表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

『真実の貌』13

 日が暮れてから有栖と別れ、午後の八時を過ぎたころになっても母親が帰ってこず、連絡すらないとなると、いかに気が長い長谷川小雨でも不安になる。最後の連絡が『仕事を早めに切り上げて帰る』という旨だったというのに、むしろ普段よりもずっと帰宅が遅い。なにか不測の事態が起こったであろうことは間違いないだろう。そしてその疑惑は、テレビの報道番組が告げる“都市部で起きた謎の災害”によってより深刻な確信を帯びる。

 母の携帯電話には通話が繋がらない。会社側の電話番号も同じ。回線が混雑しているのだろう。

 小雨はいてもたっても居られず、我が家を飛び出した。決して懸命な判断とはいえない。入れ違いになるかもしれないし、何より現場周辺はまだ混乱しているはずだ。それも重々承知したうえで、しかし家を出ずにはいられなかった。騒乱の中で携帯を紛失しただけかもしれない。最寄りの病院にいけば、運び込まれているかもしれない。小雨とてそんな淡い希望に目が眩んでしまう、年相応の少女だった。

 災害の現場は街では南西のほうにある都市部。小雨の家がある住宅地から川沿いに上っていった先だ。普段なら電車に頼るところだが、今は交通機関の類はあてにならないだろう。距離としては少々厳しいが、自転車を使うことにした。

 駆け抜ける近所の住宅地は、この非常時にも関わらず驚くほど沈まりかえっていた。皆、外出を控えているのか、それか避難しているのか。なんにせよ災害の影響であることは間違いない。

 秋の木枯らしが頬を叩きつける。乾いた空気が、短く呼吸を繰り返す喉を涸らしていく。痛いほど心臓が収縮していた。昼間、余裕の態度で有栖からの相談に受け応えていた自分が、今はひどく憎たらしく思える。肉親の死を連想するだけで、嘔吐感を覚えるほどに怖い。

 ふと、泣き腫らした目にごみが入り、前を見ていられなくなる。自転車が電柱にぶつかり、小雨は投げ出されるかたちで転倒してしまった。肘と膝を剥き出しのアスファルトに打ち付け、頬もほんの少し擦れる。即座に立ち上がろうとしたが鋭い痛みが関節を貫いて、しばらく蹲る他なかった。

 私は一体何をしているんだろう。馬鹿みたいだ。

 閑寂たる川沿いの路地に倒れる自分の姿を思い描き、情けない気持ちになる。家を出たその時から分かりきっていた。現場に飛んでいったところで収穫などあるわけがない。この不安を払拭しうる術など、少なくとも今はないと。少しでも気持ちを紛らわせたくて闇雲になっていただけなのだ。すべて分かりきっていながら走り出したはずなのに、転んだだけで簡単に屈してしまう自分が、この上なくみっともない。

 感情が徐々に落ち着き、悲観にも似た冷静さが呼び起こされていく。

 やはり家に戻ろう。せめて一晩は待たなければ判断のしようもない。これ以上の暴走は他人様に迷惑をかけるだけだ。

 無事なほうの手足を使ってぎこちなく起き上がり、顔を見上げた刹那、視線の通り過ぎた箇所に違和感を覚える。川の対岸、生い茂る雑草の群れに小さなくぼみ。そこに埋もれる茶色がかった後頭部。人だ。

 災害は川の上流のほうで発生した。ならば今そこにいるのは、川に落ちてここまで流れ着いた被災者か。考える余地はなかった。つい直前に失われたはずの衝動とも言うべき激情が、我知らず小雨の身体を動かした。

 救わねばなるまい――――。それは衰弱する命を前にしたならば誰もが選ぶべき、人として当然の使命だ。だが小雨を突き動かす感情はそんな正義感や義務感でなく、寄る辺ない心の悲鳴だった。

「大丈夫ですか? あの、返事をしてください! 意識があったら……お願いですから!」

 橋を渡りながら、掠れた声で呼びかける。近付いていくにつれ、その人影がだんだんと小雨とそう変わりない背丈の少女であることが分かりはじめる。しかも全身が赤く滲んでいる。相当な重傷者に違いない。

 川縁へ続く階段を半ば転がるように駆け下りる。雑草を掻き分けどうにか辿り着ても尚、少女は小雨の呼びかけに応えようとしない。だが背中はわずかに上下している。息はあるようだ。

 夜風が背筋を撫でた。全身を濡らしたままでいれば、今は息があっても遅かれ早かれ凍え死ぬだろう。川から引き上げるなり、着ていたカーディガンを迷わず少女にかけてやる。そこまでして、ふいに不安が襲った。怪我を負った上に家からはすでにだいぶ離れてしまっている。決して体力に自信があるほうではない小雨が、果たして一人でこの少女を担いで自宅まで戻れるのだろうか。

 慌ててズボンのポケットを探る。携帯電話の膨らみは確かにそこにあった。慌てて家を飛び出したために携帯電話を取ることも忘れていたが、運が味方した。すかさず電話帳から瀬川有栖の項目を選び通話する。小雨が頼れるのは今、彼女しかいない。

『もしもし、小雨? 帰ってからテレビ見た? 向こうでなんか災害があったって……』

「今、その被災者を拾ったところなの。私も怪我をしてて一人じゃ運べない。今から来てもらえる?」

『なっ……何処!? すぐ迎えに行くから。一人で無理しないでよ、マジで!』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ