清め
そんな生活が一週間続いたある日、ジェニーはついにベッドから起きあがれなくなった。
ついにその日が来たとジェニーは悟った。体が鉛のように重い。
“ごめんなさい。ジェイ。今日は調子が悪いわ。”
“大丈夫かい?ジェニー。今日はベッドにいたほうがいい。
シェフになにか作らせよう。きっと環境が急に変わったから疲れたんだ。”
ジェイは優しく言った。
“新鮮な空気を入れるよ。”
ジェイがいって窓を開けると、虫のようなキラキラした親指ほどの物体が飛び込んできた。
“な、なんだ。”
ジェイが驚いて眼を見開く。
“テト。”
ジェニーがつぶやいた。
“テト?ああ、なんてこった。妖精なのか?”
ジェイが驚いたまま口をぽかんと開けている。
“おお。すごい進歩だな。ジェニーと一緒にいて、清められたか。僕がみえるなんて。”
テトが楽しそうに言った。
“テト。今日がその日なの?”
“さあ、君が一週間後っていったから、僕は来た。それだけ。きっと君のほうがよく知っている。”
“な、なんなんだ。まったく。今日がなんだっていうんだ。”
訳がわからないことに少し苛立ちながらジェイが部屋をうろうろする。
“ジェイ、落ち着いて、ジェイ。話があるのよ。”
ベッドの側に寄ってきたジェイにジェニーが優しく話しかける。
“ジェイ、私にはね、少し特別な能力があって。わかるの。”
“なにが、なにがわかるっていうんだ?君は具合が悪いんだ。今日は休んでいた方がいい。”
“ジェイ。私は多分、今日死ぬわ。”
“な、なんだって?”
“私にはわかるの。多分今日よ。”
“おお、なんてことだ。僕は信じない。
君はまだ若い。昨日まで元気だったじゃないか。たとえ、急に妖精がきたって僕は信じない。
妖精がきたら死ぬなんて、まるで死神じゃないか。”
ジェイはすっかり取り乱し、テトを追いかけまわしだした。
“そんなきれいな姿をして、お前は死神か。ジェニーを渡しはしないぞ。”
鬼の形相でテトを追いかける。
“勘弁してくれよ。ジェニーなんとか言ってくれ。”
テトは動きの緩慢なジェイの動きを交わしながらジェニーに言った。
“ジェイ、違うのよ。私が今日かもしれないと言ったから、テトが来たの。順番が逆なのよ。”
ジェイが肩を落として、ジェニーの側に戻ってくる。
“君は死ぬ時期を知っていたといったよな。”
“ええ、予感よ。”
“僕をだましたのか。死ぬとわかっていて、1週間我慢すれば教会が救えると、そうわかっていて結婚したのか。”
“ジェイ。ごめんなさい。でもね、死ぬとわかっていたからあなたと結婚したわけじゃないわ。
信じて、この1週間の穏やかな日々を思い出して。何かを無理やり手に入れようとすれば必ず自分に返って来るわ。
けれど、信じて。私は望んであなたといたということを。”
ジェニーの声は次第にかすれていく。ジェイの手を握り、髪をなでる。
“あなたの孤独がいえますように”
そう最後にいうと女神のような頬笑みをジェイに送った。そしてすーっと眠るように息を引き取った。
“ああ、僕の女神。ジェニー、ジェニー。”
ジェイが取り乱す。
“ジェニー、ジェニー。僕の宝物。僕をだましたのか?死ぬとわかっていて僕を利用したのか?”
ジェイの嘆きようをなだめるようにテトが言った。
“ジェイ、聞いてなかったのか?ジェニーは望んで君といることを選んだ。貴重な死までの一週間。
愛する子供たちや生まれ育った家にいることを選ばずに君に全ての時間をあげた。
そのジェニーを疑うのか?
心が洗われたのを感じなかったか?見えなかった妖精が見えるほど清められた魂で君は疑うのか?
彼女を信じないでこの世の何を信じられるというんだ?”
テトがジェイを落ち着けるように優しく諭す。
“ジェニーが最後をかけて過ごした時間を否定するのか。”
涙にくれたジェイが肩を落としながら静かになった。
“いいや。”
ジェイは目を閉じてジェニーといた時間を噛締めるようにいった。
“決して否定しない。この一週間は本物だった。
この一週間ほど心が癒された時間はなかった。僕はついに女神を手に入れたと思ったよ。”
テトは静かにうなずいて、ジェニーの胸元に舞い降りると祈った。
ジェニーの胸からすーっと白い光が天に伸び、純度の高い清らかな結晶が胸元に転がった。
“ジェイ、気づいたか?本物は人の心を動かす。ジェニーに会えたことに感謝しろ。
君はジェニーに選ばれたことを誇りに思えばいい。”
“僕は、僕の人生はジェニーに誇れるほど清らかじゃなかった。
ジェニーにあって、何が大切なのかを思い知ったよ。本物の愛に心を打たれた。
何もなくても一緒にいるだけでこんなに心が安らかになったことはない
。僕は、ジェニーを無理やり手に入れたというのに、神はそんな僕を罰したのだろうか。
無理やり手に入れた宝は無理やり奪われてしまった。”
ジェイは悲嘆にくれた。
“物事には原因と結果がある。自分の行いは必ず自分に帰ってくる。
けれど、これは呪いではない。
人生はいつだって気づいた瞬間からやり直せる。
君はこれからジェニーに誇れるように生きればいい。ジェニーも喜ぶよ。
そして、君が人生を全うして生き抜いた後、また会えばいい。楽しみは後にとっておけ。”
テトは言った。