『真実の貌』06
「ビンゴ! こっちガ“本物”ノいる方だったミたいだネ!!」
ライフルを構えていたのは、狂ったようにはしゃぐ、緑のメッシュが印象的な少女。ゆずを誘拐したクル・ヌ・ギアの魔法少女・リンドウだ。
その姿を見咎め、緋桐は激痛に悶えながら身を起こした。
彼女らがここにいるという事は、転移結界を利用できたという事は、今しがた脱出したイシュタルの仲間たちは。枝里は――。
最悪の結末だ。粛清者の標的にされることのなかったであろう非戦闘員も、クル・ヌ・ギアの襲撃を受けたとあれば生存は絶望的だろう。
死を受け入れようとしていた直前までから一転して、猛烈な殺意が蘇る。粛清者とは違い、あの少女に対してだけは個人的な深い怨恨もあって理性と衝動が合致した。
絶対に許さない――殺す――。
虫の息にも拘らず緋桐は怒りと殺意で身体に鞭打ち、とうとう立ち上がった。口の中は血の味がし、身動き一つ取るだけでも砕けた骨が灼熱の痛みを発するが、それでも止められない。
「ワオ、傷つきナがら立ち上ガる少女! 劇的だネー! でもキミは撮りタくないナー。役者ニしては個性ガ無いヨ。“本物”トはいえ“偽物”だからネ」
相変わらず飄々として挑発を続ける態度に、緋桐の怒りは募り続ける。冷静さを失くした緋桐には、“本物”と“偽物”という言葉の意味を気に掛けるだけの余裕はない。何故クル・ヌ・ギアがイシュタルの人員を掃滅して尚、残るたった一人の緋桐を標的としたのかも。
震える足を一歩、一歩とゆっくり前へ進める。ダメージによる苦痛もあるが、なにより怒りで震えていた。
一歩ごとに力が籠り、土を蹴り潰すようにして踏み出す。やがてその衝撃が痛みを上回りはじめ、呼応するかたちで歩みも早くなる。
いつの間にか緋桐は雄叫びを上げながら走っていた。
「――――――ッ!!!」
「スゴイ回復力……ト褒めタい所だけド、マァ落ち着きなヨ」
リンドウが構え直したライフルから再び魔弾を放つ。猛進する緋桐の腹を真っ直ぐ捉えた弾道は、しかし目にも止まらぬ手刀の一閃によって逸れ、あらぬ方向へと吹き飛んだ。
「更にビックリ。覚醒モ近そうデ丁度いいヨ。ソれじゃ早速サプライズゲストの紹介~」
降りかかる魔弾をことごとく撥ね退け、リンドウたちまであと5メートルほどにまで迫ったところで、突如緋桐の脚は止まった。
リンドウの背後、何をするでもなく顛末を見守っていた十余名の魔法少女たちから一人、白いローブに身を包むひときわ小柄な少女が緋桐の前に立ち塞がる。深く被ったフードの下から覗く、くすんだ白髪と痩せこけた頬。暗く濁った瞳から放たれる視線は、緋桐をねめつけているようでも、虚空を泳いでいるようでもある。
刹那、憤怒に滾る緋桐の全身をかつてない悪寒が駆け抜けた。理由はわからないが、緋桐の本能があの酷くやつれた少女を、ある種粛清者よりも危険な存在と認めているらしい。
「“偽物”。やッちゃていいヨ」
緋桐の反応に早くも飽きてしまったのか、憑き物が落ちたように表情を消したリンドウが無造作に指を鳴らす。それに応じて今度は白髪の少女が緋桐へ向けて走り出した。
距離を縮められるごと、全身を襲う悪寒が強烈になっていく。びりびりとした痺れに身動きを封じられた緋桐は、白髪が放つ拳を避けることもできず、粉砕骨折している胴へまともに受けてしまう。
何かが潰れる音、人体から放たれてはならない音がした。
見れば、白髪の腕は緋桐の胴を貫いている。緋桐の腹にぽっかりと穴を開け、肉も骨も臓腑も滅茶苦茶に掻き混ぜて背中を突き破っている。
一瞬の出来事だったせいか、腹を突き破られたという実感がまるで湧かない。痛みも熱すらも感じられず、ただただ冷たい感覚だけが浸透していく。
「ぁ……えっ……?」
その冷たい感覚はやがて得体の知れない不快感に変わって、白髪の腕から広がりだした。
アナトとの契約で脳に刻まれた魔術の基礎知識がふと脳裏によぎる。――魔術を行使するとき、魔法少女の腕には術式陣が浮かぶ――。
突き刺さる腕には確かに術式陣が浮かんでいた。それも一つではない。おびただしい数の紋様が複雑に重なり合い、蟻の群れが這っているかの如く蠢いている。
身体に術をかけるつもりなのか? いや違う。“喰われる”。
「こりうす……いただき、ます……あなた」
白髪の少女は相変わらず虚空を見つめながら、薄らとだが顔をしかめた。それが一体どんな感情を表現しようとしているのかは読み取れない。緋桐の自我もまた虚無へと散りかけていた。
しかし消えかけの意識は突如として現実に引き戻される。
緋桐の頬を掠めて、一本のクナイが白髪の少女の右胸を射抜いた。緋桐の背後から投擲された小型のクナイ。情報でだけ聞いていたその武器を放ったのは、やはり粛清者であった。
「魔女どもめがぞろぞろと……むざむざ命を捨てに来たか」
悠然と言い放つが、掌には酷い銃傷を負っている。吹き飛ばされた衝撃もあってか、全身の傷もとっくに開ききっている様子だ。
「しぶとイなァ。粛清者ハお呼びジャないヨ。みんナ、やッちゃエ~」
リンドウが心底呆れた顔で指示を飛ばすと、彼女の背後に控えていた魔法少女たちが一斉に粛清者へと銃撃を開始する。
満身創痍の現状なら取るに足らないと踏んだのだろう。だが粛清者はそんな甘い予想を易々と裏切り、魔弾の掃射をすべて回避してあっという間に彼女たちの前にまで肉薄した。
「銃ごときで我を仕留めきれると思わぬことだ」
襲撃直後に比べるといくらか動きは鈍っていたが、やはり粛清者の戦闘力は圧倒的だ。マジカライズステッキを近接武器に変えて立ち向かう魔法少女たちを、粛清者はこともなげに次から次へと叩きのめしていく。
「ア~ア~もうグダグダだヨ。マァ、雑魚は時間稼ぎダケやってクれれば良いかナ」
ため息交じりにリンドウが白髪――コリウス――と緋桐のほうを振り向く。奇襲を受けて術を中断されたコリウスは地べたに座り込み、また何をするでもなく茫然としていた。
一方の緋桐は――――“変り始めて”いた。
全身を術式陣とは異なる禍々しい紋様に覆われ、血よりも深く暗い色に燃え上がる。同時に腹の空洞から溢れ出したどす黒い瘴気と溶け合う様は、さながら地獄の縮図のよう。
やがて炎と瘴気は高密度に収束し、溜まりかねて激しく炸裂した。
「ア……ヤバいかモ」
ここに至ってはじめて焦りを顔に表したリンドウは、即座にコリウスを掴んでその場を飛び退いた。シリウスも同様に危険を察知して飛び退く。
直後、炸裂によって生じた衝撃波が緋桐を中心とした半径一〇メートルほどを――――文字通り、焼き払った。
逃げ遅れた数人の魔法少女が、ものの一瞬にして塵芥と化し、消滅する。規模こそ違うが、その有様は原子爆弾を思い起こさせた。
「捕食ヲ中断されタせいデ、半端ニ刺激してシまったみたいだネ」
「な、何が起こったというのだ……」
「キミノ責任だヨ、粛清者。本物の“エーデルワイス”ガ覚醒してシまったのサ」
「奴がエーデルワイス……だと!?」