ご令嬢付き女中の悩み
お嬢様付きの専属お女中なんてさぞ大変なお仕事だろうと想像しておりましたが、実際には、その忙しさは担当する主人によるのだとつくづく思いました。
怜様に付いてかれこれ三日、はじめは緊張で青ざめた顔をしていた私も、徐々に一日の流れが見えてきた頃にございます。この三日、私は怜様の目の前で滑って転び、食器を割り、敷物を汚し、散々に失敗を重ねておりました。何度も「もうダメだ!」と思うたび、怜様は一言「もうよい」とだけおっしゃられ、私は特におとがめもなく過ごして参りました。
それにしても、怜様はとても寡黙な方のようです。怜様は御年18になられ、高等女学校を卒業後、女の身で医学を学ぶため専門学校へ通われておいでです。そのため一日のほとんどは勉強や読書をされており、私は未だ数回しかお声を掛けていただいておりません。たまに会話の機会があっても「よい」などほんの一言で終わってしまうので、それ以上話しかけるのをはばかられるのでした。
「怜様と親しくなって本心をお聞きするなんて、今の状態ではそんなことできないなぁ・・・」
私は今、アサミさんから頼まれたお遣いで老舗お菓子屋さんを訪れておりました。今夜お越しになるお客様の好物だということで、暇そうな私は用事を言付かったのです。頼まれていたお菓子を包んで頂いている間、私は考え事をしておりました。
操様が怜様を嫌っておいでなのは見れば明白。それに、お庭での操様と恭四郎様の会話が気になります。確か、このままいけば上手く事が運ぶとか、恨みを晴らすとか、そんなことをおっしゃられていました。それに合わせて、操様が私に今回のようなお役目を与えられたことから推察するに・・・操様は怜様の何か弱みを探っておいでなのではないか。
しかしどんな弱みを探しておられるかなんて、全く検討も付きません。なにしろ怜様は全く掴みどころがなく、操様のように分かりやすく感情を表に出されたことがありません。常に周りの目を気にしておられるようで、いつもピンと気を張っていて隙がない。やはり伯爵家のご令嬢ですから、操様のような、怜様の存在を快く思われない方が多くいらっしゃるのかもしれません。
それにしても・・・恭四郎様はどのような方なんでしょう。あの方もまた、掴みどころのないお方です。お庭での操様との会話からして、彼もまた、怜様に対して何か企んでおられるように見受けられましたが・・・そこまで悪い人には見えなかった。私ったら、容姿の整った殿方だからって良いように見えているのかしら。
私は少し顔が赤くなったのを感じた。いけないいけない。大事なお遣いの途中につい考え込んでしまいました。私はふぅ、と一呼吸置いて、それからお店の方からお茶菓子を受け取った。なんにせよ、面倒なことに巻き込まれてしまったなぁ、なんて思っておりました。
と、そのとき見覚えのある方が店先を通ってゆかれるのが、目の端に移りました。私はハッとして店を出て、その方の後ろ姿をもう一度確認します。揺れる長い髪をひとつに縛り、背がスラリを伸びた、美しい後ろ姿。手には花を束にして持っておられる。怜様がお一人で歩いておられたのです。
「怜様・・・?」
私は不思議に思いました。怜様の予定は専属女中の私の把握するところで、本日は学校以外に外出の予定はありませんでした。その学校の行き帰りには、必ず迎えの車が付いているはず。こんな街中をお一人で歩いておられることなど無いはずなのです。
「ええぇぇ・・・誰か知ってるのかな・・・?」
もしかしてお忍びでいらっしゃったのだろうか。でもこんなところをお一人で歩いておられるなんて・・・ただでさえ今は、操様の件もあるのに。
怜様はさっそうと先を行かれる。私はどんどん不安になってきて、このまま見過ごすわけにもいかず、とにかく怜様のあとを追うことにしました。