『真実の貌』12
どたどたと荒々しい足音。あちこちから誰かに呼びかける声。いやに切迫した喧噪に目を覚ました枝里の視界に、最初に映り込んだのは真っ白な天井と紗雪の顔だった。紗雪の顔は能面のように表情が抜け落ちていて、内心ぞっとした。
徐々に意識がはっきりしてくるにつれ、記憶が蘇ってくる。無数の少女が命を散らした殺戮の光景だ。クル・ヌ・ギアの奇襲を受け、魔法少女も事務員も、枝里が引き連れていたイシュタルの面々は皆死に絶えた。立ち込める赤い霧とその臭いが鼻の奥に蘇り、思いがけず吐き気を催す。吐瀉物を収めるバケツなどあろうはずもなく、咄嗟にベッドの脇へ撒き散らした。
吐き気が収まり、改めて紗雪のほうへと向き直ったが、彼女は相変わらず無表情のまま。枝里が目覚めたことにも遅れてやっと気付いた有様だ。
「ああ、目覚められたのですね」
「……ここは、病院?」
「枝里さんだけが辛うじて息をしていらしたので」
「…………ごめんなさい」
「なにを謝ってらっしゃるのですか?」
あの凄惨な状況を目の当たりにしたのなら、紗雪が塞ぎ込んでしまうのも無理からぬ話だ。しかしそれにしては、あまりにも淡泊すぎる反応が引っ掛かる。まるで心がここにあらず、別のことに意識が囚われてしまったままのよう。
ふと、紗雪がなぜ生きているのか不思議に思った。イシュタルに残った魔法少女たちは皆、殺されてしまった。
――――ああ、そういえば朱莉ちゃんと紗雪ちゃんだけクル・ヌ・ギアの下部組織を捜査しているんだった。
紗雪の隣に朱莉の姿は見当たらない。本部が奇襲されたことを悟って、ひとまず彼女だけ駆けつけたということだろうか。否、たった二人の戦力を分断する理由としては妥当ではないし、彼女らはもっと聡明なはず。それに連絡をしていなかったのだから、そもそも本部で起きた事について知る由すらないはずだ。
純粋な疑問。何の気なしにそのこと訊いてしまったことを、枝里はすぐに後悔した。
「朱莉ちゃんは、どうしたの?」
「…………殺されましたわ。下らない連中に。全くの無抵抗で、身体中を汚され、壊し尽されて……ボロ雑巾のように朽ち果てていました」
「っ…………」
そこでようやく紗雪の空虚な面持ちに変化が生じた。感情をせき止めていた堤防に亀裂が入り、涙がぼろぼろと零れ落ちる。傷を負い、その痛みに気付いた子供が、徐々に余裕を無くすように。
凛と澄ました佇まいに、物腰柔らかな人当たり。そんな平素の優雅な彼女の姿は見る影もない。そこにいるのは、苦痛に顔を歪ませる哀れな子供に他ならなかった。
枝里には彼女をなだめることすら出来ない。たった一日のうちにあまりに多くの命が失われすぎて、どうしても現実味を感じられなかった。
言葉を失い、縋る先を求めるように辺りを見回すと、まるで巨大な災害が起きた直後のように、廊下を無数の怪我人が運ばれていくのが見えた。枝里のいる病室は異能組織に特別に用意された部屋の一つなのだろう。よほどの非常事態であるらしいにも関わらず、貸し切りの状態だ。
病室に備え付けられたテレビを見やる。液晶越しに映る見慣れた大通りは、戦場の如く荒廃していた。