俺で少女に服を一枚貸し与えてしまったので心なしか冷える。少し寝苦しくはあるが、十分寝られないことは無い。


少女は昨日で慣れたのか、素直に俺のマントの中に収まった。ぴったりと俺の体に背中を合わせてくるのは、狭い中で暖かく寝る為に頭を使ったのだろう。


この少女は賢い。

最初はどうなることかと思ったが、足手まといと言うほどでは無い。これなら問題なく教会まで行けるだろう。


俺は少女の寝息を聞きながら、ゆっくりと意識を手放した。不思議と眠りに落ちるまでは早かった。

お読みいただきありがとうございました。

良ければ、ブクマ、評価、感想などよろしくお願いします。


どうぞ引き続きよろしくお願いいたします!

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