『真実の貌』05
緋桐が身に纏う、マジカライズステッキによる無色の鎧。半液体状の質感を有するそれは、緋桐自身の想定を超えて粛清者を手こずらせていた。
いかに半液体状であっても、ただ柔軟なだけでは粛清者が繰り出す打撃を完全に無力化することはできない。加えて、衝撃を緩和する為に必要とされる鎧の質量や密度といったものを即座に計算できるほど、緋桐の頭脳は明晰ではなかった。あくまで鎧の質感は頭に浮かんだ直感的イメージに基づいて構成しているに過ぎない。ではそんな鎧でどうやって粛清者の攻撃を無力化するのか。その問題に緋桐は、爆発反応装甲――いわゆるリアクティブアーマーを再現することで対処した。
鎧の装甲そのものを多層化し、打撃を受ける表面と緋桐を覆う内面の間に、衝撃に反応して爆発する液体を構成したのだ。
これにより粛清者の拳は弾き返されて、幾らかの隙をも与えることができる。爆発によって起きた衝撃は内面の層が分散、軽減する。そのうえ魔法も併用して攻撃の軌道を先読みし、できる限り逸らすことで更に衝撃を軽減する。
緋桐を襲う衝撃は決してゼロにはならないが、粛清者の凶手を生身で受けるよりは遥かに楽だろう。
粛清者が有する戦闘技術のアドバンテージと、緋桐が有する鎧のアドバンテージの拮抗。時間稼ぎを狙う思惑も相まって、戦いは長期化の兆しを見せはじめていた。
「全く……厄介なものだ。リアクティブアーマーとは、年端のわりに小賢しい策を弄する」
「血が滲んでますよ。もしかして昨日の傷、ですか」
「……それがどうした」
「これ以上の長期戦はあなたも私も望んでないはず。ここで手打ちにすることはできませんか?」
「下らんな。魔女の甘言など聞き入れるに値せぬ」
「そうですか……っ!」
僅かに出来た間にすかさず持ち掛けた交渉も、粛清者を相手にしてはまるで取り付く島がない。
粛清者が振るう拳を弾き返しては反撃し、かわされてはまた拳を弾く。延々と繰り返される打撃の応酬のさなか、緋桐はひたすら交渉を成立させる手立てを模索していた。
怪我によって相手の負担が重くなり続けるのと同様に、軽減しているとはいえ、爆発の衝撃によるダメージは常に蓄積し続ける。ただでさえ負担の大きい魔法を併用しているのだから、むしろ長期戦のリスクは緋桐のほうが大きい。
リスク自体は死を覚悟している緋桐にとって瑣末なことだ。だが問題はリスクが呼び寄せる感情――殺し合いの中で芽生え始めている愉悦にあった。
身体にダメージが蓄積するほど、魔法と魔術が脳に負担をかけるほど、粛清者のおぞましいまでの殺意を感じるほど、緋桐の意思とは裏腹に心が沸き立つ。難しいゲームを攻略するように、あるいは大金を賭けたギャンブルに興じるように、生と死の駆け引きから生まれるスリルが、なぜか無性に楽しい。
相手の手の内を読み策を講じる。己のウィークポイントを考察する。そうして徐々に輪郭を現してくる死の感触を求めて、次の一撃を繰り出す。この手で殺したい。命が絶える瞬間が見たい。死が欲しい。
まるで内側からどす黒い感情が溢れ出し、理性の堤防を決壊させてゆくような、そんな恐ろしい予感がしていた。
刹那、ダメージに身体が怯む。思わず晒してしまった隙を粛清者が見逃すはずもなく、緋桐の腕は瞬く間に絡めとられ、組み伏せられてしまった。
「衝撃を与えることで爆発する装甲…………では打撃に依らず、関節を砕けばどうなるのだろうな」
闇雲に殴り合っているように見せかけて、粛清者はリアクティブアーマーの弱点分析を終えていたようだ。彼の言うとおり、中の緋桐自身を痛めつける関節技では、リアクティブアーマーは意味を成さない。
ならば、と緋桐は半液体状だった鎧を瞬時に凝固させる。すでに関節を極められて苦しい体勢ではあったが、鎧のすべての層を固めることで、関節技を強引に中断させることに成功した。だが――
「織り込み済みだ」
粛清者は拍子抜けなほどあっさり手を放す。もしやと思い慌てて半液体に戻そうとする緋桐よりも一瞬早く、粛清者の拳は鎧を打ち貫いていた。
「えっ…………っ゛あ゛……!?」
鎧の中をごう、と衝撃音が轟く。やはり打撃の威力は減じるが、硬質化してしまえば粛清者に砕けないものはない。
鎧を貫通した拳は緋桐の鳩尾に深くめり込み、あばら骨数本を折ったうえに内臓を痛めつけた。
想像を絶する激痛。全身を雷撃が駆け抜けるような衝撃に思考する暇すら奪われた緋桐は、意に反しマジカライズステッキの変身を解いてしまう。
「ぅ゛あ゛…………あ゛……」
「これで終わりだ……!」
無防備に横たわる緋桐の頭に狙いを定め、無慈悲に粛清者が拳を構える。
殺される。死ぬ。死。終わり。甘美にして魅惑的なその響きに、緋桐はふしぎと恍惚を覚えた。今から死ぬというのに、殺されてしまうというのに、どうしてこんなにも愉快なのか。
刻々と迫る“死の瞬間”。絶望と恍惚という相反する感情に混乱する緋桐に、だがそれが訪れることはなかった。
どこからか銃声が響く。何が起きたのか、誰が発したものなのかを緋桐が理解するより先に、今まさに拳を振り下ろそうとしていた粛清者が吹き飛ばされた。
撃たれた? いったい誰に。
思うように動かない身体をなんとかよじり、銃声のした方向を見る。その先には不吉な白い影――――クル・ヌ・ギアの魔法少女が長大なマジカライズライフルを構えていた。