気づき
何かがおかしい。
ここ数週間感じだした疑問を確かめるように病院のカルテ室を訪れた
ジェニーは今月に入ってからのカルテを見返してそう呟いた。
ハワイで一番大きな産婦人科の施設を持つこの病院で看護士として働いて5年。
ジェニーは数多くの赤ちゃんの出産に立ち会ってきた。
産婦人科はいつ陣痛が始まるかわからない妊婦を大勢抱え、
スケジュールが変動的でハードワークだ。
あまりお金にもならない仕事の為か、医師の数も充分でなく、看護士の役割は多かった。
実際、ジェニーたち看護士がほとんど世話をして、最後だけ医師が立ち会うという出産が通例だった。
異変に気づいたのが医師より看護婦が先立ったとしてもおかしくはない。
“一体どうしたのかしら。”
カルテ室からでたジェニーにはあることが頭から離れなかった。
“今月に入って、流産の数が昨年比の2倍。死産の数が3倍。何かがおかしいわ。”
医師たちは偶然としか思っていないようだったがジェニーにはとても重要なことに思えてならない。
産婦人科の医局長が通りかかったので、呼び止めて聞いてみる。
“先生、今月の流産と、死産の数異常だと思いませんか?
先々月に比べても右上がりで増えています。これは偶然だとは思えないんですが。”
医局長はこの道30年のベテランだった。
“ジェニー、たまたまだよ。妊婦の数が減るとデータ上の割合は跳ね上がる
。妊婦が減っているからそう思うだけだよ”
“そうでしょうか。”
ジェニーは腑に落ちない様子だ。そもそも妊婦の減少もおかしくはないだろうか。医局長は言った。
“みんな自分の人生を勝手に生きたいと思っている。子供は邪魔だとでも思っているのかなぁ。”
ジョークとも思えないその言葉にジェニーの顔が曇った。
その様子を見ていたテトがジルのもとに戻って言う。
“驚いたな、アースの決定に気づいた人間がいたよ。”
どうやって接触しようか。
とテトとジルは悩んだ。この病院は大きすぎるし、ジェニーは病院では忙しすぎて、近寄れない。
仕事が終わるまで待つことにする。
テトはジェニーの働き振りを観察することにした。
小さな妖精は光を消せばほとんど気づかれず人間の側にいることができる。
カーテンの隅っこに、時には戸棚の上に、ジェニーにまとわり付きながらテトは感じた。
“確かにピュアソウル。マザーテレサのような献身ぶりだ。”
ジェニーのもとには大勢の患者が来ていた。検診というよりジェニー会いに来たという様子の妊婦たちにいつも取り囲まれている。
“ジェニー、さわってみて、動いたのよ今。”
嬉しそうに駆け寄るもの。
“ジェニー、体重が増えすぎちゃって、でも食欲がとまらないの”
など、子供を授かって幸せな悩みと裏腹に、不妊治療に来ている女性たちも多い。
“ジェニー、子供ができない私たちにとって、たくさんの妊婦さんと同じ待合室はつらすぎるわ。”
そうもらした若い女性の肩を抱くとジェニーは優しく言う。
“そうよね。わかるわ。でもあれがあなたの未来の姿よ。
私もああなれるって信じるの。強く、強く信じると願いは叶うのよ。まだ若いんだもの。きっと赤ちゃんが授かるわ。”
ジェニーに声をかけられた女性は涙ぐんだ。
次々とやってくる妊婦さんを手際よく診察台に導き、
先生のフォローをしながら、暇をみては患者さんに声をかけ、相談に耳を傾ける。まさに息つく暇もない忙しさだ。
食事を取る暇もないのか、デスクにおいてあった、サンドウィッチは食べかけのまま袋に入れてある。
“それにしても、人間の出産は大騒ぎだな。”
テトはおかしそうにいった。
ジェニーの仕事が終わるまで特にすることがなかった、ジルはすっかり待ちくたびれていた。
車のなかでうとうとしているとテトが飛び込んできた。
“ジル、ジェニーが出てくる。話しかけてみよう。”
ジルははっとして慌てて車からでてジェニーを追った。
“エクスキューズミー。”
ジェニーが振り返って目を丸くしている。
“まあ、メネフネ。”
ジルの肩先で光を放ちながら飛ぶテトに釘付けとなる。
あたりが暗い性でテトの羽から出される7色の光がくるくると美しかった。
“僕が見えるかい?”
テトが楽しそうに言った。
“私、疲れているのかしら。妖精と話しているなんて。”
ジェニーがくらっとしたようだったので、ジルが慌てて側にあったベンチに座らせた。
“僕たちあなたに会いにきました。神様の使いです。”
マザーテレサに似た面差しを持つジェニーにうそは通用しないとテトは判断した。
テトが丁寧な言葉を使って説明したので、ジルは面食らう。
“レディーだから始めは少し気を使っただけだ。”
とテトが言い訳がましくいった。実際はじめだけですぐ遠慮のない言葉に戻った。
“ジェニー、昼間言ってただろう。なんかおかしいって。”
“ええ、聞いていたの?”
“ああ、君が初めてだよ。アースの決定に気づいた人間。”
テトが誇っていいよというようにウェインクした。
“アースの決定?”
“そう、最近決まったんだ。人間の絶滅が。”
あっけに取られて言葉を失うジェニー。
“テト、なんでもストレートに言い過ぎるんだよ。”
ジルがたしなめる。
“こういうことをくねくね曲げて言うとなんかいいことでもあるのか?
話がややこしくなるだろ。”
“でもさ、ショックは和らぐんだ。
衝撃を和らげる為にクッションをおくことも必要だ。”
ジルは言葉足らずの妖精のために変わりに説明をしだした。
“絶滅といっても、天変地異や、巨大な核ミサイルが落ちてくるわけじゃないんです。
つまり、ジェニーが気づいたように、人間の赤ちゃんが減っていくということです。
そして最終的に誰も産まれなくなって人間は絶滅するということで。”
“まあ。”
言葉を失って何かを考えるジェニー。
“そうですか。アースというのは神ですか?”
テトを見ながらジェニーが訪ねる。
“そうだな、神だと思ってくれていい。”
“そうですか。本当に最近おかしいのです。
現代人の流産は多くなってきてはいますが、3人に1人の割合は異常です。
妊婦さんの数も30%ほど減少しました。
死産にいたっては現代の最新医療の進化で本当に少なくなっていたというのに、
今月だけで3件も起きています。異常な数値です。”
ジェニーは悲しげに言った。流産が発覚したときの患者の悲しみようが眼に浮かぶ。
顔を覆って泣き出すもの。夫の胸に崩れ落ちるもの。冷静に唇を噛締めるもの。
生まれてくるはずだった赤ちゃんの心臓が止まったという事実に、若い夫婦は打ちのめされた。
“赤ちゃんが生まれてこなくなるなんて、絶望的だわ。”
絶望という言葉に反応してテトがビクンと震えた。ジルが慌てて続きを説明する。
“でも方法があるんです。ピュアソウルを探し出して、結晶を作ればアースは決定を覆してくれるはずだとテトが言うので。”
“ピュアソウル?”
初めてきいたというジェニーにテトが言った。
“君だ。”
“私が??”
“そう、だから少し側にいさせてもらっていいかな?”
ジルが優しく言った。さすがに君が死ぬときにできる結晶が欲しいとはテトも言わなかった。
“なんだかわからないけど、私がお役にたてることならなんでも。”
ジェニーは快く応じてくれた。
“これから家に帰るのかい?”
ジルが聞くと
“いいえ、これから子供たちに会いにいくのよ”
とジェニーは嬉しそうに言った。
“子供がいるのか。”
とジルは悲しそうに言った。母親を失ったら悲しむな。