リアン
リアンというその男の生活は変わっていた。
車で週に1度、食料を買いに行くほかは他の人間と一切触れない。
一人家にいて、毎朝きっちり6時に起きて8時に寝る。
窓からダイアモンドヘッドを眺めたり、庭仕事をしたり、ただ読書をしたり。
しかし、そこにある空気はとても暖かく、一緒にいると不思議と心地良かった。
会話を特にするわけでもない。ジルも時計が止まったかのような其の時間を楽しんだ。
思えば、こんなにゆっくりと空を眺めたことのは久しぶりだ。
気分の良い夜は、庭にあるハンモックに揺られながら、男がウクレレを奏でた。
ウクレレに合わせて歌うハワイアンソングは甘く切なく、島に溶けていくようだった。
食事の前には手を合わせて今日の食事がある喜びを確かめた。
昔、人はこうやってアースに生かされていることを感謝していたのかもしれない。
大地に生えた植物を中心にした食事は不思議と優しい味がして、心が安らかになった。
音が何もしない夜は庭に出て星を眺めた。そよそよと吹く風に乗ってかすかにプルメリアの花の香りがする。
テトもしばらく南国の静かな生活を楽しんでいるようだった。ジルは故郷に戻ってきたなと心から思った。
僕は確かにここで生まれここで育ったんだと、僕のいるべき場所はやはりここなのかもしれない。
僕は大地に生かされている。アースの息遣いを感じたような気がした。
ピュアソウルが二人も同じ家にいるとあって、神々が覗きにきたのか、不思議なことが起こる日もあった。
顔をなでられているような風や、ダイアモンドヘッドの後ろ側に大きな男が見えることもあった。
朝日を見ているとテトとは違う形の小さな妖精がエンゼルトランペットを吹いて帰っていったりもした。
“時間がかかるな”
数日たった日、テトがふとつぶやいた。
リアンとジルは早朝のビーチを散歩しに来ていた。
リアン取って置きのビーチには人影がない。
真っ白い砂浜、海は朝日をあびて銀色に輝いていた。
波のない穏やかな海だ。
“待っているのもあれだからさ、こっちから仕掛けてみるかな。”
ジルはテトの言っていることがよくわからなかった。
“仕掛けるってなにを?”
“例えばさ。”
リアンが波際で杖をつきながらゆっくり歩いているのを見ながらテトが指をぱちんとならした。
急に強風が吹いた。リアンは体をふらつかせる。
それと同時にリアンの身長の2倍ほどある高波がリアンの背後に迫った。
“危ない!”
ジルが思わず叫んだ。あの足では逃げられない。
リアンは高波に気付いていない。だいたい、いつも穏やかなこの海でこれほど大きな波が起きるなど想像もしないだろう。
“ダメだ、波に飲まれる”
ジルの慌てぶりとは裏腹にテトは平然とそれを見ている。
高波がしぶきを上げてリアンの背後にせり上がり、リアンの体を飲み込もうとした瞬間。
ぴたっと風がやみ、波がすーっと収まった。
“なんだったんだ?”
ジルには意味がわからない。テトが
“あれ?おかしいなぁ。”
とつぶやきながら首をかしげた。
“おかしいなぁってテトがやったのか?”
“ああ、だってさ、近いうちに死ぬんだから待ってなくてもいいかなと思って”
“なんだよそれ。妖精ってそんなことしていいのかよ”
ジルが怒りを感じて言う。
“緊急事態で時間がないんだ。”
テトがなんでもないことのように言った。
“でも、おかしいな。ちょっと調べよう。”
テトがそう言って眼をつぶってなにやらぶつぶつ唱えている。
“無理やり命の結晶を作るなんて妖精じゃなくて死神じゃないか。”
ジルは納得がいかないようにテトの周りをうろうろしている。
“まあ、落ち着けよ。”
テトはそういって、またぶつぶつ唱えている。
“そっか、そういうことか。”
眼を開けるとテトがそういった。
“時間がなくても待つしかないな。”
テトが残念そうにいった。
“説明してくれよ。”
ジルがいらいらしながらそういった。
“ピュアソウルにはさ、強力なガーディアンが付いているから、無理やりは無理だな。”
“守護霊みたいなものかい?”
“簡単にいうとそうだな。魂の応援団だ。一人ずつ皆にいるけど、ピュアソウルともなると力が強力だ。
こりゃ、自然にいくのを待つしかない。”
テトはそう言うと諦めたように手をふらふら振った。
“仕方ないな。これで人間の絶滅が防げなくても。”
ジルは複雑な想いでこの美しい妖精を見つめた。
“いじわるな言い方をするなよ。”
“今頃気付いたのか?俺は妖精の中じゃ、飛び切りいじわるなんだ。”