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第2皿 木の実のグラノーラ

基本的に作中の料理は再現可能ですが、前回の料理はかなりハードルが高いので(牛肉の赤身肉で作るのが普通ですが、鹿とかかなり難しいので)、今回はご家庭でも手軽にできるものにしてみました。

 火燃石(フロギストン)が内臓された四個ある魔導コンロ。

 これのお陰でいちいち薪で窯を焚くことがなく便利ではあるのだが、いささか風情に欠けるな。それにパンを焼くにも、窯がないのでフライパンを使ったモドキしか焼けないし……と、物思いつつ、火加減を調節していたコック姿の豚鬼(オーク)――いつの間にか周りから『スポンタネ』と呼ばれ、いちいち訂正するのも面倒なのでそのまま定着した感もある彼――は、それぞれの鍋の中身を木べらで掻き混ぜながら、その出来栄えにおおむね満足していた。


 と、その時、軽快な足音とともに階段を降りてくる足音が聞こえ、

「お早うございます、マスター! 遅くなってすみませんっ」

 普段着のままの妖精族(エルフ)の少女――この『森の隠れ家レストラン』唯一の従業員で、住み込みで働いている看板ウエイトレスのミュゼットが、朝から溌剌とした表情で店の中へ飛び込んできた。


「……ああ、おはようさん。顔は洗ってきたかい?」

「はいっ、ばっちりです。すぐに着替えて掃除をしますね」


 掃除用具を取りに行こうとするミュゼットを止めるスポンタネ。


「いや待った。それは俺がやっておくから、悪いんだが村に行ってイレーヌさんのところで――」

「ミルクとチーズですね。了解しました!」


 打てば響く調子でハキハキと答えるミュゼット。


「ああ、荷物になるんで裏で草食んでいる驢馬(ロバ)のロシナンテを連れて行くといい。あと、あればで構わないんだが、もしも豚を潰していたら血も貰ってきてくれ。――ま、イレーヌさんの都合もあるから、これはあれば僥倖(ぎょうこう)くらいで構わん」

「はあ、豚の血ですか……?」

「フォンと一緒にこいつをつなぎ(・・・)に使うと一味違うんだ。さすがに野生の動物の血だと病気や寄生虫が怖いからなぁ」

「へー……そういうものなんですか?」


 いまいち要領を得ない――キセイチュウってなんだろな? という――顔で頷きながら、厨房へ顔を出したミュゼットは、コトコト煮えている四つの鍋を確認して、

「あれ? 何種類もスープを作っているんですか?」

 と不思議そうに尋ねた。


「いや、こっちの鍋は余った王冠箆鹿(クラウンエルク)の骨とスジでフォン――ソースのベースになる出汁(だし)を取っているものだ」


 寸胴鍋の蓋を開けて灰汁(あく)を取りながら答えるスポンタネ。

 そういや一から説明するのは初めてだな、と思いながら続ける。


「作り方はいたって簡単。たっぷりの水が入った寸胴鍋を強火にかけ、王冠箆鹿(クラウンエルク)の骨とスジ、肩の肉を入れ、追加でミルポア――植物オイルで炒めたエシャロットとニンジン、あとクレソンがあったのでこれに岩塩を少々加えたやつ――を鍋に投入。沸いたら灰汁を取り、今度は弱火に変えてトマトを……この量なら五個ってところか、潰しながら入れて、あとは適時灰汁を取りながらしばらく煮込めばいい。本当は黒胡椒がほしいところだが、まあ贅沢は言えんな」

「ほほう、しばらくって、どのくらいですか?」

「ざっと十時間だな」


 事もなげに答えるスポンタネの言葉に絶句するミュゼット。


「じゅ――十時間! 大変じゃないですか!!」

「フォンは料理の基本だから止むを得ん。で、最後に()して床下の石室にある冷暗所で一晩冷やし、上に固まった脂を取り除けばフォン・ブラウンの完成だ」

「ほえ~~~っ!」


 その手間の想像もつかないとばかりミュゼットは目を丸くするのだった。


「で、こっちの鍋が出来上がったフォン・ブランをさらに煮込んで、王冠箆鹿(クラウンエルク)の挽き肉、卵白、そしてミルポアを再度加えて作るコンソメ・スープとなる。もうちっと透き通れば完成だな」


 さらに隣の寸胴鍋を開けて木杓子で掻き混ぜながら解説する。いつもは寡黙なスポンタネだが、料理のことになると別なのか、途端に饒舌になるのを内心「可愛いっ」と思いながら、表面上は神妙な表情で頷くミュゼット。


「――って、まだ手間をかけるんですか!?!」

「おう、こんなものは序の口だぜ。あと隣の鍋は野草と香味野菜、この間モンテカルロ侯爵から貰ったワインを加えて煮込んで作るブイヨンで、こっちは三時間ほどでできる」

「へえー……」


 十時間と聞いた後だと三時間なんてたいしたことないように聞こえるなあ、と思いながら相槌を打つミュゼットの視線が、最後の小ぶりの鍋に注がれる。


「こっちの鍋は……お湯が沸いているだけに見えますけど?」

「ああ、こっちは俺たちの朝飯だ」


 言いつつ思い出したかのように潰した燕麦エンバクを一掴み、二掴みと投入するのだった。


「……オートミールですか、もしかして?」


 なんとなくその正体を察したミュゼットの問い掛けに、「おうっ」と答えしながら、スポンタネは軽く肩をすくめる。


「ここんところ砦の姉ちゃんたちが、バカスカと食うんでそろそろ小麦も王冠箆鹿(クラウンエルク)の肉も底を尽き掛けてきたんで、残っている燕麦と豆で調節しようと思ってな。――ん? 嫌いだったか」

「いいえ! そんなことないですよ。あははっ、本当に毎日来るんですもんね、メイアさんたち。でも、それなら小麦も一緒に買ってきますか、マスター?」

「いや、そっちは洞矮族(ドワーフ)の親爺さん――ガストンさんに頼んでいるんで、二~三日中にドワーフ酒と一緒にもって来てくれるだろう。それくらいなら、ま、問題はない」

「ああ、そうなんですか。じゃあ、私は途中で適当な山鳥か兎でもいたら狩ってきますね」

「悪いな」

「いえいえ。弓で狩りをするのは妖精族(エルフ)の得意技ですし、私も腕が錆びないようにしたいので気にしないでください」


 (かぶり)を振ったミュゼットは、物置小屋から愛用の弓と矢が十本ばかり入った矢筒を引っ張り出してきた。


「じゃあ村に行ってきます! 二時間くらいで帰ってこられると思いますので」

「わかった。それに合わせて朝飯を作っておく」


 笑顔で玄関から出て行ったミュゼットを見送ったスポンタネだが、先ほどの『オートミール』と聞いたときに彼女が浮かべた、若干肩透かしを食ったような顔を思い出して、

「いかんな。安易に考えすぎていたか……」

 憮然と呟く。料理人にとって「なんだ、こんなものか」という客の言葉が一番堪える。たとえそれが従業員の(まかな)いであっても同じである。


 とはいえ、せっかく作ったオートミールを破棄するのも、それはそれで食べ物に対する冒涜(ぼうとく)だろう。

「――となると、一工夫加えるか」

 すっかり出来上げって煮立っている鍋を眺めながらそう呟くのだった。


 二時間後――。


「ただいま戻りました! イレーヌおばさんのところで、ちょうど昨日豚を一頭シメたそうで、こっちの瓶に血を分けてもらえました。あと、途中で一角兎(ホーンラビッド)がいたので二羽ほど仕留めましたっ」


 意気揚々と戻ってきたミュゼットが、血抜きした丸のままの一角兎(ホーンラビッド)を二羽、掴んで持ち上げて見せる。


「おっ、ちゃんと毛皮と頭、ついでに内臓もそのままか。助かるな」


 兎は一般的に仕留めたその場で毛皮と頭、内臓は捨てて肉だけを持ち帰るものだと思われているが、それらを残したままちょっとひと手間かけるだけで、格段に味が良くなるのだ。

 以前はミュゼットも知らずに処理していたのだが、スポンタネのやり方を見て、いまでは言われなくても丸のまま持ち帰るようにしていた。


「あと、他の荷物はロシナンテに積んだままですが」

「よし。じゃあ、手分けして保存庫へ運んでから朝飯にしよう」

「はいっ、わかりました」


 すべての鍋を弱火にしたスポンタネとともに、仔犬がまとわりつく感じでミュゼットはその後に従ってついて行く。


 荷物を床下の保存庫へ運び終えたふたりは、じっくりと手を洗って汚れを払い、厨房へ戻ってきた。

 ただしスポンタネの手には小ぶりの缶と紙に包まれた煉瓦の塊のようなモノが握られていたが。


「さっき貰ってきたミルクとバターですよね? どうするんですか、マスター?」


 朝食はオートミールじゃないのかなァ? と、怪訝そうな顔をするミュゼットへ、にやりと笑いかけるスポンタネ。


「それじゃあツマらんからな。ちょいとひと手間かけようかと思ってね」

「……?」


 すっかり出来上がっているオートミールの鍋を見ながら小首を傾げるミュゼット。


「まあ見てな」


 言いつつオートミールの鍋を下ろして、代わりにフライパンを火にかける。

 油を引かずに火で温めたフライパンにオートミールを投入し、そのままカラカラに乾くまで乾煎り、皿にあけてあら熱を取る。

 その間に、保存しておいた木の実――胡桃(鬼胡桃よりも沢胡桃のほうが甘くて良い)と藤豆(藤の花が咲いた後にできるインゲン豆みたいなもの)、カヤの実、あと黒豆があったので乾煎りして、同様に別の皿にさけてあら熱を取る。

 フライパンにバターと植物油を溶かして、さらに好みに応じて蜂蜜を加え、トロトロとトロミが出るまで煮込んでシロップを作る。その間に、先ほどのオートミールと木の実を混ぜ合わせ、よく掻き混ぜながら干し葡萄を加え、最後にシロップをかけてよく和え、全体が馴染んだら水分を飛ばして出来上がり。


「特製、木の実のグラノーラだ」

「ふわ~~っ、美味しそう!」


 ついでに別に作っていたコンソメによるオニオングラタンスープも付けて、スポンタネはテーブルに並べた。


「こいつはこのまま食べても美味いけど、牛乳に浸してもオツなもんだ」

「ああ、それで……!」


 頷きながら席につくミュゼット。


「さあ、スープが冷めないうちにいただこうか」

「はいっ!」


 ふたりとも己の神や精霊に食事の祈りを捧げた後、スプーンを持って朝食に向かい合った。


「さて、と。まずはこのままで……」

 呟きながらグラノーラを一掬い掬って、ミュゼットは口へと運ぶ。

「ふああっ、サクサクで甘~い! けどしつこい甘さじゃない!」


 田舎で生活していると、どうしても甘いものが恋しくなるが、さりとて甘過ぎるものは口飽きするのも確かである。

 だが、このグラノーラの素朴な甘さは控えめで、なおかつ様々な森の恵みが折り重なって、決して口飽きない甘さであった。


「美味しい美味しい!」

 夢中でスプーンを何度も口へと運んでいたミュゼットだが、さすがに乾いたものばかりでは物足りない。そこでオニオングラタンスープへとスプーンを延ばした。


 ――うわ~、なんだか琥珀色のスープに狐色に炒めたタマネギが沈んでいて贅沢~。


 芳醇なその香りに唾を飲み込みながら、一口スープを飲み込む。


「――っっっ!?! なにこれ、凄い、もの凄くスープが濃厚ですよ!」

「おう。残っていた王冠箆鹿(クラウンエルク)の肉をほとんど使い切ったからな。並みの肉の分量じゃあ、この味は出ないさ」


 自慢げなスポンタネの薀蓄を半ば聞き流しながら、無我夢中でスープを飲み込むミュゼット。

 ちなみに世間的には、妖精族(エルフ)は肉や魚などは食べない厳格な菜食主義者だと思われているが、ミュゼットによれば「部族の習慣によってですね。旧い伝統を重んじる部族は確かにそうですけど、うちの部族は滋養強壮のために小鳥や小動物を狩って食べてましたよ。ま、あまり美味しくはなかったですけど」とのこと、さほど忌避感はないそうだが、それでも菜食傾向が強いのは確かなようだ。


 肉はスープの出汁くらいで丁度良かったな、と思いながらスポンタネもスープを啜る。


「タマネギもトロトロで甘くて美味しいーっ!」

「じっくり狐色になるまでキャラメリゼするのがコツだな」


 ふんふん、と適当に相槌を打ちながらあっという間にオニオングラタンスープを飲み干したミュゼットは、残りのグラノーラに向かったところで、最初のスポンタネの助言を思い出して、皿にミルクを追加してみた。


 どうかな? と、思いながらミルクと一緒にグラノーラを口に含むと、新鮮なミルクとサクサクのグラノーラが噛み締めるごとに渾然一体となって、口の中でマリアージュを果たしのをミュゼットは確かに感じ取った。


「これ、この食べ方が私は一番好きかも!」


 瞳を輝かせるミュゼットの様子に、「そうかい。気に入ったようでなによりだ」そう満更でもない気分で応えながら、スポンタネはほっと安堵の吐息を放つ。


 料理人にとっては、食べた人間に美味しいと言ってもらえることが、なによりも嬉しいことなのだ。

 どうやら、これで朝からテンションを落さずにやっていけそうだな、そう思いながら自分の分の朝食を口へ運ぶスポンタネであった。


 さて、スープはこれでいいとして、メインデッシュは何したものか。とりあえず、朝食後に兎の処理をせにゃならんな……。

 そうして、本日も『森の隠れ家レストラン』の営業がつつがなく開始された。

※なお、この作品はあくまで異世界を舞台にしたものであり、現実の世界における鳥獣の捕獲等に関しましては、狩猟免許等の取得が必須です。


《一口メモ》

藤の豆は食用になりますが、大量に食べるとおなかがゆるくなるのでご注意ください。


兎を仕留めた後の処理は、まずはその場で血抜きを行う(「放血」という)。

そのまま持ち帰って内蔵を取り出す。

心臓、腎臓、肝臓は料理に使えるので水で洗って戻し、毛がついたまま冷暗所で五~六日熟成させる。

内臓を取り出して、毛皮を剥いで解体する(足の先に切れ目をいれて、少しずつめくっていけば、靴下が脱げるようにズルッと剥ける)。

脳味噌も食べられるので頭の先まで剥く。

パーツごとにバラした肉はさらに冷暗所で五~六日熟成させるほうがよい。


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