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ハワイアンソウル  作者: Natary
ジェニー
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安らかな日々

穏やかな日々だった。ジェニーは仕事を休んでいた。


“もう、ナースは辞めてもいいんじゃないか?”


ジェイが言った。自分を待っているであろう妊婦たちの顔が次々と浮かんだ。

けれど思い直す。そうだ、時間がない。私には時間があまりないのよ。


不思議と焦りはなかった。とにかく今はこの人を。

この人の孤独をなんとかしたい。ジェイはこの結婚の決意を思い出していた。


“そうね。考えておくわ。”


ジェニーが優しく言う。何事も頭から反対しない穏やかな性格のジェニーと一緒にいるだけでジェイは癒された。

愛されているんじゃないかと錯覚するぐらいジェニーはジェイに優しかった。

ジェニーはどんなことにも感謝と喜びを表現した。

一緒にいてこんなに気持ちがいい女性は初めてだ。ジェイは心が優しく満たされていくのを感じた。

二人きりの時間を邪魔するようにたびたびジェイの秘書が家を訪れた。


“社長、例の件ですが、先方がなんとか考え直してくれとしつこくて。”


ほとほと参ったようにジェイの秘書が分厚い手帳を抱えながらやってきた。


“オレがノーといったらノーだ。あの件は手を引かない。どんな手を使ってでもあの物件は手に入れろ。

金のなる木だ。徹底的に価格をたたいて、現金を目の前に積んでやれ。”


ビジネスの話をしているジェイをジェニーは少し悲しげに見つめた。


“担当者は誰だ?”


“この担当はジミーです。”


“ジミーか。失敗したらくびだと伝えろ。成功報酬は弾んでやる。”


ジェイは社員にも常にハイリスクハイリターンの精神を求めた。

くびをかけて仕事に取り組めば、社員は必死になった。

そうやって結果を出したらどんとボーナースを弾んでやる。


社員も所詮金だ。


金を積んでやれば人は動く。

ジェイの考え方はある意味正しいのかもしれない。

けれどジェニーはジェイの虚しさや寂しさを作り出している原因に気付いて欲しいと願っていた。


“ジェイ、お金の話はもういいわ。あなたはもう充分持っているし。”


ジェニーがジェイの髪をなでながら優しく言う。自分には時間がない。

この人の心を少しでも癒してあげたい。ジェニーは仕事を一週間休むよう提案した。


“お金とビジネスの話をあなたの頭から一度消したいの。”


新妻の初々しい願いをジェイは聞き入れた。仕事のことを少し忘れてジェニーと過ごしてみよう。

ジェイは秘書に細かく指示を出した後、携帯電話の電源を切った。


“ジェニー、今日は何を食べようか?”


毎日些細な会話が楽しかった。


“そうね、一流シェフにはかなわないけれど、私が作るってうのはどうかしら?”


“パーフェクトだ。”


ジェイが言う。


“あなたも一緒に作るのよ。”


“えっ?”


ジェイは面食らったように言う。

ここ数十年、専門のシェフに食事を任せるか行きつけのホテルに行くぐらいで自分では作ったことがなかった。


“一緒にやれば楽しいわ。”


ジェニーの言葉一つずつがジェイには新鮮だった。

ジェニーは決して贅沢を望まなかった。

一夜にして大富豪の妻となったのに、ジェイには不思議なことだった。

結婚指輪にダイアモンドをねだるわけでもない。せっかく仕事を休むのだ。新婚旅行に豪華客船での世界一周を考えていたジェイは


“キャンセルして。一緒にお家にいたいの”


といったジェニーの言葉に耳を疑った。


“本当の友人でないなら、パーティーも遠慮するわ。

あなたの顔を潰すつもりはないのだけれど、あなたとお家でゆっくりしたいの。何もいらないわ。”


そんなことを言った女性は初めてだった。

ジェイの側にくると女性は必ず何かを欲しがった。宝石のときもあれば、豪華な食事の時もある。

高級ブティックでの買い物の時もあれば、贅をつくした旅行の時もある。

女性たちは何かを欲しがるものだという常識がジェニーによって覆された。

ジェニーに促されるように照れくさそうに一緒にキッチンに立つ。

慣れない手つきでにんじんの皮をむくジェイを楽しそうにジェニーが見ている。

シェフたちも普段笑顔の少ないボスの楽しそうな姿に興味深々だ。


“あの方も、あんな風に笑うんだな。”


シェフの一人がしみじみと言った。


“僕らが何十年修行したってさ、愛する人の手料理にはかなわないのさ。”



決して上手とはいえないごろごろしたニンジンが入ったポトフの味は最高だった。


“こんなにおいしいポトフは初めてだよ。”


ジェイは関心したように言った。


“自分で作るとおいしいでしょ?特別なスパイスが入るからよ。”


“特別なスパイス?”


“マナよ。マナがたっぷりと入るの。”


マナか。これがマナの味か。ジェイは子供の頃、母親が作ったスープがあれほどおいしかった理由を知った。


“家庭料理にはマナが入るからおいしいんだな。”


極上のシャンパンよりも、世界の三大珍味よりも、チャンピオン牛のステーキよりも僕は死ぬ前にこのポトフを食べたいと思う。


ジェイが言った賛辞にジェニーは頬を赤らめる。


“そんなに大げさに喜んでもらうとなんだか悪いわ。”


そんなジェニーがジェイにはかわいくてたまらなかった。僕は人生の最後に女神を手に入れた。


ジェニーは本物だ。僕が人生をかけて欲しかったものをジェニーは持っている。

1日追うごとにジェイの疑いはジェニーへの信頼と変わっていった。


そんなジェイをジェニーは少し悲しげに見つめた。

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