第8皿 イノシシのロースト
7年ぶりの新作です。
その間にAIが文章書いたり、なろう何とかプログラムとか変化が半端ないですけど、そういうのはなしの昔からの続きでございます。
ふと、どこからか食欲をそそる馨しい匂いが漂ってきた。
「…………?」
深淵の底で、うたかたの眠りについていた”彼女”は、その匂いに誘われて微かに瞼を開く。
彼女がひと寝入り――といっても人間の尺度では数百年という時間が経過しているが――する前は、彼女を『万魔の森の主』『怒れる水神』などなどてんで好き勝手に呼んで怖れ敬い、様々な種族が入れ代わり立ち代わり森に住み着いては、多くが森の魔物に襲われ餌となり、または天災よって滅び去り、時には同族同士で戦っては滅びる……といった不毛なサイクルを繰り返す、大した力も持たない脆弱な短命種たち。
「森の恵みと偉大なる主様に感謝を捧げます」
「どうか我が部族に繫栄とご加護を」
時代と種族は若干変化をしても、連中がやることは大して変わらない。
何やら勝手に作った祭壇とやらで、好き勝手言い募っては(聞く義理もなかったので一度として叶えたことはないが)、定期的に果物やら干した魚、焼いた肉や宝石、虫の糸で編んだ布、時には若い娘の人身御供を置いていったものだが(あまり美味くなかったので、途中から放置した)、彼女が午睡に入って以降、三百年ほどでその習慣も廃れて、祭壇も朽ち果てて久しい……と夢うつつに眷属から聞いたような気がする。
なお、短命種たちは自らを『人族』やら『獣人族』『女蛇族』やら自称していたが、彼女から見れば違いは枝葉末節。いちいちバッタの種類を区別するようなもので、見分けるつもりも必要も欠片ほど持たなかった。
――で、あったのだが……。
(貢物ではないとなると、地底湖へ続く風穴を通ってたまたま届いたものであるか。ふむ、しかし、嗅いでいると無性に腹が減る、何とも魅惑的な匂いである。あ、これは堪らぬ……到底寝てられぬわ)
知らず、ごくりと唾を呑み込む。
元来、彼女の知る短命種たちが、毎回のように貢物として寄越す『料理』とやらは、肉や魚を焼いて塩を塗りたくったものや、森の果物や芋を焼いたものなどで、「まあ生で食うより多少は変化があるのぅ。たまに喰らう分にはよかろうぞ」と思う程度で、さほど美味いと思ったこともない。
まあ、腐らせるのももったいないし、あれはあれで変わった風味があるので食うことは食ったが、別にあってもなくても構わない口直し、気まぐれ、興味の薄い嗜好品……程度のものであった。
(まあ、人族や洞矮族の作る酒は、不味くはなく口直しにはちょうど良かったが……)
それとて、この地底湖へ注がれる森の〝聖樹”によって浄化された清水に比べれば、まったくもって取るに足りない。せいぜい酸っぱい果実よりはマシ程度の評価である。
つまるところ彼女にとって料理とは、単に新鮮な肉を焼いてパサパサにしただけの、せっかくの生温かく血の滴る肉をマズくしただけの粗雑粗放な代物という認識であった。
それが、いま漂ってくる香りを吸い込んだだけで、知らずに腹の虫が『くぅー』と泣いて、口元から涎が泡となって漏れ出しているのだ。その気になれば天と地、水の精気だけで無尽蔵に生きていける彼女が、猛烈な食欲に支配されて眠りから目覚めたなどと驚天動地。我ながら信じがたい理由だった。
七百年ほど前、『魔術帝国』とか呼ばれた時代に、愚かな王が隣国を支配せんがため、奴隷三千人を生贄に彼女を召喚して使役しようとした時ですら無視を決め込み――代わりに怒り狂った配下の水妖たちがその国の水という水を腐らせ、大地が塩を吹くまで水の恩恵を奪った――ただ己の心ひとつで、悠久ともいえる時を生きてきた彼女は、いま初めて空腹ではなく美食のために行動をしようとしている。
彼女を知るものが見たら驚天動地の出来事であろう。
(ああ、これは堪らん。妾が寝ている間に、なにやら美味いものが地上に現れたのか?)
興味をひかれた彼女は本能の命じるままにここ――ライデンの森にある広大な地底湖から身を起こし、そのまま天井をぶち破って外に出ようとして、
(いや、いかんいかん。妾がこのまま外に出れば森が壊れるであろう。そうなってはこの匂いの元もなくなるかも知れぬ)
危ういところで自制をした彼女は、しばし考えて……かつて人身御供として間近に見た人族の娘を再構成して己の『容れ物』として調整しながら、長大な自らの体と莫大な魔力を幾重にも折りたたんで――あまりにも精緻に化けすぎて、欠片も魔力や気配も感じられない――もともと魔力に鈍感な人間や、多少はマシな亜人や魔族でさえも、そうと認識できないほど恐ろしいまでに存在が希薄な人型を形作って、軽く手を握ったりその場でジャンプしたりして具合を確かめる。
「ふむ……こっちか」
特に問題がない――軽く地面を叩いただけで(直径五メルトほどのクレーターが生まれた)拳に傷がついてこと確認して、その脆弱さに眉をひそめたものの、所詮は仮初の器。使い捨てにしても問題はない。
割り切って地底湖へ延びる風穴のいくつかに鼻をやって、そのうちのひとつにアタリを付けた彼女は、軽快な足取りで地上へ向かって、散歩に出る気楽さで無警戒に歩き出した。
結構な深さのある自然洞窟であるので、勝手に住み着いたり巣を作っている魔物がいそうなものだが、途中邪魔が入らなかったのは、(勝手に)彼女を崇める自称眷属たちが、事前に掃除をしておいたものであろう。
特に感慨もなく洞窟を抜け、久方ぶりに目にする陽光に目を細めたところへ、折悪しく(折良く?)通りすがりの――あるいはこの洞窟の出入り口付近をねぐらにしていたのか――それなりの大きさの赤鬣大熊が、彼我の力量差も察知できずに襲い掛かってきた。
「熊か。焼いて食らっても美味くもないわ」
餌以下のゴミクズを見る目で評価を下し、軽く掌底を分厚い胴体部分へと押し当てる。
途端、全身の穴と言う穴から血を吹き出して絶命した赤鬣大熊が、木々をへし折って遥か森の彼方へと飛んで行き、川にでも落ちたのか水音がした。
「……ふむ。なかなか加減というものが難しい」
掌を開けたり握ったりを繰り返しつつ、彼女は慣らしも兼ねて向かって来る下級魔物を練習台に(上級の魔物はいくら気配を希薄にしていても、本能的に彼女の傍から一目散に逃げだすものである)、のんびりとした足取りで匂いの元へと向かうのだった。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
「はあっ、赤鬣大熊を丸ごと一匹分だって!?」
厨房で思わず素っ頓狂な声を張り上げる、ここ『森の隠れ家ビストロ・女神亭』のオーナーシェフであるスポンタネ(他称)。
その視線の先には、己の腰ほども背丈のないふたりの小鬼の子供がいた。
小鬼にしては目立って清潔な――なんなら湯浴みも水浴びもしない村人よりもよほど汚れも垢もフケもない――ついでに、物々交換で手に入れたという麻でできた古着のチュニックを着た見かけは、尖った牙と緑色の肌さえ気にしなければ人族の子供とさして変わらないとまで思える。
ともあれ開拓村の近くにある、【万魔の森】でも外周に近い比較的安全な場所に住み着いている、ンガアンボとルガルガの兄妹であった。
定期的に森のキノコや野草、山芋などを卸しては食事にありつく最近の常連であったが、普段であればせいぜい小動物か蛇程度しか狩れないふたりが本日運び込んできたのは、なんと小山のような熊の魔物まるまる一頭分という話である。
赤鬣大熊といえば【万魔の森】では比較的浅い階層に住む魔獣で、他の肉食魔獣の餌食になることも多いとはいえ、あくまで【万魔の森】での話で、一般的にはCランク魔獣――倒すのに領主の持つ騎士団(およそ百人~五百人規模)が総がかりでないと無理と言われる、凶暴さと剛健さ、危険度を持った相手だ。
こう言っちゃなんだが、一対一なら志摩とどっこいどっこい。子供並みの腕力しかもっていない小鬼が倒すなど、カマキリがドラゴンを斃すようなものである。
唖然とするスポンタネに、
「ホントホント。巣穴の中で死んでた。死にたて新鮮」
「こっち来て。店にいたミンナで運んだ」
真面目な顔でそう言って腕を引っ張るンガアンボとルガルガ。
狐につままれたような表情のまま、「皆ってどこの暇人だ?」茫然と呟きながらされるがまま店の外へと連れ出されるスポンタネであった。
◇
「は~~っ、重かった~!」
愛馬だという葦毛の軍馬に引かせた荷車から、全員で下ろした大熊の胸部――これだけでも二百五十から三百㎏ほどもありそうである――を前に肩で息をしながら、ミュゼットが陶器製の水差しごと持ってきた冷えた水(衛生のために一度沸かした後精霊魔術で冷やし、保冷庫に入れておいたものである)を、コップに注いでは一気に飲み干し、次々にお代わりを所望するメイア。
「一気飲みなど、はしたないですよ、お嬢様――いえ、小隊長」
もう一つの荷車を二頭立てで――こちらは双方ともメイアの馬に比べて幾分か小柄で華奢な印象がある――引っ張ってきたシャルロットが、元専属メイドとして看過できなかったのかメイアを窘めた。
こちらの荷台には胴体部分が乗っかっていて、こちらも優に四百㎏くらいはありそうだ。
「別にいいじゃない、誰が見てるわけでもないんだし」
そんな小言をあっさりと一蹴するメイアに、シャルロットは渋面を浮かべる。
「お嬢様、常に周囲に目があること意識して、淑女として恥ずかしくない行動を心がけねばなりません。完璧を求められる宮廷や上流階級との社交場で、そうした迂闊な態度を取れば、碌なマナーも知らぬ無教養な山猿と吹聴されるでしょう。そうなれば良家との縁組など一生不可能になると自覚がおありですか?」
「いやいまさら令嬢とか……だいたい実家が没落して、娘子軍に入団した段階で、すでに周りからは大猩猩女扱いなんだし。――あ、シマちゃん。キンキンに冷えたリンゴ酒を瓶ごと……じゃなくて、容器ごと持ってきて!」
一仕事終えた開放感から――とはいえ現在は正規の職務時間中であり、赤鬣大熊を運んだのは微妙に余計な仕事なのだが――すっかり開放感に浸って昼間から酒を注文するメイア。
テーブルの対面に座っているエミリィも、ぐでーとだらけた様子で椅子に根を張るのだった。
「あー、重かった。隊長、軍用のロープと滑車を持って行って正解でしたね」
「それでも丸ごと一頭丸のまま持ってくるのは無理だったから、パーツごとにバラしちゃたけど」
そこへミュゼットとシマの二人がかりで、氷のように冷えた清水の入った桶――中にリンゴ酒の入った革袋ごと沈めてしっかり冷やしてある――を引きずるようにして持ってきた。
「お待たせしました。ご注文のリンゴ酒です。カップにお注ぎしましょうか?」
ミュゼットに聞かれてメイアは軽く手を振る。
「あとは手酌でやるから大丈夫。……あ、そうそう。そういう訳で分割して持ってきちゃったから、熊の毛皮を使うつもりだったらゴメンね」
すかさず厨房から、
「毛皮なんぞいらん。料理に使えないからな」
間髪入れずにスポンタネが厨房から答える。
「ならよかったわ。じゃあ今日は持ってきた熊肉を肴に一杯やれるわけよね?」
早速素焼きのコップにリンゴ酒を注ぎながら、ウキウキした様子で期待するメイアだが――。
ぬっと顔を出したスポンタネが、渋い顔で首を横に振った。
「無理だな。この季節の熊肉は癖があるんで適切な処理をして……まあ、部位にもよるが最低半日、場合寄っちゃあ半年一年がかりでないと美味い料理にはならないもんだ。今日持ってきて、いますぐってのはさすがの即興料理をウリにしている俺でも難しいな。せめて木の実をたらふく食ってる秋なら良かったんだが。まあ、いま“剣歯猪のローストとビーツのデクリネゾン”をオーブンで焼いているので、それで我慢しろ」
「剣歯猪かぁ……」
「う~~ん」
「村人が塩漬け肉を届けてくれるので、ここのところ鉄鍋で根菜と一緒に煮込んだ大鍋料理とあばら肉やモモ肉に塩かけて焼いただけの焼き肉のローテーションなので、正直食傷気味ではありますね。――もちろん、ここで出される料理がそこいらの田舎料理と同じだとは思いませんが」
ぐびぐび飲みながらメイア不満そうに鼻を鳴らし、エミリィもイマイチ精彩なく唸り声をあげ、二人に諫言するのを諦めたシャルロットは、開き直ったのかカップが空くごとに三人分の給仕を甲斐甲斐しく行いながら、二人の意気が上がらない理由を要点をかみ砕いて冷静に伝える。
しかしながら、それを聞いたスポンタネは逆に料理人魂に火が付いたようで、
「そう言われちゃ料理人としての沽券にかかわる。いま作れる熊料理を仕込むから二時間ほど待て。剣歯猪はその間のつなぎだ。――おい。ミュゼット、シマ、お客さんにデクリネゾンを配膳してくれ。四人分だぞ」
そうメイド服の給仕に矢継ぎ早に指示を出すと、腕まくりをして厨房へ取って返した。
「あ、はい……はい?」
「四人分……?」
待機していたミュゼットとシマが困惑した様子で店内を見渡す。
いまいるのは、赤鬣大熊を発見して運ぶのを手伝った駄賃に、隅のテーブルで熊の網焼きが入った小鍋を抱えるようにして美味そうに頬張っている、ンガアンボとルガルガの兄妹。
それとメイアたちアルストロメリア娘子軍辺境警備小隊三人だけの筈で……と、思ったところで、いつの間に着席していたのか、空いていた四人掛けのテーブルの一角を占拠して、恐ろしく気配の薄い水色の髪をした娘がいた。
同時にメイアたちも気が付いたのか、キツネにつままれたような顔でその娘に着目する。
「――あんた誰よ? いつの間に来たの?」
メイアの不審……というよりも、呆然としすぎて気の抜けた問いかけに、勝手にリンゴ酒を飲みながら、彼女たちと同年配に見えるやたら整った顔立ちの――でありながらも、何故か印象に残りにくい希薄な存在感を持つ――娘が投げやりな口調で応じた。
「寝ていたところでやたらと美味そうな匂いがしてのう。矢も盾もたまらなくなって、匂いのもとをたどってここまで来たのじゃ。しばらく見ん間に面白そうな場所ができておるのぉ……しかしながら、昨今の流儀を知らぬので、勝手に相席させてもろうた。問題があったかの?」
「「「…………」」」
思わず顔を見合わせる三人。
「……いやまあ、むさくて下心満載の男じゃなきゃ問題ないっすよ」
口調は少々古めかしいが、こんな辺境で同年配の同性と知り合う機会もなかなかないので、エミリィは特に考えることなく歓迎した。
「まあよろしいかと……。ですがすでに我々のお酒を飲んでいる以上、勘定は公明正大に割り勘……きちんとお支払いはしていただきますよ?」
それなりに腕が立つと自他ともに認める、名高いアルストロメリア娘子軍所属の女騎士三人が、まるっきり気配も感じられずに隣に座られていたことから、尋常な相手ではないと察したシャルロットが譲歩案を提示する。
「支払い……? ――ああ、つまり代償じゃな。短命種は光る石ころや金属でやり取りする習慣であったな。……これだけあれば足りるか?」
小考した娘であったが、すぐに合点がいった様子でそう言うと。テーブルの上に片手を差し出し、一振りした瞬間、どこから取り出したのか黄金色に光る金貨が雪崩落ち、テーブルの中央にちょっとした小山を作った。
「「「「「――なっ……!」」」」」
絶句する三人娘と給仕の二人。
驚きと混乱から最初に立ち直ったメイアが、その一枚を手に取ってしげしげと重さや意匠を確認する。
「見たことない金貨ね。どこの国のものかしら?」
貧乏伯爵令嬢とはいえ貴族は貴族。実物の金貨を見る機会はそれなりにあったので、金貨を手にしてもさほど緊張した様子はない。
「……こ……これは、ま、まさか伝説の『魔術帝国』の帝国金貨……!?」
こちらは震える手で、こわごわ摘まんだシャルロットが絶句した。
「へえ、価値あるの?」
「一昨年のママリア公国でのオークションで、一枚が現行金貨六百枚相当で競り落とされました」
あっさりと返されて、危うく玩んでいた金貨を取り落としそうになるメイア。
「あ、ホントだ。村にも数枚ありましたけど、卑金属が含まれてないので妖精族でも触れるんですよね、コレ」
覗き込んだミュゼットが懐かし気に金貨を眺めて、シャルロットの見立てに太鼓判を押した。
「ふむ。これで足りないようなら、光る石ころも同じくつけるが?」
あっけらかんと言い放って、再び手をテーブルの上に掲げかけた娘を、血相を変えて止める三人娘。
「「「わわわわわっ!! 十分よ! これ以上はいいわ!!」」」
「左様か。これ、小娘と狸小僧、そういうことで“支払い”とやらはこれでとっておけ」
鷹揚に酒の入ったカップを傾けながら、ミュゼットとシマに命じる。なにげに志摩の正体と変化も一目で見破っているっぽい。
「もらい過ぎですよ。四人で毎日飲み食いしても、妖精族の寿命が尽きるまで使い切れないと思います」
途方に暮れるミュゼットだが、彼女は気にした風もなく、
「妾は一度下賜したものを取り消すほど吝嗇ではない。しかしながら、断るということは妾の名誉を傷つけるも同然であると心得よ。そのことを肝に銘じて受け取るがいい」
何気ない言い方だが、有無を言わせぬ圧で従わせる。
「「「…………」」」
三人娘にとっても、成り行きで生涯奢られることが確定した瞬間であった。
無論、騎士として見知らぬ相手から施しを受けるなど言語道断。断固として反対すべきと理性はわかってはいるのだが、それ以前に鍛えられた騎士としての生存本能が最大限の警鐘を鳴らして、この場においては沈黙を守ることこそが唯一にしてベストな選択だと、雄弁に物語っていた。
あきらめたミュゼットがシマと手分けして金貨を奥へ運び、運び終えたところで代わりに木製のトレーでもって、簡素な平皿に盛られた“剣歯猪のローストとビーツのデクリネゾン”を四人分運んできた。
「お待たせしました。“剣歯猪のローストとビーツのデクリネゾン”です。――ええと、オーブンで火を入れてからスライスしたビーツとピューレを下に敷いて、猪のお肉を何回かオーブンで焼いたものを盛りつけてから粗塩を振り、赤ワインに猪の骨を入れて煮詰めたソースをかけたもの……だそうです」
スポンタネの受け売りらしい解説を加えながら、各自のテーブルに皿と食器を置くミュゼットとシマ。
「うひゃあ、これ絶対に美味しい奴じゃないですか!」
置かれた皿の彩りも鮮やかなローストとビーツの取り合わせを一目見て、匂いを嗅いだ瞬間にエミリィが喝采を放った。
「さすがですね。これは普段食べている田舎料理とは役者が違います」
シャルロットも感嘆の声を放ちながら、そそくさとナイフとフォークを手にする。
「ほう。これが妾を誘った匂いの元であるか。供物とはずいぶんと違うのぉ。ああ、これはたまらん……」
水色の髪をした娘が陶然と香りを楽しみ、素手のまま皿に手を伸ばしかけて……シャルロットが優雅にナイフとフォークを操っているのに気付いて、
「……なるほど。これが今の世の流儀であるか」
即座に目の前に並べてある食器の使い方を理解したのか、シャルロットと寸分変わらぬ手つきで肉を切り分け始めた。
「――ねえ。このお肉とソースだったら、リンゴ酒じゃなくて、もっと深みのある濃厚な赤ワインが欲しくならない?」
先ほどの「剣歯猪の肉は食傷気味」と見得を切った看板を即座に引き下ろして、食い入るような眼差しで皿の上の逸品を眺めていたメイアが、ポツリと呟く。
「「それですっ!!!」」
諸手を挙げて同意するシャルロットとエミリィ。
注文を受けたミュゼットが地下の酒蔵に寝かせてあるワイン樽から、適当な量の赤ワインを陶器製の水差しになみなみと注いで、テーブルまで瓶ごと持ってきた。
あとに続くシマが硬木製の武骨なゴブレットを厨房から持ってきて並べる。
ワインは特別なものではなく、村の共同畑に植えられたブドウを使って、村人総がかりで作る自家用と祭事用の地元産ワインで、大都市の貴族が飲むような洗練された銘柄ではないけれど、この村にある土着のブドウで造ったワインは、酸味が強くて野性味あふれるドメスティックな味わいであった。
「これよこれ! この肉の濃密な旨味とソースには、やっぱり重厚な赤ワインじゃなきゃ始まらないわね!」
と、メイアが一口飲んで伯爵令嬢らしい舌の肥え方を見せる。ただし、ぶは~~っと満足げに酒気を吐き出す様子は、もはや安酒場のオッサンである。
「重すぎず、ビーツの酸味と甘みに寄り添うような見事な選酒ですわ。お嬢様、これは肉単体ではなく、ビーツのピューレと一緒に肉を口に含んでから飲むのが正解です」
その傍らで肉とワインのマリアージュを堪能するシャルロット。
ただし冷静な口調とは裏腹に、メイアのだらしない態度をいさめる余裕もないほど夢中になっていた。
「美味いっす。美味いっすよお……!!」
感極まって食べるのと飲むのを際限なく繰り返すエミリィ。
「ほう……この赤酒、ほんのり野の草の実のような刺激があって、肉の脂の甘みを引き締めるのう。酒は余計なものを食わずに酒単体で飲むのが一番じゃと思うておったが、こうして組み合わせると何十倍もお互いを引き立てるとは。まったく知らんかった。蒙が啓かれたわ」
水色の髪の娘が、大きく目を見開いて絶賛した。
「そうでしょそうでしょ。ここのシェフの料理は天下一品なのよ。このあと出てくる熊料理だって、絶対に頬っぺたが落ちるほど美味しいに決まってるから」
まるで自分の手柄のようにメイアが胸を張る。
「……しかし、熊の肉であろう? 正直、煮ても焼いても生で喰ろうても美味いとは思えんのじゃがなあ」
酒豪のメイアにも負けない勢いで――このペースではすぐに水差しがカラになると、ミュゼットとシマが追加の赤ワインを持って来るために、示し合わせて持ち場を離れたほどである――赤ワインを、パカパカ飲みながら娘が半信半疑といった口調で疑問を呈するが。
「そんなことないわよ。実際、あの子らが食べてる”熊の網焼き”とか、メチャ美味しそうじゃない」
やり玉にあげられたゴブリン兄妹――ンガアンボとルガルガが、咄嗟に取られまいと小鍋を抱え込んだ。
「あれは正式なメニューではなく、私達も食べる賄いなので、お客様にお出しすることはできませんよ」
酒蔵から追加のワインを水差しに入れて戻ってきたミュゼットが、物欲しげな眼差しを鍋に向ける三人娘+1の前に水差しを置いて、ほとんど空になっていた先のワインが入っていた水差しと交換する。
「え~っ、ずるいっす。自分たちだけ美味い物食べて!」
口を尖らせるエミリィに、ミュゼットがやんわりと笑って返す。
「塩だけで味付けした猟師飯らしいので、割と簡単に作れるそうですよ? レシピお教えしますから、ご自分で作られてはいかがでしょうか?」
「「「……うっ」」」
料理に関してはほぼ食べる専門な三人娘は露骨に目を逸らした。
※なお、この作品はあくまで異世界を舞台にしたものであり、現実の世界における鳥獣の捕獲等に関しましては、狩猟免許等の取得が必須です。
《一口メモ》
熊の網焼きのレシピ
①熊の身から脂身を切り離し、肉はサイコロ状に切る
②小鍋に脂身を先に入れ弱火にかける
③脂身が溶けだしたら塩を振りかける
④脂が沸騰して液状になるまで温める
⑤十分沸騰したところで熊肉を加える
⑥ドライガーリックを加え焼き上げれば完成




