『真実の貌』01
MAD――脳の術的感応機能を拡大し、アカシックレコードへの接続を強化することを目的として開発された薬剤。
脳のキャパシティを超過する術詛の流入は服用者の精神を蝕み、強烈な依存性とともに様々な異常をもたらすことが判明、以後は指定薬物として協定から厳しく規制されることとなったが、独自のルートを確立したクル・ヌ・ギアでは未だに生産され続けている。服用直後は短時間ながら強烈な幻覚症状を引き起こし、恍惚感が失せたあと、数時間にわたって魔術・魔法能力への高い覚醒作用が確認される。また、これを用いた洗脳・統御の効果は絶大とされている。
幻獣・エレシュキガルは早い段階からMADの有用性を訴えており、規制された現在もなおクル・ヌ・ギアの手によって少なからぬ量が流通している。
魔法少女ヒギリ×シルヴィア 『真実の貌』
魔法少女を無差別に手に掛けんとする粛清者は、その存在自体が緋桐にとって解せないものであった。クル・ヌ・ギアのような犯罪組織のみを殺しの標的にするのであればまだ理解も及ぶが、彼らは社会秩序の守護を務めとするイシュタルの魔法少女にまで、とかく無差別に殺意を向ける。そこに損得勘定などはなく、あるのは異能に対する憎悪のみ。仮に異能によって人生を狂わされた事が動機なのだとすれば、それは魔法少女たちだって同じだ。きっと誰しも望んで異能社会に踏み入りはしていないだろう。八つ当たりのつもりなら殊更に度し難い。
時間稼ぎのため粛清者に立ち向かう緋桐の内心では実の所、憤りよりも懊悩のほうが大きい。出来ることなら和解の道を探りたいとすら僅かに思ってしまう。しかし闘いに求められる思考はまた別だ。事によってはシルヴィアをも上回るであろう狂戦士を前にして、和解などと甘えを抜かす余裕はあるまい。
緋桐の目的は勝利ではなく敵の足止めにあり、ほかの魔法少女たちが結界外へ退避するまでの時間を稼ぐことこそが主眼。しかし半端な戦い方ではまずもって相手にならない。故にこちらも最大限の殺意をもって事に当たらねばならない。
躊躇いを押し殺し、憤怒と憎悪を掻き立てる。だが決して怒りに身を任せるわけではない。あくまで最も有効な手筋を冷徹に探るのだ。
昨日発掘現場を襲撃した粛清者は、無手での格闘戦に特化していたという。同一人物という確証はないが、見た所これといった武装もないようなので、おおかた同じようなスタイルを取るのだろう。俗に縮地法といわれる技能によって眼にも留まらぬ速度で移動できることと、数こそ少ないが隠し持った小型のクナイを投擲して遠距離の敵を正確に射抜くらしいことも分かっている。遮蔽物のない一直線な廊下でへたに後退しようものなら、まず一瞬で仕留められるだろう。
マジカライズライフルの掃射で敵の足元を牽制しながら、緋桐は真正面から接近していく。一方の粛清者は縮地を駆使して左右に回避しているが、こちらへ前進する余裕まではないらしい。それを良いことに緋桐はあっという間に残り六メートルほどまで近づいた。だがまだ足は止めない。
残り五メートルほどに至ったところでマジカライズライフルが変身し、銃床とサプレッサーだけが伸びた歪な形状になる。残り四メートルで徐々に銃把やマガジンが萎んでいき、三メートルにまで迫ったころには、銃口とトリガーのみを残しただけの棒と成った。
緋桐は銃棍とでも呼ぶべきそれを慣性にのせて右から突き出した。粛清者は銃弾をかわすのと同じ要領で左へ縮地して回避すると、すかさず銃棍を打ち払いさらに間合いを詰めようとする。しかし続く薙ぎ払いが接近を許さず、それも身を屈め回避した粛清者めがけてまた返す薙ぎが迫る。手掴みにして受け止めた粛清者は今度こそ機を得たり、と再び接近を図ったが、緋桐は即座にマジカライズステッキを多節棍へと変身させ、また薙ぎ払いで接近戦を拒否する。
展開はほぼ緋桐の思惑通りだった。粛清者の超越的な体術に対する、魔法少女独自のアドバンテージ。最初の事件でシルヴィアが見せた戦法。
無手の相手は、縮地法こそあれどやはりごく狭い間合いでしか戦えず、またこちらの得物次第で攻め手も限られる。だが技術では圧倒的にあちらが上回るため、たんに長物を手にしただけでは有利足り得ない。そこで優位性を付加するのがマジカライズステッキの変身機能だ。質量を問わず使用者が思い描く通りの形状と機能を再現してみせるマジカライズステッキなら、戦況ごとに有利な得物を思うままの形で顕現させられ、どの瞬間からでも反撃へ繋げることができる。ディスアドバンテージは無に等しい。
「……っ!」
これには流石に虚を突かれたらしく、粛清者は一旦攻撃をあきらめ、薙ぎ払いを避けて間合いの外へ脱しようとする。間髪容れず緋桐が棍を突き出すと、ライフルの名残たる銃口から追撃する魔弾が発射された。
殺意を弾丸として放つ魔法の銃に精密な機構など不必要だ。棍のリーチを補強する、比較的狭い範囲での射撃を目的としているため、命中精度を意識した形状をとる必要もまたない。
この非常識極まりない銃撃もすんでの所で避けた粛清者は、息つく間もなくみたび攻勢に出る。緋桐も迎撃せんと銃口と対の先端を鎖鎌に変え振るう。が、粛清者はそれを予見していたかのように淀みなく回避すると、また接近を再開してきた。続いて銃口側を方天戟に変えて突き出すが、なんとこれも最小の動作で避けてみせる。戟のリーチはそのままに長刀に変身させて振り下ろすも、やはり同じだ。
あまりにも淀みない回避を目の前にして、緋桐は最悪の予感が的中したことを確信する。粛清者はこの短時間で、マジカライズステッキの変身に要される一瞬のタイムラグを見切ってしまったのだ。変身の開始を確認し、完了から攻撃に転じるまでの僅かな隙を見極めて、先読み的に回避行動を取る。人間業では到底成し得ぬこの対抗策を、たった三手で確立させてしまうとは。
やはり彼の戦闘センスは異常だ。粛清者はすでに刀剣で迎撃するにも心許ない間合いまで迫っている。
いよいよ追い詰められ、余裕を失った緋桐の思考は、だが不思議と冷静さを失っていなかった。
意を決した緋桐は一か八か、長刀を一気に縮め、不定形のゲル状に変化させたマジカライズウェポンを自らの身体に纏わせることにした。瞬く間に緋桐の全身を覆ったそれは、若干の厚みを帯びて透明な鎧を形成する。
とっさの機転――マジカライズステッキ本来の用途として恐らく想定されていないであろう鎧の形態。成功するか否かは賭けだったが、どうやら難なく完了したようだ。
相手の予想より数段早く無手を選んだ緋桐は、ほんの一刹那だけ生じた間合いの食い違いを見逃さず、片足を踏み出して渾身の打撃を突き入れた。
感付いた相手が急速に回避行動を取るも、もはや間に合わない。直撃こそ逸らされてしまったものの、緋桐の拳は粛清者の肩にとうとう命中した。
「ほう…………その詭計でもってでどこまで我に食い下がれるかな?」
「…………やっと口が開きましたね」
手応えはさほど感じられない。だがこれまで感情を一切表に出さなかった粛清者が初めて、半ば感心するような言葉を吐いた。その口ぶりはまだ余裕に満ちている。