第7皿 タブリエ・ド・サプール
「う~~む……」
厨房で巨大な肉塊を前に、コック服を着た豚鬼が腕組みをして唸っていた。
「どうしたんですかマスター……って、なんですかこのお肉は?!」
水辺でクレソンを、他にも季節のハーブを摘んできた妖精族の看板ウエイトレスのミュゼットが、厨房のテーブルの上に鎮座する巨大な骨付き肉を目にして、素っ頓狂な声を張り上げた。
出かけるほんの一時間ほど前にはなかったはずの食材である。
見たところ骨の一本がミュゼットの細い太腿ほどもある。
かなり大型の動物のモモ肉だと思われるが、さすがに凄腕の料理人である目の前のマスターでも、この短時間に狩ってきてバラしたとは考えられない。
「いや、どうもさっき粉屋のベルナベさんが、使えなくなった牛を潰したんで、お裾分けだって言って持ってきたらしいんだが……」
「ああ、牛ですか」
それならこのサイズも納得ですね、と頷くミュゼット。ちなみにこの辺りで飼っている牛は、四角牛といって、主に労働に使われるのが常である。
頷いたところで、ひとしきり呻吟しているマスターの様子に、いまさらながら疑問を覚えて首を傾げた。
「牛だと困ることがあるんですか?」
そもそもあまり肉を食べる習慣のない妖精族だけに、ミュゼットはこれまで牛の肉を食べたことがない。
苦り切った表情でマスター――周りからは『スポンタネ』と呼ばれる豚鬼――は頷く。
「ああ、まだ若い仔牛なら料理のしようがあるんだが、肉牛でもない廃棄された老牛となると、はっきり言って煮ても焼いても食えたもんじゃねえんだな」
「そういうものなんですか……?」
実にもってありがた迷惑な代物を置いていかれた、という表情で嘆息しながら頷くスポンタネ。
じゃあなんで受け取ったんだろう? と首を傾げたミュゼットの視界に、厨房の片隅でヒキガエルみたいになって、床に直接座って頭をつけている同じ女給服を着た黒髪で、頭の上に茶色い毛の生えたケモノの耳が生えたウエイトレス――豆狸の化けた姿である同僚――の志摩の姿が映った。
「シマちゃん、なにやっているの?」
「……土下座ですぅ……」
その姿勢のまま、くぐもった声で答える志摩。
「ドゲザ……?」
「諸島列島の習慣で、まあ最大限の謝罪や請願の意を表す行為だな。俺が目を離した隙に、勝手にベルナベさんが持ってきた肉を受け取っちまった償いだそうだ」
言われて途端にいろいろと腑に落ちたミュゼットだった。
「ああ、それで伝聞形式で話をしていたんですね」
「……まあ、受け取っちまったもんはしょうがない、一応は味見をしてみるか。――シマもいつまでもクヨクヨしてんじゃねえ。これに懲りたら食材に関しては勝手なことをしないように、今後は気を付ければいいことだ」
「ふ、ふぁい!」
ぴょこんと志摩が立ち上がって――足が痺れてフラフラしているのを、ミュゼットが支えてやっているのを横目に見ながら――スポンタネは、そう言って包丁で肉の一部を苦労して切り取る。
「案の定、脂っけゼロで筋ばっかしか。包丁で木を削っているみたいな感触だな、おい……」
早くもゲンナリしながら、魔導コンロではなく旧式の竈に火を熾して、削り落とした肉を焼く。
「なんか変な臭いですね」
悪臭と言ってもいいその臭いに閉口して、竈から距離を置くミュゼットと志摩に対して、スポンタネは半ば自棄のように笑って答えた。
「……ちゃんと飼育した肉牛なら、香ばしい牛肉を焼いている香りがするんだけどな。臭いを嗅いでも俺も何を焼いているんだかわかんねーわ」
得体の知れない肉に火が通ったところで、とりあえず一口齧り付く。
恐ろしく硬くて、豚鬼の頑丈な歯をもってしても噛み切れないので、一度口から出して包丁で一口大に切って、改めて口に入れるスポンタネ。
そのまま無言で噛んで。噛んで。噛みまくる。何十回か咀嚼したところで、ようやく喉の奥に流し込んで一言――。
「なんというか……一言でいうなら、臭いも味も歯ごたえもエゲツナイな」
食い物とは思えん、畑の肥料にするのが関の山だな。と、いう総括の言葉に、ガックリと項垂れる志摩。
「マスターでも駄目なんですか?」
意外そうなミュゼットの言葉に、
「ああ、そもそも脂っけはないわ、肉の部分がおかしな臭いがするわ、筋ばっかりだわ、骨も髄がなくてスカスカだわ……。これを喰うとなると、村の連中がやっているみたいに長時間煮込むか、料理するなら脂肪を縫い込んで、香りの強いハーブ類で臭いを誤魔化して、最後に香辛料をぶち込んで長時間グリルしないと無理だな。だが、そういうのは俺の流儀には合わん」
「ははぁ……」
そういう料理のやり方は、前に国境警備隊隊長のメイアさんが話していた、王都の貴族がよく食べているとかいう『香辛料ばっちり』で、『野菜も肉も原型をとどめない』ほど手を加えて、『甘いとか辛いとか味付けが極端』な料理に似ているなぁ、と漠然と思うミュゼット。
そうして、そういうのは素材の良さを前面に押し立てた料理を身上とするマスターのポリシーに反するのだろうとも思う。
「じゃあどうします? さすがに全部肥料にするのは勿体ないので、一部は煮込んで賄いにでもしますか?」
「いや、賄いにはもっといいものがあるので、そっちを使う」
そう言って何やらふたつの桶に一杯入った内臓のようなものを指さすスポンタネ。
「うわぁ、グロテスク!? ――って、これもしかして臓物ですか……?」
「ああ、牛の胃袋だ。帰りがけに気付いた俺が、捨てるんならとベルナベさんから貰った」
「〝牛の胃袋”ですか。ハチの巣みたいな形ですね。美味しいんですか?」
「そっちは俗に『縁無し帽』と呼ばれる第二の胃だな。隣のは第一の胃のパンスだ。知っての通り牛には四つの胃があるんだが――」
「いや、知らないです」
蘊蓄の途中で即答するミュゼットと、「へー」と目を丸くする志摩の様子に、スポンタネは鼻白んだ様子でトーンを落としながら、説明を続ける。
「……あるんだが、今回の料理に使えるのはこのふたつの部分だ。あと、牛の胃袋それ自体は味もそっけもない」
「はあ、そう……なんですか?」
そんなものを食べさせられるのかー……と、明かにテンションが下がっているミュゼットと志摩の態度を眺めながら、
「とりあえずよく洗った後、熱めの湯に浸してからよくこすって汚れを落とすので、ふたりとも手伝ってもらうぞ。綺麗になったら最後に沸騰した湯でしめる。そこで初めて『グラ・ドゥーブル』――食える食材になるからな」
そう腕まくりして指示を飛ばすのだった。
◇ ◇ ◇
ンガアンボはファン・レイン王国(人間が決めた国名などは知らないが)西部に位置する森に住む小鬼の族長ンガガの息子である。
息子といっても誰がどの種かイマイチ不明な小鬼の集落においては、まったく意味などなく、他の雄と同じく生まれて一年ほどたったところで、『独り立ち』という名の追放を受けた。
まあ要するに群れの中に族長ンガガ以外の雄は邪魔だという自然の本能に従って、群れから追い払われたわけである。
今後、群れに戻るには、ンガガを倒して新しい族長になるしか道はない。
ともあれ、最初は数人の同い年の仲間たちと森の外に出たンガアンボであったが、程なく狼の魔獣に襲われて、仲間は散り散りになってしまった。
咄嗟に近くに流れていた川に入って臭いを消したンガアンボと、なぜか一緒についてきた妹(といっても血のつながりがあるのかどうかは不明で、単に集落で後に生まれて自分に懐いていた)のルガルガが、水草の中で震えながら身を寄せ合って狼の追跡をやり過ごしていたその合間に、仲間たちの断末魔の絶叫と狼の唸り声とがそこかしこから聞こえてきたものである。
ともかくも、この一件からよりいっそう慎重になったンガアンボは、ルガルガを伴ってなるべく水浴びをして、臭いを消すようにして、魔獣や野獣のテリトリーが重ならない、人里や人の歩く道の傍を歩くようにした。
といって近づきすぎて人間に見つかれば、即座に叩き殺されるのは常識である。
必要以上に近づかず、まして人間の飼っている動物や植物には手を出さないようにして安全第一で、当てもなく行き場を求めて、なるべく人の少ない方向へと向かい――結果的に西へ西へと歩くことになった。
そんなンガアンボの後を、ルガルガも文句を言わずについてくる。
「なんで俺についてきた、ルガルガ?」
ふと、気になって尋ねたンガアンボだが、ルガルガの答えは「わからない」という、当人もわからない理由らしかった。
「でも兄ちゃん頭いい。頭いいから生き残れた。他の連中はオトコはバカで乱暴だからキライだ。オンナはオトコの顔色を窺ってビクビクしているからキライだ。だから一緒にいる」
続けて告げられた言葉にンガアンボは首を捻った。
「そうか? 俺よりも強くて賢い族長のところにいたほうが安全じゃなかったのか?」
基本的に雄は息子であろうと追放されるが、雄よりも弱い雌は、族長のハーレム要員として残されるのが常である。ルガルガの決断はかなり思い切ったものと言えるだろう。
「強いといっても狼一匹にも勝てないし、賢いといっても近場の森の中の事しか知らない。いざという時に信用できない」
にべもなく言い放つルガルガの言葉に、なるほどなぁと感心するンガアンボ。
ルガルガはおそらく感覚で口にしているのだろうが、それで物事の本質をえぐるのだから大したものである。
確かに小鬼同士で強いの弱いのといってもたかが知れているし、族長が自分よりも物知りなのは、単に同じ場所や出来事の蓄積があって、それに照らし合わせているだけで、別に新しいことをやっているというわけではない。
そう感心したところで、ルガルガの腹が小さく鳴った。
「兄ちゃん、お腹空いた。肉が食べたい」
「そうだな。ここのところずっと虫くらいしか食ってないからな」
せめて長虫(蛇)でもいないかと、水場に沿って歩いていたンガアンボだが、ふと気が付くと不思議に静かな花畑のような広場に来ていた。
広場の中央には大きな木があって、そこに寄り添うようにして一軒の家が建っている。
無人の山小屋なら、もしかして非常食の干し肉とかあるかも知れない。
期待に喉を鳴らすンガアンボ。
だが、よく見ると小奇麗に掃除をされている。この生活臭からして、誰かが住んでいるのは確実だろう。なら危ない橋を渡るわけにはいかない。
そう思ったところで、扉を開けてヒラヒラした服を着た人間(?)――獣のような尻尾と耳が生えていて、これまで嗅いだことのない臭いのする――の若い雌が、なにやら袋を担いで出てきた。
(人間は女子供なら、俺とルガルガのふたりがかりなら勝てるが、雌や子供がやられると雄が群れて、こっちを根絶やしにするまで血眼になるから厄介だ。仕方がない諦めるか……)
考えなしの同族なら食欲に任せて襲い掛かるところだが、気を見て敏なンガアンボは、人間の怖さを知っているので余計な手出しをしない。
あっさりと諦めて、ルガルガを促してその場を後にしようとしたところで、耳と尻尾の生えた人間の雌が、背負っていた袋を置いて中身を取り出した。
途端、香ばしい焼いた肉の香りが、花畑に身を伏せて隠れていたンガアンボとルガルガのところまで漂ってきた。
「よっこい……しょ、と。まったく、〝肉骨粉”だか知らないですけど、わざわざ焼いて、天日干しにするとか、たかだか肥料にご主人は凝り過ぎですよ。埋めて腐らせれば面倒臭くないと思うんですけどねー」
ブツブツ言いながら小分けして焼かれた肉や骨の塊を、弾力のある植物を使った枝編みで作られたらしい、四角い籠のような網のようなものの上に重ならないように並べ始める。
言っている意味は半分以上わからないが、もしかしてあれは捨てるものなのだろうか? だったら拾っても文句はないのでは? いや、でも焼いた肉を捨てるわけがない。干し肉にでもしているんだろう。
そうンガアンボが結論を出したところで、
「肉、肉、肉ーーーっ!!」
目の前に置かれた肉欲に負けたルガルガが、立ち上がって一目散に肉に向かって走り出した。
「ま、待て、ルガルガっ!」
慌てたンガアンボも、咄嗟に立ち上がってこれを追いかける。
「へ……?」
物音に気付いた黒髪の獣娘が振り返って、血相を変えて向かってくるふたりの小鬼に気付いた。
「ぎゃあああああああああああああッ!!?」
襲われる――と思ったのだろう。魂消た悲鳴を上げて、尻尾の毛を逆立てた娘の姿が、次の瞬間煙のように消えて、ヒラヒラの服だけが地面に残った。
と思いきや、モゾモゾ服が動いてその下からおかしな動物が現れて、一目散に木のところにある家へと逃げて行った。
なんだありゃ……?
思わずンガアンボが呆然と立ち竦む内に、先に肉のところにたどり着いたルガルガが、両手で肉を掴んで一心不乱に食べ始める。
ああ、やっちまった。よその縄張りで、他人の獲物に勝手に口をつけたら、どんなに言い訳しても完全に敵と思われる……。
厳格な野生の掟を思い出して――狩りをしない雌であるルガルガは、そのあたりの良識に疎い――思わず頭を抱えるンガアンボ。
「兄ちゃん、この肉硬くて変な味だぞ」
「うるさい! とにかく、急いでこの場から逃げるんだ!」
肉の硬さに悪戦苦闘しているルガルガの手を引いて、急いでこの場から逃げようとしたンガアンボだが、その前にさっきの動物の巣(?)の扉が開いて、そこから見たこともない格好をした、見上げんばかりの巨大な豚鬼が現れた。
途端、ルガルガの手から齧りかけの肉が落ちて、その場でブルブルと震え出す。
よくよく見れば震えているのはンガアンボも同様で、逃げようにも足が岩になったかのように言うことを聞かず――完全に腰が抜けている――瞬きすることもできずに、豚鬼がこっちに向かってやって来るのを見るしかできなかった。
なにしろ故郷の森では豚鬼というのは、周辺の小鬼や犬精鬼を支配して、気に食わないことがあれば戯れに一族ごと丸焼きにして喰うくらい平気でする、貪欲にして凶暴な暴君である。
物心つく前から常に息を潜めて、その脅威を過ぎ去るのを祈るしかなかったふたり。
ゆえに豚鬼の姿を見た瞬間、心と体を雁字搦めにされて、震えるしかなかった。
ああ、最悪だ。豚鬼の獲物を横取りしたとか、どうあっても許してもらえるわけがない……。
豚鬼が手にしたよく切れそうな刃物を視界の隅に留めながら、ンガアンボの心が絶望に塗り潰される。
やがてふたりの目の前に立ち止まった豚鬼は、地面に落ちている齧りかけの肉を見下ろし、難しい表情で嘆息した。
「……残飯ならまだしも、さすがに肥料にする代物を食わせたとあっては、料理人の沽券にかかわるな」
ああ、相当に激怒しているんだな、と改めて観念するンガアンボ。
豚鬼はためすがめすンガアンボとルガルガを見比べて、「ふむ?」と、おとがいに手を当てて思案し出した。
「小鬼にしちゃ、身綺麗にしているな。人を喰った臭いもしねえし……。――おう、お前ら。ここへ来るまでの間に人間の畑を荒らしたり、家畜を襲ったりしたか?」
なぜそんなことを聞かれるのか意味は不明ながら、慌てて首を横に何度も振るンガアンボとルガルガ。
「ふん。ならお前ら、腹が減っているのか?」
相手の真意が読めずに即答できなかったンガアンボの代わりに、ルガルガが素直に何度も頷く。
それを見てニヤリと笑う豚鬼。
「なら飯を食っていけ。ちょうど従業員用の賄いができたところだ。金なんぞ持ってないんだろうから、今日のところは賄いで我慢しておけ」
「は……?」
言っている意味がわからず呆けた声を発するンガアンボ。
「おら、着いてこい」
それでも命令には逆らい難く、処刑台に連れて行かれる心持でルガルガと手を繋いで、豚鬼の後について行くのだった。
◇
下処理を終わらせてグラ・ドゥーブルにした牛の胃を水、香味野菜などで鍋で柔らかくなるまで煮込む。
茹で上がったらパン粉をつけて、油を敷いたフライパンで焼いたら出来上がり。
付け合わせは定番のジャガイモとキノコ、エシャロットを炒めた『ジャガイモのリヨン風』で、ついでにミュゼットが採ってきたクレソンをヴィネグレット(塩、コショウ、赤ワインビネガーにオリーブオイルを入れて攪拌したもの)であえたサラダをつける。
「そして最後にグリビッシュソース(マヨネーズにマスタードを加えたもので、今回は芥子菜を刻んで代用している)を付ければ、タブリエ・ド・サプールの出来上がりだ。まあ、要するに牛の胃袋を使ったカツレツだな」
「はあ……」
カツレツってなんだろうと思いながら、目の前の皿からあふれ出しているタブリエ・ド・サプールの大きさに目を見張るミュゼット。
「大きいですねぇ」
化け直して着替え終えた志摩も目を丸くしていた。
「元がでかいからな。切り分けておいたので、遠慮せずに手づかみでグリビッシュソースを付けて食うといい。――ほら、お前らも食え」
スポンタネに促されて、居心地悪そうに同じテーブルについて椅子に座っていた雄の小鬼――聞かれて『ンガアンボ』と自己紹介をしていた――が手を出していいものかどうか逡巡しながら、料理とスポンタネの顔とを見比べる。
一方、その妹で『ルガルガ』と名乗った雌の小鬼の方は物怖じしない性格なのか、待ってましたとばかりタブリエ・ド・サプールを手に取って、そのまま何もつけずに丸齧りした。
「ん! んん!! んま~い! 兄ちゃん、凄い、こんな美味いモノ初めて食べたよ!」
そう満面の笑みで屈託なく言われ、ンガアンボも観念したようにタブリエ・ド・サプールに齧りついた。
「!!!」
その途端、掛け値なしに椅子から飛びあがるンガアンボ。
「ウマいッ!!」
「おう、そいつはよかった。あと、ソースをつけると一段と美味いぜ」
ニヤリと笑ったスポンタネに促されて、恐る恐るグリビッシュソースを擦り付けて、
「なんだこれ!? 信じられないほど美味い!」
「兄ちゃん、このドロドロだけでも美味しいよ」
山盛りにグリビッシュソースを付けて、口の端からこぼしながら食べまくるルガルガ。
その様子に慌てて床に落ちたソースを手で拾って拭こうとするンガアンボだったが、
「ああ、気にするな。掃除はこっちでやっておくから、飯を食う時には飯に集中しろ」
そうスポンタネに止められて、どこか所在なげに椅子に腰を下ろし直した。
へ~~、ずいぶんと賢くて気の回る小鬼がいたものね。と、内心でミュゼットは感心した。
小鬼といえば素っ裸の裸族で(目前のふたりは大きな草で編んだらしい衣服で胸や腰を隠している)棍棒もって、野生の猿みたいに襲い掛かって来るイメージしかなかったけど、こうして話してみると人間とほとんど変わらない。
このふたりが変わり者なのかも知れないけれど、目から鱗が落ちた思いのミュゼットであった。
志摩の方は、もともと世間知らずなところへ、最初に会った豚鬼がスポンタネだったものだから、「最初はビックリしたけど、料理をする豚鬼がいるんだから、大人しい小鬼がいても不思議じゃないか」と、いった程度の感想しかなかった。
暫時考え込んでいたンガアンボであったが、それから意を決したように、スポンタネに尋ねる。
「あの……なぜ、見ず知らずの、勝手に縄張りを荒らした俺たちに飯を食わせてくれるんですか?」
やっぱりこの子、小鬼にしては頭がいいな、と思いながら主にサラダと付け合わせを口にするミュゼット。
「そりゃまあ、あんなもの食わせて、ここの料理人の腕はあんなもんだと思われちゃ恥だからな」
「でも、俺ら、盗んだわけで……」
「畑の肥料を喰ったからって盗人にはならんだろう。変なもの食わせたお詫びもあるしな」
「はあ……」
明らかに不得要領の顔で相槌を打つンガアンボ。まあ、そうなるわよね~、と内心で彼の困惑に同情するミュゼットだった。
「――美味しかった!」
その間にぺろりと自分の分の皿を空っぽにしたルガルガに、自分の分の残ったタブリエ・ド・サプールを渡そうとしたンガアンボに代わってミュゼットが、
「私はこんなに食べないから、良かったら食べる?」
「食べる~♪」
一切れ食べただけでほとんど残っているタブリエ・ド・サプールを皿ごと渡した。
「スミマセン」
妹の天真爛漫さに頭を下げる殊勝な兄の態度に、故郷の兄を思い出してミュゼットは微笑ましく思えた。
「まあ今回はそんなわけで、ただ飯を食わせたわけだが、次回からはちゃんと客として来れば、もっと美味いものを食わせてやるぜ」
「えっ、ここから逃がしてくれるんですか!?」
愕然とするンガアンボ。
てっきりこれが末期の御馳走で、死ぬまで働かされるとか考えていたらしい。
「当たり前だろう。いまんところ人手は足りているから、手伝ってもらうことはないし……ああ、そうだ。お前ら野の食える草とか、川の魚とか採ってきてここに卸す仕事をしてくれれば、報酬に応じた食事を食わせてやるぜ。最近は客が増えて、俺もなかなか手が離せないからな」
スポンタネの提案に、さらに吃驚仰天するンガアンボ。
「え、それって、この森に住んでもいいってことですか、根無し草の俺たちが?!」
「そんなもん、勝手に住めばいいこった。ただこのあたりの森はいろいろとヤバい連中が多いから、あんまり奥には行かないことだ」
そう言い含められた言葉に、志摩がウンウン頷いて思いっきり同意する。
「わ、わかりました。俺とルガルガとで、食える野草や何やらをとってきますので、また美味いモノ食わせてください!」
「おう、任せておけ」
スポンタネが頷いた瞬間、聖樹の加護がふたりの小鬼に宿ったのを、妖精族であるミュゼットは逸早く感じ取った。
スポンタネと契約を結んだことで、聖樹様が加護をくださったのだろう。これでよほどのことがない限り、このふたりの小鬼は危険な目に合わない筈。
一心不乱に食事に没頭しているルガルガと、緊張が抜けて半ば弛緩しているンガアンボを眺めながら、ミュゼットは密かに安堵するのだった。
《一口メモ》
牛の第二の胃袋は俗にいう「ハチノス」です、ヨーロッパではかなりポピュラーな素材ですが、今回ご紹介したタブリエ・ド・サプールは、高カロリーなこともあって、近年ではあまりメニューに載っていないそうです。
あと、動物の内臓を使った料理としてはハギス(羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたもの)が有名ですが、スコットランドの伝統料理ですので、日本でいうハチの子を食べるような一部地域限定特産という認識になります。
※10/12 誤字脱字、一部本文を修正しました。
そういえば志摩に関して(2年前に)「男の娘なのん(´・ω・`)?」という質問がありましたが、本来の性別は♂ですが、化けている間は普通に♀になっています。