狙われた怜
それから着物の汚れを落とし、身なりを整えると、怜様は「そんなに心配なら帰路は供をせよ」とおおせになられました。私は従う他なく、怜様の供として付いて行きます。怜様は少し前を歩きながら、ゆっくりと話してくださるのでした。
「名は梢だったね」
「はい」
「私が誰の墓を参っていたのか、検討はついておるのか」
「恐れながら・・・桜様、でしょうか」
「そうか、知っているんだな」
少し前を歩く怜様の横顔が、微笑まれたのが見えた。
「桜は私の妹だよ。今日は桜の月命日にあたる。春は明るい花がたくさん咲くから、桜にも見せてやりたくなったんだ」
「しかし、なにもお一人で参られなくても・・・」
「桜と二人きりで話がしたかったから」
怜様はなんとなく寂しげで、私はそれ以上聞くことをはばかられ、口をつぐみました。怜様は続けて問いかけられました。
「梢は桜のことをどこまで知っている?」
「桜様のことですか」
「私の腹違いの妹で、父、雑賀惣右衛門伯爵と操様の間に生まれた娘。他には?」
「・・・さ、3年前に御年15で他界された、と」
「それだけか?」
怜様の口振りが尋問のようでどきりとした。私はコクコクと人形のように頷きました。怜様は「そうか」とぽつりとつぶやかれて、それから続けておっしゃられました。
「梢、お前はあまり深く事情を知らないようだから、これ以上巻き込まれないよう気を付けなさい。操様に何か聞かれたら、変わらず警戒致しますと答えなさい。立場上、操様に逆らうことは難しいと思うが、何かを探ろうとするほどお前の身も危険にさらすことになるだろう。巻き込んでしまって、済まなかったね」
怜様の苦笑が見えて、私はなんだか胸が苦しくなりました。なんとなく、怜様からはあまり毒気を感じられず、それ以上に、女中の私を心配してくださっている思いが伝わってくるのでした。私は「はい」と答えて、拳をぎゅっと握り締めました。
怜様は寡黙で掴みどころがなく素っ気ないと、そう思っていたのは私の思い違いかもしれません。怜様は、操様からの命で専属女中となった私を疑っておられたように、誰も信用できず、常に身の危険を感じておられるのではないか。そして、今も一人で操様や何かと戦っておられるのではないだろうか。そう思ってみると、怜様の背中がひどく心細そうに感じるのです。私のような立場では何をどうすることもできないが、少しでも何か、怜様のお力になれないだろうか。
私より背の高い怜様を見上げながら歩いていると、狭い角に差し掛かった時でした。死角に居たであろう車から、堰を切ったようにぞろぞろと男たちが現れ、私たちの前をふさぎ立ち止まったのです。
男たちは大きめの外套に深く帽子を被り、表情なくこちらを見つめます。彼らのあまりに不穏な様子に、ただ事ではないことが起こったのがすぐに分かりました。まさか、怜様を狙っているのでは。とっさに私は怜様の前に出ました。
「な、何かご用ですか!」
「雑賀怜様ですね、これよりは我らに付いてきていただけますか」
男は二人。前に一人と、背後にもう一人。男たちに囲まれ見下ろされるように立たれると、押しつぶされそうで怖い。私は膝がガクガク震えるのを感じた。
「い、いきなり出てきて失礼ですよ!あっち行ってください!」
「我らは怜様にのみ用があります。大人しくしていてくだされば悪いようには致しません」
「いい加減にしてください!」
「梢、よい」
泣きそうになりながら喧嘩している私を怜様が静止させました。
「用があるのは私だけですね。ならばこの子は返してやりなさい。そうすればお前たちの言うことを大人しく聞きましょう」
「怜様、そんな!待って!」
前にいる男が怜様を車内へ連れ込もうとした、そのときでした。後ろからガツンと大きな音がし、振り返ると私たちを囲うように後ろにいた男が、まさに投げ飛ばされたところだったのです。
「怜!!こっちへ!!」
そこには新山恭四郎様がいて、後ろの男を倒したところのようでした。呆気にとられる私たちに、恭四郎様は再度「早く!!」と呼びかけます。怜様は姿勢を低くして男からすり抜けると、呆然としている私の腕を掴みました。恭四郎様がもう一人の男に殴りかかっているのが傍目に見えます。そして、私たちは振り返ることなく一目散に駆け出したのでした。