女中、初仕事
「あはは、それは初日から災難だったね」
カラカラと大きく笑うのは、やっとお会いできた女中頭のアサミさん。綿のお割烹着にふくよかな体型。笑うと目元に寄るシワが優しさを感じさせる人でした。怖い人だったらどうしようかと心配していましたが、母のような雰囲気のアサミさんに安堵したところです。しかし、そんなに笑わなくても。私はアサミさんに案内して頂きながら、先ほど起こった話をしていました。
「梢ちゃん、あんたが会ったその人は多分新山恭四郎様だよ」
「新山恭四郎様、ですか」
「そうそう、新山家はここの奥様のご実家でね、恭四郎様は奥様の甥にあたる方。お小さい頃から度々雑賀に遊びに来られるんだよ」
「かっこいい人でしたねー・・・」
私はぼんやりとつぶやいた。
「見た目に美しいだけじゃないよ。つい最近一人娘の怜様と婚約なさって、近いうちに雑賀の跡取りになられるって話」
「え」
なんだ、そうか。すでに婚約なさっているわけでしたか。何かを期待したわけではないけれど、ちょっとがっかり。
「まあそういうことだからさ、あんたはしっかり仕事に励みな!」
私の心を読み取ったのでしょうか。アサミさんは私の背中をパンッと叩いてまた大きく笑った。はぁ、でもまぁそこまで期待はしておりません。私もこれから名家のお女中。恋よりもまずはお仕事に励まねば。
「まぁそれはそうと、西の端にある奥様のお部屋にはあまり近づかないようにしてね」
「え?」
「奥様は三年前に体調を崩されてから、長くふさぎこんでおられてね。その時々で感情にも波がおありだから。まぁ新入りの使用人はまず近づかないこと」
「そ、そうなんですか・・・」
「目を付けられないように、気を付けてちょうだい」
「はい・・・」
奥様のお部屋にはあまり近づかないこと、まず心得ました。
「ちなみに、目を付けられたらどうなりますか・・・」
アサミさんのあまりの話しやすさから、不躾な質問だとは思いつつも聞いてみる。アサミさんは「そうだね・・・」と一息置いて。
「一生カモだね」
「ひぃい・・・」
さて、荷物を下ろして着物を着替え、準備ができたら早速お勤めです。新人の私に任された仕事は、専らお掃除。夕刻までは雑巾とバケツを持ち、お女中の先輩姐さんたちについてまわって、指示された場所をひたすら拭き続けます。それにしても、とても回りきれないほどのお部屋の数に、飾られた数々の高価な調度品。うっかり雑巾を持った手で触れてはならないところも多く、ただひたすら拭くだけとはいえ神経を使います。
「はぁ、これだけ大きなお屋敷だと、お掃除だけでも一年が終わってしまいそう・・・」
初日にして慣れない作業に心細さもあり、つい弱腰になってしまいそうです。窓の外には春の陽気と桜の樹。朝晩は寒くとも季節は春を迎えようとしている時分。私の新たな門出を応援してくれているような美しい花に、なんとなく勇気を貰うのでした。
「あの、姐さん」
「なによ新人」
先輩の姐さんはハタキをパタパタと動かしながら、ちょっと迷惑そうにジロリとこちらを見ました。
「すみません・・・あのお庭の花は、とっても綺麗ですね」
「そりゃ花なんだから綺麗なのは当たり前だよ」
「すみません。そうですよね。・・・あの、綺麗なのを少し、お部屋に飾ったら怒られますか」
「あー、いや・・・」
姐さんは少し思案してから、答えてくれた。
「そうでもないね。最近は花に興味のあるのなんか庭師のじいさんくらいなもんで、誰も見向きもしないんだから、一本や二本頂いたところでバレやしないさ。むしろじじいが喜ぶかもね」
先輩姐さんがニヤリとしたのが見えた。
なるほど。こんな立派な庭園があって誰も楽しまないとはもったいない。この窓から見える景色だけでも絵画のようで素晴らしいというのに。ここのお掃除が一段落したら、あとでお庭に回って自分へのご褒美に少し頂こうかな、と私は心に決めるのでした。