迷い
この教会の財政難は深刻で、8人の子供たちの世話も限界を迎えていた。
心ある人たちの誠意の寄付でなりたっていたこの施設も、
経済状況の悪化で寄付が激減し、子供たちの生活に暗い影を落とした。ジェニーのようなボランティアだけでは支えきれなくなっていた。
アンクルジェイと呼ばれるこの老人は毎年多大な寄付をしてくれる一人で、
ハワイが好景気だったころ、不動産売買で一生贅沢しても使いきれないぐらいの大金を手にしたミリオネアだった。
多くのお金持ちがそうであったように、本当に信頼できる家族が作れず、
お金目当てで近寄ってきた前妻は結婚後わずか1年で正体を現し、離婚裁判でもめにもめて以後、
すっかり懲りてしまったジェイはその後結婚を敬遠し、自由気ままに生きてきた。
けれど、70を過ぎて、孤独が身にしみるようになっていた。気づけば心許せる友人もいない。
ビジネス上のつきあいで擦り寄ってくる人たちは数多くいるが、プライベートの時間を一緒に過ごしたいと心から思えるパートナーが欲しかった。
どうせ長くはないのだ。最後の時を一緒に過ごしてくれる女性に全てを譲ろう。
ジェイはこの孤独からとにかく逃れたかった。
毎晩のように飲みに出歩いて派手にお金を使っても、家に帰ってふと一人になるときに襲ってくる孤独に耐えられなかった。
愛している人に側にいてもらいたい。僕の最後を看取ってくれる人を探そう。ジェイは本気でそう考えた。
ハワイで観光バスが出るほど豪邸が並ぶカハラ地区。
緑の木々に囲まれ、ダイアモンドヘッドに程近いこの道沿いには立派な門構えの豪邸が立ち並んでいる。
ジェイが今回眼をつけた物件はそれほど大きくはないが、海に面した側のよく手入れされた住みやすい邸宅だった。
高く売れそうだ。ジェイは直感的にそう思った。
“ミスター、スミス。もう少し高く買ってはいただけないでしょうか?”
必死にすがりつくカハラの豪邸のもと主をジェイは冷たく見つめた。
“これ以上は出せない。嫌なら断ってもいい。”
“そんなこと言わずに。このうちはミスタースミスが支払う10倍のお金を払って手に入れた家です。
事業が失敗したとはいえ、私の大事な資産がこんなに安値では会社の借り入れも返せません。家族がこれからどうしたらいいか。”
“それならば、他の業者を当たればいい。けれど、ミスタージェファーソン。
あなたが希望する日時へ入金できるのは私だけだと思いますよ。”
ジェイのやり方は辛らつだった。
お金に困った相手の足元をつついて物件を買い叩き高く売り抜ける。
不動産売買はそれが鉄則だとジェイは信じていた。
そこに感傷など無駄なだけだ。
ビジネスで生き残れなかったものは負け犬だ。
即金で物件を買い取るやり方は乱暴だか、お金に困って不動産を売りに出すオーナーたちに支持を受けるのも事実だった。
将来の利益より目の前のカネに人の心は動く。ジェイは札束で人の頬をなでるようなビジネススタイルで資産を築いてきた。
“所詮、金で買えないものはないのか。”
事業が成功するとともに広がる虚しさ。
自分の冷めた信念を誰かに否定してもらいたくて突っ走ってきたのかもしれない。
けれど、ジェイの本音とは裏腹に、予想を裏切らず、皆金で動き、金にひざまずいた。
世の中は金じゃない。そうジェイも信じたかった。けれど、それを証明するような事柄は一つも起こらなかった。
金があるから、ジェイのもとには人が集まり、金があるからパーティーの中心にいる。
金があるから政治へも影響力をもち、金に眼がくらんだ美女たちがジェイを取り囲んだ。
いい女も、家も、車も、友人も全てが僕の金を目指して集まってくる。まるで真っ暗な夜、光を求めて集まる虫けらのように。
金の匂いに群がってくるんだ。ジェイは金を武器にしながら、どこかそんな連中を軽蔑していた。
初めて本当の恋をしたと思って結婚した妻が、結婚した途端、本性を現し、ジェイの資産を吸い取ることだけを生きがいにしているような姿を見てから、
その思いはどんどん強くなっていった。孤独だった。孤独はジェイの心を蝕んでいった。
ジェイはそんな時、つきあいで寄付をしているこの小さな教会に招かれた。
そこで初めてジェニーに出会った。瞳の美しさに吸い込まれそうだった。
“アンクルジェイ。始めましてジェニーです。あなたの多大な寄付に私はいつも感謝しています。”
ジェニーは控えめにそういうとすっと奥に入って、あれこれと子供たちの世話をしたり、
パーティーの支度を手伝ったりしていた。化粧化もあまりなく、
すらっと伸びた手足が印象的な美人だった。ジェイは一目で気に入った。
ジェイはその後、厚化粧をした金持ちのご夫人やフォアグラを食べ過ぎたようなでっぷりと脂ぎった不動産王仲間に取り囲まれ、
ジェニーと録に話もできないことに苛立った。
ジェニーの美しい瞳が忘れられないジェイはその後、
ジェニーが夕食の支度にたびたびこの施設を訪れていることを知り、通いつめるようになっていた。
そして、ジェニーの人柄にますます強く恋こがれるようになっていた。
一方のジェニーはジェイの経済的な支援に感謝はするものの、
親子以上に歳が離れたジェイは親切なお金持ちの一人でしかなく、だんだんとエスカレートする求愛に辟易していた。
誘いにのってこないジェニーにいらだったジェイはついに最終手段を使った。
ジェニーが自分と結婚してくれることを条件にこの施設に財産を投じ、
子供たちが成長するまで支援し続けるとジェニーに詰め寄ったのだ。教会の神父は救世主のようにジェニーにすがり、
なんとかこの結婚を承諾してくれと頼み込んできた。ジェニーの心は揺れていた。神父はこうも言った。
“ジェニー、一時の辛抱さ。ジェイはもう70歳。そう長くはない。君はまだ若い、少しの間我慢すれば、
この施設は安泰。君も莫大な遺産を手にしてずっと楽して暮らせるんだ。こんなにいい話があるかい?”
神父も必死だったのだ。
子供たちを路頭に迷わせるわけにはいかない。全てはジェニーの決断にゆだねられていた。
ジェニーはジェイになんの感情も沸かなかった。特に好きなわけでも特にきらいなわけでもない。
けれど、自分が手に入れたいものがあったとして、交換条件を出すようなやり方は好ましいとは思わなかった。
“それで私を妻にして、虚しさが増すだけではないでしょうか?”
ジェニーはジェイにストレートにこう訪ねた。
“私はあなたを愛してはいません。それでも構わないと?
あなたの欲しいものはそれで手に入りますか?心の寂しさは埋まりますか?”
ジェニーはジェイに真摯に話しかける。
“君が僕を愛してくれないかもしれないのは分かっている。
けれど、私は、心のきれいな人と少しでも長く一緒にいたいと思う。
心穏やかな日々にただ側にいて付き合ってくれたらそれでいい。多くは望まないよ。”
ジェイはそういった。ジェイはジェニーの瞳に自愛に満ちたディーバを見ていたのかもしれない。
ひたすらに心の安息が欲しかった。
さびしすぎないだろうか。ジェニーは何もかもを得てきたような恵まれた身なりのこの老人に心を痛めた。
そんな愛の形で人生を終えるのがこの人の望みだったのだろうか。私にそれができるだろうか。
この人の側にいて、この人の心を癒し、穏やかな日々を一緒に過ごす。
“ほとんど介護よね。”
ジェニーは事情をテトとジルに説明した後、そうぽつりとつぶやいた。
“私は結婚までボランティアなのかしら。”
ジェニーはそういって少し寂しそうに笑った。
“君はどうするつもりなの?”
ジルは聞いた。いろんなことが少しずつ間違っているような気がする。
結婚を条件に施設を救うことも、それがいちボランティアのジェニーに向けられていることも。必死に頼みにくる神父も。
“テト、魂は生まれ変わるのよね?それならば、今回はこんな人生もありなのかしら?”
ジェニーがテトに聞く。
“魂は生まれ変わるけれど、今回の人生は。。と言って手を抜いていいわけがない。
今回は今回だ。世界は今が全てだ。今が未来を作るし、少し古くなった今が過去だ。
そんな風に現世を投げやりにしていい理由は何もないよ。”
“私はどうしたらいいのかしら。”
ジェニーは悩んでいた。
“心ままに。後悔しない決断を自分自身で選ぶことだね。”
テトはそういった。
“たいしたアドバイスにならないな。”
ジルはつぶやいた。