はじまり
空が高い。
どこまでも青く透明な空、その中心で太陽が温かな光を振りまく。時折吹く柔らかな風も相まって今は最高の昼寝日和だ。
俺は草原の只中で惰眠を貪っていた。
旅をしていれば、こんな天気に、こんな寝転びやすい場所で、至福の時を得られる巡り合わせもある。こんな日は何もしたくない。
各地を転々とする生活。
行商をしているわけでも無く、とりたてて何か目的があるわけでもない。一つどころに長くいるのがどうにも苦手なだけ。人付き合いが出来ないわけではないが、好きではない。
そんな風に言うと、日々の生活にも困っている貧乏な社会不適合者と思われるかもしれないが、剣の才能に恵まれたお陰で、仕事には事欠かない。各地の冒険者ギルドで単発の仕事を受ければ、それなりの収入になる。
魔物討伐やキャラバンの護衛、剣術指導、山賊退治など。スキルと実績があれば、高額の依頼も受けられるので、正直金には困っていない。
中でも、山賊退治は美味しい。
とりあえず、山賊は見かけたら狩っておくに限る。ハズレもあるが、山賊の類は金品を溜め込んでいる事が多い。彼らを討伐すれば、そこにある物は全て俺のものである。
その後に、周辺ギルドの依頼を見て、山賊退治の依頼があれば、即座に達成で二度美味しい。
まあ、本来は盗品なので、管轄の領主に報告して預け無ければならないが、結局は持ち主不明で領主の懐が肥えるだけだ。そもそも、本来の持ち主に返してやる義務も義理もないけれど。
そんなわけで、それなりに貯蓄のある俺は、悠々自適なひとり旅を楽しんでいる最中という事だ。
この草原はツェルト大陸の西方に位置する森の奥地。ツェルト大陸で幅を利かせているのはカタリス法国だ。大半はあの国の領土だと聞いている。
ここは首都よりかなり離れた森の奥。厳密に言えばカタリス法国の領土なのだろうけれど、近くには街も街道も何もない。そんな所にかの国の威光が届くはずもない。
そうなると、どうして俺がこんなところにいるのかと疑問が浮かぶだろうが、特に理由は無い。俺は旅が好きなのだ。色んな街を見て回るのも好きだし、こうした自然を楽しむアウトドアも嫌いじゃない。
登山家になぜ山に登るのかと尋ねるのと同じようなもので、登山家が危険を冒してでも山に挑戦するのは好きだからだ。旅人は旅が好きだから旅人なのであって、何故ここにいるのかと聞かれたら旅が好きだからと答える他ない。まあ、街の喧騒に疲れたから、人のいない場所を目指したと言うのはあるか。
それに、どうやらこの辺りの森はフィンメルと言う一角獣の生息粋だ。ユニコーンの下級種と言われているフィンメルだが、希少な生物なのに変わりはない。その角は薬や武具などに、強い付与効果をもたらす。
つまるところ、良い金になる。
角だけなら、そこまで嵩張る物でもないし、二、三本くらいは持っても移動に差し支えはないだろう。もう少し昼寝を楽しんだら狩りに行くとしよう。
「見て見てー!」
ふいに声がして、思考が止まる。
こんな奥深い場所に、誰かがいるのだろうか。声は少し遠くから聞こえた。聞き間違いではないと思うが、幼く鈴のように綺麗な声だったので、確信が持てない。こんな所に子供が居るとは考えられない。
「まあ素敵。これなら良いのが出来そうね!」
「うん!」
声が近寄ってきている。
先ほどの子供の声と、別の女の声。俺は声のする方へと確認に向かう。草原の丘の下の方から聞こえたように思えたが?
丘の下を覗き見ると、猫耳と尻尾のある10歳くらいの女児と、その両親であろう男女が見えた。亜人種の、たしかネコ族だったか。女児が花を摘み、母親が花の冠を作っている。そして、それを傍で見守る父親。
とりあえず、害意はなさそうだ。
しかし、こんな所に人が居るとは思ってもみなかった。何らかの事情があって隠遁生活を送っているのだろうか。
視線をその先に移すと小さな集落が見えた。家屋が三軒。馬小屋が一軒。家族とその親戚って規模の小ささだ。
住み着いてから、結構長いのか、しっかりと生活感のある集落だ。ロープを木にくくりつけ洗濯物が干され、家の軒先には魔物が血抜きして吊るされている。更には丁寧に割られた薪も積み上げられていて肌寒くなるこれからの時期に備えをしているようだ。
後で少し尋ねてみるか。
食料を少し売ってもらえるとありがたい。金が価値を持つ場所なのか分からないから、物々交換でも良いな。さすがに、毎日狩りと山菜採取で、しっかりと調理されたものが恋しくなってきた。
俺は警戒を解いて、再び草原に腰を下ろす。
眼下に見える家族は、何がそんなに楽しいのか嬉しそうに花冠を作っている。幸せそうな家族を絵に描いたような光景だ。
少女は大きな花を探していたかと思えば、今度は別の色の花を探し出す。そうして摘み取った花を次々に母親に渡して、冠を作ってもらっている。付いていく両親は大変そうだが、笑顔で溢れていた。
この光景にいくらかの嫌悪感を覚える。
俺が荒んでいるからなのだろうか。少女の遠慮の無い自由奔放ぶりが鼻に付く。世間の厳しさなど一切知らずワガママに振る舞う子供に、世の理不尽さを教えてやりたい衝動に駆られる。
純真無垢にサンタの存在を信じる子供に、サンタの正体を告げてやりたくなるような。宗教を盲信して祈ることしかしない奴らに現実を突きつけてやりたくなるような。そう言えば、お誂え向きにクリスマスはカタリス法国発祥の文化だったか。
思えば、親も親である。
子供がワガママに振る舞えるのは、親あってこそ。親の過保護な振る舞いが子供を助長し、イラつかせる。そういう意味では、諸悪の根源は親と言うことになるのか。
くだらない思考だ。
別にあの人間が、俺に何か害をなしているわけでは無いし。俺があの少女の面倒を見なければいけないわけでも無い。だから、この苛立ちは無意味だし、批判することも無意味だ。俺が勝手にあの家族を見て、勝手に苛立っているバカバカしい状況だな。
それでも目が離せないのは何故だろう。
この光景が珍しいからだろうか。懐かしい……という事はないな。俺の記憶には両親と仲良く過ごした時間など存在しない。子供にスリをさせる最低の親だった。親には殴られた記憶しかないし、最後の記憶に至っては、殺されそうになった俺が親を返り討ちにするものだ。ロクなもんじゃない。
だが、そんな訳の分からない苛立ち混じりの家族鑑賞もすぐに終わった。
少女が特大豪華な花冠を被り、満面の笑みで両親に抱きついたところで、いよいよ耐えられなくなった。俺はそそくさとフィンメル狩りに出ることにしたのだ。
草原から森の中へ。
フィンメルは用心深い気性なので、足音や気配を消して歩く必要がある。全身に神経を集中して、気配を消すのと同時に探索を始めた。
昼だと言うのに、暗く肌寒い。
それは背の高い木々が多いことに加えて、それらが複雑に絡まりあい頭上を埋め尽くし、太陽の光を遮るからだ。薄暗い中で、木々が淡く発光して見えるのは、表面をびっしりと覆うヒカリゴケの特質。この森は不気味であり、神秘的でもある。
その中にフィンメルの足跡を見つけた。
苔むした場所が蹄の形で窪んでいるところが点在し、木に角を擦り付けた跡もある。フィンメルが角を擦り付けるのは縄張りの主張。既に俺はフィンメルの縄張りに足を踏み入れていた。
ここに見える足跡の大きさがちぐはぐな事から見て、最低でも三匹はこの縄張りにいるだろう。一網打尽にできれば、1年は遊んで暮らせる位の金が手に入る。
まだ新しい足跡を追跡していく。
足跡の間隔に少しの違和感を覚える。大きさはフィンメルのもので間違いないが、それにしては一歩の歩幅が長い。かなりの脚力で跳ねているのか、通常のフィンメルよりも2倍は長い歩幅だ。
だが、それにしては足跡が浅い。これほどの跳躍にも関わらず地面はさほど抉られてはいないのは不思議だ。フィンメルの成体ともなれば500キロは超えるもの。そんな巨体が全力で駆けたとすれば地面には相応の跡がつく。何かがおかしい。
「……な!?」
見つけた!
足跡の終点は、森の中にぽつんと存在する湖のほとり。そこに五匹の獲物がいた。
……だが、それはフィンメルではなかった。
ナイトメア。
悪夢を司ると言われる一角獣。茶色のフィンメルと違って、黒紫の体躯と翼を持つ。高い知性を持ち、魔術をも行使すると言う。翼は退化し、空を自由に飛ぶ事は出来ないらしいが、翼から発生する魔力で短距離ならば飛行する事ができると言われている。足跡の正体はこう言うことだったか。
フィンメルの上位種にして、ユニコーンの下位種。かなり珍しい種族であり、かく言う俺も見るのは初めて。道具屋でナイトメアの角を使った品にはお目にかかったことがあるが、かなり高価な品だったのを覚えている。
捕らえられれば、小遣いどころではない。一攫千金だ。角一本で10年は暮らしていけるだろう。何とはなしにやってきた僻地だが、思いがけない土産が手に入りそうだ。
まだ気づかれてはいない。
ナイトメアは寛ぐようにして、水場でじゃれあっている。水を飲んだり、身体を洗ったりしているのだろう。警戒心もいくらか緩んでいるようで、今がチャンスだ。
懐から強力な麻痺毒が塗られた羽ナイフを取り出す。投擲用の小型ナイフで、柄に付けられた羽が矢羽のような役割を果たし、素早く正確に飛ぶ性質を持っている。
ヒュッ!
群の中心にいる一番大きなナイトメアにナイフを投げると同時に抜刀して飛び出す。投擲で一匹を仕留め、他の逃げようとするナイトメアを順次仕留めていく作戦。フィンメル相手によく使う手だが、何のことはないナイトメア相手でもやる事は変わらない。
パキンッ!
「……は?」
投げナイフが、ナイトメアにあたる寸前で砕け散った。これはまさか結界魔法!? まずい、逃げられる!
しかし、ナイトメアは散開するが逃げない。
角を突き出し、その先端から黒く光る魔法陣が形成される。戦う気か、面白い!
俺は勢いを止める事なく加速させ、ナイトメアの群れに突っ込んでいく。まずは一番でかい群のボスだ。こいつの角は一際高く売れるだろうし、群の戦力を削ぐのにも、こいつを素早く片付けるのが良いだろう。
ナイトメアの魔法陣から、巨大な火の玉が飛び出す。赤黒く燃え盛る炎。これは普通の炎ではなく、かなり威力の高そうな代物。
だが、スピードが遅い。
軽くサイドステップで交わして、ナイトメアに迫り、剣を喉元めがけて振り抜く。
「獲っ……え?」
まるで残像のように、するりと剣が空を舞い。ナイトメアの姿が搔き消える代わりに、赤黒い炎の渦が捲き上る。くそ、幻影魔法か!
即座にバックステップで躱すが、俺の前髪を炎が焦がす。チリチリと嫌な音と匂いがする。危なかった。
安心するのもつかの間。背後に魔力の膨張を感じる。まるで周到に準備されたトラップのように、俺のバックステップの着地点に炎の渦が出来始めていた。遠隔魔術まで操るというのか……。あそこに着地したら死ぬ。
腰のワイヤーナイフを引き抜き、木の枝に絡め、そのまま強引にひっぱり身体の向きを変える。
何とか軌道が逸れて、炎の横にころげ落ちるようにして着地した。それと同時に本来の着地点から爆発が起こり、その余波によって吹き飛ばされる。
「くっそ……フィンメルとはえらい違いだな。」
相手がフィンメルであれば最初の一撃で全てが決まっていたし、あんな人間がやりそうな幻術トラップなんて使ってこない。
ナイトメアは、余裕そうに俺の前に立ち並ぶ。
逃げないところがまたムカつく。自分たちの方が強いから逃げる必要がないってか? しかも、今のすっ転んだ隙に攻撃してこなかったのは、完全に舐められている証拠。
「腹立つな……。」
俺は目を閉じて、視覚を遮断する。
そして感覚を研ぎ澄ましていく。目で見て戦うから、ナイトメアの幻術にはまるのだ。一流剣士の研ぎ澄まされた感覚ってやつを見せてやる。
ついでに身体強化の魔法を発動。
攻撃力、防御力、速度向上。ついでに武器強化魔法も。俺は剣士だが、魔法もそれなりに使える。しかし、強化中に攻撃してこないとは、本当に頭にくるぜ。
「これで全力だ。後悔させてやる。」
前に飛び出すと、ナイトメアも姿勢を低くし、迎撃の構えを見せる。浮かび上がる不吉色の魔法陣。
「遅い!!」
横薙ぎにボスのナイトメアの首を落とす。
ただスピードを上げただけで、先程とは全く異なる結果。剣は肉厚なナイトメアの肉も骨も一刀両断した。
ゴトリと首が地面に落ち、ドサリと巨体が崩れる。先程の余裕は何処へやら、一歩後ずさるナイトメアども。だが、まだ逃げないようで、闇色の魔方陣に力が集まっているのを感じる。
カッと光る感覚。
一斉に魔法を放ったのだろう。凄まじい熱量が俺に急速に迫る。弾道には寸分の狂いなく、このままいけば俺を中心に魔法が衝突し、大爆発が起きる。そうなるとせっかくの落とした首も消し炭になってしまう。
魔力で剣を更に強化。
刀身が銀色に輝くほどに魔力を帯びる。その剣を持って、四方から迫り来る炎の玉を捌く。正面から受け止めるのではなく、剣を優しく添えるようにして軌道を逸らしていく。
俺はその場から離れる事なく、全ての魔法を受け流した。直後に四方で極大の火柱が上がる。轟音と共に、地震のような振動が身体を突き抜ける。直撃で受けていたら、さすがに危なかったかもしれない。
これを契機に、脱兎の如くナイトメアが逃げる。逃げる方向がバラバラなのは、誰かが犠牲になれば誰かが生き延びられるという小賢しい知恵なのか。これではナイトメアの思惑通りに、あと一匹しか刈り取れない。
「最後までイラつかせてくれる。」
俺は迷う事なく二番目に大きなナイトメアに向かって駆け出す。サクッと倒せばもう一匹くらいは狙えるかもしれない。
小癪にも木々の間を縫うようにして走るナイトメア。無駄のない洗練された動きで狭い木々を天然の盾にしてくる。俺の方が小柄なのだから、小回りは効くはずなのだが、土地勘が無いために後手に回る。くそ、賢い生き物というのは、本当に面倒くさい。
ふっと、巨木の陰でナイトメアの姿が一瞬途切れた。
俺は速度をこれ以上ない程に上げて、逃げ回るナイトメアを圧倒すべく距離を詰める。小癪な逃げ方をしてくれるが、地力はこちらが上。
バンッ!!
「うっ……」
巨木を抜けたところで、炎の閃光が走る。
慌てて、巨木を蹴って横に避けると、一瞬にして巨木が赤黒い炎に飲まれた。魔法のトラップを仕掛けていたようだ。的確なタイミングで無駄のない攻撃。
「くっそ……」
体勢を立て直し、ナイトメアの走り去った方角を見ると、小さく遠ざかるナイトメアが森の奥に消えていくのが見えた。距離が開きすぎている。これでは、もう追いかけても望みは薄いだろう。
俺は剣を鞘に収めると、踵を返した。
まあ、一匹は倒したのだ。フィンメルを数匹と思っていたのがナイトメアにかわったのだから、僥倖と言うもの。価値にしてフィンメルの数十倍の儲けだ。そう思えば逃した溜飲も下がる。
俺は先程の水場に戻った。
ナイトメアの首を拾い上げて角を根本から切り落とそうとするが、かなり硬い。フィンメルであれば何とか斬れるんだが、ナイトメアともなると、角の硬さも大幅に上がっているのかもしれない。そうでなくともこの個体は上物だ。
結局、頭骨を砕いて取り出すことにした。
ナイフでは角の部分には傷一つつけられず、頭骨と角の継ぎ目に刃を立てて、ノミを使うように石で柄を叩いてようやく取り出すことに成功した。お陰でナイフが1本使い物にならなくなってしまったが、いったい幾らで売れるのかと思うと心が躍る。
随分と陽が傾いてきたのか、森の中が本格的に暗くなり始めている。それに疲れた。本気で戦うのは、かなり神経をすり減らすし、魔力も随分と使ってしまった。
例の集落を目指して移動を開始する。
話をして温かい食事を売ってもらおう。ついでに泊めてもらえれば、この上ない。あの能天気そうな連中のこと、ある程度は無理が通りそうな気もするしな。
次第に森が薄れていく。
鬱蒼とした空に茜色の光が混じり始めた。もう少しで草原のあたりに出るはずだ。
「ん……?」
草原の空に黒煙が上がるのが見える。
雲とは明らかに違うドス黒い嫌な質感を伴って、高く上っていく煙。あの方角は集落の方だが、盛大な野焼きでもしているのだろうか。まさか、ナイトメアの炎が逸れて着弾したわけでもあるまい。
俺は少し足早に、集落の方へと歩く。
近くなると、煙に混じって匂いがする。黒煙に混じるのは、覚えのある匂いだな。血の匂いと人の焼ける匂いだ。
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