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取り引きへ

 それから私は無我夢中でお二人に付いて走り、どれだけ走ったか、恭四郎様が「もう大丈夫だろう」と仰せになってようやく逃げ切ったことを知ったのでした。


「こんな夕刻に女二人で人気のない道を歩くなんて、危ないじゃないか」


 恭四郎様が肩で息をしながらおっしゃられた。怜様もはぁはぁと息を整えている。


「恭四郎、どうしてここに?」

「たまたま通りかかった。そんなことより怪我はないか」


 恭四郎様が怜様の手を取った。と、同時に怜様はサッと手を退けて「大事無い」とお答えになられた。怜様は眉をぎゅっと寄せて訝しげな顔をされた。恭四郎様はそんなの見慣れていると言わんばかりにフッと口角を上げられるだけだった。


「梢は大丈夫か」


 思いがけず怜様に問われ、怜様と恭四郎様、お二人と目が合う。私は状況の整理が出来ておらず、お二人を見てようやく安堵が込み上げてくるのでした。安心すると、今度はとめどなく涙がこぼれ、あのときの恐怖が蘇ります。


「れ、怜様・・・すみません、わたしっ・・・」

「・・・そうか。大丈夫。もう大丈夫」


 怜様は私の泣いている顔を隠すように両腕でしっかりと抱きしめ、頭をポンポンと撫でてくださったのでした。その怜様の温かい懐に先日のアサミさんの優しさが重なり、抑えていた涙がまた溢れてゆきます。泣いている私に、怜様がぽつりと「済まなかった、許せ」と呟かれたのが聞こえました。狙われたのは怜様なのに。怜様だって怖かっただろうに。あんなことがあっても気丈な怜様を思うとさらに泣けてきて、私は自分の立場も忘れてただただ涙を流しました。


「それにしても、一体アイツらは何なんだ」


 恭四郎様は懐から紙巻たばこを取り出し、マッチを刷った。煙を大きく吸いこみ、はぁと吐き出した。


「おそらく、私たちの結婚を阻止したい何者かが寄越してきたんだろう」

「なんだと」

「三年前、桜が恭四郎と婚約したときは桜が狙われた。雑賀と新山の縁組を面白く思わない者がいると私は考えているよ」

「しかし、誰がそんなこと」

「まだ分からない。ただ・・・操様を信用しないように、私は恭四郎、お前のことも信用していない」


 怜様はまっすぐな目で恭四郎様を見据えられた。恭四郎様はバツの悪そうな顔をされる。


「馬鹿なことを言うな。こうして助けてやったじゃないか」

「そうね、さっき助けてくれたことは感謝しているよ。恭四郎、ありがとう」


 ふいに怜様が微笑まれた。恭四郎様は予想外だったのか虚を付かれたように目を開かれ、そしてすぐにため息に変わった。


「怜、大分暗くなってきて夜道は危ない。そこの泣き虫も一緒に屋敷まで送ろう」


 恭四郎様はそれだけ言って、「付いてこい」と指示された。そのあとは二人の間に会話は無く、恭四郎様の車まで黙って歩いた。私は何も言えないで、ただお二人の様子を伺うしかできずにおりました。ふと、怜様の目線が私に向いたのに気づきます。


「今日のこと、黙っていてほしい」


 怜様は吐息のような微かな囁きで、私に告げられました。私は一瞬恭四郎様を見て、気づいておられないことを確認してから、コクンと頷くのでした。




 夕刻。私たちは何事もなかったように屋敷へ戻りました。帰りが遅くなったのでアサミさんが心配しているかもしれないと思ったのですが、今夜は恭四郎様のお父様で操様の兄君にあたる新山伯爵がいらっしゃっていたため、使用人は皆忙しく私に関心を寄せる者はおりませんでした。

 私は怜様の晩餐用のお召し物を用意し、怜様の着替えを手伝った後、晩餐へ見送りました。主人が晩餐の間は、寝室を整えて就寝の準備をするのが私のお役目です。


 今日あったこと、怜様は黙っていて欲しいと仰せだったけれど、本当にそれでいいのだろうか。あの男たちは怜様を狙っていた。そして、怜様が言っていた“桜様も過去に狙われたことがあった”ということ。いずれも恭四郎様との婚約が成ってからのことだというのなら、やはり結婚を阻止したい何者かがいるということでしょうか。私としては、怜様に敵対しておられる操様のことが気に係るけれど・・・

 しかし操様のお立場を考えると、桜様や怜様が甥である恭四郎様と縁が決まるということは、新山の立場が揺るぎなくなるということ。推し進めることはあっても阻止するのは不自然です。

 

 私が考え事をして手元が疎かになっていた時でした。


「難しい顔をして、考え事か」


 急に後ろから声がしたので体がビクっと反射します。この声は、恭四郎様の声。振り返ると、入口の扉に寄りかかり、不敵に笑ってこちらを見ておられるのでした。


「こ、このようなところにいらっしゃってはいけません!怜様の寝室ですよ!」

「まぁそう言うな。俺は君に用があるっていうのに、君が晩餐に顔を出さないのが悪い」


 恭四郎様はひょうひょうとおっしゃられます。私は困惑しておりましたが、しかし怜様の寝室に殿方が入ってこられたなど、誰かに見られては大事になる。


「私にご用など・・・とにかく、誰かに見つかる前にお部屋を出られませっ」


 慌てる私を静止させるように、恭四郎様は私の手首をそっと掴みました。わざと目を逸らせないように顔が近づいてきて。私は自分の息を呑む音が部屋に響くのが聞こえました。


「なぁ梢ちゃん、俺と取り引きしないか」


 この時私は初めて、恭四郎様を恐ろしく感じたのでした。



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