女神ペレ
ハワイ島に降り立つと、視界いっぱいに真っ青な空と、果てしなく続く溶岩台地が広がっていた。
赤茶色のごつごつした大地。
ところどころに置かれた白い石には、観光客が残した願いや名前が刻まれている。
それがなければ、ここは生命を拒む不毛地帯にしか見えなかっただろう。
レンタカーを走らせると、乾いた風が車内を抜けていく。
ジルは大きく息を吸った。
――帰ってきた。
胸の奥に、懐かしさと同時に、言葉にできないざわめきが広がる。
火山特有の植物は葉も花も針のように細く、触れれば拒絶されそうな気配をまとっていた。
「生まれたての大地だな」
テトが言った。
「生まれたて、というより……死んでるみたいだ」
「同じことだよ」
テトは軽く笑う。
「死と生は直線じゃない。
螺旋だ。スタートとゴールは、実は隣り合ってる」
ジルは溶岩原を見渡し、ゆっくりうなずいた。
「……なるほどな」
ふと、思い出したように尋ねる。
「で、ペレはどこにいる?」
「火山の中」
「は?」
「だから、火山の中」
あまりにも当然の口調に、ジルはハンドルを握りしめた。
「キラウエアは活火山だぞ。人間が入れるわけないだろ」
テトはいたずらっぽく笑う。
「俺、妖精だって言っただろ。
人間の常識で話すなよ」
そう言うと、目を閉じた。
ジルが慌てて車を止めた瞬間、景色が歪んだ。
地面が揺れるのではない。空間そのものが、柔らかくねじれていく。
平衡感覚が溶ける。
視界が回り、世界が一枚の絵の具のように混ざり合う。
――心地いい。
そう思った次の瞬間、意識が途切れた。
「起きろ」
テトの声で目を開ける。
車は消えていた。
周囲は黒い岩に囲まれ、洞窟の奥のようだった。
「……移動、した?」
「した。
細かい説明は省く。寿命が減るからな」
「え?」
「二、三年」
「軽く言うな……」
だが、なぜか怒りは湧かなかった。
考えても仕方がない、と魂が理解してしまっている。
「さあ、ここからは歩け」
暗闇の中、足元だけが淡く光る。
光は一歩先を照らし、道を示していた。
「ペレは短気だ。
待たせると、溶岩が飛ぶ」
「冗談だよな?」
「半分な」
テトは笑った。
やがて、巨大な岩の扉が現れた。
人の力では動かせないと一目でわかる、一枚岩。
「ノックしろ」
叩いても、音はほとんど返らない。
「入れ」
低く、深い女の声。
押すと、岩が軋みながら開いた。
中はオレンジ色の光に満ち、息が焼けるほど熱い。
「うわ……スーツ失敗だったな」
テトが指を鳴らすと、アロハ姿に変わる。
「ずるい」
「ほら」
ジルも一瞬でアロハと短パンになった。
「……青より、グリーンがよかった」
「細かいな」
再び指を鳴らそうとした瞬間。
「――うるさいわね」
赤いドレスの美女が現れた。
強い黒い瞳。
溶岩の熱を従えるような存在感。
女神ペレだった。
「人の部屋で騒がないで。溶岩かけるわよ」
「悪い悪い」
ペレはジルを一瞥し、ふっと笑った。
「グリーン、悪くないわ」
テトが指を鳴らし、色が変わる。
「……まあ、いいわ」
ジルは息を呑んだ。
恐怖より先に、美しさが胸を打った。
「で、用は?」
テトが説明する。
「人間、絶滅回避したいらしい」
「恐竜の二の舞ね」
ペレは肩をすくめる。
「ピュアソウルは?」
「探してる」
ペレは微笑んだ。
「何人かいるわ。
……でも」
ペレの視線が、ジルに止まる。
テトが集中し、次の瞬間、のけぞった。
「……お前かよ」
沈黙。
「連れてきておいて気づかないなんて、笑えるわね」
「ぼ、僕が……?」
「普通すぎるのが、逆にピュア」
テトは苦笑する。
「ピュアソウルは七人必要だ。
お前は――最後だ」
ジルは、ゆっくり息を吐いた。
「……わかった」
テトが笑う。
「じゃあ、行こうぜ。
次はオアフだ」
ペレは手を振った。
「せいぜい、頑張りなさい」
扉が閉じ、溶岩の光が消える。
こうして――
人類の運命を賭けた旅は、本格的に動き出した。




