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初めての小説になります。
亀より遅いと思います。
生暖かく見守って下さい。
頭がぼんやりとする。
目の前がよく見えない。
けれど、不安になることはない。
暖かいものが身体を包み、柔らかな声が聞こえてくる。
それはとてもとても幸せで安心できるものだった。
初めは意識がはっきりとせず、断片的にしか状況がわからなかった。
ただわかっているのはどうやら私は転生したらしいということ。
私の前世はどこか慌ただしくも幸福であった。
博識で優しい父と美しく包容力のある母の一人娘として産まれた。
母は私が5歳のときに私を庇って亡くなってしまったが、父は沢山の愛情を持って私を育ててくれた。
日本人であったが父の仕事の都合でアメリカで産まれ育ったため、物心がつく頃には2ヶ国語を喋っていた。
幼少の頃は好奇心のまま色々なことを父に尋ね、そして父はそのどれにでも答えをくれた。
わからないことがわかるようになる楽しみを教えてくれたのは父だ。
幸い稼ぎのいい父は習い事も好きなだけ習わせてくれた。
だが、ただの優しいだけの父ではない。
習い事も最低でも一年は通わされ、「もう辞めたい!」といくら泣いても辞めさせてくれることはなかった。
それは後に自分のスキルとなり役立ててくれた。
厳しい父に不満を持ったこともあったが、成長とともにありがたいことなのだとわかるようになった。
基本の勉強は勿論、ピアノやバレエに始まり生活に必要な料理や語学、日常にはあまり必要なさそうな乗馬やフェンシングまで。
習い事だけでなく色々なところにも連れて行ってくれた。
美術館や植物園、オペラ観賞やボランティア活動。
多すぎて挙げれないほどだ。
本当に様々な事を学んだ。
そして、沢山の人との出会いを作ってくれた。
そんな優しい父は私が13歳のときに病で倒れ、それからは呆気なく逝ってしまった。
悲しみの中、父の弟だという人が私を引き取り日本で暮らすこととなった。
しかし、この人は「自分が保護するのだからお前が生きていける。感謝しろ」と言い日々の暮らしは苦しいものとなった。
手を挙げられることこそなかったものの父が遺してくれたお金はほとんど取られた。
伯父とその妻と息子は毎日豪遊し、あっという間に金を食い潰していった。
その頃はまだ幼く、保護者である伯父の言うことは絶対であった。
後に正当な遺産相続者は私であるということが分かったが、そのときにはもう既に父の遺産は残っていなかった。
しかし、そんな状況にも関わらず腐らずにいれたのは父が遺してくれた人という財産があったからだ。
今までの習い事などを通じて知り合った人々の支えと、病に倒れた父のような人を救うため薬の研究、開発をしたいという強い気持ち。
父は死してなお私を支えてくれた。
特待生と奨学金を使い大学まで行き、その大学で3歳上の夫と出会った。
大学を卒業を控え、大学院で研究をしたい気持ちはあれどお金の問題で諦めていた私に夫は「君は好きなだけ研究をしたらいい。俺が君を支えて行くよ」と言ってくれた。
夫の人生を私が潰すようで一度は断ったものの「それが俺の幸せだ。俺を幸せにしてくれないか?」という言葉に絆され、私は研究の道を選んだ。
夫は穏やかでいて、ときに力強く私を支えてくれた。
伯父との縁を切れたのも夫がいてくれたからだ。
結婚してからも研究に没頭し忙しい日々ではあったが、毎日が充実していた。
中々こどもが出来ず悩んでいたが38歳にして息子に恵まれた。
遅くできたこどもはとても可愛いく、夫と共に毎日デレデレになりながら子育てをした。
ただ可愛いがるだけではなく、父の教えをもとにときに厳しく躾もした息子は我が子ながら真っ直ぐで逞しい子に育ってくれたと思う。
そんな息子が成人しお祝いでの外食の帰りに事故にあった。
暴走車が飛び込んできたのだ。
息子に迫る車。
位置的に夫は間に合わない。
考える間もなく私は息子を突き飛ばした。
跳ねる自分の身体。
驚く夫と転ける息子がスローモーションで見えた。
私の母は私を庇って亡くなった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、今ならわかる。
可愛い我が子を守れて私は自分が誇らしく思う。
そして、我が子を庇えた自分はやはり母の子だと。
倒れた私に駆け寄る夫と息子。
痛みは全く感じなかった。
ただ自分はもう死ぬのだとわかった。
両親に愛され、沢山の人たちに支えてもらい、最愛の夫と息子ができた。
この後を夫と息子と一緒に歩めないことを少し残念に思いもしたが、立派になった息子を見ることができたし思い残すこともない。
ただ私の母が亡くなったときのように息子に後悔を抱えて欲しくなくて絞るように声を出した。
「あなたは私の誇りよ。守れてよかった。二人とも愛してる...」
息子は泣きながら「嫌だ!」と言っていたが、夫は私の最期とわかったのだろう。
「愛してる。君に出会えてよかった。」と言ってくれた。
私はその言葉を聞き、夫がいれば息子は大丈夫だと安心し、意識が暗くなっていくのを感じた。