またいつか
ニコ生企画 40分で1本。
ジャンル:ホラー お題:またいつか
「あ、ユッコじゃん」
街角で不意に呼ばれ、驚いてしまった。私を、ユッコとここ最近呼ばれたことのない名で、こんなところで呼ばれることに、素直に驚いてしまった。故郷にはよい思い出がないので、振り向くに振り向けない。
「もー、ユッコったら。私よ! わ、た、し」
肩に手を置かれる。確実に私を呼んでいる。こうなれば、振り向かない訳にはいかない。
眼にかかるほど長く伸びた黒髪と、青白い肌。決して健康そうには見えない。
「あ、はい……」
眼が合ってしまった。もう、素通りはできない。私は曖昧な返事をしながら、相手の出方を待つことにした。
大嫌いな故郷を離れて、こうして新天地を求めて大学に出て来たのだ。だというのに、昔の人に呼ばれるなんて。消去された筈の記憶が蘇りそうになり、私は少し震える。
「久しぶりね。元気してた?」
ニィ、と口の端を持ち上げて彼女は言う。笑ったのだろうか。不健康の象徴のように血走った瞳でそんなことを問われても、お前が元気じゃないだろ? と言いたくなってしまう。
「子どもの時は元気だったのにね。やっぱり、ヒロシくんの一件から?」
「あ――」
だらしなく、口をぽかんと開けてしまった。ヒロシ――その言葉に開きたくない記憶の扉に手が届く。
子どもの頃、勝気で男勝りだった私は、クラスのヒロシ君によくちょっかいを出していた。坊ちゃん刈りにメガネで地味を絵に描いたような男の子だった。彼のぼそぼそとした話し方が気に喰わず、いつもクラスの女子と一緒になって小突いていた。
「なんだ、その顔、ちゃんと覚えているじゃない」
不健康そうな女が、私の肩を掴んだ手に力を込める。
「い、痛いよ……」
私は心の内からせり上がる罪悪感から、小さな声を上げる程度の抵抗しかできなかった。子どもの頃のこととは言え、ぼそぼそと話す彼の陰口をたたいていたこと、上履きや教科書を隠してしまったことが思い出される。
しかし、ヒロシくんは誰かに告げ口をするようなことを決してしなかった。いつか限界が来れば大人が仲介してくれる。当時の自分はそんな風に楽観をしていた。結局、誰も止めることなく、小学6年生になろうかという頃、ヒロシ君が亡くなったと聞かされた時には心臓が跳ね上がったことを覚えている。
「子どものやることって残酷よね」
ニタァ、と意味ありげな言葉を呟いて女は私を揺さぶる。肩に食い込む、赤いマニキュアの色が目に刺さる。
ヒロシ君は、お母さんに首を絞められたと聴いた。丁度、こんな赤いマニキュアをした綺麗なお母さんだった。
「子どもの頃のことじゃない!」
私は、記憶のふたが開いてしまい、半狂乱になりながら手を払った。勢いに、女は尻もちをつくが、起き上ろうともしない。
「あ、またそんなことをするんだ?」
くつくつと、女は笑う。
高校生になったある日、クラスメイトが事故に巻き込まれた。原付に乗っていて、車と接触をしたらしい。悲しいが、こういうこともあるかとその時は思っていた。
「ねぇ、ユッコは元気なの?」
ゆらりと立ち上がりながら、彼女は笑う。
事故から一週間、別のクラスメイトが理科の実験中に薬品を顔に浴びるということが起こった。私は、その時に震えていたことを思い出す。どちらも、ヒロシ君をいじめていた子たちだった。
原付にのっていた子は、走ることが好きだった。足は二本ともくっついていたが、腱がズタズタでもう走れない。薬品を浴びた子は、顔が売りでアイドル志望だった。他にも、歌手になりたかった子が野球の硬球を口に受け、発音がうまくできなくなっていた。他にも他にも……
「わ、私は――」
震えながら女を見据える。ヒロシ君は、はっきりと人に意見が言えるようになることが夢だ、と語っていた。それを笑った子たちはみんな、夢を絶たれている。夢らしい夢を持たない私だけが、五体満足でこうして都会の大学通いをしている。
人並みに生きたいと願ってこの地に来た時点で、私は夢を持ってしまったのだろう。赤い女がついに私の前に現れた。
「まぁ、いいわ。ヒロシ君を取り合ったことも、過去のいい思い出よね。彼、最近結婚したそうよ?」
「え――」
「ふふふ。抜け駆けはしないって話をしていたのに、中学一番のイケメンのヒロシ君を、親友のユッコに盗られた時は、私も腸が煮えくり返った。でも、もういい思い出よね」
ニタリと再度女は笑う。
「あの時の事、許したわけじゃないけど、私、今はそれなりに幸せなの。じゃあね、ユッコ――またいつか」
去っていく女性を前に、私は戦慄する。
「あの人、一体誰?」
私の名前はエミコだ。
清廉潔白な生き方をしてきてはいないが、全く身に覚えのないことで恨まれる。思い出さなくてもいい恨みも思い出した私は、一人立ち尽くしていた。
ホラーってなんだ?