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オクラホマミキサーの夜


 瑛太えいた里中さとなかくんと一緒に帰ってきた。


 スーパーの袋を片側ずつ持って、なぜだか二人してスターボックスのアイスカフェオレを飲んでいた。ずるい。瑛太はわたしに見せつけるように、里中くんと腕を組み出す。こうして見ると兄弟に見えなくもないが……里中くんはわたしの彼氏である。


「なに仲良しこよししてんのよ。わたしの彼氏よ」


 瑛太の話によると、帰り道、たまたま二人は会ったらしい。瑛太は部活の帰り、里中くんはわたしが無理やり押し付けた「スーパーで半額の卵を買ってくる」という使命(という名のお遣い)の途中だった。それから二人は近くにあったスターボックスに寄り、一緒に帰ってきたのだという。


「里中先輩にスタボおごってもらった」


 瑛太が自慢げにカフェオレのカップを掲げる。


 ずるい。スターボックスおごってもらったのもそうだけれど、何より里中くんと一緒に帰ってくるなんてずるい。


 えんがちょするように二人の間を引き裂くが、半分こずつ持ったビニール袋でつながっていた。ちくしょう。


「姉貴」


 瑛太が真顔でじうーっとカフェオレをすすった。


「俺、里中先輩のこと好き」

「許さない」

「姉貴ごときの女に里中先輩はもったいなすぎでしょ」

「でもわたしの里中くんだもん」

「里中先輩は物じゃないからー」


 姉弟でバチバチと睨み合う。間にはさまれる里中くんが困ったような顔で笑っていた。


「そういえば、卵、買ってきましたよ」


 話をすり替えるように、里中くんがわたしの前にスーパーのビニール袋を差し出してきた。その中には卵ふたパックが入っている。


「よくふたパックも買えたね」


 卵が半額の日のスーパーは戦場だというのに。


「大変でした」


 里中くんは苦笑いした。うん、大変だったろうなあ。「偉い」と率直に褒めると、里中くんが黙って少し屈んだ。瑛太は不思議そうな顔をしたが、わたしはすぐに彼の意図がわかった。


 ……はいはい、仕方ないなあ。


 わたしは里中くんの頭を軽くぽんぽんと撫でた。里中くんが満足げに目を細めて微笑む。お前は犬か、と突っ込みたくなる。この人はわたしに頭を撫でられるのが好きなのである。褒められるのも好きである。照れ屋だから、外でやると恥ずかしがって怒るけれど。


 付き合って一年。これくらいのことは、言葉がなくたってわかる。


「あ、そうだ、里中くん、夕飯食べてく?」


 わたしは里中くんに尋ねた。時計を見たら、ちょうど夕食時だったからだ。


「卵買ってきてもらったから、オムライスだけど」

「え、でも申し訳ないです」

「遠慮しないでよ、先輩」

「二人分作るのも三人分作るのも変わんないから」

「姉貴と二人で飯食っても楽しくないし」

「なんですって」


 わたしと瑛太で代わりばんこに強く迫って、迷う素振りを見せていた里中くんはようやく頷いた。


 リビングで里中くんと瑛太がテレビゲームを始めたから、わたしは「ほどほどにしなさいよ」と釘を刺してから台所にまわった。


 我が家は共働きである。しかし、お金に困っているわけではない。父と母、二人とも仕事人間で、三度の飯より、ううん、目に入れても痛くない二人の子供たちよりも仕事が大好きなのだ。そのため、家事はわたしと瑛太で分担してやっている。料理はわたしの担当だった。


 まずはチキンライスを作る。バターで鶏肉と玉ねぎを炒めて、ふんわりといい匂いが漂ってきたら、ご飯を加えるのだ。それからケチャップ。そうそう、パセリも忘れちゃいけない。


 できたチキンライスをお皿に盛ったら、里中くんが買ってきた卵をぱかぱか割って、溶いて、フライパンに流し入れた。フライパンいっぱいにまぁるく広げて、しばし待つ。ちゃんと固まるけれど焼きすぎない火の通り加減でさっと引き上げる。


 卵をご飯の上に乗せたら完成だ。鮮やかな黄色とケチャップライスのオレンジの対比が綺麗である。


「ご飯できたよー」


 台所から声を張り上げると、はーい、と素直な二つのお返事が聞こえてくる。


「腹減ったぁ」


 そう言ったのは、瑛太だ。そりゃ部活やってきたんだもん、お腹減るよね。買い食いしてもいいよと言ってはあるのだけれど、瑛太は頑なに家でご飯を食べようとする。瑛太いわく、「よいアスリートはちゃんとご飯を食べる」だそうで。気取っちゃって。


 オムライスをテーブルに運んで、麦茶を注いで、席についた。瑛太と里中くんが隣同士で、わたしの向かいに瑛太が座っている。


「すべての恵みに感謝して」

「いただきます」

「いただきます」


 いただきますをするなり、わたしは里中くんからオムライスのお皿を取り上げた。スプーンを持ったまま、彼が固まる。「やらせて」とお願いすると、彼は怪訝な顔をしながら頷いた。


 わたしはケチャップを持って、彼のオムライスの上に丁寧に大きなハートを描いた。「LOVE」という文字も。


「彼女っぽいでしょ」


 わたしが言うと、里中くんが一瞬ぽかんとして、でもすぐに顔を赤くした。


「食べられなくなっちゃうじゃないですか」


 もそもそ言って、里中くんがハートを崩さないように食べ始める。それがなんだか微笑ましい。


 すると、置いてけぼりにされた瑛太が、悔しかったのか、わたしのお皿を引き寄せてケチャップでうんちを三つ描いてきた。里中くんが笑ったからわたしは怒るに怒れない。スプーンの背中で黙ってうんちをかき消した。


 一口頬張る。卵のふんわりした甘味とチキンライスの程よい塩気が混じり合っておいしい。今日もいい出来栄えだ。


「おいしいですか瑛太くん」

「あーまずいまずい」


 そう言いながらもがっつくように食べているのだから、たぶん、おいしいのだろう。


「おいしいですか里中くん」

「……おいしいですよ?」


 もそもそとオムライスを口に運ぶ里中くんを見ていたら、なんとなく満ち足りた気分になって、わたしはふふふと笑った。ご飯を食べている里中くんを見ると安心するのだ。


 わたしたちが出会った頃、すなわち一年と少し前、彼はある事情からあまりご飯を食べることができなかった。彼自身が食べることをほとんど拒んでいて、無理にたくさん食べさせると吐き戻してしまうくらいだったのだ。それは緩やかな自殺だった。わたしはその時期の彼を知っている。ご飯を食べている彼を見るとほっとしてしまうのは、そういうわけだ。


 今でも「ご飯をしっかり食べている」とは言い難いけれど、わたしが食事に誘えば多少は食べてくれる。おいしいと言ってくれる。


 それだけでもう、わたしは、幸せだ。


 里中くんはオムライスを半分ほど残して、残りは瑛太が食べた。


 ご飯を食べたら、瑛太が「汗かいたから風呂に入る」といって一番風呂をかっさらっていった。リビングに二人取り残されたわたしたちは手持ち無沙汰で、最初のうちは短い会話をしていたけれど、ついには話題もなくなった。わたしは冷えた麦茶を飲みながら、ソファに体育座りしてテレビをつけた。里中くんが隣にやってきて座る。


 ちょうどニュース番組の時間帯で、フォークダンス愛好会の活動に密着した特集が放送されていた。


 愛好会会長のおばさんが、フォークダンスがいかに素晴らしいものか、カメラに向かって熱弁をふるっている。頬にかかるソバージュの髪の毛とか、分厚いファンデーションとか、とてもじゃないけれど見ていられなかった。わたしは麦茶を置いてテレビを消した。


日鞠ひまりさん」


 里中くんがちょっと顔を傾ける。野暮ったい黒縁メガネの向こうから、奥二重のぱっちりした瞳がこっちを見ていた。


「小学生の頃、フォークダンス、踊りました?」

「踊ったよ。マイムマイムと、コロブチカと、それから」

「オクラホマミキサー」

「そうそれ!」

「女の子と手つなぐのが恥ずかしくて、ちょっと手浮かせて踊ったり」

「そうそう、気になってる男の子と踊る順番はやく回ってこないかなーって思ったりね」


 わたしたちは昔を思い出してくすくす笑った。わたしと里中くんは、小学校も中学校も高校もまったく違う。小さなことだけれど、こうやって思い出をすり合わせることができるのは少し嬉しかった。


 里中くんは、どんな小学生だったのだろう。やっぱり、今みたいにちょっと冴えない男の子だったんだろうか。ご飯はきちんと食べられていたんだろうか。


「今でも踊れますか、オクラホマミキサー」


 里中くんにそう問われて、反射的に思い浮かんだのは、先生の掛け声だ。『左、左、右、右……』という言い聞かせるような必死の掛け声が、オクラホマミキサーののんきな音楽に不釣り合いで、今でも記憶に残っている。


「踊れるよ。だって小学生の頃、死ぬほど練習して……」


 わたしの言葉はぷつんと途切れた。里中くんがわたしの右手をとって立ち上がったからだ。


 びっくりした。


 言葉が出ない。触れられている右手がじんじんと熱いような気がする。心臓が右手にうつってしまったみたいだ。だって、だって手をつなぐのなんて、半年ぶりだから。


「踊りましょう」


 里中くんはそう言って、唐突にオクラホマミキサーを歌いだす。


 タララララララ、タララララララ、タララッタ、タラララ、ラッタッタ。


 左、左、右、右、左、右、左、右……。


 里中くんに引っ張られるようにして、わたしたちはオクラホマミキサーを踊る。普通のフォークダンスみたいにペアを変えたりはせずに(だって二人しかいないんだもの)、延々とわたしと里中くんの二人で。それはなんだかまるで、この世界にわたしと里中くんの二人しかいないみたいでたいそう愉快だった。


 前、後ろ、ターン(左手は離さないのがコツだ)、お辞儀をして、また最初から。


 わたしたちは何度も何度もオクラホマミキサーだけを踊った。里中くんは歌の最初のほうしか知らなくて、わたしたちは同じフレーズばかり繰り返した。


 左、左、右、右……。


 幼い頃の思い出に、今の里中くんが重なる。


 やがて踊り疲れてへとへとになって、わたしは一緒にソファに倒れ込んで、麦茶に氷を二つ足して飲んだ。コップの周りが水浸しになっていて、それでとても長いあいだ踊っていたのがわかった。


 見計らったかのように、瑛太がひょっこりリビングに顔を出してきた。


「……終わった?」

「なに、待ってたの?」

「だって邪魔したら悪いじゃん」

「そんなことないですよ」


 里中くんが柔らかく否定するも、瑛太は首を横に振る。


「俺も気まずいし」

「……え?」


 なんだか話が食い違っている気がする。瑛太はササクレをいじりながら真顔で口を開いた。


「バタバタしてたから、セックスしてるのかと思った」

「セッ……!?」


 里中くんが耳まで真っ赤になって絶句した。わたしは黙って瑛太に近くのクッションを投げつける。


 タイミングよく、麦茶に入れた氷がカランとなった。まるで、うぶなわたしたちの反応を笑っているみたいだった。


(オクラホマミキサーの夜)

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