閑話 老人の独白
残酷な表現が有ります。読まなくても本編にはあまり関係有りませんので苦手な人は飛ばしてくださっても構いません。
そこは真っ暗な所だった。机の上に置かれた蝋燭がその部屋で僅かな光源となっている。その周りでは恐ろしいという領域をはるかに超え、生理的嫌悪をもたらす光景が広がっていた。
三面六肘の猿のミイラ、山羊の頭を持つ悪魔の偶像、人の顔の皮が表紙として張られている本、何かよく分からない液体が入った試験管、血で満たされたフラスコ等だ。まともな人間が入ったらまず間違いなく発狂するだろう。
そんな悪夢の様な空間に何のとは言わないが骨で作られた椅子に座っている人物がいた。その近くには漆黒の美しい毛並みをした猟犬が待機している。しかしそんな素晴らしい猟犬もこの世のものではないのはその姿を見れば分かる。両目ははまるで最高級のルビーを嵌め込まれたかの様な真紅の眼をしていて、その大きさは北極熊よりも1回り大きい。不意に
「ああ、俺はなんと馬鹿な事をし続けたのだろう。」
椅子に座っている人物が重々しい声でその言葉を口にした。声はかなりしわがれており、口の周りには空気しか無いはずなのにノイズがかかっているように聴こえる。顔には多くの皺が刻まれており、彼が生きてきた歳月の長さを物語っているようだ。
その言葉に猟犬は反応する。
「どうした?そんなアホみたいな事をほざいて?貴様のやったことははるかに偉大なことだとだぞ。賢者の石を作り、黒魔術という概念を創り出し、神を殺し、七大罪を司る魔王を支配し、何よりも世界の理の外側に居るこの我輩と契約したのだからな。貴様のやったことは古今東西のありとあらゆる魔術師、精霊術師、退魔師が百回人生を直しても一つ達成したら感涙にむせび泣くものだ。それを貴様一代で成し遂げてそれをくだらないものとぶった切った。」
「ああ、すまない。悪気は無いんだ。許してくれないか?」
「許すも許さぬのも貴様の言い分を聞いてからだ。申してみよ。普段は極めて理性的で頭の回転の早い貴様がなにゆえそんな愚行に走ったのかをなぁ?」
「それにはまず私の生い立ちから話さなければならないが、それでも構わないか?」
「許そう、時間だけは有るからな。」
「それではいくぞ。」
ゴホンッと軽く咳払いをすると老人は自身の生い立ちを語り始めた。それは絶望と苦痛に彩られていたものだった。
彼は今で言う中国の山間部の小さな村に母親と二人で住んでいた。
しかしある日謎の兵士達が押し入り男は殺され、女や子供は連れて行かれた。彼と彼の母も例外ではなかった。彼らはとある部屋に閉じ込められた。後に知ったことだが、そこは邪教の総本山で邪神を召還するための生贄を捧げていたのだ。
やがて儀式が行われ、黒い煙の中に口があるものが現れた。彼以外の人間は全てその異形に食われていくなかで、彼は自分を攫った者共を激しく憎んだ。しかし邪神はこちらを向いて口を大きく開けて噛み付いた。彼はたまらず暴れまわる。そして彼はふっ、と意識が飛んだ。
そして気付いたらあの化け物は消えていて、場所も森林の中だった。そして孤児として過ごしているところを高名な呪術師に拾われた。彼はそこで様々なことを学んだ。符呪術、蟲毒、占術等比較的安全なものから踏み込んだものまで幅広かった。
やがて師匠とも呼べるその呪術師が死ぬと、彼はシルクロードを通り西へ旅をした。そこでも多くの魔術を学んだ。そうやってヨーロッパまでやって来て悪霊の召還法やらダークなものを伝え、黒魔術の祖と言われるようになった。その後紆余曲折を経て今のような生きる?伝説となったのである。
「それのどこがおかしいのだ?」
猟犬が心の底から理解できないと首をかしげると老人は
「俺はもう一度母さんに会いたかった。だから拷問の様な修行にも耐えられたし、自分自身に術をかけておぞましい存在になり果て、同業者や敵対者に命を狙われ、それでも何万年も生きてこれた。しかし母さんを騙るものはいれど、母さん本人に会ったことは無い。」
「ではその邪神の腹を」
「もうやった。」
「そうか。で、貴様はどうしたい?」
猟犬がその問いを出すと老人はにいっ、と笑って
「死ぬさ。幸いにもここはお前がてくれる」
と言った。すると・・・
「そうか」
ぼそり、と猟犬は呟いた。
「引き止めないのか?」
首を傾げながら老人は訊く。
「それでも逝くのだろう。」
「ああ。」
覚悟を決めた者の顔で老人は頷く
「では、さらばだ。」
「ああ、またいつか、縁があったら共に酒でも飲もう。昔のようにな」
そうして老人は自身にかけた延命の魔法を全て解除した。魂なき肉体は弛緩し、床に崩れ落ちる。
主が居なくなった部屋で猟犬は独りごちる。
「またどこかで、か。クサイ台詞を吐きおって。なに、貴様がまた我輩を呼び出そうとしたら直ぐにでも契約してやるからな。だからさっさと生まれ変われ。わが最初にして最後の主よ」
その言葉は誰にも聞かれず壁に吸い込まれていった。
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