梢参る
旧家名家のご令嬢は気高く美しい、そういう人を描いてみたいと思いました。
大正時代の伯爵家に渦巻く人間関係を少しずつ紐解いていけるように、主人公に女中の梢を据えて書き始めました。
どうぞご一読ください。
大正の時分、旧家名家が立ち並ぶ住宅街。私、立花梢は本日から、ここ雑賀家のお女中としてご奉公に参ることとなりました。
「はぁー、大きなお屋敷・・・」
ため息が漏れるのも無理はありません。雑賀家は御当主の雑賀惣右衛門伯爵の邸宅で、関東でも有数の名家です。私のような住み込みの使用人だけでもごまんとお仕えしております。敷地の入口に立っているというのに見えるのはお庭ばかりで、美しい花々や植木の向こうにようやく西洋風の屋根が見えておりました。
私のような小娘がなぜこんな大屋敷にお使えすることになったかと言うと、私の祖父がはるか昔に雑賀家のお抱え運転手をしておったツテで、働き口として紹介して頂いたのでした。コネクションとは使ってなんぼです。
「よし、私はここで、立派な働く女性になる!」
意気揚々と敷地内に足を踏み入れ、私のここでの生活が始まったのでした。
「はぁそれにしても、広いなぁ・・・」
さて広いお屋敷の大きなお庭で、絶賛迷子の真っただ中でございます。祖父からのメモによると、まずは女中頭のアサミさんを訪ねよ、ということだったが。いかんせん敷地が広い。自分がどこを歩いているのかさっぱり分からない。遠くに見えていたお屋敷は徐々に近づいてきているように思うが、入口らしいところがちっとも見つからない。
及び腰でへろへろと歩いているときです。植え込みの向こうから話し声。よかった、やっと人に会えた!声のする方へ近づきます。
「わかっていますね。ここを上手く立ち回れば、いずれはあなたの良いように事が運ぶ手筈です」
「分かっています叔母様。まあ見ていてください。叔母様の悔しいお気持ち、僕が晴らして差し上げますから」
女性と男性の声だ。植え込みの影からそっと覗く。見た感じだと、派手で上質そうなお着物のおばさんと、スラリと背が高く折り目の効いた袴をきちりと着こなす青年。なにやら不穏な空気を感じます。そおっと様子を伺ってみる。
「怜とは幼い頃から親しく付き合ってきましたので、万事上手くいくことでしょう。叔母様はどうぞお体を労わりくださいませ」
「お前は本当に・・・優しい子に育ちましたね。必ず、必ずこの恨み晴らしておくれ」
「わかっています」
これは・・・もしかして、とてもまずい現場に居合わせたのでは。恨みとか言っちゃてますし。なにせここは旧家だし、私の計り知れないドロドロのしがらみとかそういったことがあるのでは・・・こ、怖すぎる。
「では頼みますよ」と言って、女の方が向こう側へ消えていく。女の姿が見えなくなると、青年の方はやれやれといった感じでため息を吐いた。どうしよう。女中頭さんのところへ向かう道を聞きたいところだけど、話しかけて良いものか。今の会話、聞かれちゃマズイ系統のお話のようだったし・・・
グルグル悩んでいるのをよそに、青年もその場を立ち去ろうと歩を進めていた。
「あの!ちょっと!ごめんください!」
考えるより先に声が出た。一瞬びくっとして、それから青年が振り返ったので、私は意を決して青年のもとへ植え込みをかき分けた。
「これは、とんでもないところから現れたものだ」
「あ、はいすみません・・・」
「いやよい。それより、服に泥が付いているぞ」
青年はかがみ、懐から出したハンカチをそっと私の着物の裾に押し当てた。
「わ、そんな高そうなハンカチで!汚れます!」
私の着物よりも数倍のお値打ちがしそうなハンカチだったので、思わず身じろいでしまいました。青年はハッと私の顔を仰ぐ。
「ははは、そのようなこと。ハンカチは汚すものだ、良いのだ」
「えぇー・・・でも・・・」
「それより、そのような汚れた姿の娘がこの屋敷をうろつくなど、つまみ出されてしまうぞ。迷子か。」
青年はニコリと微笑みながら問うてきました。よく見ればなんとまぁ麗しい美男子だ。凛々しい眉とすっとした鼻筋が印象的な美しいお顔でドキリとする。
「あ、そうなんです!私はこの度、雑賀様に女中として奉公することと相成りました立花梢と申します。それで、女中頭のアサミさんという方を探しておるのですが、お屋敷があまりに広いもので迷ってしまいまして・・・」
頭を掻きながら答えた。青年は「なるほどな」とつぶやいて、そばに落ちていた小枝を拾うと、ザリザリと地面に図を描く。
「我らが今いるところがこの辺り。お屋敷がここで、大玄関がここ。まずはアサミを訪ねるようであれば、大玄関の手前の勝手口より使用人に声をかけ、取り次いで貰うが良い。すぐに誰ぞ対応するだろう」
「はぁー、なるほど」
「あちらの方角へまっすぐ進めば目印に大きな街頭がある。勝手口はそのすぐそばだ」
「ありがとうございます」
「あまり不審な動きはしないほうが良いぞ。堂々としておれ」
青年は含んだ笑みをこちらに向けた。美しいお顔に少しの意地悪さがうかがえる。
「はい、心得ました!」
とにかくこの青年があんまり悪い人ではなさそうなのが良かった。これで間違いなくお屋敷の中へ入れそう。私はすっくと立ち上がり、意気揚々と歩み出す。
「親切なお方、どうもありがとうございました!」
小走りで去りながら、小さく礼をした。傍目に青年がヒラヒラと手を振ってくれたのが見えます。これは幸先が良さそう。私はふふっと笑い、先を目指した。