『真実の貌』03
瀬川有栖は悩み事や鬱憤が溜まると、必ずと言っていいほど長谷川小雨の家に押しかけて相談に乗ってもらっている。
有栖が憂鬱げな表情を引っさげて訪ねてきたとき、小雨は決まって紅茶を振舞う。そして相談の内容もおおかたは察してくれているから、心置きなく思っていることを吐き出せる。それゆえに今回ばかりはかなり身構えている様子だが。
「もしかしてお父さんの事で慰めてもらいにきたと思ってる?」
「え、違う?」
「うぅん……違うとも言えないんだけど。どっちかと言うと、お父さんの仕事」
「公安の刑事さんだったんだっけ。秘密が多い感じの仕事なんでしょう?」
「そう、その秘密が多いってトコ。家族にも秘密で遂行しなきゃいけないっていうのも仕方ないんだろうけどさ……なんか納得いかない」
「ずいぶんザックリした愚痴だね……」
「お父さんが死んだのはすごく、辛いけどさ…………死因とか、どういう捜査のためにそうなったのかとか何もかも隠されて、死んだことすらしばらく知らされてなかった。それでただ一つわかるのは“犯人に責任能力が無いからまだ裁かれもしてない”ことだけって……そんなの納得なんかできるわけないじゃん!」
「まぁ、そう思うのも当然でしょうね……蚊帳の外扱いというのは」
言葉にすればするほど、やり場の無い憤りは膨らんでいく。
どうあっても中学生ごときの手に余る問題。部外者ながらそれをぶつけられる小雨には、尚更手に負えないことだろう。ただの八つ当たりに過ぎないことをしている自覚は有栖とて弁えている。だが有栖の憤りはもはや歯止めが効かないほど滾っていた。
「じゃあ……逆に訊くけど、それで有栖はどうしたいと思った?」
そんな有栖の想いを察してか、少々の間を置いて小雨が問い返してくる。
「え……それは……。急にそんなこと言われても……」
「どうしたい、と思ったの?」
小雨は優しい眼差しで、しかし毅然と問いかける。峻厳さと包容力を同時に思わせる、不思議な目だった。
「…………正直、ああいう大人の世界の隠し事なんて知ったこっちゃない。規則だとか機密だなんてぜんぶ洗いざらい暴いて、犯人だって自分の手で裁きたいって」
「そう。正直に言ってくれて嬉しいわ。でもそれが正しくないことだというのは、有栖ならわかるでしょう?」
「うん……当たり前だよね」
「こう考えたらどう? 有栖のお父さんの仕事が秘密だらけなのは、娘のあなたやお母さんを巻き込みたくないから」
「私たちを守るために……か」
「有栖たちに何も教えられないって言う仕事仲間の人たちも、気持ちは同じなんじゃないかな? 世の中そんなに悪い人ばかりじゃないと私は思うわ」
何も言い返せない。
彼女の見解は至極まっとうな理に裏打ちされている。実際、有栖もそう考えなかったわけではないが、頭では理解しつつも、腑に落ちぬ気持ちの裏へそれを押し隠してしまっていた。
ある意味、もっとも有栖の本心に近い帰結。それを小雨は気持ち良いまでにはっきりと突き返してきてくれる。本当は彼女の口を借りて頭を冷やしたいだけだったのかもしれない。
小雨はどんな愚痴も受け止めてくれるし、大抵のことはうんうんと頷いて同調してくれるが、有栖が間違ったことを言えばきちんと諭してもくれる。相変わらず良い相談相手だ。
「……やっぱり小雨は大人だ」
「有栖だって本当はそれがわかってるから、こうして相談することで消化しようとしてるんでしょう?」
「そうやってフォローのつもりで核心を突くから、また私と小雨の差を感じさせるの! うにゃーー! なんか自分が情けない!!」
「切り替えが早いのも有栖の美徳よね」
「またそうやってフォローしてくるぅ!!」
本心を代弁してもらうために相談を持ちかけているのに、言い当てられるとそれはそれで悔しい。相変わらず私は子供だな、と改めて思う。
相談がひと段落つくと、見計らったかのように長谷川家の電話が鳴りだした。
「ちょっと電話取ってくるね」
「はーい」
ティーカップにまだ半分ほど残る紅茶を一気に飲み干し、小雨はせっせと部屋を出ていく。
丁度一人で気持ちを落ち着けたいと思っていた有栖は、とりあえず外の空気にあたるべくベランダに出た。長谷川家の眼前にある公園では、親子らしき男性と子供がフリスビーを投げ合って遊んでいる。二階のベランダからなので子供の顔まではよく見えないが、表情を確かめるまでもなく、身振り手振りから愉快げな雰囲気が伝ってきた。
何の気なしに、仮にあの子供が父を殺されたとしたら、と不謹慎な想像が膨らんでしまう。きっと自分と同じように泣いて、塞ぎ込んで、やるせない気持ちに憤るだろう。あの子がそんな風に荒んでしまう姿は見たくない。
葬儀のときに自らが口走った言葉がふと去来する。――お父さんは私のことをどう思っていたんだろう――。もしかしたらこれが一つの解なのだろうか。
「おまたせ。ん、外になにかあった?」
意外にも早く戻ってきた小雨が、不思議そうな面持ちで尋ねる。
「……別に。早かったね」
「お母さんが、いつもより早く仕事を切り上げられそうだ、って」
「あぁ……私は帰ったほうがいい?」
「んーん。全然」